第4話 明日にかけて、蛇が出ます
『――なぁ、何処まで行くんだ?』
そう問い掛けた声の先には、霧の深い森の中で出会った少女の姿。
彼女の後ろについて、暫く黙々と歩き続けていたコウ。
だが、いつまで経っても変わり映えのしない景色にとうとう痺れを切らしてしまったらしく、気怠げな声で彼は終着点を尋ねた。
その質問に、少女が答えを返すことは無かったが。
『……はぁ』
少女は足を止めない。
溜め息をついて、彼は再び足を動かす。
ずっとずっと立ち込めて晴れない霧の所為だろうか。気分の重苦しい物静かな前進は、彼らが森の最奥にある廃屋にやって来るまで続けられた。その頃には既に、コウの心中からあらゆる不平の感情は拭い去られていた。
それは彼の関心が、自身の置かれた状況の方へ向けられていたからだ。
(ここは島の外か?
俺の知る限りでは、島にこんな森は無かった…)
しかし、よりにもよって彼をこうして、気付かれないうちに島の外へと連れ出すことが出来るのだろうか。普通に考えれば不可能なことだ。
つまり、普通ではない存在の所業と言う可能性が浮かび上がってくる。
(だけど、姉さんたちの仕業だと考えても変なんだよなぁ…)
もしも犯人が彼の想像通りなら、この一件はただのイタズラだということになる。
が、それも彼には納得しがたいことだった。
こんな風に回りくどい、いわゆる『やられた感』すら薄い茶番、イタズラと形容するにもお粗末すぎる代物。
彼女たちならばもっと分かりやすく、そして面白くやるだろう。
じゃあ、どうなるかと言えば。
(やっぱり、本物のトラブルに巻き込まれたことになるよな……)
そう結論付けて、彼は意識を現実に戻した。
『……おぉ。ようやくこっちを見おったの』
『そっちこそ。やっと喋ってくれたね』
妖しげな微笑みを浮かべる少女。
深緑の髪をたなびかせ、蛇の巻きついた杖を支えに立って、コウを見つめる瞳は深淵に繋がっているかのように円い。
今日は彼自身も蛇の姿だというのに、あわや食われてしまいそうな不気味さに呑まれ、少女に怪訝な目を向けたのも不思議なことではないだろう。
『くふふ、恩知らずな冷たい目じゃのう。お主がきっと困っていると思って、わらわが親切心でここまで案内してやったというのに』
時代錯誤な、古風な口調で話す少女。
態と大袈裟に悲しんで見せる姿に彼は閉口した。
そして思った。
帰り道は自分で探すべきだと。
ここが何処かは知らないが、空を飛べば森を脱出するのは難しくないだろう。それから適当なパークの施設に赴けば、そこにいる職員に話をつけて島に帰ることができる。
(…そうするか)
彼とて、自分の身に起きたトラブルの正体は気になるが、そのために心配を掛けるような行いはしたくないのが本音だった。
さっさと帰ると決心した彼は、ぶっきらぼうな調子で少女に言った。
『…俺、一人で帰っていいかな?』
『無論それは自由じゃが……よいのか?』
『何が?』
『だってお主、この世界の者ではないじゃろ』
続けて曰く、『この世界にお主の帰る場所はないぞ』と。
『……は?』
少女の口から明かされた信じがたい事実に、彼は開いた口が塞がらなかった。
§
「―――と、出会いはこんな感じだったと思う」
話を始めてから数分。
二つ目のジャパリまんに手を伸ばしながら彼は言った。
「うむ、こやつの言う通りじゃ」
「あれが、だいたい二週間くらい前だっけ」
「時というものは早いもんじゃの~」
アスの呑気な物言いに僕は苦笑いをする。
隣に座っているクオも、キツネ耳の間にハテナを浮かべて首を傾げた。
それを見て、アスの唇が三日月に曲がる。
「くふふ。まあ当事者でもないし、すぐに飲み込めないのは承知の上じゃ。ゆっくり咀嚼して、自分なりに納得できる解釈を見つけるとよい」
彼女はサラっと言っているが、難しい話だ。
『異世界』なんていうファンタジーなワードを突然出されて、ああそうですかと納得することなんて出来ない。
僕はクオと顔を見合わせて、お互いに困り顔。
こればっかりは、詳しい話を聞かないと何とも言えないな。
クオが尋ねる。
「でも、どうして別の世界から来たって分かったの?」
「よい質問じゃな。後で答えてやるぞ」
「えぇ~」
ジト目も可愛いクオ。
煎餅をひとかじり、僕は考えるのをやめた。
「話せば長くなるからの。じゃから先に、簡単な方の説明をしようぞ」
そう言って突っついたのは隣のコウ。
両手の人差し指が五月雨のように彼の二の腕を襲い、案の定と言うべきか鬱陶しそうに距離を取った。
ええと…話を進めた方が良さげかな…?
