第九十六節 本棚の上で跳ばないで

「もう、ソウジュったらどこ行ってたのっ!?」


 クオの所へ戻るや否や、僕は叱りつけられた。


「ごめん。エルに、『話したいことがある』って言われてさ」

「黙っていなくなるなんて、ぐすん」


 手で顔を覆って、泣き真似を始めるクオ。


 ちょっぴりわざとらしく涙を拭う姿は可愛らしい。

 こんな風に振舞われると、やはり心に罪悪感を植え付けられる。



(でも、何か言う暇もないうちに飛び出していったのはクオなんだよね…)



 しかし口にしたら間違いなくが強くなる故、頭に浮かんだ言葉は心中に秘めたまま、僕はクオを慰める。ハンカチを目元に涙を拭いて、そっと付け根から縁をなぞるように耳を撫でてやる。


 加えて首元に手を回し、指でなぞるように髪をたくし上げてキツネ耳を鷲掴みにする。もふもふ。


 こうしてやるとクオは喜ぶし、僕の手はとても幸せだし、まさにwin-win。


 ついさっきまで斜め45°だったクオのご機嫌も、これですっかり元通りになった。


「えへへ…♪」

「よしよし。絵本は見つかった?」

「ううん。ソウジュが居なくなっちゃったから、ずっと探してたの」

「そ、そうだったんだ…」


 だったら、一人で行っちゃわなきゃよかったのに。

 まあ、もう過ぎたことだけどさ。


「ほら、探しに行こっ!」

「…そうしようか」


 グイグイっと腕を引かれて、勿論逆らうこともなく。貸出カウンター横にある、見るからに蔵書検索が出来そうなパソコンを横目に名残惜しく眺めながら、絵本のある本棚を目指してゆく。


 ふと、先の足許で黒い何かが光ったような気がして。


 僕の前を進んでいたクオが、それに足を引っ掛けた。


「……うわぁっ!?」


 バランス崩して、すってんころりん。

 転ぶ身体は勢いそのまま。

 繋がれた手を伝って、僕も一緒に転がってしまうのだった。


「お、驚いたぁ…」

「うぅ、いたいよ~」

「大丈夫? いったい何が……あっ」


 僕らは揃って顔を上げて、躓く原因となったの姿を認める。


 それは真っ黒に光り、うねうねと蠢く何千本もの触手を無数に無秩序に伸ばして浮かぶ、たった1体のさほど大きくはないセルリアンだった。


「…セルリアン。こんな場所にまで」

「もう、どこにでも出てくるんだから!」

「図書館のシステムが落ちて、セキュリティが止まったからかな」


 原因の分析もしてみるけど…まあ好い。


 重要なのは、このセルリアンの特徴だ。

 見る限り、引っ掛かる部位は多そうな雰囲気だけど……。


 向こうも僕らを見たからか、或いは身体に躓いた所為か、こちらの存在を敵と認めたようで威嚇をしてくる。無数の触腕をひとつに束ね、周りの本棚をバチバチと叩いて音を出す。


 正直、やかましい。


「うわ、不気味…」

「なるほど、クオがさっき引っ掛かったのはコイツの身体だったってことだね」


 隠れてコソコソ、何をしていたことやら。

 案外ホントに、獲物を待っていたのかもしれない。


「エル、呼んでくる?」

「いいよ。コイツ位なら僕たちだけで充分だ」

「そっか…そうだねっ!」


 妙に嬉しそうに、手を取ってクオは僕の名前を呼ぶ。


「……ソウジュ♪」

「はいはい」


 決して短くない付き合いだ。

 これでも気持ちは伝わるものだね。


「『星質同調プラズム・シンパサイズVulpeculaこぎつね』」


 黒い耳をピンと弾いて、僕は雰囲気作りに魔導書妖術の本を携えた。




§




「ソウジュ、作戦は?」

「僕が抑え込むから、斬っちゃって」

「わかったっ!」


 なんだかんだ、斬るのが一番早そうだ。

 見た目は完全に髪の毛だし、斬撃への耐性も薄そうに思える。


 ……まあ、これから髪の毛そのものを薄くするんだけど。


「さあさあコチラ、手の鳴る方へ……っと!」


 パチパチと手を叩いて音を出せば、セルリアンはしっかりと僕の方を向いた。焼き直しの威嚇を見せびらかしながら、じりじりと距離を詰めてくる。


 程良い距離を保つように、僕も少しずつ後退りをする。


(コイツの星座は『かみのけ座』かな、色も形も動き方もそれっぽい)


