第3話 幻のパーク職員さん

 ドアノブを捻り、引っ掛かるささくれを蹴り飛ばして押し通る。

 古びた木がギチギチと音を立てながら、とても大きな扉が開いた。


 通った視界に暖かい空気が頬を撫でて、見えた室内はモダンな装飾。


 ここが、二人のお家のようだ。


「ようこそ、わたしたちのおうちへ…!」

「ふーん、いいところだろ~?」


 タスマニアデビルの言葉に、僕は首を縦に振る。


 エルが居たセントラルのお城のような際立った華やかさは無いけれど、こういう身の丈に合った雰囲気の建築物は、そこにいるだけで気が安らぐ。


 なんとなしに壁に手を当ててみるだけでも、効果は覿面だ。


「この家、全部木で出来てるんだね。自然を感じるよ」


「ああ、我も只ならぬオーラを感じるぞ。この場所ならば、大自然の風止まりに棲む樹木の精霊と盟約を交わすことも出来るに違いない」


「…ふふっ」


 何度繰り返しても飽き足らぬブラックバックの大袈裟な言い草に、クオがとうとう笑みを零した。


 彼女の腰の高さほどの本棚、その上にぽつんと置かれていた花瓶を両手の中に取って、白い花を咲かせた植物の匂いを嗅いだと思うと、クオは二人に問いかける。


「お手入れもちゃんとされてるね。二人でここに住んでるの?」

「いいや、三人だっ!」

「あ、もう一人いるのか…」


 思わず呟く。

 すると、オーストラリアデビルが言った。


「うん、今はお出掛けしてるみたい。

 森は最近ちょっと危ないから、不安だなあ…」


 聞けば、この家は元々その人の持ち家だったらしい。

 色々あって一緒に住むようになって、その切欠となった最初の出会いはタスマニアデビルと共に森で迷子になった日のこと。


 その時の出会いも、あの霧深い森の中だったと彼女は言う。


「…待って、森にいるの?」

「いつもそうだから、たぶん今日も」

「ほう、彼女も強者つわものなのか?」


 割り込んできたブラックバック。

 声がちょっぴり楽しそう。


「うーん、どうなんだろう……。

 タスマニアデビルちゃんはどう思う?」

「えっ、何のことだ?」


 素っ頓狂な声。


「…すっかり寛いでたね」


 案内人気分のオーストラリアデビルとは打って変わって、あの子は完全にオフモード。彼女の目から逃れる様に背中に隠していたのは、ソファのクッションの下から取り出したのジャパリチップス。


 ……まあ、『夕方のおやつは晩御飯に響く』と言われて、敢え無く没収されてしまった。


「ソウジュっ、こっち来て~っ!」

「はいはい、クオは何を見つけたの?」


 知ればクオも大胆だ。

 来訪より数分、既に我が物気分で裏の物置を物色していた。

 そこで面白そうなものを見つけて、僕と共有しに来たみたい。


 あの子が抱えている大きな箱は、たぶん―――


「…おお?

 寂しい辺鄙の小屋が、珍しく賑やかになっておるのう」


 と、初めて聞く声が僕らの動きを止める。


 一瞬の空白が僕らの脳内を占めた後、二人の喜ばしそうな声が部屋に響き渡るのだった。


「おかえりなさい、アスさんっ!」

「おかえりー!」

「うむ、ただいまじゃ」


 オーストラリアデビルに『アス』と呼ばれた少女は、駆け寄って来た二人の頭を交互に撫でてやると、肘に吊るしているパンパンの袋をテーブルの上に載せた。


 彼女はふぅと、文字通り重荷が取れたような息を漏らした。


「なあ、これなんだー?」

「森で拾ってきた木の実じゃよ。今日はこれで美味しいサラダを作ってやろう」

「やったーっ!」


 欣喜雀躍。

 喜ぶ姿に微笑み。

 訝しむようにアスはこちらを見た。


「……で、こやつらは何者なのじゃ?」


 敵意は無いけど、如何せん初対面。

 話が抉れないうちに、自己紹介は済ませてしまおう。


「初めまして、僕はソウジュ」

「クオだよっ!」

「ブラックバックだ。出逢えた運命に感謝しよう」


 僕たちが順番に名前を名乗ると、彼女も改めて『アス』という名を口にして、それぞれと握手を結んだ。


「よろしくじゃ。見ての通り何もない場所じゃが、まあゆっくりしていくとよいぞ」


 挨拶を終えて、改めて彼女の姿を見る。


 身長は僕よりも少し低い程度。

 ロウエよりも明るく鮮やかな、発色の良い緑の髪色。

 背中の中頃まですらっと伸ばし、その色を映えさせるのは身に纏った白衣。


 お医者さんや科学者が身に着けていそうな、身体の前を開けて、裾のひらひらと自由な服装だった。


 僕がアスを見ていると、横から静かな声がする。


「アスさんはね、パークの職員さんなの」

「ふーん……ん?」


 あれっ?