「それが、キメラの話?」
「ずっと気になっておるのじゃろ?」
「タスマニアデビルに存在を聞いた時からね」
でも、引っ掛かるんだよな。
森の前でタスマニアデビルが言った『キメラ』と、ここにいる彼を結びつけることが出来ない。
彼女は、キメラのフレンズが居るとは言わなかった。
アスは彼をフレンズと表現した。
そして怪物という言い回しも、彼の印象にはどこかそぐわない。
隠された真実―――なんて、流石にそれは誇張になるけど、アスが敢えて明かしていない何かは確かに有りそうだ。
「…くふふ。
真実を知った時の反応が楽しみじゃ」
アスは何かを隠していることを隠しもせず、彼女の人を喰うように目を見開いた微笑みに、僕はブルリと身震いをする。
あとは、そう。
テーブルの下でそっと繋いだクオの手が、とても暖かかった。
§
その日の夜。
「ソウジュ…むにゃむにゃ…」
「はいはい、僕は逃げないよ」
「ぇへ…っ」
夜を明かすために貸してもらった、角にある一室。
そこに布団を敷いて、普段通りに僕とクオは横並びで寝そべっていた。
先に眠りに落ちてしまったクオが、寝言で僕の名前を呼びながらしがみついてくる。温もりのある橙の髪を梳きながら頭を撫でてやり、その間にも僕は、昼間に聞いた『キメラ』の話を思い出していた。
アスの言う通り、自分なりに咀嚼しないと理解しきれない内容だったから。
―――キメラ。
同一の個体内に異なる遺伝情報を持ち合わせていることや、そのような状態の個体のこと。
(ヘビ、オオカミ、カラス、コウモリ、オイナリサマに……キュウビキツネ)
耳にした名前を、一つ一つ列挙していく。
それは、彼が持っている動物の要素の数々。
正直、ピンとくるのはキュウビキツネだけだった。
イメージとしては、キュウビの人格が表に出てきた時のクオの姿を思い浮かべればいい筈だ。尻尾が九本になって、毛並みが全体的に白っぽくなる感じ。
彼の中のキメラな要素は日替わりで表に出てくるみたいで、黒い翼が背中に生えていた今日はカラスだったみたい。変えることも可能だけどエネルギーをかなり使うらしく、羽を大きく伸ばした姿だけ見せて貰えた。
明日は明日のキメラになる。
同じ姿を引き当ててしまう不運がなければ、他の姿を見られるという。
(”寝てる間に変化する”って言ってたけど、実際はどういう風に変わるんだろう……?)
