第八十四節 シンメトリーな調停者

 お城の中に入ったクオと僕は、それまでに引き続きロウエの案内に付き従って『エルちゃん』がいるであろう場所へと向かう。


 どこまでも続くかのように見えた廊下は、明かりが消えている所為。

 相変わらず暗くて狭い場所が苦手なクオも、敢えて気にしていないてい

 つまり、強がっちゃってる系。


 ……おほん。


 とにかくお城の中でも、それまでとやることは変わりなかった。

 強いて言うなら、セルリアンへの警戒が薄くなったくらいだろうか。


「にしても暗いね、電気が通ってないのかな?」

「そうかもしれへんなぁ」

「うぅ、やだよぉ…」


 僕にくっついたクオは全身を震わせて歩けない。どうしてこのタイミングでと背後を振り返ると、入り口の扉の姿も暗闇に呑み込まれてしまっていた。


 仕方なく、迷宮で拾った松明に爪先で火を灯す。

 ポッと赤く、ほっぺたのように手元が染まる。


「どう、明るくなったでしょ?」

「うん、ありがと…」


 揺らめく炎に、眼差しは釘付け。

 腕を絡めて身体を寄せて、漸く落ち着いた様子だ。


 僕らのやり取りが終わるのを待っていたかのように、ロウエが呟く。


「……お熱いのう」

「えっ?」

「あぁ、その火のことやよ」


 廊下によく響く声で、彼女は白々しい言い訳を紡ぐ。

 そんなに離れたところまで、この小さな炎の熱が届くわけないだろうに。

 でもまあ、ロウエからは見えちゃってるってことなのかな?


 ……へへっ。


「ロウエ、明るいところはまだ?」

「ちょいと辛抱してな。窓のある廊下なら月明かりが入るはずやから」


 そこまで彼女はフォローして、『後は任せた』と僕に丸投げ。

 彼女は空を指でなぞって道を思い出しながら、ぽつぽつと独り言を零し始める。


「―――どうせ道は知ってるから、明かりなんて要らないと思ったんやろか。エルちゃん、必要ないと思ったところは容赦なく削っていくからなぁ」


 しばらくやって行く道が決まったか、ロウエは腕を下ろした。

 手招きをして歩き始めるので、僕たちもそれについていく。

 

「エルちゃんのお部屋は、この高いお城の最上階や」

「あぁ、昇り階段を想像するだけで憂鬱になるね」

「せやろな。せやから、一瞬で上に行くやよ」


 なるほど、ロウエの力を使って……。


「…ん?」


 一瞬、背筋に寒気が走った。

 ごく最近、同じような言葉の直後に散々な目に遭った記憶がある。


 あぁ、白くて九本の尻尾があるキツネの姿がまぶたの裏に浮かんでくる……。


「…ってイタッ!?」

「ソウジュ、いま変なこと考えてたでしょ?」

「へ、へへ変なことなんて全然だよ…!」

「……ふーん」


 疑わしそうな目で僕を見ながら、クオは何も言わない。


 ……それよりも、”変なこと”って。

 どちらかと言えばクオの様子の方が……うん、何でもないや。

 というか、つねり方が本気だったよ。二の腕がすごく痛いもん。


 クオったら、いつの間にここまで勘が鋭くなっちゃったんだろう?

 キュウビはクオの中にいるから、無意識のうちに何かを感じているのかもしれない。


「おお、修羅場は終わったか?」

「別に、そういうのじゃないから」

「せやな、本物はもっと怖いでぇ~」


 けれど、それだけじゃ説明できない雰囲気を感じた。

 最近からかな、クオの様子が変わりつつある。


 ……見た目は、ずっと変わらず可愛いんだけどね。


「…ロウエは、そういう経験があるの?」

「ううん、本で読んだだけやよ」


 まあ。そっか。

 フレンズは女の子だけだし、起こりようがないよね。


「っと、せやった。上に行くから、二人ともウチに捕まるんやで」


 そう言って腕を差し出すので、僕はロウエの手首を掴む。するとクオは厭そうに顔をしかめて、ロウエは若干やりにくそうに笑った。


「クオちゃんごめんな? ほんのちょっとの辛抱やから」

「……別に、これくらい平気だもん」

「ええなぁ、健気やのお…」


 クオは力を込めて僕の手を握る。ロウエじゃなくて大丈夫なのかと心配になるけど、何も言わないから特に問題は無いのだろう。僕の手首が痛いこと以外、何も。


 やがて、出立を告げる声が響いた。


「ほな行くで、『千変万化ダンタリオン』ッ!」


 瞬間、床がせり上がり、廊下が闇に消え去った。




§




 視界の急変からおよそ数十秒。

 押し付けるような重力から解放された僕が周囲に目をやると、そこは淡い月明かりの差し込む通路の真ん中だった。


「ほいほいっと、着いたで」

「…やっぱり無理やりじゃないか」

「ハハ、でもこっちの方が手っ取り早いやろ?」


 白黒のチェック模様が床の上で白んで輝き、お伽噺のような形の窓から見える外の世界はまるで不思議の国だった。ここは空高く、地上の喧騒はミニチュアで、手を伸ばしてもチェスのコマのように動かすことは出来ない。


 振り返ると、窓の正反対には両開きの大きな扉。

 ロウエがしみじみと感慨を口にした。


「ここがエルちゃんの部屋や。懐かしいなぁ」

「……」


 この先に、いるんだね。


「おっとっと、時間がないんやったな。さっさと入ろか」


 目配せをされ、僕がドアノブに手を掛ける。

 息を吐くと、肺が空っぽになった。

 この一日で起きた出来事が多すぎて、思い返すと指が震える。



 ……それにまだ、終わってないんだよな。



「開けるよ」


 例え息詰まっても、振り返る時は今ではない。

 半ば自分に言い聞かせるように呟いて、僕はゆっくりと扉を引いた。



「―――エルちゃん、おるか?」



 両側の空気が繋がると共に、ロウエが放った第一声。

 文字通り旧友に語り掛ける、遠慮がちで優しい声色だった。

 


