第七十九節 狐憑きの神樂
「う……っ!」
余りの眩しさに僕は目元を覆い、光が収まるのを待つ。
やがて、腕をどかして周囲に目を向けると、ついさっきよりも感覚が鋭くなっているように感じた。
身体能力が上がった副作用だろうか。
そんな風に考えながら自分の身体を眺めていたら……ふと、視界の端を揺れる黒い何かが横切った。
「……ん?」
徐に、背後に手を伸ばす。
探ってみたら、モフモフした感触が有った。
そしてそれと同時に、何かを掴まれたような感覚がした。
直感が首筋を走って、空いていた方の手で頭を撫でてみる。
柔らかい毛の心地。
そして、ハッキリと触られた感覚。
「こ、これって……!」
「生えてるわね。耳と尻尾」
キュウビの冷静な一言。
これは夢じゃないのか?
まだ少し信じられなくて、僕は自分の目で確かめたかった。
頭上の耳は見られないから、尻尾を眺めてみる。
僕の後ろから生えてきたふわふわの尻尾は黒くて案外綺麗な毛並みで……まあそれは別によくて。
「キツネに、なっちゃった…?」
斯くして、クオの力を借りようとした結果。
なんと僕がこうして、キツネになってしまうことになるのだった。
あまりの現実に脳がついていかない。
尻尾をモフモフしている手だけがずっと、変わらずに動いていた。
「まあ、これはこれで好都合ね」
放心していた僕の意識が、キュウビの一言で呼び戻される。ボーっとそちらに向かう僕の視線を捉えると、彼女は笑みを浮かべて言った。
「ここまで劇的に変化したのよ、貴方のその術は成功で間違いない。そこのミラーセルを叩き潰すための手札が、ここに来てようやく揃ったわね。期待してるわよ、新米妖狐クン?」
そこまで言われて、僕はハッとする。
「そっか、成功したんだ…!」
『
……とっさに思い浮かんだその言葉の意味は、自分でもよく分からない。
でも、確かに僕はこの名前を付けた。
同時に、この名前である必要も感じていた。
何より強く、奥に響く感覚で。
―――この力で星座と共に、セルリアンに打ち勝つのだと決意していた。
「そろそろ、お預けも終わりにしてあげましょうか」
「うん、そうだね」
虚空間から一振り、クオ愛用の刀を取り出す。
今ならこれも、あの子と同じくらい上手に扱える気がしていた。
抜いた刀身が鏡に映って、鏡の中の刀にミラーセルの姿が映っていた。
僕は右を――普段ならクオが立っている右を――向いて、キュウビキツネに合図を頼む。彼女は確かに頷いて、僕にミラーセルの懐まで潜り込むよう指示した。
左手には妖力の輝きが瞬いている。
キュウビが言うにはそれは切り札で、ミラーセルの抵抗を封じるために今の彼女が使える最高の妖術であるらしい。
”使える”と言っても条件はシビアで、かなり長いこと集中して術の構築をしていないといけないみたいだけど。
「はぁ、難儀な身体ね。この子も不便だったでしょうに…」
「その分、僕が妖術を使えるから」
「……そうね。逆に、貴方に足りない妖力をこの子が補っていた」
ずっと続いていた僕たちのそんな関係は、彼女の身体を動かす人格が変わってもそれほど変化がないようだ。
「完成するまで、僕が時間を稼ぐよ」
「トドメの余力も残しておきなさいね」
何度でも、持ちつ持たれつ。
「…うん、行ってくる」
服の端を、キツネへの変身と一緒に変わってしまった深い藍色の袴の裾を揺らして、刀を構えた僕は音を立てて床を蹴った。
「この場所で、倒させてもらうよ……っ!」
もう逃がさない。
決戦の意思に呼応したのかもしれない。
『ガ…ガ…ミラ…ギィ…ッ!!』
大きく揺れるほど地面を強く叩き、天井を向いて咆哮を上げたかと思えば、何枚もの鏡が一つに融合して剣の形をとり、その切っ先が僕だけを仕留めんとこちらに向けられていた。
心臓部のコアの守りを捨てて、完全に攻撃へと性能を特化させたミラーセル。
どうやら向こうは、短期決戦をお望みのようだ。
「…ふむ」
僕はいったん刀を納める。
キュウビが妖術を完成させるのを待っているのだ、戦いは引き延ばしたい。
