第九十七節 裏側を映すウラニア
「すぅ、すぅ…」
「グッスリ眠ってるね。ふふ、気持ちよさそう」
「ん…ソウジュ…」
「よしよし」
机に伏せて眠りこけているクオの頬を撫でる。
開いた本に腕を載せたまま、彼女は幸せそうに空気を食んでいた。
かわいい。
僕は、彼女を起こしてしまわないよう慎重に身を寄せて、本の続きを読むことにした。
―――お目当ての絵本がここには無いことを知った僕たちは、絵本コーナーを離れて、イロイロな図鑑が置いてある三階へと向かった。
選り取り見取りの図鑑の中から、どれにしようかと少々悩み、なんとなく目に付いた鉱物図鑑を手に取って、一緒に読んでみることにした。
ついでにこれは余談だけど……図書館に入ってすぐ、ソファに座って寛げる広間の中央に、図書館についてのお知らせを載せるための掲示板がある。
その片隅には、かつて行われたであろう読書感想文コンテストの、入賞作に選ばれた図書の紹介が掲載されていたんだけど……そのうちの一つ、佳作の欄に『鉱物図鑑』という文字が紛れ込んでいた。
……すごいよね。
まさか鉱物の図鑑で、感想文の賞を取った人がいるなんて。
どんな文章を書いたのか、とても気になってしまう。
それはさておき。
初めて読む本だからか、若しくは感想文で賞を取れるほどの名著だからか、僕らが手に取った鉱物図鑑はスイスイと読み進めることが出来た。
決して今後の役に立つような中身ではなかったけど、数十分間にわたって探し続けたにも関わらず、目当ての本が見つからなかった悲しみを誤魔化すには丁度良かった。
うん、面白かったよ。
クオは、途中で眠りに落ちちゃったけど……。
それと、図鑑には物語がない。
深く考察すればその限りではないかもしれない。
だけど普通に読む分には、そんなものはない。
だから、考え事の邪魔をしない。
「―――六分儀座、か」
つい先程、エルから受け取った星座の石板。
コレの力を借りれば、あの奇妙な鏡の裏側を表に引き出せるらしい。
道理に沿うなら、”クオの中にいるキュウビを呼び出せる”ということになるだろう。
「今なら、使えるよね?」
クオは眠っている。
ラッキービーストも殆ど停止状態。
エルも、恐らく来ないだろう。
試してみるには絶好の機会。
「『
初めての輝きの感覚を身に覚えながら、空いた左手で『ウラニアの鏡』を取り出す。厚い革の表紙を開き、幾つも重なる白紙をめくり、最後に待ち受けている純銀色の鏡を日光に晒す。
そして、鏡に手を翳して。
「コレで、キュウビを……っ!?」
明らかに反射光ではない、鏡から放たれた眩い光に僕は目を覆った。
しばらくそのまま身構えて、手さえも透かして目に届く灯の気配が収まった後、恐る恐る腕を退かして僕は目を開けた。
「成功、したのかな…?」
「ん、うん……?」
僕がそうしたのとほぼ同時。
すぐ真横で、声を上げるフレンズが一人。
「……此処、は何処かしら?」
「ええと、キュウビだよね。うん、上手く行ってよかった」
「あら、誰かと思えばソウジュじゃない。成程、私を呼び起こす方法を見つけたって訳ね」
キュウビキツネだ。
前に見た時と同様、白い耳と尻尾、先端の虹色。
無事に彼女の人格を呼び起こすことが出来たようで、僕は安堵する。
「鏡と、その石板なの?
