第九十五節 『鏡』の話
封鎖された扉の奥には、地下深くへと続く階段があった。
足早と降りていくエルに続いて、踏み外さないように息が詰まる。
扉横のカードリーダーにエルが手の平を翳して、開放された閉架書庫の空気は、緑色のランプの光で染め上げられていた。
取って読む人のことを全く考えていない、所狭しと隙間を詰めて並べられた本棚の森を擦り抜けた奥、開けた書斎のような空間の中央に聳えているデスクに、エルは腰を落ち着けてほそりと言った。
「さて、何から話しましょうか」
そうして、僕の望みを伺う様な視線を向けてくるエルだが、言えることはない。
なんといっても僕自身、果たして何を疑っているのか解らない。
”疑問”と、”答え”と言われても。
そもそも、それら全てが、エルの虚言である可能性もゼロではない。
「……ソウジュさん?」
「あぁ、ちょっと待ってて」
しかしだ。
エルはどうしても、僕の口から質問を引き出したいらしい。
流し聞きにでも何か耳にすれば、それらしい疑問は浮かんでくるだろうか……。
「じゃあ、この閉架図書について。ここに連れてきた理由も含めて」
それが無理なら、もう全部投げ出してクオの所に行くよ。
「…ふむ、良いでしょう」
絶妙に優越を滲ませる平坦な口調で頷きを返す。
僕の望んだ質問について、エルは答えを話してくれるようだ。
彼女は音を立てずに椅子を立ち、無造作に一冊のファイルを引き出して、それを僕に向かって投げて渡した。
「閉架図書には、一般客には閲覧させることの出来ない情報が保管されています。主にパークの運営資料や、フレンズの調査報告書などが該当していますね。職員の方はよく利用していたようで、古いデータベースに利用記録が残っていました」
受け取ったファイルの表紙。
『----年度 予算概案』と書かれていた。
数字は掠れて読めなかったが、中身はだいたい推測できる。
パークの運営の内側。
確かに、素性のすっかり分かる相手以外に見せるものではないだろう。
まずは、一つ納得。
「なるほどね。で、どうしてここに?」
「雰囲気作りのためです」
「……え?」
―――納得したのだから、間髪入れずに壊さないで欲しい。
「昔、ロウエが言っていました。誰かに重大な事実を明かす時は、ヒトが特別感を覚える場所でそれを行い、流れの中に呑み込んでしまうことで、細かい矛盾点を有耶無耶にすることが出来ると」
はぁ、なるほど。
まぁ、その通りかも。
でも。
「…言っちゃったら、ダメじゃないかな?」
「………これは、データにないパターンでした」
ぺたり、頭に手を当てて真顔のエル。
折角の茶目っ気あるポーズも、微動だにしない表情筋でダメだった。
「ええと、じゃあ、深い意味はないってこと?」
「はい、必然性は何一つ存在しません」
「そ、そっか…」
計算高いのか、或いはピュアなのか。
クオとは違った方向性で、何をしでかすか分からない。
そして、頭に乗せた手はまだ動かない。
シュールが過ぎて辛いから、早くどかしてくれないものか。
「ここに来てからおよそ10分が経過しました。そろそろ、尋ねたい質問の内容を思いつきましたか?」
「…まあ、とりあえず2つくらいは」
言ってしまえば、前からあった疑問を思い出しただけ……なのだが。
「よろしい」
「あぁ、うん」
口調、ツッコむべからず。
手短に話が進むように、僕の方から簡潔に。
虚空間からそれを取り出して、エルに見せて言った。
「この『鏡』について、エルが分かることを教えて欲しい」
「『天理の鏡』ですね。承知しました」
「…これ、そういう名前なの?」
淀みなく名前を告げるエルに僕は驚く。
迷宮でこの鏡を手に入れたとき、僕は『ウラニアの鏡』と名付けた。特に根拠もない、直感に任せたネーミングだったけど、それ以前の僕は”ウラニア”なんて単語は知らなかった。
恐らくは、この鏡が抱えている神秘的な力と関係があるように思えるのだが……。
