伍の章 今こそ天秤を傾ける時

第八十二節 いざ、戦場たるその場所へ

「キンシコウ。準備は出来たね?」

「はい、いつでも行けます」


 ヒグマの問いに、キンシコウがハッキリと返事をする。

 自慢の如意棒を磨き終わった彼女は、石突を床に当てて大きな音を立てた。

 戦いの準備はほぼ出来上がっており、後は戦場たるパークセントラルへと向かうだけ。


 壁に立て掛けたハンマーを机に載せて、ヒグマは首を捻った。


「にしても唐突だねー。パークセントラルでセルリアンの大量発生だなんて」

「セルリアンなんて、いつもこんな風に前触れもなく出てきますよ?」

「知ってるよ、これでも長い付き合いだからね。だけど、今回は妙な感じがするんだ」


 暇そうに机を指でなぞりながら、時折隣の椅子に座らせたラッキービーストの様子を確かめるヒグマ。


 この緊迫した状況下にそぐわぬ非常に悠長とした振る舞いだが、キンシコウがそれを咎めるようなことはない。それどころか彼女さえも反対側の隣に腰掛けて、ヒグマに話の続きを求める。


「それは、勘ですか?」

「まあね。もしかしたら、一筋縄じゃいかないかもしれない」


 クルクルと、机の上でハンマーを回して、言葉とは裏腹に楽観的な調子である。


「ま、だけど私はサイキョーだから関係ないね。セルリアンは全部ぶっとばしてやるよ」


 にこやかな台詞には、確かな実力の裏打ちがある。

 ヒグマの不穏な言い回しに不安を感じていたキンシコウもこれには微笑み、唐突に鳴り響いた電子音に驚いて目を丸くした。


「ヒグマ、来たようです」

「…お、繋がった?」


 音の主はラッキービースト。

 カランコロンと、これは通話の着信音だ。


 今日に起こった大量発生は、ラッキービーストとフレンズが直接会話をするのを許可されるほど、重大な事件ということである。


 ……話を戻して。


 ヒグマがラッキービーストの頭を軽く叩くと、向こう側の音声が流れ始める。

 自警団の建物に響き渡る、底抜けに陽気な声。


『やっほー♪ ボクりんに何かご用?』

「もしもし。あのね、手を貸してほしいことがあるんだ」


 通話に出てきた彼女の名前はカムチャッカオオヒグマ。

 ”おっきーもの”をリスペクトするクマ集団『L♡Lベアーズ』の一員であり、最近はセントラルから少し離れた集落跡を拠点にして活動している。


 そんな彼女はヒグマの言葉に、首を傾げる様子がハッキリと脳裏に浮かびそうな声色で疑問を返した。


『んー、セルリアンかぁ。でもヒグマちゃんってとっても強いよねー、ボクりんの助けなんて要るのー?』

「要るかもしれないよー。今度の戦いは、セルリアンが出てくる可能性があるからね」


『……え?』


 ピタリ、彼女の息が詰まる音。

 それに呼応するように、風も静寂に向いていた。

 とても静かな滑り出しで、厳かに問う。


『…いま、なんて言った?』

「超、巨大なセルリアンが出てくるんだ」

『おぉ~♪』


 カムチャッカオオヒグマはとても嬉しそうだ。


 それとは反対に、後ろで会話を聞いていたキンシコウの表情は渋い。

 半分ほど呆れの混じった声でヒグマを問い詰めた。


「なんか、騙そうとしていませんか…?」

「しー…っ!」

「…はぁ」


 ヒグマの反応を見て、先程の言い回しが確信犯であると確信したキンシコウ。

 だったらもう何も言うまいと、この詐欺まがいの協力要請の行く末を見守ることにする。


『つまり、ボクりんはそのおっきーセルリアンをリスペクト即粉砕しちゃえばいいんだね♪』

「そうそう、だから応援を頼んでもいいかな?」

『モチのロンだよ♪ 待っててね、ボクりんたちが行っちゃうぞー☆』


 その気になったカムチャッカオオヒグマとの話は早い。


 ほんの数回言葉をやり取りするだけで、今度の戦いに『L♡Lベアーズ』の面々が参加することが決まってしまった。


「よーし。何かあっても、これで少しは安心できるねー」

「大丈夫ですか? 後で恨まれても知りませんよ?」


 ラッキービーストの通信を切って、いよいよ出発しようとハンマーを携えて立ち上がったヒグマに対し、キンシコウは無駄と知りながら忠告をする。


「ハハハッ、気にしすぎだよ。『嘘から出た真』って言葉もあるでしょ~」

「…そうですね、『身から出た錆』にならないことを祈っています」


 真が出るか、錆が出るか。

 ……それとも、蛇が出てくるか。


「じゃ、行こうか~」

「…はい!」



 それは、藪をつついてみなければ分からないことである。




§




 一方その頃。



「―――何、これ」



 トンネルを通ってロウエの迷宮から外に出てきた僕たちは、パークセントラルの建物という建物を、地面という地面を覆い尽くして蔓延っているセルリアンの大群に度肝を抜かれていた。


