第九十二節 斯くあるべき邂逅、そして
「認めない、このようなことは…」
「あっ、待ちなさいっ!?」
”彼女”はタレスの腕を力任せに振り解き、拘束から逃れて屋根から飛び降りた。タレスは咄嗟に尻尾の先の毒針で強引に背中を突き刺したが、走る足を止めさせることは叶わず。
漆黒の襲撃者は、その姿を夜闇の中に消してしまった。
「もう、何処に行ったのよ…っ!?」
逃げる影を捉えようと、タレスは屋根の端に立って地上を探し始める。
されど案の定、真っ黒な逃亡者の姿は、月光のない限り衆目の下に晒されることはない。やがて完全に見失ったと悟ると、タレスは肩を竦めて二人の方へと向き直った。
「……はぁ、やられたわね」
悔しそうにそう口ずさみ、拳を握るタレスだったが、その表情には間違いなく安心の色が浮かんでいた。
ロウエとエルは、彼女にお礼を告げた。
「助かったわ、おおきに」
「ふぅ…感謝します」
「いいのよ。アタシが勝手に首突っ込んだだけだし」
サバサバと言い放つタレスのドライな姿は、まるでサンカイの砂塵のようで、こんな夜だからこそ橙色の髪の毛がとても明るい。
熱を込め過ぎて刀身がボロボロになってしまった大剣を、記憶を頼りに試行錯誤を重ねながら、『鉄剣』として受け取った時の形に戻す。結果として元の剣よりも大振りなモノになってしまったが、ロウエは満足そうだった。
「だけど心配やな。……アイツに、フレンズが襲われたりしないといいんやけど」
「ごほごほっ、その通りですね…」
エルが咳き込んでいる。ただ吐く息すらノイズ混じりで、今にも息絶えてしまいそうな危うさを感じさせる程の容体だった。
「エルちゃん、大丈夫か…!?」
「反動は概ね予想通り……いえ、少し無理をし過ぎました」
「…ごめんな。ウチが不甲斐無いせいで」
二人の様子を眺めてタレスは首を傾げた。
途中から現れた彼女に詳しい経緯の知識は無いが、エルが無理の祟る様な戦い方をしたであろうことは、彼女にもなんとなく察せていた。
「やっぱり無理は良くないなぁ」と、タレスは再確認をする。
かつて自分がリカオンに課した、無理にも程がある特訓メニューの数々を脳裏に思い浮かべながら……。
「アイツを追いかけようにも、エルちゃんが心配や」
「なら、アタシにいい方法があるわ」
「…ホンマか?」
タレスは頷く。
「見ての通り、アタシはサソリのフレンズ。自由自在に毒を操れるから、毒を使って身体を治してあげることだって出来るの」
毒針を見せつけながら、その”方法”を話す。
「それって、つまり…」
「どう、試してみない? まあ、アタシが代わりに、アイツのことを追ってあげても良いけど」
顔を伏せて、しばし悩むロウエ。
彼女の頭の中で、どんな感情が渦巻いているのだろう。
しかしこうして逡巡している間にも、きっと”彼女”は更に遠くへと逃げおおせていることだろう。
「……絶対に、安全なんやろな?」
「保証するわ」
ロウエは”彼女”を追うことと、そしてエルのより早い治療を優先することにした。
「ウチ、行ってくる。エルちゃんのこと、頼むわ」
「どーんと任せなさい」
上着のポンチョを脱ぎ払い、決意の瞬きを三度。
「ロウエ…」
エルは何か、確かに何かを言い掛けて。
「…気を付けて」
「ああ、分かっとる」
しかし身を案じる言葉のみに留めて、それ以上は何も言わなかった。
「―――『
ロウエはポンチョをグライダーに加工し、跳び跳ねて滑空して地上へと降りていく。その姿が見えなくなってしまうまで、エルはずっとロウエの後ろ姿を凝視し続けていた。
「…じゃ、アタシたちも治療を始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
「針はちょ~っと痛いかもだけど、一瞬の辛抱だからね…?」
少しねっとり、されど恐怖を煽るように、毒針が痛いことを強調したタレスだったが……エルは無反応。
その数秒後。
「問題はありません。痛覚は任意にシャットアウトできるので」
「……それはそれで問題だと思うけど」
エルはきょとんと目を丸くして、あっけらかんとさもや当然と、そんなことを言い放ったのだ。
エルの人格形成に一抹の不安を覚えつつも、約束通り治療を始めるタレス。
…とある一夜、パークセントラルの城を襲った戦禍の顛末は、このようにして終わりを迎えたのであった。
§
「おつかれさま、厄介な相手だったね~」
さっきまでより気の抜けた、ゆるっとした雰囲気のヒグマの声を聞いて、危機を乗り越えたことを実感し、僕は肩の力を抜いた。
「でっかいセルリアンだったな…!」
「いつかボクりんたちも、あんなのを粉砕してみたい…♪」
「…そうですね」
途中から参戦した『L♡Lベアーズ』の三人……は、別に変化なしかな。
まあ、安定して安心感のあるフレンズたちだった。
「りゅうこつ座……道理で、あんな姿を」
セルリアンが遺した石板を握り、秘められた輝きを読み取ってその正体を知る。気が付かぬ間に、意識しなくても星座の名前を思い浮かべられるようになっていたけど、いつか読んだ星座図鑑のお陰でもあるのかな。
一段落ついたことだし、アレも忘れないうちに図書館に返却しておこう。
……その前に、もう一回くらいは読んじゃおうかな。
「ソウジュ、それも使うの?」
「まあ、必要になったらね」
とはいえ、結局はその時次第だけど……。
「あ、ラッキーさん」
近くを歩いていたラッキービーストを呼び止める。
「セルリアンの発生状況、どうなったかな?」