「絡め取られると、厄介になりそうだね…」

「ソウジュ、準備できたよっ!」

「了解。僕らが先に捕まえよう」


 僕は後退をやめて、妖術の構築を始めた。


「さてと、まずは水浸しにしてあげよう」


 最初に作り出したのは水属性の妖術の術式。

 初歩的な形で、出せる水も精々相手を濡らす程度の勢いしかない。


 もちろんコレだけだったら、ただ図書館で水遊びをする迷惑なお客さん止まりになるワケだけど……。


「んでもって、大人しくしやがれっ!」


 間髪入れずに氷の術式。

 触腕の先に絡まった水滴から凍り付かせてゆき、間もなくセルリアンの全身をすっかりと冷凍してしまう。


 これでコイツはもう動けない。


 間違いなくチャンスがやって来た。


「クオ、今だよ………クオ?」


 でも、本棚の上に陣取ったままクオは動かない。

 その理由を捉えかねていると、首を横に振ってクオは言うのだ。


「ソウジュ、それは無理だよ」

「えっと、どうして?」

「刀、氷、斬れない」

「あっ…」


 まるごと思考の外だった。

 よく考えたらその通りだ、だって刀だもの。


 ……あーあ、やっちゃったなぁ。


 そうして僕が頭を抱えているうちに、さっきからブルブルと震えていたセルリアンは氷を割って外に出てきてしまった。


「うわ、脱出されちゃった」

「気にしないで、もう一回やってみよう?」

「ありがとう、別の方法も試してみるよ」


 幸いなことに、手札には困っていない。

 何せ、星座の力を秘めた幾つもの石板を持っているのだ。


 ひとまず探った手に収まった、を使ってみることにしようか。


「『星質同プラズム・シンク―――』」

「ダメッ!」


 なんと、クオに邪魔をされてしまった。


「ど、どうしたの?」

「キツネやめないで、このまま戦ってっ!」


 わ、ワガママが過ぎる…!?


 でもかわいい。

 抱き付いて上目遣いを向けてくるクオはかわいい…ッ!


「そこまで言うなら……仕方ないか」

「やったー、だいすきーっ!」

「あはは、僕もだよ」


 結局、僕は折れてしまったのだった。



(凍らせる戦法は使えない。刀で斬ること自体を諦める選択肢もあるけど、それを考える前に攻撃を避けられないようにすることが重要だ。じゃあ、どうやって逃げられないように行動を縛るかと言えば……)



「―――言霊だな」



(ぶっちゃけ便利が過ぎるよね。クオから力を借りればデメリットも有って無いようなものだし)



「ねぇ、クオはどう思う―――あ」

「………」

(…ああ、攫われちゃったのか)


 謎に冷静な自分の頬を叩いて、セルリアンに視線を向ける。


「『有って無いようなもの』って思った矢先にこれなんて、嫌がらせの才能があるセルリアンだね?」


 姿を晦まそうと、音もなく去っていくセルリアンの中。

 触手に絡めとられてクオは捕まっていた。

 ジタバタと手足を振って暴れてるけど、抜け出せる見込みは薄い。


 別に好き好んで攫われてないことは解ってるけど、最近よくセルリアンに捕獲されてるね……。


「助けて~、ソウジュ~っ!」

「うん、すぐに助けるよ」


 キツネのジャンプ力でササッと回り込む。

 そしてセルリアンを牽制しつつ、僕は奴からクオを救い出す手立てを考える。


(こうして見ると大きい……いや、身体の端を広げてそう見せかけてるだけだ。威嚇してるつもりなのかな、僕にはそんなの効かないけど)


