第九十一節 聖域再構築

 月下の灯篭、二本の刃が火花を散らす。

 城の青い屋根の上で、二つの影が二の足を踏む。


 ロウエは進めない、決め手にあぐねて。


 ”彼女”は進まない、機を見計らって。


「ふぅ……せいっ!」

「くっ…!」


 ロウエは力を込めた一閃で相手の手首を弾き、追撃の止んだ隙にバックステップをして刃の届く範囲から逃れた。それに倣った”彼女”も絶え間ない剣戟に息を吐き、お互いに距離を取ってしまえば一旦の仕切り直し。


「……へへ、案外やりおるやないの」


 ロウエは口角を歪ませる。


「けど、ウチの力はこんなもんやあらへんっ!」


 銀色の片手剣も、形を歪ませ始める。



「『千変万化ダンタリオン』ッ、叩き壊すでぇッッ!」



 姿を見せるは巨人の鉄槌。

 

 豪傑を思わせる巨大なフォルムはそれだけで見る者を圧倒し、巻き起こす衝撃波は戦いの趨勢すうせいさえも一陣の風として一笑に付す。


「下らん、そのような独活の大木など」

「ええんか、あんまりバカにしてると後で恥ずかしいで?」


 ロウエが笑う。

 巨大な武器を肩に担いで挑発する様はとても恐ろしい。


 だが、”彼女”は全く怯まない。


「笑止、真の力とは何たるかを見せてやろう」


 月明かりの影の根元、”彼女”の足元から滲み出てくる暗黒。


 底知れぬ深淵を想起させる無彩色の内側から、三日月のように光る円弧の刃を携えて現れたモノクロームの大鎌が、すっぽりとその大きな手に収まる。


 ガツンッ!


 柄を瓦に突いた音が響く。

 天辺で休もうとしていた鳥が、驚いて飛び去って行く。


「三日月とは欠けた月。即ちそれは欠けた輝き」


 鎌を傾け、鋭い太刀筋でロウエの首を狙い澄ます。


「……即ち、次の瞬間の貴様の姿だ」

 

 冷徹な声と見えない斬撃。

 そうして袈裟懸けにされたロウエが、苦痛の声を漏らした。


「うぅっ!?」

「ロウエ…」

「ダメや、来たらあかんっ!」


 形勢の不利を確かめてエルは助けに出ようとするも、ロウエの切実な叫び声に彼女は足を止めた。一寸、間をおいて手元に目を向け、エルは自分の指が震えていることに気付いた。


 けれど彼女の目に不安は無い。

 計算の結果を以て、未来を見極めるだけ。


 ロウエの輝きは潰えていないと、エルはそう確信していた。


「コイツの相手は、ウチだけで十分やよ…!」

「何人で掛かってこようと変わらん。尤も、そこのには何も出来なさそうだがな」


 尚も動かないエルを見て、”彼女”は侮辱の言葉を投げた。


 それは単に、戦いにはまったく手を出さず、かといって無力さに打ちひしがれる様子もなく……ただ淡々と顛末を見守り続けるエルの姿を、”彼女”が煩わしく思った為だ。


 そして、挑発の意味も込めて放った言葉には、エルに対しては思う様な効果も無かった。


 ”彼女”はエルから目を離し、ロウエが振るった巨大なハンマーを、持ち手の根元に鎌の刃を引っ掛けて押し留めた。


 意外に重いロウエの一撃に、思わず感嘆を呟く。


「……ほう」

「エルちゃんのこと、バカにせえへんといてや…ッ!」


 怒りの炎が、草色の瞳の中で激しく燃え盛っていた。


「エルちゃんはなぁ、ウチより何十倍もすごいんやっ!」


 二人の懐の中でハンマーは再び形を変える。ロウエの殺意を如実に表すような円い、それでいて刺々しい金属の腕が背中へと伸びていく。背後から迫る攻撃に気づいた”彼女”は逃れようと身を滑らせるが……。


 ドギャァッ!