後先を考えないノーガード戦法は寿命を縮めるより他ない。
……だが当然、ミラーセルに待つ気はないだろう。
容赦のない攻撃が飛んで来る。
「っ……右っ!」
鏡を束ねた質量の爆弾が床を穿ち、その重石に迷宮が揺れる。
僕はキツネの高い敏捷性で、しっかりと遠くまで回避していたが、攻撃の余波によって起きた震動からは逃れることが出来なかった。
足元は大きくグラつき、次の攻撃への備えが疎かになってしまう。
その隙に気づいたか、若しくは元々それが目的だったのか。
今度は薙刀の形をした小さい鏡が、身体の上をスレスレに掠る。
「あっ…ぶないっ!」
これは咄嗟に脚を崩し、敢えて転倒することで間一髪にて回避。
もしもキツネじゃなかったら…。
流石に真っ二つは言いすぎとしても、恐らく無事では済まなかっただろう。
「……ふぅ」
だけどこんなに能力を発揮して、ガス欠になったりしないのかな。
身体の中を巡る感覚によると、『言霊』には及ばなくても相当量のエネルギーを消費し続けている筈なんだけど……。
「それ、この子の輝きが使われてるのよ」
「…えっと、そうなの?」
「身体に溢れる膨大な妖力のほんの一部が、貴方へと流れていくのを感じるわ」
キュウビの表現を聞いて、メリの言葉を思い出す。
この術の基礎になったあの教え。
学んだ技術の名前は『同調』だ。
バビルサ風に言うなら、自分の持っている”けものプラズム”の色を他のモノの色とシンクロさせて、まるでコピーをしたように自由自在に操る術だ。
だけどそれに留まらず、もっと深く『同調』すれば。
まるで無線で電波をやり取りするように、エネルギーを向こうから受信することが出来る――ということかもしれない。
……まあ、今は僕が一方的に受け取るだけになっちゃってるんだけど。
「それでも便利だよ…ねっ!」
懐に一太刀、銀色の刀身が光る。
殆ど無防備になったミラーセルの本体に攻撃を入れられた。
でも、無防備って表現には語弊があったかな。
飽くまで鏡に守られていないってだけで、コアの周囲を包んで守るゲル状の細胞質はとても硬い。さっき放った渾身の攻撃も、効果があるほど深く刃が入ったような感覚は無かった。
「刀だけじゃ厳しいか……そうは言っても、別の武器も思い浮かばないし…」
「ねえ。別の石板も使ってみたらどう?」
「…別の石板」
「解決できない問題には、別方向からのアプローチが有効よ」
思い出してみれば、自分もさっきまではカメレオンやら何やら石板の力を借りて戦っていた。話の流れでクオの力を借りることにはなったけど、元々の目的はそっちだったよね。
「…これを、使ってみるか」
使えない道理は無い。
僕は石板を握りしめて、叫んだ。
『
キツネの尻尾と耳が消え、光が僕の姿を再構築する。
和服の装束は形を変えてもこもこした服装に変わり、手元にはクマのフレンズが持っていたような大きな黒いハンマーが現れた。手で弄ってみれば、確かに頭にはクマの耳っぽい何かが生えていた。
僕はブンブンとハンマーを振るう。
前にホッキョクグマのものを持ってみた時と比べてとても軽い。
……とても、おおぐま座のパワーを感じる。
「でも、これだけじゃない」
再びセルリアンに接近した僕は、本体に当たらないようにハンマーを振るい、そのまま床に大きく叩き付けた。
すると、ささやかな震動と共に押し出された空気が風となって広がり、皮膚を刺す程の冷気が周囲の空間に立ち込めていく。
確かな手応えを感じ、今度はコアに纏わりつく柔らかい細胞質にハンマーをぶつけた。
「凍れ…!」
空間を凍てつかせた冷気が細胞質を冷やす。
堅固な守備が、更に硬く強固になっていく。
しかし、それは逆に脆さとなる。
柔軟さを失った水は、叩けばいとも簡単に崩れてしまう。
「当たって……砕けろっ!」
振るったハンマーが結晶を散らす。
鏡の破片よりも綺麗に儚く、ダイヤモンドダストが舞う。
―――見惚れている時間はない。