へぇ……随分と眩しい輝きを放っているわね」
椅子を立って若干大回りに歩きながら、キュウビは僕の両手に収まる二つの不思議物体を見つめる。そして、向かいの椅子に座ってしっかり距離を取っている。
クオの身体でこれをされるんだから、悲しいなあ。
「そうね。取り敢えず、これまでの経緯を洗いざらい話しなさい。今後のことは、それから考えることにしましょう」
「…分かった」
まあ、私情を挟んでも仕方がない。
僕は涙を呑んで、あの夜に起こった出来事について、僕が知っていること全てをキュウビに話したのだった。
§
「ふぅん。また性懲りも無く、きな臭い奴が動き出したってことね」
最後まで静かに話を聞いていたキュウビ。
彼女の一言目は、そう始まった。
「まだ正体は解っていないみたいだけど、フレンズの敵であることは間違いないよ。エルも、ラッキービーストを使って監視の目を厳しくするって言ってた」
そう言うと頷く。
”悪くない対応”だという。
勿論、油断大敵だとも。
「言葉を解し、策を弄し、挙句ラッキービーストの制御を奪おうと画策し……自分を捜す監視の目を奪おうとしたのか、それとも、奴自身が何かを見つけ出したいのか。まあ、放置できない存在であることは確かね」
その総評は、エルの出した結論と似通っていた。
(そして、奴の正体。
私の推測はどこまで当たっているかしら…?)
「キュウビ?」
「……考え事よ。纏まったら、その時に話してあげるわ」
「そっか、分かった」
きっと彼女なりの推測があるのだろう。
無理に聞き出すものではないと、僕は引き下がった。
「で、貴方はどうなの」
「えっ、僕?」
「
「……うん」
言い当てられて、驚いた。
キュウビは僕らの会話を聞いていたのだろうか?
”あのこと”について、あまりにも衝撃的で僕自身、感情の面ではまだしっかりと受け入れられていない。けれどあの宝石と、後にエルからされた説明で、頭ではそれが紛れもない事実なのだと理解している。
自分で噛み砕いて、再構築することで、前に進めるだろうか。
そんな想いも抱えながら、僕はゆっくりと、重い口を開くのだった。
「――『僕は双子座のフレンズだ』って、そう言われた」
「ふーん、続けて?」
興味深い話?
それとも予想通り?
どちらともつかないニヤニヤを浮かべて、キュウビは先を促す。
頭の中で当時の会話を思い浮かべながら、僕は説明を続けていく……。
§
『何なの、この宝石…?』
『命の星座。貴方を構成する輝きの源』
『石板じゃあ、ないんだ…』
あまりに驚いた僕は、本題から逸れたことに目を向けた。
『石板は原石です。未だ研ぎ澄まされていない輝きの集合体。むしろ密度が小さく、強い圧力が掛かっていないが故の構造と言えるでしょう』
『えっと、どういう意味…?』
エルの表現が難しくて、これはよく分からなかったな。
『強い輝きを内包すれば、石板は宝石へと転化します。そうして純度が高まれば高まるほど、その命の星座は大きな影響を周りに及ぼすことが可能になります。例えば、フレンズを生み出すように』
反面、これは理解できた。
だから、彼女たちが存在しているのだろう。
『ホッカイから、貴方の辿った道程をなぞってみましょう。
そしてその中に、僕もいる。
『つまり、エルの中にも…』
『ええ、少しくらいならお見せできますよ』
そう言って躊躇なく自分の胸に腕を差し込み、エルは金色に輝く宝石を半分ほど空気に曝した。
傍目で見てもショッキングな光景で、オーダーしたことを僕は後悔した。
『そうだ。一つ、質問して良いかな』
『どうぞ』
『石板の星座がフレンズになれないのは、どうしてかな?』
『……それは決して、原理的な問題ではありません』
『と、言うと?』
話が難しくなる気配を感じて、僕は身構えた。
『そもそも、宝石の星座がフレンズ化するのは、自らの核から溢れ出したサンドスターと命の星座が……謂わば『自家受粉』のような形で反応するからなのです。つまり石板も、外のサンドスターと反応すれば、フレンズになることは決して不可能ではありません』
