第八十一節 迷宮の牡牛、最深部にて

「えぇっ!? あの鏡の怪物、君らで倒しちゃったのっ!?」


 少女の声が、地下の広い空間に響き渡る。


 ”迷宮の中で暴れていた”という疑いを掛けられた僕たちは、彼女の疑念を晴らすために迷宮に入ってからの出来事を一つ一つ並び立てて説明した。その中でもミラーセルと繰り広げた攻防の内容が、少女に大きな驚きを齎したようだ。


 あまりの衝撃に仰け反った少女に向かって、何故か得意げなクオが胸を張って自慢する。


「正確には、倒したんだよ!」

「……たった一人で? 本当に?」

「うん、信じられないかもしれないけど」


 キュウビのことは話せないから、そういうことにしておく。

 我ながら中々に無理がある嘘だけれども、果たして誤魔化せるかな。


 僕は内心、溜め息をつく。


 下手に強調しても余計な疑いを生むだけだし、出方を探るためにまずは少女の様子を観察する。彼女は未だ猜疑の色を目に浮かべながらも、渋い顔をして仕方なさげに何度も首を縦に振っていた。


「だけど確かに、もうが見えない……。君が倒したと、そう判断するしかなさそうやね…」


 かすかに聞こえた彼女の意味深な発言が、僕の興味を引いた。


「迷宮の中の様子が判るの?」

「ウチの力や。この迷宮全て、ウチの手の中やよ」

「…それって」


 もしかして、ルカたちと同じように彼女も…。


「君は、いったい…?」

「ウチの名前はロウエ。この立派な角を見ての通り、ウシのフレンズやよ」


 太くて真っ白な角が目立つ渋い草色の髪の毛をかき上げて、少女はそう言った。服装はゆったりとした淡い迷彩柄のポンチョを身にまとって、足元はスラっと風通しがよく、くるぶしまでを覆っているウシ柄の靴下が可愛らしかった。


 珍しいものを見たように、目を丸くしてクオが彼女に尋ねる。


「ウシさんなの?」


「そうや。だけど、普通のウシやないよ。普通のフレンズだったら、こんな辺鄙でジメジメしてて、居心地の悪い遺跡の中に閉じ籠ったりせえへんもん」


「ぼ、ボロボロに言うね…」

「事実やもんな」


 意外にも、この建造物に対する思い入れのようなものは無いらしい。


「でも嬉しいわぁ、こんな場所とは今日限りでおさらばできるもんな」

「えっ、そうなの?」

「もう、君のおかげなんよ? 君があの鏡の怪物を倒してくれたから、ウチが必死こいてアイツを迷宮の中に閉じ込めておく必要がなくなったんや」


 ロウエは一瞬キョトンとし、次の瞬間にはニコニコと笑いながらそんなことを言い放った。彼女が背負い続けていた重荷を平然と暴露され、僕は返す言葉がない。


 しかし彼女はそんなことを気にする様子もなく、肩を叩いて労いの言葉を呟く。


「しかし、よう倒せたなぁ。ウチらが戦った時は幾ら攻撃しても全部そのまま跳ね返してきて、ぜぇんぜん太刀打ちできひんかったのに」


 肩を竦めて苦戦の思い出を語るロウエの言葉を聞き、僕は納得して頷く。

 確かに物理的な攻撃手段しか無かったら、これ以上なく厳しい相手だろう。


 僕も独力では鏡を一枚割ることがやっとだったし、体内のコアを見つけても、それを攻撃できるようになるまで様々な苦労が必要だった。


 よく倒せたなって、心底思うよ。

 ミラーセルが自ら呼び寄せた『キュウビ』という名の切り札が居なかったら、きっと勝つことは出来なかった。



 ……まあ、クオがキュウビにならなかったら倒しになんて行かなかったけどね。



 それはさておき。

 迷宮絡みのことで一つ、ロウエに確かめておきたいことがある。


「えっと…ロウエ、さんが…」

「呼び捨てでええよ」

「わかった。ロウエが、迷宮の階層をいじってたの?」

「そうやね。まあ、実際に見せた方が早いか」


 クスリと微笑み、深く息を吸ってロウエは輝き始めた。

 並々ならぬ上がり幅で、彼女のけものプラズムが活性化している。



「行くよ、『千変万化ダンタリオン』。全てをウチの意のままに」



 翡翠色に光る眼を壁に向け、腕を伸ばす。


 手を丸めて軽く指を鳴らせば、空気の振動と共鳴して壁の形が変わり始めた。揺れる水面を張り付けたように、波打つように脈動し、やがてそこから、丸い大岩が現れ転がり出てきた。


 再びロウエは指を鳴らす。

 すると今度は床が鳴動し、大岩は地面に沈んで消えてしまう。


「す、すごい…」


 これが、あの傍迷惑な変動の正体だったなんて。


「ほら、こんな風や」

「これで、ミラーセルが外に出られないようにしてたのか…」


 原理をこの目で見てみると、改めて壮観だ。

 起きた現象があまりにも不可解で、絶対に普通の手段ではないと思い続けていたけれど、ルカたちのようなフレンズだと考えれば納得できる大胆さ。


 僕が幾ら星座の力を借りても、この域に達することは不可能だろう。


 才能の差と形容するには大きすぎるかな。

 心の底から、羨ましい限りだ。


「これな、持ち物の形を自由自在に変えることが出来るっていう力なんや。この迷宮は……どれくらい前やったかなぁ? とにかく大昔にウチが見つけて、『誰もいないなら頂いたろ!』…って気持ちで貰ったものやんな」


