第七十六節 他ならぬアナタを鏡写しに致しましょう
僕は身を隠せる空間を探して、しばらくの間休むことにした。ミラーセルに受けた強い打撃のせいで全身が軋み、今は少し身をよじるだけで激痛が走ってしまう。
到底探し物なんて出来るような状態ではなく、例えミラーセルが見つかったとしてもクオを助け出せる訳がない。
そして問題は他にもある。
それは奴との間に隔たる、唯でさえ大きな戦力差。それを覆す方法はたった一つで、一撃必殺の『言霊』を決めることだけだ。薄氷のように脆い勝機をほんの少しでもモノにするために、僕は戦術を練らなくてはいけない。
標的の見つけ方。
近づいて不意打ちを仕掛ける手順。作戦の肝である、
そして、勝負の決め手となる『言霊』。
一つ一つ確実に、穴を埋めていかなければ。
…だけどそれよりも、まずは回復だ。
「ん、くっ…!」
手当たり次第にジャパリまんを頬張り、水で無理やり流し込んでいく。
一個、十個、百個、もっと。
果たして何を想定していたのか虚空間の中には、クオが大量のジャパリまんを貯蔵していた。こんなに必要になる時なんて、絶対に来ないと思っていたけどね……。
「――ごちそうさまでした」
固く手を合わせて、感謝と一緒にクオの無事を祈る。
もう一度、再び彼女と共にジャパリまんが食べられるように。
そしてお腹を強引に満たした僕は、虚空間から中身を乱雑に辺りの床まで投げ出して、それぞれ手に取り吟味しながら勝つための思考を巡らせていく。
迷宮の閉塞感がアイデアを練り上げる思考回路を凍り付かせていく中、思考の風通しを良くするための苦肉の策であった。
「…あった、カメレオン座」
開いた図鑑の1ページ。
朧気だった記憶の通り、確かにその星座は実在していた。そして次に僕の予想通り、石板の表面に描かれた光る模様と図鑑の写真に描き込まれていた星座の形は、見比べるまでもなく一致していた。
だけど念のために、もう一つだけ照らし合わせておこう。
虚空間から引き出した石板。
確かこれは、ホッカイで最初に倒した『ウサギ』のセルリアンが落としたものだったと記憶している。
……これも、完全に一致していた。
「なるほど、そうだったんだ」
石板を落とすセルリアンは、星座と関係している。
どうしてそうなるのかは不明だけど、そんなのどうでもいい。
この事実が確かならばね。
「いけるよ、きっと」
なにも僕は、この切羽詰まった状況で好奇心に任せて調べ物をしていた訳じゃない。もしかしたらこの石板が、クオを救出するための鍵となる可能性があると思ったんだ。
そして、その可能性はとても高まった。
石板が星座に由来して、尚且つセルリアンの能力に影響を与えていたというのなら、僕がこの手に掴んでいる『カメレオン座』の石板には、「自身の姿を周囲の景色に溶け込ませる」ことを可能とする力が込められているはずだ。
それを、メリから学んだ『同調』の技術で引き出すことが出来れば……!
恐らくぶっつけ本番になるだろう。
成功したとして、どれくらい保つかすら分からない。
…それでも、確かな希望の光だ。
「使う言葉も、アレにしようか」
というか、『言霊』の方のは割と最初の内から決まっていた。イメージしやすくシンプルで、アイツに対して効果的。そんな条件を満たす言葉はかなり少ないからね。
「よし、行こう」
残された最後の懸念、ミラーセルを見つける方法。
結論を言うと、無い。
考えている時間も無い。
だから手遅れになる前に探し出そう。休憩はもう充分だ。
そろそろクオにも、身体を休ませる時間をあげないといけないからね。
念のためのメモ書き――きっと読まれないであろう書き残しを虚空間の中に置いて、隠れ場所を飛び出した僕はクオを探し始めた。
§
そして暫くの後、曲がり角の先にミラーセルを発見した。
「……やっと見つけた」
アイツの姿を見る為に、どれほどの間歩き続けただろうか。姿を隠すためにカメレオン座の石板を片手に握り、有象無象のセルリアンを恐れて壁に背を付けて慎重に進む、口から吐く息の音さえ神経を削るような緊張に満ち溢れた時間だった。
握りしめた石板の効果の程は分からない。見えにくくなっているかもしれないし、そうではないかもしれない。
『同調』で力を引き出すために絶えず石板に働きかけてはいるものの、これといった手応えは未だ感じられていないのだ。
だが今は信じるより他ない。
確実を追い求めるために費やす時間でずっと、そのままクオを苦しめ続けることになるのだから。
僕は曲がり角から顔だけを出し、徘徊しているミラーセルの様子を窺った。
(クオはどこだ…?)