「巨大なセルリウム反応は全て消失、小さなセルリアンがそこそこ残っているヨ」
念のための確認。
残りは雑多な雑魚ばかりの様子だ。
そいつらを片づければ、完全に終わりかな。
「まだ予断は許されないね」
「ただのお掃除だろ? 私たちなら楽勝だってー」
「はいはい、油断は禁物ですよ」
キンシコウがそう言うが、空気は全く引き締まらない。彼女は呆れたように苦笑して、ふぅと息を吐き出した。
僕も久しぶりに感じる、とても平和な空気だった。
「”善は急げ”ってよく言うし、すぐに始めちゃおうか。戻って来たばっかで悪いけど、リカオンにもたくさん頑張ってもらうよ」
「はい、頑張りますっ!」
そんなこんなで、ハンター組が出発。
「れっつご~、粉砕っ☆」
カムチャッカに先導されて、クマ三人組も行ってしまう。
「みんな早いな。もう行っちゃった」
「クオたちも行くの?」
「行くよ。乗り掛かった舟だからさ」
これで僕らが急に姿を消して、万が一みんなに心配でもさせてしまったら、それはそれで後味が悪くなりかねないし……。
「……ん?」
と、セルリアン退治に足を運ぼうとして、背後から聞こえた音に身体を止める。
その音は機械的に、さっきセルリアンの発生状況を尋ねたラッキービーストのスピーカーから届き、悪夢の啓示のように脳裏に鮮明に焼き付いた。
『―――ピピ。警告、強大なセルリウム反応を検知』
刹那の金縛りを僕らは共有する。
「…ソウジュ、これって」
「あはは、まさかね…」
僕は首を横に振りながら、りゅうこつ座の石板を軽く握りしめた。
もしも、セルリアンが出て来た時のことを考えて。
―――でも、その備えは必要なかった。
「あっ―――」
それを使う暇もなく、僕の意識は奪われてしまったから。
§
「ソウジュッ!?」
「……ふむ。心臓の気配を感じて立ち寄ってみれば、まさか逃走の途の上でこんなものに出会えるとはな」
黒い靄でソウジュの意識を奪い、石板を奪い取った真っ黒な謎の人物。突然に姿を見せた彼とも彼女ともつかないソレに、クオは戦慄してホロリと呟くのだった。
「だ、だれなの…?」
フードの下、恍惚とした表情で石板の模様を眺めていたソレは、クオの声を聞いて初めて彼女の存在に気づいたように首を回した。
そして、冷たい声で言う。
「知る必要があるのか? たとえ知ったところでお前達は……ふふ、まあいい。今はとても気分が良いから、見逃してやろう」
ソレはクオに、一縷ほどの興味も持っていなかった。
ただ石板を奪い取るためだけに現れ、稲妻のように去っていく。
クオはソレの背中に、何かで深く穿たれたような孔を見つけたが、そんなことはもはやどうでもよかった。
「これで2つ目……ハハハ。これほどあっさりと見つかるとは、我が身を削ってセントラル中にセルリウムを撒き散らした甲斐があったというものだ。まさに僥倖、役立たずのロボット共を従えるよりずっと安上がりだった」
高笑いを上げて、溢れる喜びを全身で表現する怪人。
その隙にクオはそっとソウジュの元へ寄り、倒れた彼の介抱を始める。先に言った通り、ソレはソウジュの存在など歯牙にも掛けていないので、慌てて止めるようなこともしない。
ただ、りゅうこつ座のセルリアンを倒したことにだけは、一定の驚きを覚えているようだ。
「しかし、コイツは倒せないものと思っていたがな。死に体の動物園にも、骨のある奴らがいたということか」
ポツリとそう言い残し、それっきりに怪人は姿を消した。
突然現れた理由も、忽然と消えた理由も分からない、謎に包まれたほんの一瞬の出来事。
霹靂の後には平穏が待っている。
耳を劈いた音の記憶と、稲妻に貫かれた樹が残るのみ。
雲を振り切った月が、眠る少年の横顔を照らした。
……ふと思い出したように、クオはソウジュを背に負って、彼を休ませられる場所に向かい始めた。
「えっと、あっちだったよね…?」
草を揺らして、静かに歩いていく。
すっかり力を失った熱を背中に感じている。
何も出来ないまま、過ぎ去ってしまった理不尽の姿を思い出す。
「―――許せない」
誰にも聞こえない、怨嗟に満ちた言葉。
「でも」
一転、クオは涙を流した。
「いつ、何が起きてもソウジュを守れるくらい、強くなれたら…」
もしもクオが、今よりも遥かに大きな力を手に入れたならば。
ソウジュはきっと、クオから離れることが出来なくなってしまうだろう。
「―――そうだよね?」
背に負ったソウジュの頬を指でなぞり、クオは微笑む。その瞳は慈愛に満ちているようで、真っ黒な妄執に取り憑かれているようにも見えて。ゆっくりと吊り上がった口角の形も、ほんのりと紅葉色に染まった頬も、月明かりの所為ではない影が掛かったように昏かった。
身体を震えさせて、背に負った少年が苦痛に呻く。
真っ白になった、ソウジュの左手の薬指を寂しそうに撫でて、ぎゅっと強く指を絡ませて手を握る。こうすれば、氷のように冷たい風に悴んでしまった彼の手も、溶かしてあげられる筈だから。
「ねぇ、ソウジュ…」
最寄りの建物に着いたクオは、ベッドにソウジュの身体を寝かせて、未だ目を覚まさない彼にそっと口づけをする。
つぎはぜったい、まもってあげるからね。
彼女の口がそう動いて、上気した頬は真円の中に朱。
「……えへへ♥」
こうして夜が明けるまで、パークセントラルは眠らなかった。
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