 あ、割とノリだったんだ。


「んで、結局何にも使わんと放置しとったんやけど、あの鏡の怪物が出てきてしもうてな。どうやっても倒せへんから、外のことはエルちゃんに任せて、ウチがこの中にアイツを閉じ込めて待っとったんよ」


 ”エルちゃん”…という謎の人物のことは後で聞こう。

 ロウエの知り合い、そして”任せた”ということは、彼女も恐らく未確認種に属する強大な力を備えたフレンズに違いない。


 そう考えればこそ不可解だ。

 並外れた力を持つ二人が揃って尚倒せないミラーセルを迷宮に閉じ込めたのは良いとして、何を待っていたというのだろうか。


 まさか、『彼女たちよりも強い誰か』な訳はあるまい。


 じゃあ、いったい……?


「アイツが消える瞬間や。どんなに強い奴でもそう。エサを奪って閉じ込めてしまえば、いつかは飢えて死んでしまうやろ?」


 ヒョイっと、ロウエはジャパリまんを取りだす。

 袋の口を開けると、残念なことに中身はカビてしまっていた。


 見かねた僕が新しいものを虚空間から出して渡すと、目を輝かせてがつがつと食い付きながらロウエは喋り出した。


「もごもご…」

「食べるか喋るか、片方だよ」

「んっ…ほな喋るわ」


 ……珍しい。

 僕の知る限りでは、大体食事が優先されるのに。


「ま、倒せたのも時間が経って弱っとった結果かもしれへんな」

「だとしたら、感謝するしかないね」

「おお、ウチからもおおきにな」


 半分ほどの食べかけを笑顔で頬張るロウエ。

 ミラーセルと共に、長い間迷宮に閉じ込められていたフレンズを一人助けられたのだと考えれば、あの戦いにも意味はあったのかもしれない。


 無論、そんなことを知る由はなかったけれど。



§



 ジャパリまんを食べ終わったロウエが、一言僕たちを外へと促す。


「満足したなら、早いとこ出て行こか」


 うん、確かに満足だ。

 事実が分かって、腑に落ちた。


「それで、出口はどっちにあるのかな」

「ん、無いよ?」

「…え?」

「どうせ出えへんのや。わざわざ作ったって何の意味もなかったんや」

「あぁ、確かに…」


 ”必要無いから作らない”……か。


 随分あっさりというか、潔い性格をしている。

 そりゃあ、堂々と「居心地が悪い」なんて言えるわけだ。


「今から作るから、ちょいと待ちぃや」


 それと、作ろうと思えばいつでも作れることも一つの理由だろう。仮に普通の人がロウエと同じことを思っても実行に移せないのは、必要になってから出口を用意するのでは到底間に合わないからだ。


 ”かまくら”くらいじゃないだろうか、簡単に出口を作れるのは。


「ふぅむ……ま、セントラルの方に繋いでええやろ」


 ロウエの作業が終わるまで、こっちは手持ち無沙汰かな。


 ……そうだね、だったら好きにさせてもらおう。

 手頃な瓦礫を椅子代わりにして、僕とクオは他愛のない話を始める。


 話題は専ら、クオが眠っていた間のこと。


 嘘を上手に織り交ぜる必要があって僕は大変だ。

 例え些細な矛盾からでも、問い詰められると事実がバレかねないからね。


「あの鏡のセルリアン、やっぱりとっても強かったんだ! ソウジュはどうやって勝てたの? やっぱり、さっき見せてくれたのおかげ?」


「まあね。あの時は夢中だったから、いざ説明するとなると難しいけど」


 でも、クオに疑いの心は無いからね。

 こう言っておけば、まあきっと大丈夫。


「じゃあ簡単に言って!」

「変身できる」

「すごーいっ!」


 ……ね、かわいいでしょ?


「ねぇねぇソウジュ」

「ん、なに?」


 耳元に口を近づけて、息混じりに囁く。


(外に出られたら、キツネに変身してみて欲しいな)

(まあできるけど、どうして?)

(えへへ、ひみつ♪)


 至近距離で顔を見合わせて、クオの笑顔に目が眩む。

 何がしたいのかは分からないけど、かわいいことは確かだ。


「君ら、外への道筋が繋がったで。だけど予定より道のりが長くなったから、まだ疲れが残ってるなら今のうちに休憩しておくんやよ」


 と、さっそく出口が完成したみたいだね。


「クオ、もう少し休んでいく?」

「ううん、平気だよっ!」

「……だってさ。行こう」

「了解や。じゃあ、出発するやよ~」


 外へと直通した階段を上って、僕たち三人は迷宮を後にする。


 カントーの迷宮遭難事件は様々な謎を残したまま、このような形での幕引きを迎えることとなった。


 肩の力を抜いて、ゆったりとした足取りで外を目指す。



 ―――その先で、更に大きな事件が待っているとは知る由もなく。


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