 だけど、威嚇のバリエーションを豊かにしようという努力は評価に値する。


 その勤勉な姿勢に免じて……ええと。

 そうだね、全力で始末させてもらおうか。


「ごめんねクオ。姿、ちょっとだけ変えるよ」

「う、うん…」


 虚空間に手を伸ばす。

 仄かに暖かい石板。

 クオに遮られて使い損ねたものだ。


 呪文を唱えて、さあ変わろう。


「『星質同調プラズム・シンパサイズLepusうさぎ』」


 耳は細長く。

 尻尾は丸く短く。

 輝きを集めて、手には弓矢を握る。


「あっ、弓か……でもまあ、キミ程度を倒すくらいの仕事なら、問題なく働いてくれると思うよ」


 耳を後ろ向きに寝かせて、いつでも飛び出せる構えを取った。

 ズボンは短く、衣服は軽い。

 防御を捨てて、機動力に特化した形だ。


 手数の多い相手だからこそ、この性能は良く活きる。


「そんな鈍い攻撃、一発も当たらないよッ!」


 だから真正面から突っ込んで、流れるような黒髪の川の中に身を潜めても、すばしっこく動き回ってさえいれば全く当たらない。


 クオを助けに行く最中だけど、すごく楽しくてずっと避け続けていたいくらいだ。



(だけど、いつまでこうしていられるかな)



 一撃も当たらない状況が続けば、当然セルリアンの方も対策してくる。


 それぞれ動かしても避けられてしまうのなら、抜け道の無い攻撃で逃げ場を失くしてしまおうと考えたのだろう。


 触手を斜めに交差させ、よく束ねて、隙間のない大きな壁を造り出した。

 それを一挙に倒し、僕の身体を圧し潰す。

 本棚が揺れて、溜まっていた埃が舞い上がる。


「ソウジュ…っ!?」


 クオの悲痛な声が響く。

 それを聞いて、セルリアンは嗤った。

 つられて、僕も笑ってしまった。


「ふふっ…」

「あっ、ソウジュっ!」

「見ての通り、僕は無事だよ。ちゃんと避けてたからね」


 ”壁で潰す”。


 うん、いい作戦だ。

 シンプルで抜かりがない。


 でも、壁なんて作ったら向こうが見えないよね?

 そうっと脇に姿を消しても、全然気づかないんだもの。


 ……まあ、僕の方が上手だったってことだね。


 それじゃあ、もう面倒なことはナシだ。

 一撃で、決めさせてもらう。


「不失正鵠、『撃ち抜け』」


 ルカの攻撃を真似するように、セルリアンの中心を矢で貫く。

 コアを正確に狙ったその一射には、奴も身の危険を感じたのか、全ての触手を使って反撃してくる。


 そのおかげで、放った矢がセルリアンにトドメを刺すことはなかった。


(……ありゃ、倒せてない)


 だけど、大丈夫。

 だってアイツ、さっきの攻撃にを使っちゃったからね。


 ―――クオを捕まえてたのも含めて、全部の触手を。


 ぴょんと飛び込んできた身体を、両腕で抱いて受け止める。


「ソウジュ~~ッ!」

「お待たせ、怪我はない?」

「うん、全然なんともないよっ!」


 さあ、これでクオは救出できた。

 もう巻き込む心配も無いから、遠慮なく範囲攻撃を使えるね。


 僕は屈んで脚を伸ばして、空に向かって矢先を向ける。


 いざ残心に至るその時にこそ、ありったけの輝きと妖術を込めて、矢尻に炎を纏わせた。


「雨のような…矢をッ!」


 軌道の頂点に達した炎の矢は、落ちていくと同時に分裂してセルリアンの頭上へと降り注ぐ。


 文字通りの火の矢の雨は、セルリアンの触手という触手を焼き切り、やがて、奴の身体を守るモノはもう何もなくなる。漸く悉く邪魔者が消えて、狙いやすくなってくれたね。



「―――これで最後だ」



 僕はもう一度、今度こそトドメの一射を弓に番えて、心を貫く。



 ……ゴトン。

 戦いの終わりは、絨毯の上に落ちた石板の音が報せてくれた。


「セルリアン退治、おわり~」

「じゃあ、気を取り直して探そうか」


 僕は『同調』を解いて、クオはキツネの姿をねだって、戦いの中で散らかってしまったものを二人で片づけて。


 適当にその存在を言い出した絵本の在り処を探して、およそ数時間。



 ―――結局、お目当ての絵本は見つからなかった。


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