第七十七節 過去と狐と大きな力


「キュウビ、キツネ……?」


 事実もジャパリまんも飲み込めなかった。


 塊のまま無理に嚥下する音が、息を塞いだ。


 これが悪い夢であってくれれば、次の朝には笑い話にできた。もしくは彼女がクオと一緒に出てきたりしたならば、「世の中には不思議なことも有るものだな」と感心さえしていただろう。


 でも現実は違う。寸分違わぬ彼女の服装が、首から下げた星型のペンダントが、目の前にいる彼女がかつてはクオであったという事実を容赦なく僕に突きつける。


 水を飲み下す喉が、意味の分からない悪寒に震えた。


 ミラーセルは、いったいクオに何をしたんだ…?


「貴方が焦る気持ちも解るわ。斯くいう私も、自分がどうしてここに居るのか全く覚えていないもの。脳裏に残った最後の記憶は遥か遠く……いえ、今話しても余計に混乱させるだけよね」


 まじまじと僕は彼女を見て、瞬きをする度に自分の目が信用ならない。

 とりあえず、訊くべきことは訊いておこう……。


「クオは、どこ…?」

「その”クオ”っていうのが、この身体の持ち主の名前ね?」


 一応、僕は頷く。

 そういうのって分かるものなのだろうか。


「プラズムの流れが元の身体と明らかに異なるのよ。しばらく眠って多少感覚が鈍ったとしても、ここまで大きく様子が変化することは経験上ないわ」


 そう、なんだ。


 彼女の言葉に倣って僕も身体の内側に意識を向けてみたけど、特に何かを感じるということはない。少し前の自己紹介で彼女が自称した通り、”長い年月を生きて来たフレンズ”だからこそ理解できることが有るのだろう。


 ……だからきっと、クオがこの事実を気取ることは無かったんだ。


「貴方の話の通りなら、私が表に出てきたのは貴方が呼ぶところの”ミラーセル”の仕業にほとんど間違いないわね。輝きを奪うのに飽き足らずそんな芸当も出来るなんて、珍しいセルリアンもいたものだわ」


 珍しい、と言えばその通りかな。


 僕たちはそんな感傷を抱くよりずっと前に、アイツの強さにやられてそんな場合じゃなかった。

 そして未だに、アイツを恐れる気持ちは僕の心から消えていない。


「それで、その……”表に出てきた”っていうのは…?」

「文字通りの意味よ。ミラーセルとは別に、私の魂がこの身体に原因となった出来事があるはずなの」

「…待って。『縛り付けられた』?」


 幾らなんでも、話の流れが急すぎる。

 クオが別のキツネになったと思ったら、今度は魂が身体に云々って……。


 …まあ聞こう。

 とりあえず話を頭に入れよう。

 理解できない現実に苦しむことは、その後でも出来るからね。


「本当ならこんな身体、ちょこっと弄ってあげればすぐに抜け出せるのよ? ”憑依”って言うのはそういうものだし、ましてや私はキュウビなんだもの」


 …へぇ、キュウビってすごい。


「あら、信じてないでしょ? 力を直々に体験させてあげてもいいのよ?」

「し、信じてるって! 今は、ちょっと混乱してるだけだよ…!」

「…まあ、そういうことにしておいてあげるわ」


 おぉ、怖い。

 クオが元に戻るまで、機嫌を損ねて殺されないように気をつけよう。


 やっぱり気高い妖怪さんって、気難しい部分があるもんだよね?

 まあ、ちゃんと気を付けてさえいればそうそう地雷を踏むこともないだろうケド。


 でもなんだか、彼女からは危ない雰囲気が漂っている気がする……。


「ともかく、ミラーセルを探しに行くしかないわね」

「そう、だよね。こうなったのはアイツのせいだから…」


 過去一番に気が乗らないな。

 せっかく一度逃げ切れたというのに。


 ……まあ、クオのためならやるしかないか。


「うふふっ、そう落ち込まないで。運が良ければ、ミラーセルを倒すだけで全てが元通りになるわよ。セルリアンに奪われた輝きが、そんな風に持ち主の元へ戻る事があるようにね」


 イマイチ腑に落ちない例えだけど、相槌は打っておく。


 セルリアンに奪われた輝き、かぁ。

 話には聞いたことがあるけど、実際にフレンズを見たことは無いんだよね。まあ無くていいんだけれども。


 輝き…想い出……。


「ところでキュウビって、昔のことは覚えてるの?」

「ええ。今わの際は曖昧だけど、それ以前のことならハッキリと」


(忘れる訳ないわ。あの人との出会いも、過ごした日々も、平穏な日常が壊されたあの日のことも、過酷を極めたあの戦いも……)



「―――あの忌々しい女王も」



「…えっ?」

「…何でもないわ。急ぎましょう」

「う、うん…」


 空気が肌を刺して痛い。詳しく訊くのはやめておこう。

 多分、かなり印象の悪い記憶を想起させちゃったのかも。


「アイツは上の階にいるのね?」

「さっきまではそうだったんだけどね。この迷宮って、定期的に階層が入れ替わっちゃうから…」

「ハァ…」


 聞くだけで貰い溜め息をついてしまいそうなほど深いため息。

 キュウビの憂鬱とした心情が伺えてしまう。


「こんなことしてるにも、後でキッチリ始末を付けないとね」

 