ミラーセルの触腕に捕らえられ、クオはあの巨体の上に縛り付けられた状態で連れていかれた。しかし今、ミラーセルの上にクオの姿は見えない。
(何処かに置いてきたのか、或いは……!)
強く首を振って、脳裏に浮かんだ嫌な想像を振り払う。
もしも現実がその通りだったとしても、アイツを倒してその中から救い出すことは変わらない。何も、心配することはないんだ。
僕は祈りながら、強く石板を握りしめる。
図々しいお願いかも知れないけど、力を貸してほしい。
クオを助けるために。
気付かれることなく、アイツの懐へと潜り込むために…!
(……行こう)
抜き足、差し足、忍び足。
ゆっくりと…決意の突撃にしては遅い勢いで、距離を詰めていく。
まだ相手は僕に気づいていない。
存外、この石板の効果もあったということだろうか。
鏡に当たって跳ね返る光が、乱雑に散らばって瞳孔を刺している。
(あと、少し)
もう三歩。
いや、二歩。
これで、あと一歩。
僕は、ありったけの妖力を集めて『言霊』を紡ぐ―――。
「―――『壊れろ』ッ!」
放たれた光が、膨れ上がったイメージが弾となってミラーセルに迫る。
声を聞いて存在に気づいたようだけどもう遅い。
今更、逃げられる訳ないだろ…!
『言霊』が、ミラーセルに吸い込まれていく。そして、そして―――。
……パリンッ。
一枚の鏡と引き換えに、光弾は敢え無く跳ね返されてしまった。砕けて飛び散った破片に混じって、小さくなった光弾が今度は僕の方に迫ってくる。
「…っ!」
不意の出来事に驚き、間一髪のところで身をよじって回避した光弾。後ろの壁にぶつかったのか、背後から壁が瓦礫になって崩れ落ちていく音が聞こえる。
それよりも。そんなことよりも。
……あっさりと、絶体絶命じゃないか?
鏡による攻撃の跳ね返し。予想していたことではあったけど、ここまで効果が高いとは思わなかった。思い描いたイメージでは全ての鏡を一挙に破壊する手筈だったのに、一枚を壊すにとどまって言霊そのものが反射されてしまった。
率直に言って絶望的だ。もう手札がない。
悪あがきのつもりで放ってみた氷の弾丸も、悉く効果がなかったよ。
「ホントに、なんでこんな奴がこんな場所にいるってのさ…!」
どうしようもない文句だ。
だけど、現実をそんな風に嘆く以外に仕様がなかった。
ミラーセルと壁の間をすり抜けて、逃げながら必死に打てる一手を考えていく。
(それでも、収穫はあった…!)
カメレオン座の石板の力を借りた隠密行動。『言霊』を叫ぶその時まで気付かれなかったのは、効果が確かに発揮されていたことの証左に他ならない。
他の石板を上手く使って、この戦力差を覆す何かを生み出せないだろうか……。
石板を落としたセルリアンの特徴を、僕はそれぞれ思い出していく―――。
「ウサギ、クマ、変な部屋、鳥の…カラス。あと、強かったのは砂漠にいたヘビと巨人と………ああもう、さっきから鬱陶しいっ!」
後ろ脚に降りかかった床の破片を蹴り飛ばす。
僕は立ち止まり振り返って、”だるまさんがころんだ”のように動きを止めたミラーセルと”にらめっこ”のように見つめあう。
何となく、口を衝いて言葉が出てきた。
「よく考えれば、倒す必要もないか」
クオの姿、全然見えないし。
「何処に隠したのか知らないけど、さっさとクオを返しなよ」
指を突き出して言う。
ミラーセルは上半身を傾けた、首を傾げる
クオと違って絶望的に可愛げがない。
「そんな風に惚けてさ。本当に嫌いだ」
逃げているうちに、いつの間にか階段の前までやって来てしまった。勿論クオを取り戻すまで次に行く気は無いけど、一応地図に目印だけは描いておこう。
で、肝心のクオだ。
アイツを解剖したら、中に隠していたりしないかな。時折、鏡の隙間から向こう側が見えるから、ある程度空洞はあると思う。
ここらでもう一度、ダメ元でも挑んでみるとしよう。
虚空間から入れ替わりに取り出した、どの星座のものか分からない石板を握りしめてミラーセルと相対した。
だけどコレは当たりかも。
