第七十五節 聢と、逃げられない。
「この道も行き止まり、っと…」
カラン…。
寂しく、床に叩き付けられた松明の音が響く。
壁から取り外した松明を、行き止まりへと繋がる道への入口に向かって放り投げておいたのだ。転がっている松明を見れば、その先に階段が無い事が一目で解る。
さて、早く先へと進む道を見つけよう。
僕はその場所を離れて、別々に動いていたクオと合流した。
「ソウジュ、どうだった?」
「ダメだ、こっちは全滅だったよ」
「そっかぁ…」
もう一本、近くの松明を手に取る。
強く振って火を消して、再び分かれ道に転がした。
こうして松明を投げるのも、もう十数本目。
「これで、半分は調べられたかな」
ミラーセルから逃げ出した後、僕とクオはなるべく早く次の階段を見つけられるように二手に分かれて捜索をしていた。
この松明も時短の方法だ。
悠長に地図を描いている余裕が無い今、同じ行き止まりに二度と入ってしまわぬよう、簡単に手に入る目印を活用することにした。
そうして稼いだ時間も、運の悪さで相当浪費してしまったように思えるけど……。
…まあ、そこはポジティブに考えよう。
間違いの道が分かったってことで。
とはいえ探索の内容はミラーセルと出くわすようなこともなく順調で、月並みな表現だけど良い感じだ。ついでに運よく気紛れを起こして、別の階層に行っちゃったりとかしてないかな。
「探索を続けよう、まだ変動が気掛かりだ」
「むぐぐ、急かされちゃうね…」
ああ、本当に難儀だ。
このタイムリミットさえなければ、もう少し安全策を取ってミラーセルへの警戒に重きを置くことも出来たというのに。
奴の居場所は掴めていない。未だ奴に出遭ってない幸運が、いつまで続くかも分からない。だから、この瞬間にその幸運が終わったとしても、それは全く不思議な話じゃなかった。
「……クオ、構えて」
道の向こう、ぼんやりと映る自分の姿を目にして、眉をひそめる。
「あっ、でた…ッ!?」
「…まずいね、この状況」
今までの幸運の反動、ってことなのかな。
行き止まりの道から出てきた瞬間に、十字路の先を塞いでいたミラーセルと遭遇してしまった。
―――さて、どうやって逃げよう?
退路と言えば、僕らの後ろには道がある。
しかしその先は行き止まり、袋小路に繋がっている。
だから
或いはここで討伐をするか。
……いや、恐らく無理だ。仮に辛うじて可能だったとしても、賭けとして分が悪すぎる。
正面突破は最終手段。
本当に、最悪の場合の手段だ。
(そういえばさっき、ループになっている通路があったような……)
そこにセルリアンを誘導して、周りながら頃合いを見て戻って来れば、大した危険を冒す必要なくこの袋小路から脱出できる。
…よし、決めた。
この作戦にしよう。
「クオ、ついてきて」
「う、うん…っ!」
(お前も、来るよね…?)
