幕間 キュウビの本格妖術講座
「…うふふっ、あはははははっ!」
「わ、笑わないでよっ!?」
―――顔を朱に染める血色を感じながら、僕は叫んでしまった。
時は、新たなちほーへと旅立つ日の前夜。
その晩、ちょうど六分儀座の石板に輝きが戻ったので、布団に身体を沈めて寝息を立てていたクオに鏡の光を浴びせて、キュウビキツネを呼び出した。
図書館で交わした、約束通りにね。
されど今回は特に重要な話題もなく、世間話をつらつらと。
そこで思い出深いハロウィンの話をしたら、お腹を抱えて爆笑されてしまった。
理不尽である。
「っふふ……あぁ、ごめんなさいね。
あまりに面白かったものだから」
確かに仕方ない面もあると思いつつ、やはり心情的には納得できない。
だけどしっかり写真まで残されてしまったし、もう女装の呪縛から逃れることは出来ないのだろうか。
「ふーん、これがその写真ね」
「わわっ、いつの間にっ!?」
そう呟いたキュウビの手には一枚の写真。
慌てて懐を探り写真を数えると、確かに一枚少なくなっていた。
でも、いったいどうやって…?
「舐めて貰っちゃ困るわ。妖の頂点に立つ九尾たるもの、この程度のことは造作もないのよ」
”この程度のこと”とやらに、力を発揮しすぎでしょ……。
「そう怪訝な顔しないの。
ほら、もう見終わったから返してあげるわ」
ひらり。
投げて返された黒歴史を、僕は危うげにも掴み取る。
刹那、破り捨てたくなった思いを押し留めて、丁寧に懐へと仕舞った。
だけど、今度からは虚空間に入れておこうかな。
いつかクオに悪用されないよう、今は僕が持っているけど、あまり意味がないと感じ始めてしまっている。
―――後で考えよう。
「それで、他に話すべきことは無いの?」
「まあ、事件も何も起こらなかったからね」
「良いことね。でも退屈だわ」
キュウビはそう言って息を吐く。
大妖怪様も我儘なものだ。
「……あ、名案を思い付いちゃった」
くるり、青く光る炎を爪の先に灯して、手元に筆を呼び寄せた。金箔をあしらい持ち手に天の川を流すその筆は、昔の貴族が持っていそうな上品な気配を漂わせている。
そして毛先で耳たぶを突っつきながら、キュウビキツネは言った。
「折角の機会だから、私が妖術の使い方を一つ、貴方に教えてあげるわ」
「妖術の、使い方…?」
流石にそれは知っている。
基礎のところは勉強したから。
……あ、違う?
呆れたように首を振るキュウビ。
「ただの使い方じゃなくて、謂わば応用法。
単純な作業で手札の枚数を増やせる、効率的な方法なのよ」
継いで曰く、これは例の本の五章に書かれている項目だそう。
しっかり飛ばさずに読んでいれば、もう知っている筈なのだと。
……ごめんなさい。
「さあ、何か書けるモノを出しなさい」
紙だよね。
あったっけ。
手持ちには無いし、虚空間の中はどうだったかなぁ…。
「まさか、持ってないの?」
「探せばどこかにはあるよ。絶対…多分……きっと…」
「そう、無いのね」
「あ、いや、あったよ!
ほら傘、紙製だからいけるって!」
僕が出したのは唐傘だ。
例のハロウィンで持ち歩いてみて、気に入ったから厚意で譲ってもらった。
まあ、それに落書きなんて本当は以ての外なんだけど。
「……いいわね、それ」
「えっ?」
しかし望外、キュウビからの感触は良好。
「年季の入ったいい傘よ。上手に術式を刻んで力を込めてあげれば、素敵な武器にしてあげられる筈だわ」
「いや、傘として使ってあげようよ…」
思わず言葉を零してしまう独特な視点も、彼女ならでは。
使っているうちに壊れてしまわないか、僕は心配で堪らなかったが。
「じゃあ貴方、他に武器は?」
「いや、特に…」
「なら持っていた方が良いわよ。邪魔が入って妖術が上手く使えない時、力を込めるだけで術を発動できる『魔道具』の存在はとても大きいの」
それに、保護の妖術を掛ければ、何もせずに持っているより長い時間、綺麗なままの姿を保てる。もっと言えば、たとえ壊れたとしても『言霊』で直してしまえば良いではないかと。
聞くも真っ当な説得で、僕はすぐさま納得させられてしまった。
「さあ、貸してみなさい。
大妖怪の妖術をとくと目に焼き付けてあげるから」
傘を渡すと、筆でサラサラと文字を記していくキュウビ。
様々な用途の術式を、一切の淀みなく書き上げていく壮観な景色だ。
真っ黒く表面を染めた墨の色は時間と共に薄まって、よく目を凝らさないと見えない透明の文字になる。そして、傘の骨に妖力を流せば透けた文字が紫に光って、キュウビは満足げに首肯した。
(魔道具作りには明るくないけど、順調そうには見える…)
そのまましばし待つこと、数分。
「―――完成ね」
元の見た目と全く同じな、術式まみれの唐傘が完成した。
「狐火起こし、空中浮遊、御身隠し、走力強化、その他諸々……まあ、使っていく内に身体で理解できるようになるわ」
傘を開いて、クルクルと回しながら見せてくる。
うっすらと光を跳ね返す紋様を目にして、僕は戦慄した。
『耳なし芳一』ばりにギッシリ書き詰められた術式の数々。
さっき彼女が例として挙げた妖術は、実際に使える妖術の十分の一にも満たないのだろう。
「てんこ盛り過ぎて、使いこなせる気がしないよ…」
「それをどうにかするのが、道具の持ち主の仕事なのよ。別に、貴方の武器はコレだけじゃないんだから」
僕の手に傘を押し付けて、ベッドに身体を投げ出しながら嘆息を吐く。
「はぁ、頭を使って疲れちゃったわ」
「…ありがとね、こんなの作って貰っちゃって」
「いいのよ。久方ぶりに楽しめたから」
かなりあっさりと渡されたけど、相当な技術の結晶だ。
僕も、これから大切に使わないと。
「……あ」
そしてラストスパート。
思い出したように投下される爆弾。
「ところで、
「…っ!?」
「その様子だと先は長そうね。まあ、焦らず頑張りなさい~」
爆風は、やはり風のように過ぎ去ってもういない。
我に返った僕がベッドを見ると、クオが寝ていた。
「………寝よう」
傘を虚空間に放り込んで、クオの隣で僕も布団を被った。
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