 ロウエは武器を投げ捨て、腹に膝をめり込ませた。

 ”彼女”はよろめきながらも体勢を直し、フードの下で睨みを利かせる。


「くっ……やはり『星の輝き』、侮れない力か」

「なんや、今更気づいたんか?」

「…勘違いをするなよ」


 黒い脚で瓦を踏み砕き、目晦ましのように蹴り飛ばして時間を稼ぐ。


を持っているのが、お前たちだけとは思わないことだ」


 破片を振り払ったロウエが”彼女”の姿を視界に再び捉えなおした時、輝かしい光を放つ一枚の石板が、星さえ呑み込む漆黒の中に包み込まれていた。


 底冷えするような触手が、石を砕くように入り込む。


「『再現Reproduction羅針盤Pyxis』」


 威圧感が風に乗って、鼻腔を衝く。


「……っ!」


 熱く心臓に掴みかかる恐怖心を呑み込んで、ロウエは捨てた武器を拾いブーメランの形に加工する。得体の知れない覇気を纏い始めた”彼女”に対して、無意識のうちに接近を避ける選択を採ったのだ。


 フチの鋭いブーメラン、握るだけで皮膚を切り、血が滲んでしまう。

 

 その痛みに耐え、大きく振りかぶって投擲すれば、矩形の月は夜闇を縫うように飛んで行く。


 コントロールは抜群で、ロウエは必ず命中すると確信していた。


「……あ」


 エルが、目を見開いて声を飛ばした。


「無駄だ」

「…えぇっ?」


 ブーメランは当たらなかった。


 ”彼女”が腕を天に振るうと、何の前兆もなく上方向に逸れてしまったのだ。


 それでも飛行運動を続けるブーメランは与えられたエネルギーの限界まで天頂を目指し、やがて重力に従って屋根の瓦に突き刺さる。


 乾いた破砕音が水を打ったような静寂を呼ぶ。


 単刀直入に言って、異常な現象が起こっていた。


「それが、『羅針盤』の力ってやつなんか…?」

「いいや、これは我々の力だ」

「……うっ!?」


 ”彼女”が勢いよく腕を突き出すと、何もない空間から衝撃波が吹き荒れてロウエの身体を投げ飛ばす。


 身動ぎも儘ならぬ勢いに墜落を覚悟したロウエだったが、ストンと、両の腕を広げて、彼女の背中を支える者がいた。


「エルちゃん…!?」


 誰も気づかぬ間に、戦場に舞い降りていた金眼の少女。

 エルはぎこちない表情筋で微笑みを浮かべ、ロウエの隣へと並び立った。


 静かに、それでいて確かな意志のある声でエルは言う。


「ロウエ、ここからは一緒に…」

「あかんっ、ウチに任せときやっ!」


 悲痛な声が、差し伸べられた手を弾く。


 ロウエは強引に背中を押して、部屋の方へとエルを押し戻す。

 エルもそれに負けじと、ロウエの方へと真っ直ぐに目を合わせて言い返す。


「護られているだけでは、務めを果たすことが出来ません」

「だけどエルちゃん、エルちゃんの能力ちからは……」


 曲がらないエルの意思に、ロウエの視線が逸れる。

 も、エル自身が崩してしまった。


 もうこれ以上は、止められない。 

 そう思えばこそ、手から力は抜けていく。

 天秤に力を込め、とうとう動くかに見えたその時。



 ―――痺れを切らした”彼女”も、共に動き始めた。



「無駄話はそこまでだ。もう終わりにしよう」

「いいえ、まだ終わりませんよ」



 金色の目に、星空のような輝きが渦巻く。



『System Reset "Refactoring"

 Start Checking Status...』


「っ、エルちゃん…」



 輝く瞳を見て、ロウエは全てを察した。


 何も音を発することなく、エルの頭の中だけで処理は進んでいく。


 ただならぬ雰囲気に、”彼女”さえも手を止めて、事の行く末を静観し始めていた。



『Basis ...Clear

 Perception ...Clear

 Analysis ...Clear

 Getting ...Clear

 Conversion ...Clear


 Connect KemonoPlasm to Body...


