第5話 藪を突くと、セルリアン

 プレーンな味のジャパリまんと冷たい麦茶で軽めの朝食を済ませ、僕とクオは玄関から外に出てきた。コウさんの姿を探して少し視界を回すと、彼は切り株のベンチに座りながら、うつらうつらと頭で拍を打っていた。


「起こした方がいいかな…?」

「あっ、クオに任せて!」


 ぱちぱち。

 クオの弾ける手拍子が響く。

 微妙に目元をこすり、大きく体を縦に伸ばして、こちらに目を向けた。


「……悪い。少し寝てたみたいだ」


 僕は空を見上げる。雲一つ浮かんでいない、晴れやかな天気だ。だけど太陽を探して視線を下ろすと、やがて山と森の緑が地面から背を伸ばして、群青はその向こう側へと隠れてしまう。


 天頂を染めた濃い色彩は早朝の証。

 例え眠くても仕方がない。


 コウさんは首を振り、数回ほど手で頬を鳴らして、パッチリと両目を開き切った。


 眠たげな佇まいから一転、涼しい表情になって告げる。


「うん…もう大丈夫。

 目的地までは若干遠いから、すぐに出発しよう」


 そして、忘れないうちに確かめたかったコウさんの今日の姿は蛇だった。


 青っぽい緑に斑の紅が混じった大きな尻尾が、途轍もない存在感を放っている。先っぽの方こそ細くてこじんまりとしているけど、太い部分を叩き付けられた日には大怪我を負うこと間違いない。


 うん、すごいなぁ……。


「……もしかして、気になるのかな?」

「まあ、はい」


 …っとと、やっちゃった。

 まじまじと眺め過ぎて、変に思われたかな。


「機会があれば、もっとよく見せてあげるよ」


 しかし存外の反応、苦笑うように微笑んで歩き始めたコウさん。


(多分、悪いことにはなってなさそう…?)


 まあ、気のせいかもしれないけど。


「…来ないの?」

「あっ、行きますっ!」


 ひとまず、コウさんが何処に向かうつもりなのか。

 そしてアスのお願いとは何なのか、確かめに行くとしよう。




§




「…ソウジュ」

「ん、どうかしたの?」

「おなかすいた…」

「えー?」


 クオったら、さっき食べたばっかりじゃん。

 歩き始めてからまだ五分も経ってない。

 食べ足りなかったのなら、出発する前に言ってくれれば良かったのに。


 だけど、どうしても今欲しいって言うのならそれはそれ。


 僕はバッグに手を突っ込んだ振りをしながら、実際はポケットの中で虚空間にアクセスして、程良いサイズのジャパリまんをクオに渡すことにした。


 今は近くにコウさんがいるから、無闇矢鱈に妖術を明け透けには出来ないからね。


「仕方ないなぁ……ほら」

「えへへ、ありがとー♪」


 もぐもぐ。

 ほっぺを膨らませてジャパリまんを食べる。

 そんな可愛らしいクオの姿を眺めていると、ふと横から視線を感じた。


 案の定、コウさんがこっちを見ていた。


「……あぁ、ごめんなさい。

 食べ終わったらすぐに出発しましょう」


 そう言ったけど、返事が無い。

 出発待ちって、ことじゃない?


 戸惑っていると、彼はクオのジャパリまんを指差して言った。


「それ、美味しそうだね。よかったら俺にも一つくれないか?」

「えっと……まあ沢山あるし、問題は無いかな」


 妖術で生み出す虚空間は無限の貯蔵空間。

 これさえあれば、もしかすると向こう数年は安泰に生きて行けるかもしれない。


 なんて、そんな話は置いといて。


「どうぞ、ピザまん味です」

「ありがとうっ!」


 僕からそれを受け取ると、コウさんはすぐさま封を切って中身を頬張り始めた。拙速にがっつくような、それでいてじっくり味わうような食べ方に、たった一個のジャパリまんながら、息を呑む気迫が漂うのだ。


