第九十四節 図書館ではお静かに
手を繋いで一緒に歩きながら、考えること十数分。
散策とは結局のところ、用事のある場所に向かってしまうのが常。
そういう訳で僕らは、パークセントラルの図書館に来ていた。
「たっかーい! これ、いちばん上まで本があるの?」
空を指差しながらクオが言う。
大樹のような見た目であるこの図書館は、おおよそ五階ほどの高さ。
総数にして数千冊にも及ぶ数の蔵書が殆ど全て開架式で、自由に閲覧できるように解放されているらしい。逆に、いわゆる”禁書”に当たるような閉架図書は、管理者の許可が無いと入れない地下のフロアに保管されているという。
―――そういった旨のことが、パンフレットの片隅に書いてあった。
その内容が信用できるかどうかは、これを書き記した過去のパーク職員と、今までこの図書館を保全してきたであろうラッキービースト達の手に掛かっている。
どうであろうと僕は、件の星座図鑑さえ無事に返却できればそれでいいんだけど。
「うん、全部図書館みたいだね。入口の見取り図にも描いてあるよ」
「おー、カラフル」
……そうかなぁ?
カラフルと言われれば、確かにその通りだけど、図の中身が見られていない。
それにこれ、たった四色しか使われてないし。
『四色定理』って名前だったっけ。
”どんな地図も四色あれば完璧に塗り分けられる”とかいう定理は。
まあ、数学を活用しながら上手くやっておられることで。
キツネ色とか、使っちゃってもいいんだよ?
「ところで、もっと別の感想は?」
「ないっ!」
「あはは…入ろっか」
ニコニコ笑って差し出してきた彼女の手を取って、いざ図書館の中へ。
木の幹のような外観にあまり似合わないガラス造りの回転扉をくぐると、鳥の囁く森に立ち入ったかのような穏やかな空気が鼻腔を突いた。
緑に苔むした大理石。
暖かみのある木造の壁。
天から光射す、終わりの見えない吹き抜け。
そして、柔らかく揺れているクオの尻尾。
……おほん、最後のは関係なかったね。
とまあ何はともあれ、こうして一目で判るくらいには良い場所だった。
――で。
返却カウンターは何処かな。
忘れないうちに、返してしまいたい。
「ソウジュ、あの看板かも?」
返却口を探す僕に、クオが向こうを指さす。
「ほら、『ご返却』って書いてるよ」
「ホントだ。ありがと」
「ふふー♪」
クオは得意げに胸を張る。
折角だしもっと褒めてあげよう、なでなで。
そうこうしている間にも時間は溶けていく。
名残惜しいけどここは一旦切り上げて、続きは本を返した後に。
「ラッキーさん、この本を返却したいんだけど」
『……』
カウンターから身を乗り出して向こう側を覗き込みながら、僕の膝ほどの高さの椅子に座っているラッキービーストに声を掛ける。
だけど、返事は聞こえない。
「反応しないね」
「聞こえなかったのかな……ラッキーさんっ!」
『……』
声を張り上げて呼んでも、変化なし。
返事は無い、ただのスクラップのようだ。
「ソウジュを無視するなんて、命知らず」
「いや、流石に命まで取ったりはしないけど…」
だけど、図書館を利用できないとなると面倒なことになる。今更他の行き先を考えるのも億劫だし、何かの間違いで急に動き出したりしないかなあ。
そんな思惑を込めながら、真っ青な耳の間を何度もチョップしていると、内部からガリガリと危ない音を発しながら、ラッキービーストはついにシステム音声を流し始めた。
ついに、と僕は欣喜する。
だが、いざ聞こえた言葉は予想外のものだった。
『……現在、緊急メンテナンス中です。21:00頃に完了する予定ですので、それまでお待ちください』
――ええと、21時って。
今の時間、まだ太陽も昇り切ってないんだけど。
「ソウジュ、『にじゅういちじ』っていつ?」
「ざっくり言えば、めっちゃ夜」
普通に考えて、閉館時間も過ぎていそうだ。
「え~、もっと早く終わらせられないの~?」
身体を持ち上げ揺さぶって、クオはラッキーにそう問いかけるが。
『メンテナンス終了まで、お待ちください』
ゲームのNPCのように、同じ言葉を繰り返すだけだった。
しばらく説得を試みていたけれど、ついに諦めて椅子に落として。
突然、傍らに刀。
「……この子ムカつく、ぶっ壊してやろうかな」
「クオ、いつからそんな物騒になっちゃったの…?」
破壊は普通にマズいから、刀は何とか収めてもらった。
彼女の気持ちが分からないと言えば嘘になる。
でもコレをやったって、摘まみ出される未来しか見えないからさ…。
僕は落胆して、図鑑を虚空間に仕舞いこんだ。
「どうしよう。今日は無理そうかな」
「―――問題ありません、こちらにお任せください」
「え?」
何処かで聞いたような声が耳に届いて、僕は振り向く。
するとそこには、長い金髪の少女が立っていた。
名前は確か、ええと。
「あ、エスだっ!」
「エルです」
「また会ったね、エム!」
「お久しぶりですね、そしてエルです」
彼女自身が繰り返し主張している通り、エルだ。
フルネームはもう記憶にないが、あまり長くはなかったと思う。
「エルは、どうしてここに?」
「図書館のシステムに緊急のエラーが発生したと聞き、修復に来ました」
そう言うと、ラッキービーストを抱え上げて弄り始める。
耳や尻尾を引っ張ったり、時には頭を叩いたり、目的のよく分からない行動だ。しかし彼女が無意味なことをする筈も無く、程なくしてこの個体の故障はすっかり修復された。
図書館職員としての業務は行えない、としつつも、ラッキービーストとしてはごく普通の稼働を出来るようになっていた。
この感じなら、エラーの修復も直ぐに終わりそうかな?
