第七十四節 後先消えゆく千変万化
「やっぱり、変わったのは下だけか」
安堵して、僕は胸を撫で下ろす。
本格的に奥へと進む前に、階段を戻って上階の様子を確かめておくことにしたのだ。万が一、迷宮の最奥を目指すことが難しいと思った時、帰り道すら消えていたのではどうしようもないからね。
それでも事実さえ知っていれば対策を取ることも……と考えていたけれど、どうやら杞憂に終わったらしい。
第一層の様子は、最初に入ってきた時となんら変わりがなかった。
もしも先に進めなくなった時は、戻ってきて入口から出ることも考えておこう。
まあ、予防線はそんな具合で。
そろそろ階段を降りて、目新しい迷宮の第二層へと向かおうか。
「さて、どんな風に進むべきかな」
「あっ、クオ知ってるよっ!」
「…ん?」
声のした方を見ると、クオがドヤ顔で壁に手を突いていた。
「ふふーん。迷路ってのはね、こうやって壁に手をつけて進んでいけば、絶対にゴールまでたどり着けるのっ!」
「…いや、その方法は通用しないと思う」
「えっ、なんで!?」
僕が否定すると、クオのドヤ顔が一瞬で崩れた。
よく見ると、小さく涙も浮かんでいる。ごめんね。
でも間違いを長引かせたまま、後になって気を落とさせるのも悪いから……本当のことは、早いうちに伝えておく。
「その方法はね、ゴールが迷路の内側にある時は使えないんだ。”左手法”は飽くまで、『壁に空いたゴール』を確実に探し出す方法でしかないから」
この迷路でも使えたら楽だったんだけどね。
でも、さっき下りてきた階段は内側にあった。
この先も同様の構造が続くと考えていいだろう。
「えーっと……じゃあ、どうすればいいの?」
「地図が欲しいな。マッピングが出来れば、確実に道が分かると思う」
「つまり、紙とペンだねっ! あったかなぁ…?」
クオは妖術で虚空間を開いて、ガサゴソと中の荷物を漁り始める。
僕は自分の身体ををまさぐって、何か使えるものが無いか探してみる。
……すると、「いつか使うだろう」と思って入れておいたまま完全に忘れていた一冊のメモ帳が、コートの内ポケットから出てきた。
よし。
地図として使うには少々小さいけど、これで紙は用意できたね。
後は筆記具さえあれば………どうして過去の僕は、メモ帳と一緒にペンを入れておかなかったのだろうか。非常に疑問である。
すると、虚空間の中を探し終わったクオがとても落ち込んだ様子でこっちにやって来て―――なんという僥倖だろう。一本のシャープペンシルを僕に差し出したのだ。
「ごめんね、ペンしかなかった…」
「偶然だね、僕もメモ帳しか持ってなかったよ」
「…あっ!」
パアッと明るく笑ったクオに、僕も同じように微笑み返した。
「じゃあ予定通り、地図を描きながら進もう。まずはここに階段と、この辺の通路の形も描いて……あとは、この階層がどれだけ広いか…」
「えへへ、まだわかんないよねっ」
「これから探るよ。階段を見つけたらすぐに下りるけど」
スピード攻略が肝だからね。
寄り道に使っていられる時間はない。
「行こう。
§
―――数時間後。
「あ…あったよ!」
「よくやったクオ、大手柄だッ!」
タイムリミットが訪れる直前、クオが運よく階段を見つけた。さっきから続く細かな地面の揺れも段々と大きくなって、その時が刻々と近づいていることを知らせている。
階段は向こう、奥の曲がり角の近く。
届くかな……いや、届かせなきゃ。
このチャンスを逃したら、また長い時間が無駄になってしまうんだ。
「ソウジュ、跳ぼうっ!」
「…うんっ!」
意を決して、地面を蹴り飛ばす。
クオは自慢の身体能力で跳んだまま。
僕は妖術で風を起こして、速度を伸ばして。
勢いよく、階段に飛び込んだ。
ゴゴゴゴゴ―――!