走りながら、後ろを振り返ってミラーセルの動向を確かめる。
(…よし)
うまく釣れた。アイツは僕らを追って、一周することのできる道の中に入って来ている。ここまで事が運べば、もう何も手間取ることはない。
グルグルと周って視線を遮りつつ、予定通り頃合いを見て通路から脱出。なんとか機転を利かせて、危機を逃れることができた。
「…じゃ、閉じておこうか」
そして、とどめの仕上げにひと手間を。
壁を崩して道を塞いで、瓦礫の隙間に流し込んだ水を凍らせて補強する。
先程も言ったように、アッチは何処に進んでも行き止まり。だからココの道さえ封じてしまえば、ミラーセルは絶対に外に出てこられないのだ。
「ふぅ…これでひと安心だねっ」
「うん。アイツが消えて、すごく気が楽になった」
出てきた時はヒヤヒヤしたよ。
けれどまさか、戦わずして勝つことになるとはね。
「よしよし、ご褒美になでなでしてあげるっ♪」
つま先立ちのクオに頭を撫でられて、感嘆の息が漏れる。きっと初めてのスキンシップに、不思議と僕は日常を感じた。
今更額を伝って降りてきた冷や汗を、ハンカチで拭う。これで本当に、危惧するべきはタイムリミットだけ。まだ変動の兆候はない。今の探索ペースを維持しても、次には十分間に合うはずだ。
……ぐぅ。
「あっ…」
「…えへへっ」
数十分ぶりに訪れた平穏に僕らは揃ってお腹を鳴らし、少し大きめのジャパリまんを半分に分けて食べ歩きながら、次の階段を探すことにした。
§
「そういえば、あの本はなに?」
「…えっと、図鑑のことかな」
手っ取り早く、虚空間から実物を取り出して確かめる。
「そうそう、それっ! あの夜に勝手にお出掛けした時から持ってたよね。どうして?」
……アクセントが、心に痛いな。
「ヤマバクに又貸ししてもらったんだよ。パークセントラルの図書館から借りてきた、夜空に見える星座の図鑑なんだけどね」
「へぇ、星座かぁ…」
星座、という言葉を何度も繰り返し、クオはそのたびに深く頷く。どこか思うところがあるようで、宙を向いた目には表現し難い色が浮かんでいる。
やがてこちらを向き、言った。
「ソウジュは、好きな星座ってある?」
唐突にそんなことを訊かれた僕は思わず、一番印象に残っていたあの星座の名前を答えたのだった。
「こぎつね座……かな?」
「おぉ~、こぎつね座なんてあるんだぁ。それってもしかして……クオのことを考えてるの?」
イタズラっぽく笑って、僕のわき腹を突っつく。
「そう、なるかもね…」
「えへへっ、はずかしがり屋さん」
必ずしも「違う」とは言えないのが、まあなんというか。印象に深く残ったのも、当然のことだったのかもしれない。
「クオは、もちろんふたご座っ!」
「あはは、やっぱり?」
「当然でしょっ?」
言われてしまえば、それしかない。
見た目で言えば、こぎつねだけど。
ニコニコと、久々に”ふたごアピール”が出来て嬉しそうなクオ。
「ソウジュの”ふたご”は、クオだけだから」
笑って細めた目を、大きく見開いて。
「だから、よそ見しちゃダメだよ?」
とても明るく光の無い目をした顔で、ひとこと―――
「あ、あれって次の階段じゃないっ!?」
「…あ、えっ?」
落差の激しい声色に僕は虚を突かれる。
掛けるべき言葉が見つからずに何も言えないまま、呆然とクオを見た。
戸惑っても、瞼を擦っても、嬉しそうに飛び跳ねるクオの表情にさっきまでの翳りはまったくない。全て幻だと思ってしまった方が、辻褄が合うくらいに。
でも間違いない。
僕が見たあの表情は、確かに脳裏に焼き付いている。
「……どうしたの?」
それだけだ。
今はもう、何も……。
「ううん、何でもない」
「そう? またあの怖い揺れが来る前に、早く次に行っちゃお?」
「…そうだね。そうしようか」
僕は、全て忘れることにした。
藪をつっついても、きっと蛇より恐ろしい何かが出てくるだけだろうから。
怖いものには蓋をして、奥を目指して歩き出す。
グラグラグラ……。
「…えっ、もう来ちゃったの?」
しかし前触れなく訪れた揺れが、僕らの足踏みを止めた。怯え、僕の腕を掴んで、クオは周囲を見回す。
「…妙だ」
直感して、今までのパターンから外れている。今までの変動の前にやって来た揺れは、初めは小さく弱く、段々と変動が近づくにつれて大きく強くなっていくというものだった。
しかし今度の揺れは、いきなり強い震動が来ている。
「これは……あっ!」
違う。
変動じゃない。
この揺れは―――!
「…ミラーセルッ!」
「う、うそ…!?」
壁、穴、瓦礫。
周囲に飛び散る石礫と、押し通って来たと言わんばかりの騒音が、ミラーセルが壁を突き破ってこの場に現れたことを示している。
迷路の
「…行くよ、クオッ!」
でも、やることは変わらない。
むしろ単純になった。
アイツに捕まる前に、次の階層へ―――!