僕はすぐさま、本当に無防備になったコアに迫り刀を突き刺す。
チャンスが見えたなら、キュウビを待たずとも倒してしまえばいい。
コアに突き刺さらんとす切っ先を見つめて僕は、勝利を確信していた。
………していた。
「避けてッ!」
「っ…!?」
キュウビの声を聞き、僕は咄嗟に身を翻す。
ミラーセルから離れてコアを一瞥。
さっきまで立っていた地面に鏡の短剣が突き立てられた。
「おお、ギリギリだった…」
冷気とは関係のない冷や汗をかきながら、僕は自分の身体から力が抜けていくのを感じる。気がつくと手におおぐま座の石板が握られていて、表面に描かれた星座の模様からは光が消えているように見えた。
僕は直感した。
石板の力を使い果たして、回復期に入ってしまったのだろう。
少なくともこの戦いが終わるまでは、おおぐま座の力をこれ以上使うことは出来なさそうだ。
やっぱり安定した『同調』の方がうれしい。
可能なら、もう一度キツネの姿になっておきたいな……。
「キュウビ、もう一回アレできる?」
「不可能じゃないけど、一つ頼みたいことがあるのよ」
「……頼み事?」
戦いの真っ最中、大事な仕事に違いない。
反射的に身構えた僕に苦笑して、宥めるようにキュウビは言った。
「難しい話じゃないわ。この封印の札をアイツの身体のあちこちに貼り付けておいてほしいの。結界を発動するために必要だから」
そうして渡されたお札。
奇妙な紋様と読めない文字が書かれている。
数にして九枚。
キュウビだから、九枚なのかな。
まあ、それほど難しくなさそうなのは助かった。
「…わかった、やるよ」
「ありがとう。私も落ちぶれたものね、こんな物に頼らないと結界の一つも張れなくなるなんて」
…そもそも結界のけの字も分からない僕からしたら、贅沢な悩みだなあ。
もしも彼女が健在だったら今頃凄まじい猛威を振るっていたと考えると、自分の力の小ささに驚かされながら僕は一枚の石板を手にする。
一つ、いいこと考えたんだよね。
『
「空を飛べば、簡単にできるかな…」
かつてホートクで、大いに苦しめられたカラス座のセルリアン。
その力を借りて戦うことになるなんて、あの時の僕は夢にも思わなかっただろう。
周囲を舞う黒羽が、鴉に埋もれる暗夜を演出した。
闇に紛れて飛んで行く僕の姿を、ミラーセルは一瞬たりとも捉えることができなかっただろう。
「これで最後…っと」
九枚目のお札を鏡の裏に貼り付ける。
その瞬間、全てのお札に描かれた紋様が光り輝き始めた。
「…準備は整ったわね」
光はそれぞれに伸びて繋がり、三つの三角形が重なって九つの角を持つ星が地面に現れる。光に囲まれたミラーセルは、どこか動き辛そうにしていた。
上の方に飛んでその様子を眺めていた僕は、地表からキュウビに呼び付けられる。彼女の元まで降りてきたらカラス座との『同調』を解いて、今度こそキツネの姿に変化した。
「ふむ、
「集中しなさい、貴方が終わらせるのよ」
「……うん」
刀の柄に指を掛けて息を呑む。
いよいよと思うと、お膳立てがあったとしても緊張する。
そんな感情とは無縁の存在。
キュウビが悠々と、ミラーセルの方へと歩いていく。
手をかざし、口上を述べ、結界から漏れ出した白い瘴気が鏡を曇らせる。
『出口亡き迷妄を練り歩く魂よ、ここに眠れ。三覺――「脱魂」!』
現を貫き、魂だけを抜く一撃。
結界に囚われたミラーセルの身体が、力なく崩れていく。
弛緩した細胞質の隙間から、今度こそ真に無防備になったコアが顔を出した。
この結果に満足げな顔をして、戻って来たキュウビは言った。
「さあ。目を覚まさないうちに」
僕は頷く。
派手な攻撃だったけど、さっきの技は相手を気絶させるだけでダメージは入っていないからね。
やはりトドメは僕の仕事だ。
覚悟を決めて刀を抜き、狙いを定めて一撃に。
キツネの全力で。
一突きに。
「………せいっ!」
鏡を砕いた―――。
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