僕たちが次の階層の地面を踏んだ直後、轟音と共に大きな揺れが迷宮を襲う。クオは僕の腕にしがみつき、僕はクオの背中を撫でて宥めて、揺れが収まるまで壁に寄りかかって息を噛み殺していた。
…やがて、元通りに静まり返った空気。
だけど僕は知っている。
たった一瞬の間に、この迷宮が大きく様変わりしてしまったことを。
「……ギリギリ、だったね」
感慨深くなって、僕は呟く。
とても危なかったけど、どうにか乗り切れた。
道は長いけどまた一歩、迷路の終わりへと近づくことが出来たのだろう。
あとは、クオがどれくらいで立ち直れるかだけど……
「だいじょうぶ、行けるよ」
「…無理はしないでね?」
「いいの。さっきのも、クオが休みすぎたせいだから」
僕は別に気にしてないけどな。
無理な行軍をするより、万全を期して進む方が良い。
迷宮にはミラーセルだけじゃない、小さなセルリアンの大群も居るんだもの。
幸運にも、その大群に再び遭遇するようなことはなかったけれど。
「でも、なんでこんなに怖いのかなぁ…?」
クオはあの揺れが極端に苦手みたいだ。地形の変動が起こるたびに、思い思いの形で僕にくっついて揺れを乗り切ろうとしている。
ぶっちゃけ役得である。
「ホント、クオにしては珍しいよ」
「むぅ、朝はずっとワクワクしてたのにぃ…!」
「あはは、そういうこともあるって」
今のところそんなに不利益もないし、無理に克服する必要もないと思う。
くっつかれるのも嫌いじゃないよ。
……むしろ好きだ。
「やっぱり見た目は上と同じで、構造もそれほど変わりなし。これまでと同じように地図を描いていけば、次の階段も難なく見つかると思う」
「じゃあ、タイムリミットに気をつけなきゃだねっ」
どういう理屈かは分からないけど、地形の変動は定期的に起きている。そして実際に変動が起きる前には、前兆として細かな揺れが迷宮の中で起こり始める。
例えばそう、地震におけるP波とS波のように。
そしてこれは感覚から導き出した結論だけど、この変動は等間隔で起きている。
願わくば、僕の感覚が間違っていないことを祈りたいね。
「でも……どっちなんだ?」
度重なる地形の変動によって、僕らは退路を失った。
しかしタイミングが違えば、僕たちは同じ階層で足止めを食らう羽目になっていた。
誰かが、意図を持ってやっていることだとしよう。
僕らを辿りつかせまいとしているのか。
若しくは、逃がすまいとしているのか。
まだ、判断は付けられない。
「……あれ?」
そんなことを考えつつ周囲を眺めていた僕は、あることに気づく。
「この階層、見たことがあるな」
「えっ、どれどれ?」
メモ帳を開く。
見覚えがあるのはこの、第二層のページ。
試しに歩き回って確かめてみても、同じ形をしているのは明らかだ。
(形を変えてるんじゃなくて、階層を入れ替えてる…?)
ますます訳が分からない。
いや、一瞬で地形が変わってしまう時点で今更か…。
ともあれ、地図が使い回せるのは良いことだ。
試しに、階段のある場所まで一直線に向かってみることにしよう。
「―――お、思った通りだ」
予想通り、地図に記したのと同じ場所に階段が見つかった。
こんな使い道が生まれるとは夢にも思わなかったけど、ちゃんと紙に残しておいて良かった。
「よし、先に進もう」
次の層は初見だった。
見知った階層が連続するということはないようだ。
やはり、『入れ替え』の線が濃厚か。
なかなか大規模な影響だし、メリ達のような力の強いフレンズが関わっているのかもしれない。
そして話は変わるけど……この層に足を踏み入れた時からずっと、背後に妙な気配がしている。
「クオ、ちょっと足を速めてみようか」
「……? わかった…」
まずは引き離すように歩く速度を上げて、『存在』を確かめる。
気配の正体がセルリアンなら追って来てもおかしくない。
来なければ撒けてそれでよし、僕の勘違いなら何も無し。
……しかし、あまり良い展開ではなさそうだ。
背後を尾けてくる謎の存在は、僕たちに追い縋るために向こうもスピードを上げ、ついにピタピタと湿っぽい足音を隠すことさえ忘れたようだ。
「き、来ちゃってるね…!?」
危ないね、完全に狙いを定められている。
気付くのが遅れていたら不意を打たれていたに違いない。
「もう、やっちゃった方がよくない?」
「最後はそうするよ。だけど、ここで戦うのは得策じゃないな」
ここは道が複雑だ。
十字路が入り交じり、曲がり角も多い。
身を隠す場所には困らないことだろう。
こちらが姿を確認できていない相手と、こんな場所で戦いたくはない。
「……そうだね。なるべく長い、直線の道で戦いたいな」
そういう場所なら、僕たちの優位も活かせるから。
「あ、この先とかどう?」
「いいね、一気に駆け抜けよう」
「わかったっ!」
早歩きは終わり。
ここからはダッシュだ!