つまり、例え何もない空間に閉じ込められたとしても、宝石となった命の星座は勝手に自分で反応してフレンズに変化するのだろう。
そして石板も『自家受粉』が出来ないだけで、他は特に変わりないと言っているが。
『でも、実際にはそうなっていないよね?』
『なっていますよ、すぐ近くに実例があります』
『……えっ?』
『貴方の隣にいる、クオという名の少女。やや観測しづらいですが、彼女の体内には『こぎつね座』の輝きが見て取れました。彼女こそ、”フレンズ化した石板”の好例と言えるでしょう』
エルにそう言われて、ハッとした。
何となく、”輝きと力を合わせる”だけのことだと思っていたけど。
クオと手を繋いで、アレができるのは……。
『もちろん彼女もイレギュラーです。多くの場合、サンドスターと接触する前に眩い輝きをセルリアンに見咎められ、吸収されてしまいますから』
これについて、特に思うことはない。
度々、倒したセルリアンが石板を落とす理由が分かったくらいだね。
だけどその後。
最も重要なことを、エルは口にした。
『そしてもう一つ。貴方の言うところの、『
ひとつの核心に迫られると悟り、僕は唾を飲んで続きを待っていた。
『単刀直入に言いましょう。
元来、他の星座の輝きを利用する能力とは、双子座固有のものなのです』
『…そうなの?』
『ええ。輝きを”再現”するセルリアンなら、同様のことも不可能なことではないようですが』
何かを思い出すように宙を見たエル。
僕は自分の手の平を見た。
いくらじっと見つめても、何も昨日までと何も変わりはなかった。
なのに、全く違って見えた。
それは、この世界の色も同様だ。
『セルリアンに似たことが出来ても、貴方は特別です。
それは他の輝きと繋がり、同調できる唯一の能力。
どうか、大切に使ってくださいね』
そう言って、エルは会話を締めくくった。
§
「―――長くなったけど、こんな感じだった」
全て話し終わった僕は、疲れてため息をついた。
「振り返ってみれば、明快な話だったよ。”クオの中が観測しにくい”…って言ってたのが、少し不穏だったくらいかな」
「それはきっと、私の影響もあるわね。もちろん前に言ったように、この子の中では二つの大きな力が渦巻いているから、そっちの理由が大半でしょうけど」
”大きな力”……か。
それについても、まだ分からないことが多いな。
「でも、その片方はこぎつね座」
「ええ、絶対にそうよ」
断言して、またキュウビは物思いに耽る。
「……ええ、ええ。
面白いことがたくさん分かったわ」
確かな手ごたえはあるようだ。
途中からは紙とペンと取り出し、却って読みにくいほど達筆な字で思考の中身を書き出していた。
そうしてしばらく。
一旦筆を置いて、キュウビは言った。
「結論は後で出すけれど、その前に一つ」
「うん、何かな」
「私をこうして呼び覚ます手段は、使い切りなの?」
まあ、当然の疑問だろう。
次が無くては、何を考えても無意味になってしまうのだから。
「ううん、石板の輝きが回復するのを待てば何度でも。
だけど多分、一回ごとに一週間はかかるんじゃないかな」
「じゃあ、使える様になったらなるべく早くやりなさい」
それから、またしばらく。
鏡の効力が切れて、クオに戻るギリギリまで、キュウビは字を書き続けていた。
そしていよいよ、タイムリミットの迫る間際。
『絶対に中を見るな』と念押しをして、彼女は僕に紙を預ける。
「……また今度。
それまで平和であることを、祈っているわ」
そう言い残して、とても眠たそうに、机に突っ伏して彼女は目を閉じた。
(―――あ、終わった)
解ける同調。戻りゆく橙。
寝息を吐くたびに、耳と尻尾に色が戻っていく。
とても不思議なその景色を、ボウッと眺めている。
尻尾をそっと撫でながら、僕はクオと一緒に、図書館で眠るのだった。
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