第七十八節 星と心を通わせて
「わぁぁ~……ぐえっ」
勢いに呑まれて、普段ならあり得ない間抜けな声が出た。
けれども落下が止まったということは、目的の階層には無事に到着したと考えてもいいだろう。
僕は恐る恐ると起き上がる。
そして、また服に掛かった土埃を払おうとして……手を止めた。
「あら、綺麗にしないの?」
「どうせ、また汚れることになるし…」
「やっておきなさい。その程度の時間はあるから」
そう言いながら、キュウビは妖術で風を吹かせて汚れを飛ばしてくれた。
さっきの探知のことといい、近寄りがたい雰囲気を常に発しながらも最低限の手間は掛けてくれている。
その分だけ、彼女の底知れなさも深まっている気がするけどね……。
「人間ってね、見た目に気を遣えなくなったら終わりなのよ? 私は天下のキュウビだけど……少しでも印象を良くするため、身だしなみに拘らなかった日は無いわ」
そうやって印象を良くして…何をする気だったのかな。
本に描かれている九尾の伝説を思い出すと、主に恥ずかしさという意味で真正面から聞くには憚られる目的が全てだったような記憶がある。
まあ、尋ねている時間も無いだろう。
ミラーセルがどっかに行く前に、捕まえて倒さないといけないんだから。
鏡の破片を手に、僕は再び探知を始める。
「…あっ」
近づいたお陰か、すぐに手応えがあった。
反応はもちろん僕たちと同じ高さで、しかもかなり近くにいる。
「ミラーセルは?」
「すぐそこに、いるかもしれない」
「ええ、手間が省けて助かるわ」
悠然と歩みを進めるキュウビに、僕は胸の中の恐怖心を押し殺してついて行く。
石板を一枚、お守りのように握りしめて、ほんのちょっとだけ増えた足音を聞いて、ほっと息が軽くなったのを感じた。
そして間もなく。
大層な心の準備をする暇もないまま、ミラーセルの姿が見えてしまった。
「……アイツで間違いないわね?」
間髪入れずに僕は肯定する。
あんなの、忘れたくても忘れられないシルエットだ。
キュウビも概ね、アイツの見た目にそのような感想を抱いていた。
堂々とミラーセルの前に姿を現して、大袈裟な身振りをとりながらあいさつ代わりの挑発をする。
「うふふ、例に漏れず愛着の湧かない姿で安心したわ。貴女達も輝きを再現するつもりなら、まずは見た目で華やかに輝いてみてはどうかしら。そうね、シャンデリアの姿なんてよくお似合いだと思うわよ?」
シャンデリア型セルリアンかぁ。
案外まともに綺麗なのが出てきても不思議じゃないんだけど、セルリアンのことだからまた奇妙な造形になるのかもしれない。
ともあれそんな風に考えているのは僕だけ。
ミラーセルは当然の如く、キュウビの言葉を理解する段階にも入っていないだろう。
特に目立った反応を見せないミラーセルに、キュウビは深く憂慮の息を吐いた。
「―――まったく、善意の助言すら聞かないのね」
「今の、善意だったんだ……」
聞きように依っては、きちんと善意が籠っているように聞こえなくもない発言だった……と思っておいた方が身の為な気がする。
「もういいわ。倒しましょう」
「えっと、反射にだけは気を付けてね…?」
「問題ないわよ。貴方があらかじめ割っておいてくれた鏡が一枚、まだそこにくっついてるじゃない」
確かに、鏡じゃなくなれば反射できない。
あの時はそこまで頭は回らなかったな。
どうやら僕は、意図せずに好手を打っていたみたいだ。
「あとは、この身体の限界がどれほどなのか」
「っ……」
いざとなったら僕がまた危険を冒して、言霊でも何でも使ってミラーセルに止めを刺すことにしよう。
クオの身体に負担を掛けてしまうことだけは、何をしてでも避けたいからね。
出来ることなら、もっと強くなりたい。
この石板の中にある星座の力を、十全に引き出すことが可能になれば或いは……。
いや、それは後だ。
―――戦いが始まった。
「九尾の狐火、存分に味わいなさい?」
先手を取ったのはキュウビの方だ。
指先に青い炎を灯し、
指揮者のように彼女が手を振るうと、ゆらりゆらりと狐火は舞ってまばらにミラーセルの元へ吸い寄せられていく。
その後は様々、割れた鏡に火を灯したり、健在な鏡によって跳ね返されたり。
ミラーセルは自身の周囲を動き回る炎に気を取られ、動きがぎこちなく角ばっていた。……いや、四角いのは元々か。
ともあれ、圧倒的では無いにせよ、一方的な展開が戦いの幕開けとなった。
「それで、妖術の調子は?」
「今はこれで二割。昔なら二厘にすら満たなかったでしょうにね」
なるほど、やはり負担は大きいか。
それでも二割の処理能力で済んでいる辺り、キュウビが持っていた本来のポテンシャルが如何に高いかが窺える。
味方としては、頼もしいことこの上ない。
「ただ、次は相手の番みたいね」
ミラーセルも勿論、ただで倒される気はないらしい。
グルグルと鏡を回転させ、ドーム状にコアを守っていた配置を大きく転換させると、翼のように鏡の連結を左右に大きく広げてこちらへの行進を始めた。
名付けるなら、一人鶴翼の陣。
割れた鏡は背後へ厳重に仕舞い、少しの反撃も許さない構えを見せている。
「ど、どうする…?」
「回り込むのよ。身軽さなら私たちの方が断然上だわ」
突撃は一網打尽にされないよう、左右に散開しての懐への潜入。
キュウビは狐火で目くらましをしながら、僕はカメレオン座に再び願いを込めながら、床と鏡の隙間を縫って後方へと抜けていく。
「ほら、
「…やれってこと?」
「やってみなさい」
”お手並み拝見よ”と、キュウビはとても怖いことを言う。
セルリアンに近寄るのも同様に怖かった僕は虚空間の中から使い慣れない弓矢を取り出して、まあこれで補助すれば大丈夫だろうと矢を射ながら叫んだ。
「矢よ、『貫け』っ!」
イメージによる軌道の強制を受けた矢は物理法則を欺いたような動きで飛んで行き、僕が命じた通りに割れた鏡の中心に小さな穴を空けた。
あわよくばコアに一本突き刺してやりたかったが、そこまで上手くはいかなかった。
もう少し妖力が有れば、そこまでやれたかもね…。
「粗削りだけど、十分形になっているわね。合格よ」
「ど、どうも……」
まあ、キュウビはこう言っているし別にいいかな。
どうしても自分の力で補えない部分は、クオにお願いして助けてもらうのが僕の生き方だから。
それで、折角後ろを取った状況なんだけど……
「キュウビは何もしないの?」
「別にしてもいいのよ。巻き添えになって諸共倒れたいなら」
「……えっと、どういうこと?」
冷徹な言い方に僕は気圧される。
でもまさか、僕を巻き添えにしながら倒すつもりじゃないはずだ。
のっぴきならない事情があるからこその忠告…なんだよね?
