『Still in My Memory』

『……ぁ…』


 真っ赤だ。

 夜空の中で、変光星が燃えている。

 ボクは道路の真ん中で座り込んで、立ち上る炎を呆然と眺めていた。


 まだ、中に。


 分かっていても身体は動かなかった。

 逃げ出してきたばかりの死地に、赴ける筈も無かった。


 ……でも、ここで身体を動かしたとしたら?


 それは無意味だ。

 何故ならこれは夢の中。

 幾度となく繰り返した明晰夢。


 だから、この後の展開もボクはよく知っている。


『キミ、怪我はないかい?』

『…はい。でも…』

『ああ、私たちに任せなさい』


 ヘルメットを被ったおじさんに声を掛けられる。

 きっと消防士の人だろう。


 ボクは頷いて、燃え盛る家の中へと入っていく何人もの隊列を目で追っていた。


 これで、大丈夫かな。

 多分、みんな助かるよね。

 そんな淡い希望を僕は抱いていた。


 数分後、一人の隊員が少女を背に負って外に出てきた。


『いやぁっ、放してっ!』

『暴れないでくれ、怪我をしてるんだよ…!?』


 少女は暴れている。

 家の中に戻りたがっている。

 ボクの妹は、誰があの中に取り残されているかを知っている。


 だけど、勇気を出して助けになんて思わないことだ。

 一般人には無謀だし、何よりこれは夢だから。


『だって…まだ…』


 両親が、家の中にいる。

 でも、それだけじゃない。


 これは後から分かったことだが、ひかりはまるで背中を強く打ったような怪我をしていた。ただ単に転んで打ち付けた訳ではない。突き飛ばされたのだ。炎の魔の手から救おうと、父の手によって。


 それきり、瓦礫で開かなくなった寝室の扉を見つめて、茫然と座り込んでいた彼女を消防隊員が救い出した。我に返ると暴れ出した彼女は、ずっと泣きじゃくっていた。


 ボクは、目前の惨劇から目を逸らすように満天の星に顔を向けた。


『……あぁ』


 もうすぐ、夢は終わる。


 明けていく空を仰いで、雨が頬を伝った。


 遅すぎる、明け方の驟雨しゅううが。




§




 久しぶりに見た静かな悪夢。嫌な過去を思い出してしまった筈のボクは、どうしてか昔の記憶を強く脳裏に焼き付けようとしていた。


 小さい頃をアルバムを手に、開く音。


 最初のページの半分までしか収められていない、ほとんど空っぽの想い出。


「全部、焼けちゃったからな…」


 赤子の頃の写真。

 小学校に入った頃の写真。

 卒業式の写真。


 どういう不運か、今でも残されている写真はみな全て、ボクかひかりが一人で映っている写真だ。そこに両親の姿はない。一枚だけ残った二人で映っている写真にも、両親の記憶を思い起こす手掛かりはない。


 でも妙だ。

 もっと他にも、写真は残されていた筈なのだが。


「……気のせいか」


 なにせ、前に見たのは数年前。


 ボクがとうとう成人して親戚の手を離れ、この山荘に移り住むことを決めたとき、引っ越しの準備をしながら軽く目を通したくらいだ。印象が明瞭でなくても仕方ないのだろう。


 そして、そうだった。

 あの人も、元気にしているだろうか。


 あの火事で身寄りを失ったボクたちは親戚の家に預けられることになった。親戚の人は優しくて、特に邪険にされることもなく世話を見て貰えた。そのお陰で、ボクは普通に大人になれて、こうして今ここに居る。


 就いた仕事は、まあ有り体に言えば自由な仕事だ。いろいろと安定しない部分もあるものの、出勤しなくていいのは大きい。こう言うのはアレだが、お金には困らないような境遇だったから、これで充分なのだ。


 ……それで、だ。


 星を見られる場所で暮らしたいと言ったひかりの為に、この山荘を見つけてくれたのも親戚の叔父さんだった。その他にも便宜を図ってくれて、今では月に一回ほど安否を気遣って連絡を入れてくれる。


 ひかりは元気にしているか。

 仕事は順調か。

 困ったことは無いか。


(……申し訳ないな)


 彼の問いに、ボクは正直に答えられていない。


 それはこれ以上、心労を掛けさせたくないから。

 だから最近の、ひかりの心の変調についてもひた隠しにしている。


 だって、ボクがあの子を受け入れていればそれで済む話。


 なにも大事にする必要なんてないんだから。


「あ」


 着信音。懐が震える。

 噂をすれば陽が射して、月例の連絡が電波で届いた。

 ボクは受信ボタンを押して、携帯を耳に押し付ける。


「…もしもし」

『もしもし、元気にしているかい?』

「うん、大丈夫だよ」


 叔父さんの穏やかな声が聞こえた。


『それは良かった。ひかりちゃんも元気かな?』

「あの子も変わらないよ。毎晩、星を探して空を見てる」


 そう言って、彼女のいるリビングの方へと目をやる。昨夜遅くまでボードゲームで遊んでいた反動か、今日は大人しくして休んでいるらしい。それでも欠かさずご飯は作ってくれるのだから、頭が上がらない。


 出来ることなら自分も、と思い立つこと屡々しばしば、その度にひかりに止められ、コンロから立つ火に悲鳴を噛み殺す。


 本当ならばボクよりもずっと、あの子の方が怖く思っている筈なのに……。


『おーい、聞こえてるか?』

「ご、ごめん。考え事してた」

『あまり思い詰めないようにね。トラブルは起きてないんだろう?』

「うん、至って平穏だよ」


 ひかりは相変わらず、兄妹という関係を度外視したアプローチをボクに続けている。それでも、まだ実害はないから誰にも話してはいない。『起きてからでは遅い』……それは事実だが、妹にあらぬ疑いは掛けたくない。


 だから、何も起きていない。

 今日もきっと、知らぬ間に寝床に潜り込まれる程度で終わるだろう。


 それはさておき。


 幾らかの近況報告をお互いにして、四半刻ほど経ったくらいで話題が尽きた。


『よし、じゃあまた来月だな。近く、そっちの辺りに行く用事が出来たから、都合がついたら寄っていくよ。お土産も用意するから、楽しみにしておいてくれよ』

「うん、ひかりにも伝えておくよ」

『是非そうしてくれ。不審者と間違われてナイフを突きつけられるのは懲り懲りだ』

「あはは、その節はごめんなさい…」


 あの時は大層驚いた。悲鳴を聞きつけて外に行ったら、目の前に修羅場が広がっていたのだから。


 だから、あの子のそういう部分くらいは、無くせるように働きかけた方がいいのかもしれない。


『そろそろ切るよ。どうか元気で』

「ありがとう、そっちもね」


 携帯を仕舞い、気付かぬ間に勝手にページが捲れて、白紙になっていたアルバムを見下ろす。


「……うん?」 


 その白の中に、ボクは違和感を覚えた。

 手で雑に探ると、同じく真っ白な封筒が床に落ちる。


「こんなの挟まってたんだ。気付かなかった」


 宛名はない。

 封は開けられている。

 中身を読んでも、構わないだろうか。


「……別に良い、よね?」


 降って湧いてきた手紙への好奇には勝てず、僕はその封筒の中身に手をつけたのだった。

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