 彼女が、パークの職員…?


「ふふ、どうかしたか?」

「…驚いたんだよ。てっきり、『ヒトはもうパークに居ない』と思ってたから」

「うむ、お主の言う通りじゃ」


 まさに驚きのどんでん返し。


 今まで真実だと思い込んでいた常識を覆されたと思えば、すぐさまその常識こそが『正しい』と肯定されてしまう。


「それなら、どうしてアスが」

「くふふ、さあな?」


 情報量は決して多くなく、だが急所を的確に突く。

 思考回路がバグった僕は、このことについて考えるのをやめた。


 そんな僕を、いや周囲の様子を見て、独り言のようにアスは喋り出した。


「パークにはヒトが造った、フレンズ達の助けとなるモノが沢山ある。全部、ヒトの居ない世界では無用の長物となってしまう物ばかり。はの、そんな奴らを少しでも生き永らえさせてやりたいのじゃ」



「―――それこその、役目なのじゃから」



 アスの言葉に、僕は幾つもの心当たりがあった。


 特にカントーでは、そんなものが沢山あったっけ。

 建物だけを見つめても、もう使われていない廃屋で溢れていた。



 一応今では、自分が『ふたご座のフレンズ』だと知っている。


 だけど、あの時の僕にとってのその光景は、自分ヒトの居場所がもうパークには存在しないのだと思わせるには十分すぎる程の景色で、心寂しく感じたのを覚えている。


 クオがいなければ、もしくは、その感情を今でも引き摺っていたかもしれない。


「……む、しんみりさせてしまったか?

 お主らが気にする必要はないぞ。たった一人の拘りじゃからの」


 窓の外を見て黄昏るアスに、自然と感想が口を衝く。


「守ってるんだね」

「守れておるかの」


 間髪入れずにそう答えたきり、彼女は黙り込んだ。


 翡翠色の双眸で見つめた平たい水晶の向こうには果てしない自然が、山肌に沿って雄大な景色を見せている。


 ヒトの痕跡などそこには無くて。

 果たして守ろうとするべきだったのかすら、疑わせる美しさがあった。



「見ろよこれっ! ”あやとり”って言うんだぞっ!」

「糸がぐちゃぐちゃに繋がって……あれ、どうなってるのっ!?」

「分かるよクオちゃん、わたしも最初に見た時はビックリしちゃった」

「へへっ、流石アスが教えてくれた遊びだぜっ!」



 部屋の中の喧騒。

 無邪気なやり取りが聞こえる。


 その方に視線を向けながら、アスは僕らに問いかけた。


「じゃが、あやつらの楽しげな姿をこうして見ていられるのじゃ。中々いい暮らしを送れているとは思わぬか?」

「同感だ。今朝会ったばかりだが、彼女たちは実に面白い」


 ブラックバックも負けず劣らず面白いよ。

 ややこしいことになる予感がするから本人には言わないけど。


「この感覚……もしやと巡り逢ってしまったかもしれないな…」


 もう既に、ちょっと面倒な感じが漂ってるものね……。


「ところで、その恰好を見てからずっと疑問だったんだけどさ。アスってお医者さんなの?」

「分からぬ。気づいたら着ておった」

「えっと、つまりコスプレ…?」


 フレンズのことを考えるのなら、生まれた時から着ていた服に一切疑問を持たないのは、ある種当たり前のことだと言える。


 でもアスは、パークの職員だ。

 少々疑わしいけど、彼女はそう言っている。

 

 ……どういうことだろう?


「ソウジュよ、コスプレとは何だ?」

「真似事とか、変装とか、そんな感じ」

「成程、つまりカントーでお前がしていたアレも……」

「それは忘れてッ!」


 ハロウィン…?