 空にも鳥の姿を模した怪物が、水辺にも魚のような姿の異形が、我が物顔で飛び泳ぎ闊歩し、故も持たず月も観ずに叫んでいる。


 夢かと思ってつねった頬は、痛かった。


 しかし、呆然と立ち尽くしていても呑まれて喰われてしまうだけ。

 僕たちは近くにあった手頃な民家に身を隠しつつ、到底受け入れがたい外の状況について、落ち着いて頭を整理することにした。


 セルリアンの目を掻い潜り建物の中に飛び込んで、全員が揃って胸を撫で下ろす。


 震えた声で、クオが恐怖を口から漏らした。

 ロウエも首肯し、率直な感想を口にした。


「どうしよう……どうして…?」

「ありゃエグい量やったなぁ。ウチが迷宮に引きこもってる間に、地上はこんな地獄みたいな場所になっとったんか?」

「…まさか、あり得ないよ」


 記憶を頼りに、僕は断固として否定する。

 さっきの発言はやはり冗談交じりだったようで、ロウエは笑って頷いた。


「ま、そらそうやな。君らの反応を見てたら解るわ」

「少なくとも僕らが迷宮に入る時まで、セントラルがこんなことになってるなんて話は、一度も聞いたことが無かったよ」


 部屋の窓から気軽に地獄絵図を見て、自分の認識を強化した。

 こんな状況でラッキービーストが動かないはずはないし、彼らの信号を僕らだけが見逃すようなこともない。

 

 本当に突然、大量のセルリアンが現れだしたのだろう。


 奴らに対し、立ち向かう方法はあるのか。

 答えを求めてロウエを見ると、彼女も難しい表情をして唸っていた。


「うーん、難儀なものやのぉ」

「…正面突破は難しい?」

「そうやな。半分くらいなら、まだ何とかなりそうなんやけど」

「そ、それもすごいよね…っ!」


 やっぱり、ロウエもルカ達のって訳だね。


「ロウエは、どんな風に戦うの?」

「長い木の棒さえあれば、でどんな武器でも使えるで」

「ふーん、なるほどね」


 つまるところ汎用性はバッチリと。

 必要に応じて何でも出来るなら、これほど頼もしいことは無い。

 正面突破で無ければ、何かしらやりようはあるように思える。


「…何か考えがありそうな顔やな?」

「……二つ、進める道がある」


 指を立てて、僕は二人に提案をする。


「一つは、ココでこのままハンターが助けに来るのを待つこと。このレベルの騒動なら、間違いなく彼女たちが動くはずだからね」

「ま、見つからんかったら安全そうやな」


 欠点は最後まで受け身なこと。

 積極的に解決に動くなら、もう一つの道を取りたい。


「もう一つは……ロウエ、君が言う『エルちゃん』の居るところに、僕らを連れていくことって出来るかな」

「…理由を聞いてもええか?」


 もちろん頷く。

 ロウエに協力してもらえるかどうかは、僕の説明次第なのだから。


エルちゃんその子って、きっと強いんだよね? 君の話を信じるなら、君と一緒にミラーセルと戦えるくらいの実力を持っていたんだから。彼女の力を借りれば、この騒動をもっと早くに解決できるかもしれない」


「…なるほど」


 窓の外で、走り回るセルリアンの足音がしている。

 ロウエは静かに口角を上げて、前のめりになって頬杖を突いた。


「ええよ、連れて行ったる。エルちゃんの助けがあれば、何かええ方法が用意できるかもしれへんからな」

「…ありがとう」

「ただし一つだけ、条件を出させてもらうで」


 ビシッと指を突き出して、彼女は断固とした口調で言い放つ。


「エルちゃんを戦いに駆り出すことはウチが許さへん。この騒動はウチと君ら、それとハンターとかいう子たちだけで対処するんや」

「っ…!?」


 僕は驚き、逡巡する。


 彼女は本当に、この戦力だけであの大量のセルリアンを鎮圧するつもりなのかと。


 だがどれほど見つめても、ロウエの瞳は真剣だ。

 こちらが食い下がっても、この交渉が決裂して終わるだけだろう。



 ―――なら、もう他に道は無い。



「……いいよ、分かった」

「決まったな。ほな行こか」


 すくっと立ち上がったロウエが、玄関の扉を豪快に開け放った。

 ついさっき逃げ出してきたばかりの戦場に、僕らは再び身を戻す。


 ……怖いよね。

 やっぱり怖い。


 恐る恐る外に出てきたクオは、ぎゅっと僕の袖を握った。


「ソウジュ…」

「安心して、僕がついてるから」

「……えへへ」


 撫でてあげると普段通りに、屈託のない笑みがこぼれ出す。

 お先真っ暗な夜の中、儚い笑顔だけが眩しかった。

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