「セルリアンの装甲を貫くには威力が必要だわ。だけどその程度に達する強さを出すと、身体そのものに負担が掛からなくても制御が利かなくなってしまうの」
…なるほど。
「つまり、危ないのか…」
「もしも鏡に当たったら、大惨事間違いなしね。むしろ、向こうが意図して狙って来ても可笑しくないわ」
僕は頷くしかない。
よくよく考えてみれば、クオの潤沢な妖力でそれなりの練度の妖術を使えるというのだから、この程度の狭い迷宮を軽く火の海に沈めることなど彼女にとっては造作もないことなのだと気付いておくべきだった。
これは強すぎる故の悩みというものか。
僕からすれば、とても贅沢で羨ましい。
「だから貴方、アイツにとどめを刺す仕事は任せたわよ」
「だとすると今度は、威力不足に悩まされちゃうな…」
そう言うとキュウビは首を振った。
「方法なら幾らでもあるわよ。例えばその手に持ってる妙な板だって、中に随分と明るい輝きがあるじゃない。上手にやれば、イチコロよ?」
やはり僕の推測通り、石板には力が籠められていた。
今までのひどい体たらくは、単に僕の技術不足によるものだったらしい。
その上で、その技術とやらを、今この瞬間どうやって即座に身に着けられるかといえば……。
「『他のけものプラズムへの干渉』ね。主に七章で語られてるんだけど、どうせ読んでないでしょうから直接手解きをしてあげるわ。さ、私の手を掴みなさい」
……まあ、こうなるのが自然の成り行きかな。
断る理由も無いし、元々はクオの手だし、僕は彼女の手を握って内側の輝きに思考を馳せた。
「深呼吸をして、集中して。私の中にある輝きに心の目を凝らして」
普段では見えない、星空のような景色が目蓋の裏に映り込む。キュウビの手助けのお陰か、彼女の中を流れる輝きをまるで天の川のように鮮明に形として読み取ることが出来ている。
僕はその中に、一際大きく輝く二つの星を見つけた。
とりあえず、より自分の近くにある方を触ってみることにする。
それは、きつね色の星だった。
「……これかな?」
「ちょっとズレてるわね。いや、でも…」
「確かに感じる。なんだか、クオみたいな輝きだ」
「感覚は掴めた? なら実践してみなさい」
手を離して、石板を握る手に力を込める。
ついさっきと同じ要領で、内側を見ようと目を閉じる。
―――そして真っ暗な、宇宙空間のような暗闇の中、ふわふわと浮かぶ星の群れを捕まえた。
「……っ!?」
その途端内側から沸き上がる、今までとは比べ物にならない力。
速さも臂力も脚力も、全てが違う。
何もかもが段違いだ。
「……っ、とと」
でも、力を出し過ぎないよう調整するのには時間が掛かりそう。
そしてすぐに解けてしまう『繋がった』状態。
やっぱり、感覚を完全に掴むにはまだ足りていないようだ。
…いや、できる、あと少しだ。
完成までは残り僅かで、その道がとても長いけど…!
「もう一回、感覚を確かめていいかな」
「いいわよ。ただし狐火で気を引くのも限度があるから、忘れないでね」
やはり、気配りに継ぎ目がない。
僕もなるべく気負わず、なるべく早く完成させよう。
糸口さえ掴めれば、後は直向きに進むだけなのだけど……。
「悩んでるの?」
「…イメージが、掴めなくて」
「そうねえ。だったら、名前を付けてみてはどう?」
名前、か……。
「名付けたその技術が貴方の中で唯一無二になった瞬間、きっと認識そのものがガラリと変化するはずよ。それこそ、名前というものが持つ大きな力の一つなんだもの」
確かに、そうかもしれない。
僕もクオに名前を付けてもらって、唯一無二の呼び名を手に入れることで、そうして初めて自分を認識することが出来るようになった。
それと同じことを、今度は僕がする番なんだ。
「…決めたよ、名前」
「あら、そう」
「このまま一回、やっていいかな」
「自信満々ね、やってみなさい」
きつね色の星を掌上に触れたまま、その他の全てを意識から排除していく。
落ち着いて、大丈夫。
いつも通りにやってみるだけ。
だからいつも通り、彼女にお願いをして、それを始める。
「―――クオ、力を貸して」
その後はもう、心に任せ。
次の台詞は自然と口から飛び出していた。
『
瞬間、僕は、光を感じた―――。
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