 うん、嫌なイベントだったね……。


 思わぬ方向から飛び出してきた黒歴史に呻く僕。


 その横で、遠くの空を見ているアス。



「久しぶりに騒がしくなっておる。が森から戻ってきたら、もっと楽しく過ごせそうなのじゃが……」


「ううむ、今回は思ったよりも手こずっておるようじゃのう。手伝いに行った方がよいのじゃろうか?」


「しかしでは力不足じゃし、下手に手伝うとあやつにも罪悪感を気負わせてしまって仕方ない。やれやれ、そういう面倒な所は似た者同士と言うべきか」



 細々と、独白。



「やはり、待つしかなさそうじゃ」

「ん、どうかしたの?」

「独り言じゃ、忘れておくれ」


 そう言って視線を泳がせ、彼女の目は蝶々のように花の上に止まった。


 花瓶の中の水を入れ替えながら、なんとなくその様子を眺めていた僕に向かって、アスは向こうで遊んでいる三人の中に混ざってくるように言った。手に持った先の花弁が、揺れてクオの背中を指す。


「ほれ、あそこでボードゲームを始めるようじゃぞ。お主も混ざって来てはどうかの。のことは気にするでない、本の続きがあと少しだけ残っておるのじゃ」


 無言で頷いて、僕はクオたちの遊びに混ざる。

 背後でずっと、蛇口から流れる水の音がしていた。


「……不思議じゃ。

 は何か、大切なことを忘れているような気がする。

 あやつを見ていると、喉に何かがつっかえる」


 空っぽの花瓶の中を覗いて、ふと思い立つ。


「―――水分が足りないんじゃろか?」


 一瞬、花瓶をコップ代わりにして水を飲もうとしたアスだったが、寸でのところで思い直す。そして、丁寧に花を生け直してから、きちんとしたコップを取りにキッチンへと向かったのだった。




§




 時が経ち、窓から黒い光が差し込む頃。

 突然に、家の扉が開かれた。


「アスさん、居る? ……あれ、今日は人が多いな」

「おお、ようやっと来おったか。見ての通り、珍しく大繁盛じゃ」

「大繁盛って、別にお店でもないだろ?」

「くはは、心持ちが肝要なのじゃよ」


 扉を開けて入って来たのは、予想に反して男の人だった。


 大まかに形容して現代的な服を着た、パッと見は一般的なヒトの姿をしていたけど……その印象を打ち消して余りあるのが、よく目立つ真っ赤な髪と、背中から生えている黒い翼。しばらくパタパタと羽搏はばたいていたが、折り畳んだように小さくなる。


 目前にいる彼は何者なのだろうか。

 尋常な人物ではないことを感じ取り、僕は思わず息を呑んだ。


「……人間? 男の子?」

「…っ」


 僕の姿を認めた瞬間、彼の視線が険しくなる。

 何かしてしまったかと僕は縮み上がったが、彼は無言のまま僕を、そして向こうで遊んでいるクオたちのことを見る。


 そして再び僕へと視線を向けた時、険しさは完全に無くなっていないものの、幾ばくかは棘が抜けていたような気がした。


 それで、えっと…そうだね。

 知り合いらしいし、アスに訊こうか。


「その…アス、この人は?」

「こやつの名はコウ。異世界から来たキメラのフレンズじゃ」

「………えっ、何て?」

「キメラじゃ」

「その前も」

「異世界から来たのじゃ」


 …あれ、おかしいな?

 疑問を解決するために、質問したんだけど。


「―――そっか」



 ……まあ、アスが言うならそれが事実だね。



「ちょっとアスさん!?

 説明不足のせいで俺が変な人みたいなんだがッ!?」



 男の人――『コウ』と呼ばれた――が叫び、アスは狼狽する。



 あたふたと額に汗を浮かべて、宥める様に両手を出した。


「……これから、ゆっくり説明するからの?」

「あ、うん」

「全く、困った人だ…」


 彼が呟き、僕は頷く。

 出会って早々、ちょっと同情しちゃったよ。


 それから、向こうで説明すると言って、彼らは奥の部屋へと消えた。


「なんか、大変そうだね」

「ソウジュ、もっとあそぼ~?」


 タイミング悪く、遊びのお誘いが掛かってくる。

 でも、あの二人の話を聞かなくちゃいけないからな。



「―――クオにも聞かせないと、後でややこしくなりそうだ」



 そう思った僕は、嫌がるクオを引っ張って説明の場へと連れていく。

 ジタバタ暴れたクオだったけど、ぎゅっと抱きしめてあげると大人しくなった。


 ……なんだか簡単すぎて、却って僕の方が心配になってしまいました。

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