握りしめた瞬間から、身体に力がみなぎるのを感じる。
この力があれば、固く閉じた鏡の隙間だってこじ開けられそうだ。
しゃがんで膝に力を溜めて、地面を蹴りとても勢いよく飛び出した。
「……わっ!?」
しかし速い、あまりにも速過ぎる。
先の予想を優に上回るスピードでの接近に僕は思わず狼狽してしまい、エネルギーを明後日の方向に遊ばせながら一旦体勢を立て直した。
「…はっ!」
そしてもう一度、今度はさっきよりも控え目な力で地面を蹴り飛ばす。
「おっ…とと。これでもちょっとやり過ぎか」
突然能力が上がったせいで、身体の動かし方に慣れない。
きっと強い能力だけど、使いこなすには訓練が必要そうだ。
そしてミラーセルの様子を見ると、さっきからピクリとも動いていない。
僕の素早い身のこなしに反応できていないのか、或いはわざわざ動いて対処する程度のことではないと考えているのか。
どちらにせよ、つけ入る隙を見せてくれるのは有難いね。
「……あ、ついでにアレもやっとこうかな」
望み薄だけど、一応ね。
「おほん。クオを、『返せ』っ!」
回復し掛けの妖力をありったけ使って、ミラーセルにそんな命令をしてみる。
もしかして『言霊』なら、無理やり言うことを聞かせることも出来たり……なんて思ったりしたけど、まあやっぱりそんな訳―――。
「……あれ?」
なんか、様子がおかしいよ?
急に悶えだしたかと思えば、触腕をくねらせて自分の身体をこじ開け始めた。
「もしかして、本当に…」
淡い期待を抱き始めた僕に一転、ミラーセルはものすごい勢いで何か大きな塊を投げつけてきた。反応できずに真正面から受け止めたけど……人肌のように暖かい。
というよりも、そのものだコレ。
「…嘘、投げて返すのっ!?」
言霊が効いた喜びより、驚きの方が強いな……。
そして気づいたけど、僕たち階段の方に飛ばされてるよね。
結構長く落下しているのに、全然床とぶつかる気配がない。
――つまり、ついに落ちたときヤバいのでは?
「ぐっ……風よ、勢いを和らげてっ!」
空気で体を押し戻し、速度を殺して地面に着弾する。消しきれなかった勢いが横向きに曲げられて、僕とクオはそれぞれ反対の方向に転がっていった。
何はともあれ、大怪我はしなさそうで良かった。
服の土埃を払って身を起こすと、地面の下から揺れを感じた。
「あっ、変動だ…」
今度の変動はタイミングが良い。
このまま断絶されてしまえば、もう二度とミラーセルと関わらなくていいんだもの。
震動は続く。
いよいよ終わるその時まで、ミラーセルは降りてこなかった。
ふぅ。
僕は安堵の息を吐いて肩の荷を下ろす。
そして、決死の想いで救い出したクオの姿を見て……。
「―――え?」
端的に言おう。
言葉を失った。
立ち上がる彼女の姿を、なんと形容して良いのか分からなかった。
「イタタタ……どこ、ここ?」
さも面倒くさそうに、彼女は声を漏らす。
身長はクオと同じだ。服装も、クオが身に纏っていたものと一緒だ。身体のシルエットも、多分同じくらいだろう。
だけど、違っていた。
決定的なクオの特徴が、全く別のものに挿げ替わっていた。
瞳の色は鋭い黄色に変化し、頭から生えた狐耳は白く内側は赤く、肩ほどの長さの髪の毛もそれに合わせたように真っ白。
そしてあろうことか、茶色でボリューミーなあの尻尾が真っ白に染まり、なんと九本にまで増えていたのだ。
九本に分かれた尻尾の先がそれぞれ別々に、虹のように光っていた。
彼女は驚きのあまり声さえ出なくなっていた僕の姿に気付くと、興味深そうな表情を浮かべてこちらに歩み寄って来た。
「……どうしたのよ貴方。そんな狐につままれたような表情をして。どうせなら、本当につまんであげましょうか?」
そう言いながら、僕の返事も聞かずに頬をつまむ。
鈍い痛みが、この光景が夢ではないことを示していた。
だから尚のこと、何も分からない。
「―――誰?」
辛うじて問いを投げるのが、その時の僕の限界だった。
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