「うん、やっぱりジャパリまんはいつ食べても美味しいなぁ…!」


 そうして待つこと数分。


 二人とも綺麗に食べ終わると、気を取り直してまた歩き始める。



 そして、とっても暇な道中の専らの話題は、パーク職員を名乗る謎の人物たるアスの話へ自然と向かっていくのだった。



「実は俺も、あの人のことはよく分かってない。

 もちろん良い人だよ、それは保証できる」


 コウさんはアスのことをそう評した。

 二人の出会いはおよそ二週間前、きのう話に聞いた通り。


 アスは、コウさんが『元の世界へ帰る』という目的を達せられるように、協力者として力を貸しているらしい。そして、その見返りとして、コウさんもを手伝っている。



 曰く、事情を深掘りすると若干ややこしいことになるみたい…?



「簡単に説明するなら、そうだな。俺がアスさんを手伝うことが、俺自身の目的に繋がっている……って感じだろうか」


「その目的が、元の世界に戻ること…」



 常識の刷新が追い付かず、まだ頭が混乱している。


 遠く離れたどこかに、こことは違う世界があるらしい。

 宇宙があって、地球があって、ジャパリパークがあって、フレンズがいて、残念なことにセルリアンもいる。


 だから、違うのは少しだけ。

 向こうのパークにはヒトがいて、ヒトがパークを運営しているみたい。


 それらの世界同士、普段は一切関わりが無いんだけど、何かの拍子で二つの世界が繋がってしまって、その結果コウさんはこちら側に来てしまったのだという。


(……うん)


 全くばかげている。


 よりにもよってこんな話。

 どうして心の底から信じられよう。


「うん、その反応は当然だと思うよ。

 俺だって、立場が逆だったら絶対に信じてない」


 そう断言して貰えて、ちょっと安心した。


「でも、本当のことなんだ」


 念押しされた事実が、更に胃を痛めた。

 アスは本当に、事実を聞く側の心情を考えた方がいいって。


「うーん……つまりどういうこと~?」

「そう言われると難しいな、端折れる話でもないから」


 確かに、それくらい簡単だったらとうに理解している。



「―――だから、アスさんは君たちを一緒に行かせたのかな」



「えっ?」


を見れば、きっと思う。

 俺の話も、あながち間違いじゃないかもって」


 神妙な表情をして、彼は呟く。



「けどその前に、掃除が必要みたいだな」



 そして顔を上げ、上に着たパーカーでバサリと風を扇ぐ。

 向こうの草むらに石を投げ、冷たく言い放った。


「出てこい、隠れても分かってるぞ」

「あわわ、セルリアンだっ!」


 石の投擲を食らったのか、慌てて出てきたセルリアン。

 なんという偶然か、蛇を模した姿の個体だった。


 一歩前に踏み出し、コウさんが言う。



「俺が片づけるから、二人は―――」



 ―――風。



 言葉を遮るように吹き抜けた。


「ソウジュっ、アイツやっつけるよっ!」

「ふふ、はいはい」


 元気よく、自慢の愛刀を構えるクオ。


「あ、あれ…?」

「あはは、ごめんなさい。あの子、戦うのが好きだから」


 僕だから分かる。

 今日のクオは止まらないよ。


「そういうことなら、今回は譲ろうか。あまり強そうなセルリアンには見えないけど、油断は禁物だよ」


 蛇は狡猾なイメージを持つ生き物。

 たとえ追い詰めても、どんな手で反撃してくるか分からない。

 まあ蛇に手はないんだけど、あの窮鼠よりも鋭い牙で噛まれれば大惨事だ。


 さて、クオはどんな風に戦うのかな……?


「ソウジュ、ほらっ!」

「や、やるの…?」

「いつもやってるでしょ?」


 まあ、そう言われればその通りか。


 コウさんもキメラだし――実は若干それも事実かどうか疑っている――ちょっとやそっとのことじゃ驚かないよね。



「『星質同調プラズム・シンパサイズVulpeculaこぎつね』」



 二重星の輝きを身に宿し、和装とこぎつね座の力を周囲に纏う。

 唐傘を手に取って、妖力を流せば鋭利な石突き。

 刻み込まれた妖術で蹴散らしてしまおう。


 戦い慣れた和の服装に僕は安心感すら覚えた。


 まあ問題ないよね。

 いざやる前は尻込みしたけど、変わったってこの程度だもの。


「えっ、その姿は…!?」


 ……普通に驚かれてた。


「あ、後で説明します」


 こればかりはお互い様だな。


「ソウジュ、こっち見てっ!