並んで走りながら作戦を練り、やるべきことをクオに伝えた。
「合図したら、クオは上を通って思いっきり後ろに下がって。アイツは絶対についてくるはずだから、それで挟み撃ちにする」
チラッと、クオが頷いたのを確かめて、あとはタイミングを測るのみ。
狙い目は通路の中央。
三割……四割……五割。
「……今だよっ!」
「よ~い…しょっとっ!」
急停止からのバック宙。
空中で壁に触り、足をつけて壁を蹴り飛ばし、大きく後ろに下がる。
そして、ついに僕たちは……。
―――誰もいない空間を、挟み撃ちにした。
「…ソウジュ、いる?」
「……いるよ」
足音はずっと聞こえていた。
よもや、居ないなんてありえない。
「少し下がって、派手にやるから」
こういう奴を引きずり出す方法には心当たりがある。
僕は妖術の構えを取って、普段は使わない高位の術式を空中に描き始めた。
途端、肩にのしかかる重圧。
(っ……やっぱり、規模の大きな術は厳しいな。ホッカイにいたときから沢山修業してきた筈なのに、妖力の量も全然増えてないや…)
クオが羨ましい。
あんな妖力が僕にもあれば、どんな妖術でも使い放題なのに。
(―――まあ、その分クオと沢山スキンシップできるからいいんだけど)
ともあれ、構築は完了した。
いくら少ないと言っても、この位の妖術を使えない程ではない。
……まあ、一回きりなのが問題なんだけども。
「……まとめて、燃やすっ!」
発動したのは炎の妖術。
その中でも、とりわけ大きな範囲を火の海にする術。
どこに隠れても無駄だ。
弾丸を当てられないなら、爆弾で一網打尽にすれば良いのだ。
「ほら、姿を見せたよ…!」
「あっ、カメレオンだ!」
「……なるほど、周囲の景色に紛れるセルリアンってことだね」
そんな風に呑気に分析しているうちに、セルリアンの身体の緑はゆっくりと薄れ始めている。
「アイツ、また消えようとしてる」
「クオに任せてっ、斬っちゃうよっ!」
ひょいっと一歩前に出て、すぐに間合いはクオのもの。
「えいっ!」
まずは逃げられないように蹴り上げたかったのだろうけど……力加減を間違えたようで、飛ばされたセルリアンは勢い余って僕の方に飛んで来る。
「あっ…」
「…大丈夫、僕がやるよ」
虚空間を開き、スペアの刀を引き出す。
鞘から刃を抜いて、飛んで来るセルリアンの中心を捉える。
「……っ!」
一刀両断。
セルリアンは真っ二つに切り裂かれ、石板が僕の頭の上に落ちてきた。
「いてっ」
「わわ、痛そう…」
心配げな顔をしたクオに笑いかけ、無事をアピールする。
そして頭の上から石板を手に取って、今日は改めてまじまじと見つめてみる。
(この模様……よく見たら、あの図鑑に載っていた星座の形に似ているような気がする……『カメレオン座』って、あったっけ?)
「ソウジュ、考え事?」
「あぁ、いや…別に」
「階段見つけたよ。また……その、アレが来ないうちに、行こ?」
「うん、そうしようか」
石板のことはまた今度。
落ち着ける時に、ゆっくり確かめよう。
ひとまず簡易的に、階段までのルートを描いて。
階段を下りて、次の階層へ……。
「止まって」
しかし早速、計算外の事態に襲われる。
右奥の広い通路に、ソレは存在していた。
思わず口を抑えて、クオは叫び声を上げた。
「ミラーセル…っ!?」
「…これも、入れ替えのせいってことかな」
運悪く上下の位置関係が入れ替わり、遭遇してしまったのだろう。
「逃げよう。戦える相手じゃない」
クオの手を引いて、ミラーセルがいるのとは反対方向の通路に駆けこむ。そして走りながらもメモ帳を開き、今までに通った階層との類似点が無いかを探していく。
しかし共通点は見つからない。
また初見の階層か……!
「……ちっ」
思わず舌打ちをしてしまう。
ハッとしてクオの方を見ると、少し怯えた表情をしていた。
「ソウジュ…?」
「…ごめん、イライラしちゃって」
「いざとなったら任せてね。ソウジュの邪魔をするやつらは、クオが全部斬っちゃうからっ!」
哀しさの抜け切らない顔で健気に微笑んで、クオはそう言った。
「うん…ありがとう」
だから僕は努めて、陰りの無い声でお礼を言った。
クオの優しい声を聞くと、心に巣食っていた焦りや苛立ちがはらはらと解けて、幻のように消えていくんだ。
……やっぱり僕は、クオがいないとダメだなぁ。
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