 やっぱり怖いよこの狐。

 優しいクオとは大違いだ。

 人格の二面性って、つまりこういうことだったのかな。


「貴方、アイツに繋がる何かは持っていないの?」

「一応、砕けた鏡の破片なら……」


 逃げる途中にひと欠片だけ虚空間に放り込んでおいたガラスだ。

 もしかしたら何かと考えていたけど、早速役に立ちそうな気配。


 破片を受け取ったキュウビは松明の光で透かすようにそれを眺めて、とても満足そうに首を縦に振った。


「完璧ね。コレからセルリウムのパターンを読み取れば、ミラーセルの居場所を追尾できるようになる筈よ」


 …え、超重要アイテムじゃん。

 危ない、放置しなくて本当によかった。


「ちなみにコレ、どうやって手に入れたの? 『攻撃を反射する』って話だったじゃない」

「えっと、『言霊』って妖術を使って…」

「……っ!?」


 急に胸ぐらを掴まれた。

 何もしてないのに。

 手の動きに合わせて視界がぐわんぐわんと揺れる。


「キュ、キュウビ…!?」

「その妖術、どこで覚えたの?」

「えっ、あの…」

「答えなさい、早く」


 あ、答えないと殺されるやつですかさいですか。


「こ、ここにある『戦場を支配する「妖術」の技法』っていう本を読んで勉強しました……!」

「貸しなさい」


 引ったくられた、乱暴だ。

 クオは絶対にこんなこと……たまにしてたかも。


「…これは、間違いないわね」


 静かな嬉しさを滲ませた顔で頷いている。

 この本に、キュウビにそこまでの感情を抱かせる何かがあるのだろうか。

 パラパラと読み終えた彼女は深呼吸をして、僕に本を返した。


「ごめんなさい、取り乱してしまって。色々と馴染み深いというか、とても難しい妖術でしょう? まさか私たち以外に使える人が存在するなんて思わなくて」


 まあ僕と、それとクオが多少使える以外、今日のジャパリパークには妖術を知っている子すら一人もいなかったからね。

 キュウビが珍しがるのも納得できる。


 ……約複数名、妖術なんて関係なしに恐ろしく強いフレンズがいたけれどそれは気にしない。


「でも、この本を読んでいるなら話は早いわ。この本の三章に妖力の探知や追尾について書かれていたでしょう? その通りにやればミラーセルを居場所が判る筈だから、貴方がやってみてくれないかしら」


 ほうほう、三章ね。

 ……うん、三章か。 


「…ん、どうしたの?」

「三章、読んでないです…」

「…はぁっ!?」


 とても驚かれた。

 初めてこんなに動揺された。

 なんで…?


「貴方ね、妖力の探知なんて基礎の基礎よ? そんなことも知らないでよく『言霊』が使えたわね。だとしても、どういう心持ちで学習に取り組んでいたのかしら?」


「あ、あはは……」

「誤魔化さないで。言いなさい」

「クオが、そこをおススメしたから…」

「……はぁ」


 …なんか、ごめんなさい。


「やれやれ……いいわ、今日のところは不問とする。今は要点だけを説明するから、あとで暇がある時にしっかり読み込んでおきなさいな?」


 僕が予習を怠っていたせいで、余計な手間を掛けさせてしまった。

 要点だけをまとめても、理解までに少なくとも10分は必要かな。


「でも、だったらキュウビがやった方が確実なんじゃ」

「………」

「え、えっと…」


 これは…どっちだ?

 無知を呆れられているのか。

 実は、それが大正解なのか。


「それが出来ないのよ。さっき、『流れが異なる』って言ったでしょう? それはまるで、二つの大きな力が身体の中でせめぎ合っているようで、ちょっとやそっとの力じゃけものプラズムを碌に動かせないの」


 不正解だった。

 やっぱり物事、そう上手くはいかないね。

 それで、二つの大きな力…?


「……簡単に言えば、この子の身体そのものが妖術に向いていないの」

「なるほど」


 クオが妖術をうまく使えなかったのも、実はそういう事情のせいだったのかもしれないね。そして裏を返せば、その原因を取り除けば希望はあるってことだ。

 もちろんそれも、クオを元に戻してからの話なんだけど。


「まあ私ほどの存在になれば、技術の力押しでそれなりに妖術を扱うことは出来るけど……それでも細かい操作は難しいし、何より身体に負担がかかってしまうわ」


 どうやら、僕にしかできないらしい。


「だから、貴方にやってもらうしかないの」

「……分かったよ」

「ありがとう。私も助力は惜しまないわ」


 ―――だけど。


 もし本当にクオが元に戻ったとしたら。

 ずっとあの子の中にいたキュウビは、どうなってしまうのだろう? 


 不明瞭な心配を抱えながらも、必要なことは理解して。


 ……僕は、ミラーセルの探知を始めた。



(アナタはここに居ないけど、これも一つの運命かしら。まさか、あの妖術を使う人間に、しかもアナタが書いた本を読んで学んだ人間に出会うなんて)


(朧げな記憶……最期に、セルリアンに食べられたような気がする。でも変ね、だったら私が今ここに立っている訳がないわ)


(クオ…どんな子なのかしら)


(何故か、彼女を知らない気がしない…)



「……見つけたっ!」


 初めてのことで大変だった。

 思わず歓喜の声が出る。


 僕の声を聞きつけ、考え事に耽っていた様子のキュウビもこちらにやってきて言った。


「どうやら、上手くいったようね」

「ミラーセルは下にいた。多分、二つくらい下の階層だよ」

「なら急いで向かいましょう。その場所まで、私が一瞬で送ってあげるわ」


 い、一瞬で?

 なんか、嫌な予感が…。


「気を付けないと、舌を噛むわよ」



 ―――僕はいろいろ諦めて、先に舌を噛んでおくことにした。


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