「だ、だめっ!」
「…えっ?」
消えた触覚。
掴んだ手が、指から解けて離れていく。
振り向くと、地面にへたりと力なく倒れ込んでいたクオ。
弱々しく、彼女の口から悲鳴が漏れる。
「助けて…動けないよ…」
そうか。
この揺れで、また恐怖に襲われて…。
……どこまでも、迷惑なセルリアンめ。
「待ってて、すぐに僕が…ッ!?」
「い…いやぁっ!」
ゴゴゴゴゴ―――!
再び迷宮が揺れる。僕たちの恐怖を煽り立てるように。この段々と振幅が大きくなっていく揺れ方こそ、変動の前兆を示す揺れ。考え得る限り最悪なタイミングで、次の変動が来てくれたものだ。
それでもまだ、やることは変わらない。
クオを連れていくんだ。
僕は倒れ込んでいる彼女に手を伸ばそうとして……背中に何か、固いものを叩き付けられたような衝撃を感じた。
(違う、逆か…)
僕が吹き飛ばされたんだ。
ミラーセルの、あの大きな鏡の薙ぎ払いを食らい、迷宮の壁に叩き付けられて。
それを思い出した瞬間、全身に鈍い痛みを感じ始める。目で捉えられなかった相当な勢いの打撃だ。骨の一本や二本、もしかしたら折れているかもしれない。
「くっ…!」
身体を起こすと、僕は失っていた感覚を取り戻していく。
目を開けて視覚を、痛みに慣れ触覚を、血流が戻り聴覚を。
そして最後に取り戻したもので、僕はクオの悲鳴を聞いた。
「やめて、放してっ……!」
「クオ…あっ…」
光を取り戻した視界には、ミラーセルの中から伸びた触腕に手を絡め取られているクオの姿が。彼女も抵抗しようとしているものの、震動への恐怖で力が入らないのか、全く振り払うことが出来ていない。
「やめろ…ッ!」
痛む体を起こし、言霊を使うために精神を集中させる。
「待ってて、すぐに助けるから…」
だけど妖力が集まらない。頭が痛い、思考を集中させられない。手が痛い、お腹にぶつかった岩の塊がまだ残っているような気がする。
でも、クオは今、僕よりもっと……。
「『放せ」、「放せ」、放せ…!」
何度も、不完全な言霊を紡ぐ。その度に、力が抜けていく。一度でもたった一人で使えばガス欠になるそれを、無理に連発した僕の身体。僕の言葉に、誰かを動かせるような力はもう残っていなかった。
対してミラーセルはクオを掴んだまま、ずっと余裕そうに僕の様子を眺めていた。
嘲笑していたのか、或いは観察していたのか。それは分からない。でも、向こうから手を出してこない状況は、絶対にチャンスだった。
それをみすみす逃してしまった僕を、今度こそ本当に嘲笑うように鏡を鳴らして、ミラーセルは階段に向かって歩き始めた。
「待て、逃げるな…!」
「ソウジュっ!」
必死に追いかけたけど、巨体に似合わずアイツは脚が速かった。
…多分、僕の方が遅くなっていたんだ。
「はあ、はあっ……!」
息を荒げて、階段に消えていくミラーセルを追いかける。
「クオ…待ってて……僕が……」
脚を引き摺って、強くなっていく揺れの中で、半ば転がるように階段を降りる。
「クオ…!」
そして降り切った階段の先には、ミラーセルもクオも居なかった。
きっと、奥へ進んで行ってしまったのだろう。
変動の終わりを告げるように少しずつ弱くなっていく揺れを、僕は床に当てた手の平で感じていた。
全てを狂わせた震動が、まだ完全に手遅れではないのだと、皮肉な希望の光を僕に見せて消えていく。
「まだ、間に合う…か」
しかと逃げられない影のような希望を携えて、一人分の足音が迷宮の中を響き始めた。
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