 ...Λιβρα, Place on the Scales.

 Ready for Refactoring.

 

 ...Warning.

 This system may cause fatal injury to you.

Will you execute it?


 ......"Y".


 ...Completely Confirmed.

 System ALL Green.』



「『聖域再構築サンクチュア=リ=ファクタリング......Execute実行』」



 二人が別れた日から、数百年の時が過ぎて。


 また巡り逢い、共に戦禍に身を投げ込んで。


 あゝ、驚くことなかれ。



 ―――天秤は再び、傾けられた。




§




「―――、『空間跳躍』」


 ロウエから槍を受け取って、エルは足を踏み出した。


 『圧縮』という名の付く通り、まるで縮地を使ったかのようにエルの身体は素早く変位し、嘘偽りなく瞬く間に相手の眼前へと迫っている。


 二人の視線が交錯し、それを遮るは暗闇。


「面白い。ここまでの力を持つ存在が、こんな場所に残っていたとはな」


 体内から創り出した真っ黒な刀を構え、”彼女”もエルを迎え撃つ。


 腕の中で苦しむように輝く石板。

 数分前のことを思い出し、ロウエの顔が強張った。


「だが、その程度で…」

「―――、『ベクトル変転』」

「貴様…ッ!」


 間隙の中空を槍が押し通る。槍を持つ身体ごと押し退けようとした羅針盤の衝撃波は、エルの『再構築』によってその方向を変えられてしまって、すべてが元の木阿弥に。


 突き刺された肩を修復して、じりじりと後退る。

 苦虫を噛み潰したような唸り声が、”彼女”の喉を震わした。


 その間にロウエが駆け寄ってきて、ぺたぺたとエルの身体を触り始めた。


 拙い触診のあと、まだ副作用は出ていないと知ると胸を撫で下ろして、それでもエルを憂う気持ちに変わりはない。


「エルちゃん、やっぱり力の使いすぎはよくないわ。ウチも手伝うから、ちゃんと身体を大事にしてな?」

「……」


 言葉を発さず、エルは頷く。

 ひとまず不安を、ロウエは飲み込んだ。


 今は、目の前の襲撃者を倒さなければならないのだから。


「『千変万化ダンタリオン』、正念場やで…!」

「―――、『倍作用』」

「えぇっ!?」


 『使いすぎはよくない』と言った直後なのに。

 迷いなく能力を使うエルを見て、ロウエは驚愕した。


「妖しげな技を…小賢しい。だが構わん、我らが軍勢で押し潰してくれる」


 ”彼女は”、何かを喚びだそうとセルリウムを集め始めた。

 ”止めなければならない”と二人は悟り、ロウエが全力で走り出す。


「エルちゃん、次や…!」

「―――、『座標改変』」


 エルはロウエの居場所を書き換え、”彼女”の近くに配置した。


 召喚を止めるべく、ロウエが全力の斬撃を振るう。


「届かせはしない」

「しまっ…」

「出てこい。あの目障りな天秤の星を食らい尽くせ」


 だが一歩及ばず、飛来した刃が柄を弾く。


 そして触腕の先から実が垂れて、中から化け物が現れた。

 禍々しい見た目をした、鋭利な殺意を持ったセルリアン。


 かつてヒトはそれを、『ハンターセル』と名付けていた。


 加えて、”彼女”の一言。


 厄介な能力を使うエルが目的だと悟ったロウエは、彼らの進路に立ち、巨大な大剣で道を塞いだ。


「エルちゃんのとこには行かせへん…!」

「殊勝だな。我ら全員を相手取る気か?」

「そんなん楽勝やよ」

「……見込みが甘いな」


 背中から伸びる無数の触腕。

 それだけできっと察しただろう。


 その全てから、無数のハンターセルが産み落とされた。


「げっ、こんなに…?」

「まさか、一体だけだと思ったのか?」