カメラでも設置して撮影すれば、変わる瞬間を捉えられそうだ。
まあ、そんな不躾なことをする気は無いけど。
「それに、なんだか警戒されてるみたいだったし…」
猜疑と、僅かな敵意の視線。
その奥には、不信の感情が見て取れるような気がした。
僕だけにその目が向いていたけど、僕が何かをした覚えはない。
……何かをできた覚えもない。
となると、僕個人には関係のない事情があるのかもしれないね。
(だけど、そこまで敵対的な振る舞いじゃなかった。だからこれからどうなるかは、お互いの関係性次第になるのかな)
…んーと、まあ。
言葉遣いは程々に気を付けておこう。
あとはアス。
あの説明の後に問い詰めると、別角度からのとんでもない事情が発覚した。
『で、なんで説明させたの?』
『まあ、その場のノリじゃ』
『勝手にバラされてかわいそう…』
クオが言う。
僕も同感だ。
だが、アスは不服とばかりに頬を膨らませた。
『バカにするでない。わらわにも思惑というものがあるのじゃ』
本当かなあ。
僕は疑いつつも、黙って話の続きを待った。
『実はわらわ、密かに星占いを嗜んでおっての。近々に見た妖しい輝きはきっとお主達じゃ。お主達と交流を深めれば、きっといいことが起きるはずだと踏んでの行いなのじゃよ』
……いいこと、ね。
『そのために、コウさんの情報を売ったの…?』
『うむっ!』
『ソウジュ、この人おかしいよ』
肝心の”いいこと”とやらの中身は、幾ら聞いても教えてはくれなかった。
ただ、確信めいた声色をしていたのは覚えている。
本当に何かあるかもしれないと、頭の片隅で思ってしまうくらいに彼女は自信満々で喋っていた。
……そういえば、『異世界』云々の話も結局教えてもらえずじまいだったね。
「何もかも、これからってことかぁ」
ナカベのライブまでは時間がある故、一週間ほどここに滞在して泊めてもらうことになった。旅の道中として、リクホクの想い出もしっかり作ることにしよう。
カントーでは大事件に巻き込まれたし、ここでは平穏に過ごせるといいな。
そう願い、僕も目を閉じ眠りに落ちる。
おやすみ、クオ。
§
―――翌朝。
コンコン、と乾いたノックがドアを揺らして、その音で僕は目を覚ました。
続けて、扉の向こうからコウさんの声が聞こえる。
「…入ってもいい?」
「ふわぁ~……うん、大丈夫」
あくびをしながら答えると、ゆっくり扉が開かれた。
僕と彼は目を合わせて、彼はほんの少しだけ眉を困らせると、僕にしがみついたまま眠っているクオを見て言った。
「…懐かれてるんだね」
その声は優しく、また溜め息混じりだった。
呆れと言うよりも、安堵のような。
そして彼は用件を伝える。
「アスさんのお願いで、ある場所に行くことになった。ソウジュくんたちにも、俺と一緒に行って欲しいらしい」
お願い、ね。
昨日のアスの言葉が脳裏を過る。
これも、彼女の思惑の一部なのだろうか。
「準備が出来たら、玄関の前に来てくればいいよ」
「わかった、そうする」
「あぁ、それと」
少しの前置きをして、彼は言う。
「俺について昨日言ったこと。事実だけど、あまり気にする必要はないよ。きっとそのうち、色々と理解できるようになる筈だから」
だと、いいな。
「じゃ、待ってるよ」
バタン。
会話の終わりは、扉が閉まる音だった。
僕は大きく背中を伸ばして、クオの背中をぽんぽん叩く。
「起きて、クオ」
「うぇ…なに…?」
「お出掛けするから、準備だよ」
窓から朝日を迎えて、ふと気づく。
そういえば、今日のコウさんの姿は何だったっけ。
(尻尾が長かったし、多分蛇かなぁ…)
しかし、確証がない。
眠気でハッキリ見えてなかったから、後でチラッと確かめよう。
でもダメだ。
記憶に霧が掛かったようにモヤモヤする。
早く確かめたい。
一度そう感じるとむず痒さは止まず、手早くお出掛けの準備を済ませるべきたった一つの奇妙な理由が、僕の心の中に生まれてしまったのだった。
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