幻の章 蛇遣いと継ぎ接ぎの悪魔

プロローグ

「…ぅん?」


 少年は、森の中で目を覚ます。

 戸惑った風な表情をして、おもむろに立ち上がる。


「…ここは?」


 そして呟いた。

 まるで、此処が異邦の地であることを既に悟っていたかのように。


「俺は…」


 何かを言い掛けて、掌と共に口を閉じる。

 彼は周囲を見渡し、自分が森の中にいることを知った。


 眠たげに目元をこすって天を仰ぐが、木の葉に遮られて日の光は届かなかった。


 恐る恐る、プールの水に足を入れる時のように緩慢に最初の一歩を踏み出して、そのまま二歩、三歩と彼は歩き出す。森の外へと出る宛も、また外に向かうべき理由すらない。だが停滞を良しとせず、ただひたすらに前へ行く。


 歩きながらふと彼は、眠りに就く直前の自分を思い出そうとした。何処で、誰と、何をしていたのかを、記憶の海から掬い上げようとして。


 ―――それだけが、すっぽりと記憶から抜け落ちていることに気付いた。


 自らの名前も、過去も、家の場所も、大切な人たちの名前も、それ以外のことは全てハッキリと頭に思い浮かべることが出来る。なんなら、今朝摂った食事すら覚えているのに。


 ……寝起きだからだろうか?


 それにしては妙だと、彼は感じた。

 これは自然な忘却ではないと、脳髄に蠢く第六感が囁いていた。

 

「一応、日を跨いではいないのか」


 彼は自分の背後から伸びる、とても長い蛇の尻尾を揺らしてそう呟いた。濃い緑色に赤混じりの模様、先に向かうほど細くなってまさに蛇尾。尻尾に入った赤色は、彼の特徴的な髪色と一致していた。


「…ふぅ」


 重く息を吐く。


 木々の間に霧が立ち込め、風の一片も流れない。響いて聞こえる音もなく、一刻も早く抜け出したい気持ちで一杯だった。それでも逸らず、いつかきっと出口は見えてくるだろうと、彼は進む向きを変えることなく歩き続ける。


 ごく一瞬、空気の揺れを肌に感じる。


「…っ!」


 何かを感じ、身構えた。

 直後、真っ黒な霧の中から影が飛び出す。


「セルリアンか」


 驚くことなく彼は呟く。


 宙に浮いている小さなセルリアンは、胴体の数倍にもなる翼を広げて威を示す。その見た目から、彼はフクロウを想起した。


 尻尾の先が草を蹴り、緑に紛れて機を窺う。

 隙を見せれば、ほんの一瞬で捕らえてしまうだろう。


 硬直した睨み合いが続く。


「―――来たか」


 我慢比べ。

 舞う羽根。

 セルリアンが先に痺れを切らした。


「遅いっ!」


 だが、動いたのは悪手だった。


 通りすがる瞬間、目にも止まらぬ速さで動いた尻尾が胴を刈り取った。尻尾の先でグルグルに巻き取り、相手に抜け出す隙も与えず地面に叩き付け、勢いで跳ね飛んだ身体を拳が貫く。


 そうして、セルリアンは一瞬のうちに倒されてしまった。


「なるほど、やっぱりジャパリパークで間違いはないのか。もっと良い形で確かめたかったけど……そう文句も言ってられないよな」


 既に倒したセルリアンのことなど気に掛けず、ただ”セルリアンが居る”という事実だけを彼は咀嚼する。薄々そう思っていたらしいが、改めて確認したことで安心した様子だった。


 ……と、足許を見た彼はとあるモノに気づく。


「これは?」


 それを拾い上げる。

 それは石板だった。

 光の模様は淡く、裏面には大きなひびが入っていた。


 生まれて初めて見たものだったが、彼はそれに対して『儚い』という印象を覚えた。しかし直後、その理由が分からずに苦悩し始めた。


「……やめよう」


 自分へと言い聞かせるように口にして、石板を仕舞った。別に捨ててしまっても構わなかったが、それをしない方が良いと直感していた。


「よし、行くか」


 視界を改め、気を取り直して。

 彼は森を出るために歩き始める。


 ……しかし再び、妙な気配。


 背後から彼をじっと見つめる視線。


 敵意こそ感じられないが、今いる場所が故に不気味で仕方がなかった。


「おい」


 此度、先に動いたのは彼の方だった。

 足を止めて振り返り、いつでも戦えるように身構える。


 だがやはり、向こうに敵意は無かった。


「ふふっ…」


 木の陰から姿を見せる白衣の少女。

 緑色の髪を揺らして、彼を手招く。


「……キミは?」


 彼女は質問に答えず、踵を返して森の奥へと歩いていく。


 しかし歩みはゆっくりと、彼が後ろをついてくるのを待っているかのように。


 あまりの遅さに彼は一瞬、自分が動かない限り、彼女は永遠にあの場所を歩き続けているのではないだろうかと錯覚した。瞬きをして見直せば、確かに彼女は進んでいたが。


「行くしか、ないか」


 少女の他に頼りはない。

 空を飛んだらとも思ったが、今日の彼に翼はない。


 ほんの一瞬でも霧で見失えば、二度と見つけられなくなるような気がして、彼は早足で草を踏み、少女の背後を追い始めた。



 ガサ、ガサ。


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