第八十九節 何処までも深い、骨の腐海
大きな槌で、リン酸カルシウムに罅を入れる音。
ケーキスポンジを崩すように、家を踏み潰す竜の足音。
名もなき雑草を地面ごと抉り取る、空っぽの咆哮。
……声なき声は声に非ず、声ある声も静寂に帰す。
そんな惨憺たる戦場の様子を俯瞰しながら、狐の特徴を身に着けた僕は、竜の背骨を全速力で駆け上っているのだった。
間もなくして着いた中ほどの、踊り場のような骨盤の上で足を休めて、目当ての物があるのかどうか周囲を見渡し確かめる。
「コイツ、核は何処にあるんだ……?」
スカスカだ。
地上から見上げた時に分かったけど、このセルリアン。図体は大きいが、肉が付いておらずとても風通しが良い。
巨大な体を支えるためか、脚の骨だけはやや堅牢になっているものの、ぶっちゃけ胴体の密度と比べても五十歩百歩といった感じだ。
「ソウジュ~! 何か見つかった~!?」
「何もない。本当に何もないよ…ッ!」
もしもこれがゲームだったなら、骨に囲まれた中空に、まるで心臓のように結晶体が浮いていたり……或いは、高空に聳える頭蓋骨の中に核が眠っていたりするだろう。
しかしそんなものはない。
全方位360°、何処を見渡しても、視界には骨と満天の星しか映らないのだ。
本当はもう少し時間を掛けて探してみたかったが、長く体内に居座られることを厭がったのか、セルリアンは僕を振り落とそうと急旋回を始めた。
「危ないぞ、そろそろ降りてこい!」
確かに、もう引き時かな。
エゾヒグマの助言に素直に従い、僕は降りることにした。
「同調解除……で、『
途中で足を滑らしても危ないし、飛んで行こう。
夜の中ではよく目立つ純白の天衣を纏って、さらさらと、蒲公英の種のように羽を風に乗せて旅に送りながら、僕は最初の任務を終えてみんなの所へと戻って来たのだった。
「お疲れ様です、ソウジュくん」
「ありがとう、成果はなかったけどね」
「それでもですよ」
そう言って渡された、ジャパリまんとスポーツドリンク。
簡素な栄養補給を済ませて一息つくと、それを待っていたかのようにクオが現れ、グイグイと僕の腕を引いて言うのだった。
「ソウジュ、もういっかいっ!」
「えっ? …あぁ、そういうことね」
クオの意図を察し、僕は白鳥座との『同調』を解く。
そして今までと同じように手を繋いで、クオの心に目を向ける。
……やっぱり、石板よりも、ずっと暖かい輝きだ。
「『
自分に狐耳と尻尾が生えたことは、風で感じる。
周囲を流れる空気の様子が、明らかに違って感じられるんだ。
それから、僕を見るクオの視線もちょっぴり色が変わる。
「うんうん、その姿が一番似合ってるよ♪」
「そう? ありがとね」
「えへへ、おそろい~」
見ての通り、とてもご機嫌だ。
ピョコピョコと揺れる耳は僕が喋る度に飛び跳ねて、はち切れんばかりの勢いで振り続けた尻尾は、そろそろ疲れが溜まって来たのか僕の腕に巻き付けて休ませている。
セルリアンのことなど、まるで見えていないかのようだ。
「……呑気ですね」
「ふふ、固まってるよりもいいじゃないか」
その評価も分からなくはないけど……ちょっと甘すぎると思う。
とはいえ僕たちの少し前で、クオとは別の方向性で呑気な三人組が居るから、これまた何とも言い難い話なのだけれどね。
「しかし、予想以上にでっかいセルリアンだな!」
「倒すのにも苦労しそうですね…」
「その分だけ、おっきー思い出になるよね☆」
「あぁ、カムチャッカの言う通りだ!」
肩を組み、事の大きさを確かめ合って喜ぶカムチャッカとエゾヒグマ。コディアックは怠惰そうに目を逸らし、エゾヒグマはそんな彼女をも巻き込んで、三人は仲良く肩を組んでいる。
こうして見ると、そこそこ体格のいい三人組が密になっているから、割と身近な迫力があるね。
空を半端に覆っている巨大な竜のセルリアンが目の前にいるから、それと比較してしまうと、流石に閉口するしかなくなってしまうけれど。
「で、どうやってこのでっかい仕事を成し遂げようか」
「ちまちま粉砕してたらまた夜になっちゃいそー」
「ウシのフレンズの彼女が、向こうへ行ってしまったのが痛いですね」
ロウエ、何も言わなかったからなぁ。
行先はエルの所だと思うけど、早めに戻ってくる望みは薄め。
いっそずっと、戦力外としてカウントしておく方が間違いがない。
「まー、いない子はいないんだし、私たちだけで出来ることを考えようよ」
要約すれば、ヒグマの言葉そのまま。
とはいえ、過剰戦力が居なくなっただけだね。
「じ~…」
「…コディアックさん、どうしたのかな」
「キミ、さっきの変身はどんな風に?」
「それは、この石板から力を借りてるんだけど…」
力を使い切った海蛇座の石板をコディアックに見せる。
それを手に取ってまじまじと観察しながら、彼女は先程の質問の意図を話した。
「鳥になって空を飛んだり、キツネになって跳び回ったり。だったら他にも、あの骨のセルリアンによく効く力があってもおかしくない」
順当に、理には適っている。
具体的にどの石板がとは思いつかないけど。
そうそう悪い考えではないように僕は思ったけど、エゾヒグマは驚いたように反対の言葉を口にした。