 今日はクオがとどめを決めるんだからねっ!」


 鼻から止めどなく息が漏れだすクオの意気込み。

 きっと、僕の出る幕は残されないだろう。


「……じゃあ、僕がこの姿でいる意味は?」

「クオがうれしいっ!」

「うん、わかった」


 クオがうれしいと、僕も喜ぶ。

 きっとこれが、Win-Winってやつなんだろうね。


「それでいいのか…」


 そう、いいんだよ。

 だって、クオだから。



「行くよ、一気に決めてあげるっ!」



 刀の柄をギュっと握り、震える刀身で蛇の身体を狙い澄ます。

 大きく振りかぶって、地面と切先を擦り合わせるように刃で半月の弧を描いた。

 鋭い銀の峰がセルリアンを襲う。


「えーいっ!

 ……あれっ?」

「クオ、取り逃がしてるよ」


 やっぱり、アイツも雑魚じゃなかったね。

 細く小さい身体を生かして、横をすれ違うように刀を避けたんだ。


 そして、この一撃で決まらなかった影響は予想以上に大きい。


「あわわっ、待て~っ!」


 クオはセルリアンを見失った。

 すばしっこい敵を、見つけて、狙って、斬らなくてはいけない。

 小さい敵を探すことを強いられるのは、大きなハンデとなる。


「消えた?

 あ、見つけたっ!

 ……またいなくなっちゃった」


 そのうち噛まれそうだ。

 可愛いけど、もう放っておけない。


(……妖術でこっそり手伝おう)


 唐傘を開いて肩に持ち、持ち手から静かに妖力を迸らせる。


 キュウビに記された刻印の一つ、植物を操る妖術の術式。 

 それを集中して発動しながら、加えて探査の術も行使する。


 すると間もなく、僕の視界はセルリアンの姿を確実に捉えた。


(隠れているのか?

 アイツに動きが無いな。

 もしかすると、噛み付く瞬間を狙っているのかもしれない)


 場所を知らせて、尚且つ攻撃を当てられるように支援する方法。

 クオに気付かれないようにやるのは難しい。


 ……じゃあ隠さなくていいか。


「クオ、手伝うよ。

 僕が見つけて動きを封じるから、その隙を斬っちゃって」

「…うん、わかったっ!」


 場所は既に割れている。

 だからやるだけ。


 さあ、キツネの力を思い知るといいさ。


「岩よ、飛び出せ。

 風よ、捕らえて。

 草よ、縛れっ!」


 シンプルイズベスト。


 打ち上げて、滞空させて、縛り付ける。

 もうセルリアンは逃げられない。


「今だよっ!」

「必殺、キツネアタックッ!」


 今度の円弧は一回転。

 満月を描くように空を切り裂いた刀がセルリアンを巻き添えにする。

 小さい身体で攻撃を避けるのは、受けたら全てが致命傷だから。


 例外はない。

 セルリアンは両断されて散った。


 あとに残った石板を、僕が回収するだけだ。


「いぇい、ありがとねっ!」

「お疲れさま、良い攻撃だったよ」


 『同調』を解いてクオとハイタッチ。

 色々比べてみても、やっぱりクオの攻撃の威力はピカイチだ。


 こうして丁寧にお膳立てしてあげると、それがよりよく分かる。


 そして、僕らのやり取りが終わるまで待っていてくれたのかな。

 ずっと戦いを脇で見ていたコウさんが、探り探りというように声を発した。


「ソウジュくん。

 君はいったい、何のフレンズなんだ……?」


 あはは、困っちゃう質問だなぁ。


 素直に『ふたご座』と答えても、また説明の面倒が出来ちゃうし。

 かといって、適当に答えるのも悪いし。



 ……あ、これにしよう。



のフレンズ、かな」



 そう得意げに答える僕を、彼は虚を突かれたような顔で見ていた。

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