目を伏せて、エルは首を横に振った。
「故障が物理的な原因に依るため、システムの修復には一定の時間が掛かるという計算結果です。ですので修復が完了するまでは、代わりに業務を手動で行うことに決定しました」
…そっか。
まあ、さっきのシステムメッセージもそう言ってたからね。
長引いちゃうなら、仕方ない。
「エルも、図書館のお仕事できるの?」
「自動システムと比較して、三倍の仕事効率を見込めます」
「それって、元が非効率的なんじゃ…」
図書館を動かしているシステムって、なにも一体だけのラッキービーストで賄ってる訳じゃない筈だ。十体、二十体、もしくはそれ以上に至るまで、この大きな図書館には割り当てられているに違いない。
それら全てをもってしても及ばないなんて、むしろエルの作業速度が凄まじいのだろうか……?
僕の憶測を肯定も否定もせず、彼女は淡々と理由を説明する。
「ラッキービーストが図書館業務に不適であることが一因です」
「そっか、ヒトの職員さんが居ないから」
曰く、自動システムは職員さん達がやっていた仕事の穴を埋めるためのもので、そもそもパークから人間が居なくなった以上、効率もさして必要ではないという。
それでもこうして運営を続けているのは、ここの本がフレンズ達の娯楽として役立っているから、らしい。パーク運営時にも、住み込みで働く職員さん達の娯楽として使われていたみたいだから、まあ何だかんだ元の鞘に収まったって感じ。
「返したい本はお預けください。所定の場所に戻しておきます」
閑話休題、本はエルが戻してくれるみたい。
虚空間から星座図鑑を出して、彼女に渡した。
「ありがとう。仕事ついでに一つ、いいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「探してほしい…その、絵本があるんだ」
続けて、探す絵本の内容を話していく。
双子、旅、続きもの、そして前作の題名エトセトラエトセトラ。
つらつらと言葉にしていく間に、何かに気づいたクオの耳がピンと立ちあがっていた。
「もしかして、ここに来たのって…」
「うん、あの絵本の続きを探そうかなって思ってさ」
……あ、今度は尻尾が立った。
「エル、絵本の本棚は!?」
「一階の、”E”とラベリングされた本棚のあるエリアです」
「わかった、行ってくるっ!」
エルにお礼を言って、クオはバタバタと激しい足音をそこら中に鳴り響かせながら走り出す。
この行動には、エルも一言。
「クオさん、図書館ではお静かにお願いします」
「はーいっ!」
クオの返事も、子供の一言。
得てして、注意しても意味が無いのである。
目を丸く見開いて、エルはしんみりと呟いた。
「注意に対して頷きながら、行動を一切改めない―――非常に興味深い、計算不能な行動です。これも彼女たちが生き物である所以。まだまだ、サンプリングは全く足りないようですね」
「……そんな大層なこと?」
よく分からない感慨に耽るエルに僕は首を傾げる。
まあ、感覚が違うことってよくあるし、気にはしないけど。
「クオのこと、追いかけようかな…」
案外広いし、迷子になったら大変だよね。
目を離してると何をしだすか分かんないし。
よし、行こう。
「ソウジュさん」
そうして歩き出した僕の手首を引っ張ったのはエル。
予想以上に強い力で、身体がもうビクともしない。
こちらを見つめる色の薄い瞳に僕は恐々と身を震わせ、エルは澄ました口調で脈絡のない誘いを向けてくる。
「貴方が気になっていること、確かめてみたくはありませんか?」
「…どういう意味?」
「地下のフロアには、一般には公開されない機密資料が大量に保管されています。貴方たちが抱く疑問の答えも、或いはそこに…」
「ま、待ってっ!」
さらりと過ぎ去っていく話の流れの中から、細い藁を掴むように話題の引っ掛かりに手を伸ばす。
ここで止めないと、完全に雰囲気に呑まれてしまうと感じたからだ。
「僕らの疑問なんて、どうしてそんなことが分かるの…?」
エルは意味深に微笑む。
「この目に聢と映っているからです。天理の鏡に映る星の色が、貴方たちの中に渦巻く輝きの正体が」
「天理…輝き……正体…?」
分からない。
エルは僕に、何を伝えようとしているの?
ただ単純に、光がないだけの瞳からは、何も読み取れない。
「気になりませんか?」
「なるよ。でも、どうして」
「それは、当然のことです」
真意が、見えない。
「だって…仲間ではありませんか」
それは背理だった。
幾ら星が明るく光っても、夜空は昏いままだから。
呆然としたままの僕の眼前で、開かれていく地下フロアへの扉。
足を踏み出すより他に、選択肢はなかった。
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