「………ロウエ?」



 続く声は、扉の向こうの少女が放った。


 僕たちが部屋に入ったとき、少女は大きな窓から外を眺めていた。

 床まで届きそうなほどの長い金髪を揺らめかせて振り返り、少女は感情の抜けた金色の瞳でこちらを見つめた。


 そして、ついに口を開いた。


「一致率、12%」

「…えっ?」


 少女はクオを見てそう言った。

 戸惑っている間に、視線は僕の方を向く。


「一致率、9%」


 よく分からないが、数値が下がっている。

 何もかもが意味不明なまま、最後にロウエへ視線が向かう。


 そして彼女を見つめ、ビクンと跳ねて身体を少し硬直させたかと思うと、目を見開いて少女は言った。



「一致率、99.9%。久しぶりですね、ロウエ」

「その風情のない感じ、全然変わっとらんな。久しぶりやね、エルちゃん」



 ロウエはエルの肩を叩く。


 短い時間を過ごし、それが彼女の手癖であると僕は理解した。


 特に、深い親しみを込めての仕草であると。



「改めて紹介すると、この子がエルちゃんや。このお城の中で、パークを上手く回すための色々なお仕事をしとるんやよ」


「初めまして。ズベン=エル=ゲヌビと申します。ロウエと同じように、どうぞエルとお呼びください」


 エルは優雅に深々と一礼し、スカートを摘み持ち上げた。


 よく整った左右対称の白いドレスを着て――左右対称の服など大して珍しくないが、それが良く印象に残った――ただ立っている彼女は、それだけで芸術品のような美しさだった。


 両耳に付けた丸いピアスが光る。

 静かに平行に首を回して、彼女はロウエに話しかけた。


「ロウエ、迷宮の鏡型セルリアンはどうなったのですか?」

「時間が経って弱ってたみたいでな、この子たちがやっつけてくれたんよ」

「…そうとは思えない強さだったけどね」


 ミラーセルの強さを思い出して、僕は辟易してしまった。

 エルが頷き、抑揚を感じさせない声でその根拠を語る。


「計算によると、鏡型セルリアンの活動能力の半減期はおよそ150年と推定されています。ロウエが封印を始めてからおよそ100年ほどですから、減衰の下がり幅は40%ほどを上限とするでしょう」



 ―――要約すれば、半分くらいの力は残っていたとのこと。



「…ま、この子たちもすごいってだけやね」

(ほとんどキュウビのおかげなんだけどな…)


 やはり、ミラーセルの件で褒められると妙な気分になるよ。

 事実を口に出来ないことが、より一層僕をモヤモヤさせるんだ。


 だからいつか必ず、褒め言葉に見合うくらい強くならないとね。


 今度こそクオを、守り切れるように。


「ま、それはええわ。それよりエルちゃん、緊急事態なんや」

「把握しています。現在ラッキービーストをフレンズの避難誘導へと従事させ、戦闘を得意とするフレンズに応援要請を出しています、そして……」


 その先も淀みなく、取った対応の内容を列挙していく。


 内容もまさに十二分と言えるもので、前評判の通りに仕事は早い様子だった。

 言うのが早すぎて、半分くらい何をしたのか理解できなかったけど。


「それは良かったわ。で、セルリアンが出てきた原因は分かっとるの?」


 エルの対応は良好と判断し、ロウエが核心に切り込んだ。


 いくら対症療法が上手く行ったとしても、根本の原因を優先して取り除けなければ解決は程遠く、この大混乱の中で最も手に入れ難い情報である。


 そして、その真偽が最も致命的な情報だ。


 だから、しばしエルは悩んでいた。

 そして注釈をつけて、伝えることにしたようだ。


「まだ、真正性の確認が取れていない情報ですが」

「ええで、言ってみ?」



「―――この付近に、セルリアンを付き従えている何者かが存在します」



 ……エルの言葉は、脳漿にするりと入り込んできた。

 単にそれは、僕の考えを補強するような情報だったからだ。


 もしも真実なら、やはりセルリアンには統率者が居たことになる。



「恐らく、ここを標的とした侵攻でしょう」

「それって、つまり…」

「『女王事件』の再来である可能性は、十分に考えられます」



 ―――女王、事件?



「……ねぇソウジュ、あの二人なに言ってるの?」

「…過去に、僕たちの知らない騒動があったんだろうね」



 でも待って、これにも聞き覚えがある。


 例によってキュウビの発言だ。


 明確に僕に向かって言っていた訳ではないから記憶が曖昧だけど、『忌々しい女王』と、小さな声でそう呟いていたと思う。



 かつて彼女も、その事件に関わっていたのだろうか……。



「もし対象がフレンズに牙を剥くなら、直々に対処する予定でしたが…」

「その心配はいらん。ウチらがなんとかする」


 ロウエの力強い宣言に僕たちは頷いた。


「現時点の最重要事項はセルリアンの掃討です。皆さん、頼めますか」


 断る理由なんて無い。

 だって、そのために来たんだ。


「おう、任せとき」

「もちろん、僕も手伝うよ」

「ええっと…やっつければいいんだよねっ!」


 三者三様の言葉で、しかし中身は変わらない。


「では、作戦の内容を説明します」


 セントラルの危機を救うため、まずは城の頂上に一つ。

 集まった大きな力が振るわれる時は近い。

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