「なるほど、”ウラニア”ですか。
そういう呼び方も、きっと存在するでしょう」
「間違ってない、ってこと?」
エルは頷く。
「それこそ、或いはきっと、その鏡自身が望んでいる名前です」
「鏡が、願うんだね…」
とても、想像し難い光景だ。
主にミラーセルの怪物めいた容貌を思い出すせいで、”願い”だなんてロマンチックな言葉とこの鏡が結び付く筈もなかった。
「輝きとは森羅万象、ヒトの意志が宿るもの全てに備わっていますから」
だけど、セルリアンは輝きを喰らう。
彼らがコレに近づいたのも、姿形を呑み込んだのも。
「…輝き」
それがコレに。
この鏡に紛れなく。
確かに在ったから……かもしれない。
しかし今となっては。
むしろもとより。
確かめる方法なんて、何処にも無かったように思えてしまうが。
「ソウジュさんは、その鏡で何をなさるのですか」
「……それは」
「答えにくいことですか?」
エルの指摘に突かれて、僕は思案する。このまま頷いて隠し続けるべきか、少しでも話せる部分だけは明らかにするべきか。僕の為に時間を割いて便宜を図ってくれているエルに、あらゆることを秘匿してしまうのか。
それは。
あまりにも、不誠実だと思った。
「鏡の力を引き出したい。そうして、裏返したいものがあるって言ったら……伝わるかな?」
「もちろん、十分です」
無表情のまま目を細めて、エルはトンと首肯した。
そして何処からともなく、硬く冷たい感触が僕の手を占有した。
「これをお使いください」
「…あ、石板?」
「ろくぶんぎ座の輝きを内包する石板です。
この星座を表す学名は、『Sextans Uraniae』」
僕の感覚も、エルの説明が正しいことを示している。
「夜空を観測し発見する装置を表し、加えて『
これを使えば、鏡の現象を…?
「…というか、分かるんだね」
「たった今、計算しました」
「わぁ~…」
流石の謎能力。
ロウエといいこの類のフレンズって、何故にここまでの圧倒的な力を持っているんだろう…?
まあ、見当はついてるよ。
まだ確証は無いけどね。
「
うん、それは正しい。
特に言うこともない。
「…ロウエ、様様だね」
「はい。その話を聞く前は、再三に渡って原因不明の戦闘が頻発していましたから」
「せ、戦闘っ!?」
『トラブル』って、とびきり過激なのを経験済みだったのか…。
「とりわけゴコクに訪れた時は、他とは比較にならない戦闘回数でした。相手が予想以上に強く決着に時間が掛かったことも、その一因ですね」
「へぇ、それはすごいね…」
真面目に聞くと疲れちゃうから、この過去話を僕は適当に流した。
当時は、エルの強さを何も知らなかったからね。
もしもロウエから、エルの戦闘力の詳細について聞いた後だったら、彼女と対等に戦えていた何者かの存在に、僕は戦慄せざるを得なかっただろう。
そして何より。
今でもゴコクに、まだそのフレンズがいるかもしれない。
それが一番、今後の旅に関わる恐ろしい懸案になっているのである。
さておき、話を戻そう。
「『鏡』については、以上でいいですか?」
「うん、ありがとう」
聞きたい話は、粗方聞くことが出来た。
そして、再びクオの人格をひっくり返す方法も手に入れた。
棚ぼた式に得た情報だったけど、きっとこの先で役に立つことだろう。
でも、全ては解決できていないな。
まだ大きな謎が残っている。
「それじゃあもう一つ。あの夜に現れた、謎の黒い人物について聞きたい」
手を挙げて、次の質問を口にする。
するとエルは瞳孔を僅かに見開き、静かに聞き返してきた。
「……ソウジュさんも、遭遇したのですか?」
「えっと、そう言うってことは…」
継ぐ句を失った僕に向け、彼女は頷きを添えて答えた。
「アレはセントラルの城を襲った怪人です。ロウエと……途中で姿を現したタレスさんと共に撃退に成功しましたが、取り逃してしまいまして」
