第1話 ナカベ行き、リクホク経由


 森の中には怪物がいた。


 それは鳥のようで。

 或いは象にも見えて。

 挙句には蛇のような姿さえ持っていて。


 その実、それが何であるかは分からないのだ。


 継ぎ接ぎにも似た、歪な生き物。


 六つの星が、こちらを覗く。


 僕はジャパリまんを齧りながら、その怪物の姿をじっと見つめていた―――




§




「ええと、道はこっちで合ってるの?」

「その筈だ。あの青い使い魔より譲り受けた、この地図が正しければな」


 ブラックバックが手元で広げた、リクホクちほーの地図を覗き込む。僕たちが立っている場所の周囲には山と森が広がっていて、山麓の隙間から雲と太陽が入れ替わりに姿を見せている。


 赤いバツ印――ラッキービーストにこの地図を貰った場所――から指をなぞって、現在地までが数秒。そして、そこからナカベの中心地までは十数秒。


 目的地はまだまだ遠いようで、それまで脚が保つか心配だ。


「あーあ、セルリアンのせいで…」

「仕方ないよ、押し通る訳にもいかないし」

「フフ、時間に余裕を持っておいてよかったな」


 パークの中心地であるカントー、最大級のトラブルに見舞われたカントー、とても楽しかったカントーにお別れをして、僕たちはナカベちほーを次の目的地に据えて行軍を開始していた。


 その理由はもちろん、エルに貰ったライブチケットを使うため。


 あとは観光。

 ゆっくり沢山楽しむためにも、出発は早めに調整していた。

 寄り道も特にせず、直行ルートで行く予定だったんだけど……。


『ごめんネ。

 今、この道は通れないヨ』


 出発して約一時間、通行止めに出鼻を挫かれてしまう。

 もはや案の定と言うべきか、”セルリアンが増えている”とのことだった。


 最短の道は通れず、かと言って諦める訳にもいかず、次善の方策として僕たちは大きく迂回してナカベちほーへと向かうことに決めた。その道中がここであり、リクホクちほーを横断するルートになっている。


 まあ、これはこれで悪くない。


「間もなく、霧の森に差し掛かる。このまま足を踏み入れれば、生きて出ることは叶わないだろう」

「じゃあ引き返そうか」

「だが、お前たちがいれば問題はない!」


 ……どっちなの?


「どうした、怖気づいたのか?」


 腕を組み、不敵に笑ったブラックバック。僕の目には、彼女の方が怖気づいているように見えたのだが、気のせいだろうか。


 そんな訝しむ視線に感付いたのか、彼女は釈明を始めた。


「我は平気だぞ。共に歩む仲間が居れば、魂すら呑み込む暗澹も恐怖の対象ではない。むしろ、呼気より取り入れし魔の瘴気が、我が血肉となり永遠を手にする力へと変わるだろう」


(一緒じゃないと怖いってことか…)


「さあ、行こう!

 ナカベが我々を待っている!」


 難解な言葉で煙に巻かれて、森へと入る雰囲気が、彼女一人の手に依って醸成されてしまった。


 ブラックバックの手は僕の肘元を掴み、そのまま連れていこうとする。流石に居心地が悪く振り払ったら、今度は背後から伸びた小さな手が僕の手首を誘った。


「…クオ?」

「手、つないで」

「はいはい、妬かないの」


 手を繋いだまま、空いた方の手で頭を撫でてやる。


「……焼いちゃダメなの?」

「えっ?」

「…なんでもない」


 そう言って、クオは狐火を鎮めた。

 いやはや、僕の気が付かぬ間にこっそり灯していたようで、もしも止めなかったらと思うと恐ろしい。


 でも、本当は優しい子なんだよ…。


「どうした、我の準備は出来ているぞ!