「ま、任せてしまうのか!? 俺たちにもまだたくさん、出来ることは残されているはずだぞッ!」
「ええ、そうですね。でも…」
言葉を切り、コディアックは遥か上空、竜の頭蓋骨を指差す。
「このセルリアンにトドメを刺すならせめて、あそこに辿り着けなきゃ厳しいと思うんです……」
指の方向は地面にほぼ垂直。
距離は凡そ平屋の建物を5つほど重ねたくらい。
まあ、空を飛べないと行けないよね。
「くっ、言われてみれば…!」
「さすが、超巨大なセルリアン☆」
「……嘘が真実になって良かったですね?」
「まーね、こういう勘は鋭いんだよ」
何やら裏のありそうな会話を交わしている2人は置いといて……さて、どの星座が役に立とうものか。
しばらく話し合っていた『L♡Lベアーズ』の三人も、彼女たち自身であの竜を倒すことは諦めてしまったようだ。
話し合いの結果を伝えに、コディアックがこちらにやって来た。
「というわけです。ソウジュさん、方法はありますか」
「一応、候補は頭の中にあるけど…」
「じゃあ、それで十分です。安心してください。私たちだって、キミに全ての重荷を背負わせてしまうつもりはありません」
その言葉に、キンシコウが反応した。
「コディアックさん、考えがあるんですか?」
「手が届かないなら、落ちてきてもらえばいいんです」
抽象的な言葉に首を傾げる僕たち。
しかし、真っ先にヒグマがその意図を理解した。
「なるほど、脚を壊しちゃおうってわけだ」
「あっ、それなら飛ぶ必要はありませんね」
「……でっかい仕事も、少しずつ」
「そういうことだな、俺は良い考えだと思うぞ!」
「ボクりんも賛成☆」
みんな、コディアックの提案に乗り気みたいだ。
「よし、じゃあそうしよう」
こうして、対竜型セルリアンの行動指針が決定された。
次は、具体的にどんな作戦を執るかを決めよう。
「どうする、分担してやる?」
「俺は一つずつ確実にこなしていきたいな」
「そうですね、脚の固さが分かりませんから」
ヒグマがペイントボールを竜の右足に投げてマーキング。
最初はアレを狙うつもりみたい。
「……っと、向こうもそろそろ動き始めたようだぞ」
エゾヒグマの一言に、全員の顔が引き締まる。
不自然な風の流れで、まるで上から圧し付けられるように揺れ始めた雑草。
何となく雨の匂いがしたような気がして空を見上げると、僕の真上からそれは降り注ぎ始めていた。
情緒なく頭にぶち当たる。
「……いてっ!?」
「ソウジュ!? なにが起きて…わぁっ!?」
「おろろ~?」
間もなくクオも餌食になった。
蹲る足元に転がって来た骨片を手に取って、頭の中で因果が繋がった。
思わず叫んでしまう。
「まさか、骨の雨―――ッ!?」
恐る恐る視線を上げると、空を埋め尽くすような骨片の数々。
爪で自分の身体を削って、竜がそれを生み落としていたのだ。
「まずい、一旦建物に逃げ込んで…」
「いけません、建物ごと踏みつぶされますっ!」
踏みつぶされた家屋を指差してキンシコウが静止する。
えげつない惨状を改め確かめ、ヒグマは頭を抱えた。
クオが僕の手を引っ張って、禁じ手を使うように囁く。
「ねぇ、言霊を使おうよ?」
「ううん、雨が止むまで持つか…」
「いいよっ、クオが頑張るからっ!」
クオはそう言った、だけど。
無尽蔵に思えるクオの妖力も、これが終わるまで保つのかな…?
「ほら、ソウジュ!」
「……分かった」
でも今は、それ以外に有効な方法がない。
「みんな、近くに集まってっ!」
僕ら全員に覆いかぶさる、半球状の結界をイメージして。
深呼吸で肺を汚して、僕は叫んだ。
「お願い。この雨から、『護って』……ッ!」
光のカーテンが僕らを覆い隠す。
当たった骨の粒が音を立てて跳ね飛ばされる。
やっぱり言霊って便利だなあ。
その分だけ、妖力の消費が凄まじく多いんだけど……。
「クオ、平気?」
「まだまだ、あと半日はいけるよっ!」
半日かあ。
結構長いね。
もちろん、全部使い切る気は無いけど。
「今のうちに、この苦境を乗り切る方法を出さないといけませんね」
しとしと降り続け、周囲に溜まり続ける骨たち。
その骨溜まりはまるで海のようで、この景色は腐り切った不毛の大地だ。
顔を顰めて、エゾヒグマが状況を分析する。
「アイツ、身を削って雨を降らせてるのか?」
「だとしたら、必ず終わりが来るってことですね」
「でもあの子おっきいよ? ボクりんたちそれまで待てる?」
カムチャッカの問いに、エゾヒグマは大きく首を振った。
「……いや、相手のガス欠待ちなどでっかくないっ!」
「だよね、正面突破で粉砕しなきゃ☆」
「本当に、この二人は…」
「ハハ、心意気や良しだ」
雰囲気は悪くない、力も合わせられる。
最後に押し切るために、爆発力さえ用意できれば。
一つだけ、思いついた最高の力押し。
「使うなら……コイツかな」
オリオンの石板を握りしめて、吐く息を袖に忍ばせた。
雨は、どうにも止みそうになかった。
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