第九十三節 暗夜の明けた後

 クオと迷宮に迷い込んで。


 キュウビと数奇な邂逅を果たして。


 ロウエを連れて脱出して。


 セルリアンの溢れるパークセントラルでエルに出会って。


 巨大なセルリアンを二体も討伐して。



 ……そして、謎の存在にりゅうこつ座の石板を奪われて。



 今になっても信じられない程に濃厚だったあの一日から、この目覚めで五回目の朝を迎える。


 今朝も僕は、もふもふの少女に抱き枕にされながら目を覚ました。


「ん……もうこんな時間かぁ」


 起きたら着替えて、冷たい水で顔を洗って、外の空気と太陽の光を浴びて、全力で枕を抱き締めたまま眠っているクオが起きるのを待つ。そんないつも通りのルーティーン。


 毎朝、クオの腕から抜けだすために枕を生贄に捧げているが、目覚めた彼女にそれを感付かれたことは未だ無い。


 僕が思っていたよりも、寝起きのクオはふわふわしている。



 ……あぁ、尻尾の話じゃないよ?



「こゃぁ~、おはよ~…」



 そろそろ、クオも起きたみたいだ。


 口をぐにゃぐにゃと揺らして大きな欠伸をしたクオは、相も変わらず、ぴょこんと頭の真ん中に丸いアホ毛を跳ねさせている。


「クオったら、今日も立ってるよ」


 それを僕が直してあげることで、僕らの一日は始まるのだ。


 その後は朝食。

 献立は白米とお味噌汁と焼き魚、デザートに甘い油揚げ。

 安定感のある味で、これじゃなければ食べた気がしない。


 何日経っても変わることがない、最高の美食だ。



 しかし、この頃になって変化したこともある。



 ―――最近、クオの様子がおかしい。



「ねぇ、クオ?」

「ん~? どうしたの?」

「前から、こんなに距離近かったっけ…?」


 隣の椅子に座ってご飯を食べているクオ。

 コレは別に何もおかしくない、普段通り。


 でも、腕と腕が絡まるほどに近くまで、食事中のクオが身体を寄せてきたことは今までに一度もなかった。


 それを指摘されると、クオは顔を真っ青にして僕に尋ねる。


「……えっと、イヤなの?」

「そうじゃないっ、そうじゃないんだ…!」


 むしろ嬉しいよ。クオとの距離をこれまでに増して近づけられていると実感できて、この日までの旅の数々の想い出を、喜びを以て振り返ることが出来ている。イヤだなんて、とんでもない。