 屋根に蠢く悪夢の群れに、ロウエは思わず口を押さえる。



「好きなだけ暴れてこい、ここは我々の城となるのだ」



 このセントラルで、蹂躙が始まってしまうのか。


 ロウエがそう思った次の瞬間のこと。



「―――、『異物排除』」



 背後より降り注ぐ流星群が、ハンターセルの群れを消し去った。


 エルの言葉通り、処理をするかのように淡々と。


 悪夢は一瞬で、泡のように消え去った。



「何体出そうと、全て消し去るだけです」

「せ、せやっ! ウチらの敵やあらへんで!」

「…ロウエ」


 静かな口調に咎められていると勘違いして、ロウエは平謝りを始めた。


「ご、ごめんっ! エルちゃんのおかげなのに、調子乗ってもうた…」

「いいえ、そうではなくて」


 ツー、カー。


「…そっか、わかったで」


 言葉なく、二人は通じ合う。

 終わりは近いと、ロウエは知った。


「ウチが、どーんと決めたる」



 エルの力を無駄にはしまいと、ひと際強く目を輝かせた。



「―――、『星辰調律』」


「ウチらの本気、味わいなっ!」



 天秤座の星が牡牛座の全身を包み込む。


 暖かい輝きは、セルリアンにとっては苛烈で。


 大剣は恒星の熱を持って天誅を振り落とす。



 ―――二人の星が、ついに勝ったかに見えた。



「……な」


 肉を切らせて。

 骨も切らせて。


 だが、胴体には紙一重、刃は届いていなかった。


「確かに、堪えたが………ふんっ!」

「くぅっ!?」

「我々の域には、及ばない」


 羅針盤で全て吹き飛ばした”彼女”は、肩で息をしてエルたちを睨みつける。


「ロウエ…!」

「…まだ、足りないんか?」


 それでも、攻撃を続ければ。

 続け、ば。


 ……破片を衝いた、エルの膝。


「え、エルちゃん…」

「ソイツもそろそろ限界なのだろう。だからこそ、ここで畳みかけるべく攻勢を掛けてきた。違うか?」


 金色の瞳から輝きは失われていた。



「誇るといい。我々に、ここまでの力を出させたのだから」



 戦えるのは、もうロウエだけだ。



「ああ、残念だな」



 八方塞がりが、形を持って二人を囲い込む。


 それは、すぐそこまで近づいている。


 触腕がエルを狙って、ロウエが庇うように腕を伸ばす。


 鋭い針が、狙っている。



 ……残念に思う必要はない。



「それでも、我々の勝利という結果は決して変わらない」



 しかと目をやれば、すぐそこにいる。



「――そこで、アタシの出番ってわけ!」

「っ!?」



 ”彼女”を狙う三人目の存在が、頸筋に針を突きつけているのだから。



「あれは…」

「…はえ?」

「貴様、一体どこから…!?」



 驚く三人を交互に眺め、ひらひらと手を振ってご挨拶。



「ハロー! …じゃなくて、夜はなんだったかしら」


 ”Good Evening”とかだろうか。

 別に"Hello"でもそこまで問題はないと聞くが。


 この戦戦兢兢とした、一触即発の空気に比べれば大したことではないだろう。


「どうして、サンカイに住んでいる筈の貴様が…」


 歯軋り、突如起きた番狂わせへの怒り。

 射殺すような視線にくふふと笑って、綽々と彼女は語る。


「だって、パークセントラル目当てで愛弟子リカオンの里帰りに付いてきたら、お城で面白そうなことやってるんだもの。アタシほどの存在なら、ついつい遊びに来たくなるもんじゃない?」


「知るか…!」


「そう、別にどうでもいいけど」


 もっと大切なのは。

 今、この状況。


「それはさておき……これって、アタシの王手ってことで構わないのかしら?」


 歯を見せてニタリと笑い、タレスはそう、厭らしく囁いたのだった。

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