ふむふむと相槌を打ちつつ僕は話を聞いていて……ふと、前触れなく出てきたある人物の名前に、とんでもない引っ掛かりを覚えた。
「…待って、タレス?」
「観光に来ていたそうです。愛弟子の帰郷ついで、と言っていました」
「そっか、リカオンだ」
サンカイで、タレスはリカオンに修行をつけていた。
それを終えて、カントーに戻ってくるのを良い機会に、タレスもここに足を運ぶこととしたのだろう。
思わぬ縁だ。
時間があったら会いに行こう。
…まあ、日程は後で考えるとしておいて。
「僕たちはカントーの方で、鳳凰座と竜骨座のセルリアンを倒した。でもその戦いの後、件の黒い奴が現れて、竜骨座の石板を奪われちゃったみたいなんだ」
「みたい、とは?」
「後でクオから聞いたからだよ。僕は、一瞬で昏倒させられちゃったから」
クオが聞いたら「とんでもない」と思うかもしれないけど、僕で良かった。
あの子に怪我がなくて、本当に安堵している。
「―――竜骨座、ですか」
「何か、心当たりがあるの?」
「アルゴ座という星座を、ソウジュさんは知っていますか?」
「いや、知らないな」
そして僕の記憶が正しければ、星座図鑑にも『アルゴ座』なんて名前の星座は載っていなかった。
どこかで微妙に、名前の断片は見たような気がするんだけど……。
「図鑑に載っていないのは必然です。神話に登場する巨船を表すアルゴ座は、今では存在しない星座と見做されていますから」
「じゃあ、どうして?」
「…竜骨座は、かつてアルゴ座の一部でした」
な、なるほど…?
「かつてのアルゴ座は四つの星座に分割され、今でもそれらは船の一部を表す星座として夜空で輝いています」
「でも、一つだけでしょ?
だったら、偶然って可能性もあるよ」
「言う通り、一つだけなら偶然の可能性が高いでしょう」
…ああ、その言い回しが出たってことは。
「羅針盤座。これも、過去のアルゴ座の一部です。
彼の怪人は、この星座の力を利用していました」
いきなり現れて、目を光らせたラッキービースト。
ホログラムの映像を介して空中に現れた、あの夜に城の屋上で繰り広げられた苛烈な戦いの様相。息詰まる駆け引きの合間を縫うように、件の星座の力を使ったであろう不自然な現象の光景が映る。
―――いやこれ、格好いい戦闘の方に没頭しちゃうって。
「
エルの分析で僕は現実に引き戻される。
それを待っていたように、ホログラムは直後に消えた。
四つのうち二つ、か。
「でも、アルゴ座って何が出来るのかな…?」
「そうですね。昨晩に試行した試算によると、アルゴ座は―――」
『ソウジュ~っ! どこいるの~っ!?』
「……あっ」
エルの言葉を遮るように、地上の方から聞こえてきた泣き声。
僕が聞き間違える筈はない。
アレはクオの声だ。
「クオ、僕のことを呼んでる…」
「どうやら、ここまでのようですね」
「そうみたいだね、今日はありがとう」
早く迎えに行って安心させてあげよう。
そう思って振り返ろうとすると、エルに引き止められた。
「ですが最後に一つだけ、ソウジュさんを『仲間』と呼んだ理由を」
そう言いながら、彼女の手は僕の胸元へ。
「え、えっと…」
「安心してください、少し外に出すだけです」
要領を得ない返答。
困惑する思考回路。
そして、身体にめり込んだエルの腕。
「………え?」
常軌を逸した光景に驚く間もなく。
中途半端に引き抜かれたエルの手の中で、光り輝く青白い宝石。
透き通る結晶の中心に、星座の模様が浮かんでいた。
「これは、双子座の宝石」
「その、あぁ、つまり…」
言葉が途切れて、継ぐ句は遠く。
「ソウジュさん。貴方は、双子座のフレンズなんですよ」
灯台の下、盲点から現れた星が、点と点を線で繋いでゆくのだった。
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