 …でも。


 そうだとしても、疑問は生まれてしまう。


「だけどね、その…」

「イヤじゃないんでしょ?」

「あぁ、まあ…」


 ただ、念押しされちゃったら否定なんて出来ないよ。


「じゃあ、いいよね?」

「……うん」


 笑顔で首を傾げながらこちらを見つめるクオに、僕は頷くより他なかった。


 けど、やっぱり変だ。


 具体的に何かと言えば……彼女の迫り方が。


 確かに最初から、クオは積極的な性格だった。それでも、流石にここまで強引に距離を詰めてくるようなことは……多分、なかったんじゃないかな。ちょっと自信が無いけど。


 ……少なくとも、こんな妙な圧はなかった。


 今朝はあんなにふわふわしてたのになぁ。


 僕は油揚げを噛み切って、甘い汁を吸う。糖分が脳に回っても、この問いへの答えは当分出せそうになかった。 


 結局僕は考えることを諦めて、これからの予定を打診することにした。


「ねぇクオ、今日はどうしようか?」

「お部屋にいようよ、疲れちゃったよ」

「それ、一昨日からずっと言ってる…」


 一言一句違わず、そのまま。

 清々しいほど使い回された言い分だ。

 形さえ変える気力も無いらしい。


「クオったら、本当にどうしちゃったの? 少し前までは、僕が疲れて動けないときにも、強引に引っ張ってでも出掛けてたのに……」


「クオにだって、ソウジュと一緒にごろごろしたい日はあるよー?」

がさ、三日くらい続いてるんだけど」


 僕がそう言うと、味噌汁の最後の一滴を啜り切ってクオが訊く。


「ソウジュ、行きたいところでもあるの?」

「さあ、具体的にあるわけじゃないけど…」

「じゃあ…いいじゃん♪」

「……そっか」


 強情になった時のクオが、とても厄介なことを僕は忘れていた。




§




「ソウジュ、久しぶりに読んで~」

「どれどれ……む、これって…」


 そう言って渡された絵本の表紙には、いつか見た兄弟の姿。

 僕が目覚めた最初の朝に、ホッカイでクオに見せてもらったあの絵本だ。


 懐かしいなぁ。


 そう思いながらページをめくっていると、何かを期待するかのような眼差しで、こちらをじぃ~っと見つめているクオ。


 ”読んで”……って、もしかして


 最初のページに戻って、絵本の内容を音読し始めると、クオはゆらゆらと身体を揺らしながら、頭の上に音符を浮かべ始めるのだった。



 読み聞かせること、およそ数分。



『―――そして二人の兄妹は、末永く幸せに暮らしましたとさ』



 やっぱり、いいお話だなぁ……。



「んふふ~…♪」


 クオも大層ご満悦。

 だって、お気に入りの絵本だもんね。

 うれしくない訳がない。


(図書館に、続きのお話が置いてあったりしないかな…)

 

 もしも有ったら、クオを連れていく口実になるかもしれない。

 むしろ無くても、探しに行くだけで理由にはなるからね。


(まあ勿論、それより先に確かめなきゃいけないことが山ほどあるけど……)


「ソウジュ、何か考えごと?」

「ロウエたちのこと、思い出してさ」


 りゅうこつ座のセルリアンと遭遇した矢先、エルのいるセントラルの城に向かって行ったっきり連絡が取れていない。彼女に限ってセルリアンにやられている筈は無いけど、気にはなる。


 特に含みもない普通の心配。


 だから、僕は何気なく話したんだけど。



「―――なんで?」



 ……クオから返って来たのは、冷たい疑問の一言だった。



「…えっ?」

「……あっ、ううん! 気にしないでっ!」


 わたわたと汗を飛ばして、慌てた様子で部屋を出て行ったクオ。

 乱雑に閉じられたドアの音の後、伽藍洞になってしまった空間で、独りごちた言葉は必定。


「『なんで』って……なんで?」


 クオの気に障る様な内容だったのかな。 

 でも、思い当たる節は無い。

 むしろ、あの反応をする理由が全く分からない。



「やっぱり変だよ。から」



 虚空間に手を突っ込み、僕は石板を取る。

 鳥の模様に輝く、鳳凰座の石板だ。


 りゅうこつ座は奪われてしまったから、これが唯一僕の持つ、あの夜のことを想起させてくれる物質的な想い出だ。



 ……熱かったな、あのセルリアンは。



 そしてあの骸の竜は、いつかのカラス座のセルリアンを彷彿とさせる大きさだった。サイズだけなら勝っていたかもしれない。カラスの矢羽に相当する攻撃も、アイツは我が身を削って骨の雨を降らせていたからなあ。


 実は、似た者同士だったり……。


 カラス座の石板はあるから、隣に並べて比べられなかったのが残念だ。



「で、



 僕が謎の存在に昏倒させられた、以後の出来事。


 直接尋ねても、クオは口を噤んで話さなかった。

 でもその時の様子から、申し訳なさそうにしていたことは覚えている。


 あの変な奴の攻撃から、僕を庇えなかったことを悔いているのかな。


 でも別に、クオが気にするようなことじゃ……。



「…ううん、そうじゃない」



 もしも立場が逆だったらどうだろう。

 僕は絶対、クオを庇えなかったことを後悔している筈だ。


 『気にしないで』……だなんて、言われても無理に決まっている。



 その言葉が一層、僕の心を締め付けることになるだろう。



「だから、どうする?」



 諦めたくない。

 クオを、放っておけない。

 僕のことで苦しんでいるなら尚更だ。



「連れて行こう。僕が……に」



 もういいや。

 行先はこの際、考えない。

 気の赴いた場所に、好きなように足を運ぼう。


 何時かのクオみたいに。


 ずっと見ていたから、きっと出来るはずだ。



 ……彼女のいる部屋を目指して、僕は扉を開く。



「クオ」

「あれ、ソウジュ…?」


 へたりと座り込んで、僕を見上げるクオ。

 可愛らしい上目遣いに一瞬だけひるみながらも、彼女の腕を掴んで部屋の外へと引っ張り出す。


 僕の突然の行動に、クオは目をまん丸にした。


「わわっ、どこ行くのっ!?」

「セントラルだよ」

「で、でも…」


 クオは渋っている。

 でも、ここで退いちゃダメだ。


 グイっと強く、念を押すように腕を引いて、僕は重ねて言った。


「ほら、行くよ」

「う、うん…」


 こうして案外あっさりと、クオは外まで連れ出されてくれた。

 本当は出たかったんじゃないかな、もしかすると。

 二人で歩いていく、目的地はセントラルの……。



 ―――さて、どこに行こうかな?


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