 ほら、早く、早く行くぞっ!」


 急かす声が僕らを呼ぶ。


「…行こっか」

「うんっ」


 こうなっては仕方あるまい。

 とうとう腹を括って、僕は足を踏み出したのだが……。



「ちょっと待ったーーーッ!」

「ふぐぉっ!?」



 その目の前で、突如横から現れた黒い影に突き飛ばされるブラックバック。



「えっ!?」



 彼女は勢いよく派手に転がって、白い服が泥まみれ。


 そしてぶつかった方の黒い少女は自分の所業を目の当たりにして、思わず口に手を当ててしまっていた。


「あわわ、やっちまった…」

「もう、タスマニアデビルちゃんったら何してるの…?」


 目前の急展開に頭を回していると、木陰からもう一人フレンズが現れた。


 衝突少女と似た黒い服に、顔には片目を覆う眼帯をつけた物静かな雰囲気の彼女は、『タスマニアデビル』と名前を呼びながら立ち尽くす少女を窘める。


「ご、ごめん…」

「謝るのは、わたしじゃなくてあの子にだよ」

「そ、そうだったっ! ごめんなさい!」


 平身低頭、綺麗な直角。


「ぐっ……いや、案ずることはない。遍く闇を統べる我にとってこの程度、天より墜ちる熄星ほどの衝撃にも満たない」

(…かなり効いてる)


 どうやら、あの子の突進は隕石級の威力だったようだ。


「つ、つえー…」

「この子、すごいね」

(まあ、確かにブラックバックはすごい…)


 泥まみれのボロボロになってもまだ虚勢を張り続けられるのは、もはや才能と言ってもいい。身動ぎもせぬ仁王立ちからは、ちょっとやそっとのことでは倒れないであろう安定感が見て取れる。


 暫く感心していたタスマニアデビル。

 しかしハッと我に返って、進路の上に立ち塞がった。


 両腕をまっすぐ広げ、完璧な『通せんぼ』のポーズになっている。


「だ、だけどッ! お前みたいなすごい奴でも、この森には入っちゃダメなんだぞ!」

「何故だ? 確かに日が遮られて暗いが、所詮はただの森だろう?」


 その”ただの森”を怖がっていたのがどこの誰かという話は置いといて、ブラックバックの言う通りだ。


 狐火を照らせば暗さも紛れる。

 恐れる理由なんて、それこそ……。


「か、怪物が出るんだ…!」

「…怪物?」


 まあ、その類の存在しかないよね。


「そう、『キュウリ』だッ!」

「…キュウリ?」

 

 まさかとは思うけど、嫌いな食べ物ってことじゃないよね?


「タスマニアデビルちゃん。『キメラ』って言ってなかったっけ」

「…そうだった! 助かったぜオーストラリアデビル!」


 物静かな少女――名前はオーストラリアデビル――のお陰で、その怪物の正しい名前が分かった。


 だけど、キメラか。


「とにかく!

 ここは絶対に通さないぞっ!」


 果たして本当に、そんなの居るのかな?


「…ソウジュ、どうするの?」

「さあ。どうしよっか」


 嘘をついているようには見えない。

 だけど、彼女の言う怪物が実在すると思えないな。


 されど奥の見えない霧の手前で、紛れもない確信を持って僕らの道を塞いでいるタスマニアデビル。一点の迷いも見せずに堂々と語られるお伽噺は、斯くも僕らの常識を抉り取って疑わせて。


 行くも。

 退くも。

 なにも、霧中で……。


「行こう」


 そんな中、ブラックバックが歩み始めた。


「お、おいっ、聞いてなかったのかよ!?」

「聞いたさ。怪物が出るのだろう?」

「そうだ! だから…」

「知らん。我はライブを観に行くのだ」


 必死に引き止める腕も構わない。

 ズンズンと、彼女は森の奥へと行ってしまった。


「ま、待てよっ、おーいっ!」

「タスマニアデビルちゃん、置いてかないで~!」


 ”デビル”な2人も、ブラックバックを追って森の中へ。


「……行くしかなさそうだね」


 そして結局、僕とクオも、森へと入らざるを得なくなってしまったのだった。

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