第七十三節 今日は楽しい迷宮入り
カントーの地下へと繋がる長い階段。奥を覗き込めば、壁に掛かった松明が断続的に照らす仄暗い通路が姿を見せる。
僕とクオはきざはしの間際で足を止め、このまま進もうかと顔を見合わせながら、十数分ほど時間を浪費していた。
今日の天候は曇天。
アイボリーの色をした雲が、空を平等に覆っていた。
「…行こう。そうじゃないと何も始まらないよ」
暗がりを恐れて縮こまるクオの手を引きながら、一歩ずつ確実に石段を降りていく。奥行きのあるトンネルに足音が何度も反響し、まるで都会の喧騒の中にいるかのようだ。
クオは僕の袖を掴んだまま、落ち込んだ様子で後ろをついてくる。
……どうにも、昨日ヒグマと”ちからくらべ”をして負けてしまったことを、今になっても引き摺っているらしい。
脳裏に当時の光景を思い出してみても、彼女の強さは圧倒的だった。セルリアンハンターたちの中でリーダー格を張っているのも頷ける。
クオもある程度食らいつくことは出来ていたけど、如何せん相手が悪かったね。
「ほら、元気出して。冒険だよ?」
「…うんっ」
未だ元気にならないまま、声は下の方で弾んでいる。
なんとか頑張ってはいるみたいだから、あとは時間が癒してくれることを待つとしよう。
―――さて、気を取り直して。
僕たちはイエイヌの紹介を受けて、ある日カントーに前触れもなく現れた、最果て不明の地下迷宮の目の前までやって来た。
ジャパリパークではその目的で造られたアトラクション以外にも、致命的な設計ミスによって生まれた複雑怪奇なショッピングモールなどが迷宮と呼ばれて親しまれている。
そして、これらは故意か事故かは置いといて、ヒトが目的を持って造り上げた建物が元になって存在している。
……まあ、こういう前置きをしたってことはもう分かるよね。
僕たちが今から入ろうとしている迷宮は、生まれた理由がいまだに明らかになっていない。
イエイヌのご主人様――セントラルで働いているらしい――に集めてもらった過去のジャパリパークの資料にも、この迷宮のことは載っていないらしい。
前身となったパーク施設の形跡も見つからず、「ある日気付いたらそこにあった」というこの迷宮は、大都会のミステリーサークルと呼んで差し支えないだろう。
そんなこんなあって、完全に迷宮入りとなった起源探し。
僕たちは今日この迷宮に入り、その一端を探すことになっている。
もちろん、適当にスリルを味わったら切り上げて帰るつもりだ。何があるか分かんなくて、怖いったらありゃしないもん。
「…大きな扉だね。きっと、ここが入口だ」
途中でくすねた松明で照らしたその扉は、隙間に土埃が噛んで動かすと茶色い煙が辺りに舞い散る。イエイヌから聞いた説明の通り、ここは本当に放置されていたみたいだ。
まあ当然か。
こんな不気味な場所、好き好んで入る人の方が少ない。
内部から
「場所だけ言って消えちゃって、きっと
「確か、事情があるって聞いたけど…」
「…そうなの?」
聞いた限りではそのはずだ。確か近々休みを取って、パークセントラルにいる”ご主人様”の所まで遊びに行くそうな。
向こうは忙しくて来れないけど、こちら側から赴く分には特に問題は無いらしい。
そのご主人様について、気になって僕も尋ねてみたのだけど、「秘密にしろと言われています!」と堅く口を閉ざされてしまった。
だが、隠される程に好奇心が湧いてしまう。
さもありなんカリギュラ効果的衝動に突き動かされ、将来セントラルに行った折には少し探ってみてやろうと、僕は密かに決心しているのだ。
――そんなところで、話を戻そう。
完全に開いた大扉から中に入ると一転、迷宮の内部は出所の分からない光に満たされていて、普通に歩き回れるくらいに明るかった。
尽きない光は時間の感覚を失わせ、空色に舗装された天井は晴天を彷彿とさせる。
とても…不思議な空間だ…。
「この迷宮の一番奥に、何かがあるんだね…」
「クオ、ワクワクしてきた…!」
「…あれ、急に元気になった?」
「明るいからへーきなのっ!」
なるほど。
かわいい。
でもクオの感じている通り、恐怖とか緊張とか、全て何処かに消えてしまいそうなくらいに明るい場所なのは確かだ。
むしろ、油断をしないように気をつけた方が良さそうだね。
「迷わないように、コレ巻いとこうか」
……お久しぶりです、虚空間。
空中に生みだされた唯一の暗闇の中から、僕はグルグル巻きのロープを取り出して、入り口の外側にある丁度良い高さの杭に縛り付けておいた。
これでロープを持ちながら歩けば、迷うことはない。
些か長さが心許ない気もするけど、足りなくなるようだったら探索を諦めて帰って来ればいいだけだ。
「これで安心、だねっ!」
「うん、じゃあ進もうか」
ロープの束を片腕に携えて、僕たちは迷宮の奥を目指して歩き始めた。
§
迷宮入りをしてから少々。
内部を歩き回っていた僕らは、一つの事実に辿り着いた。
「あ、次の階段だよ」
「……今度も早いね」
―――この迷宮、構造が中々に素直だ。
少なくとも、そこまでの複雑さは無い。
もちろん、知らない場所ゆえに多少は迷ってしまうけれど、ロープの助けもあって簡単に正規の順路に戻ってくることが出来る。
……『迷宮』という呼び名は、内部の見た目が理由の十中八九ほどを占めているに違いない。
予備のロープさえ足りれば、最奥部まで行くこともできるんじゃないかな。
地下何階くらいまであるのか知らないけど。
だけど、その平穏具合にクオは不満があるみたいだ。
「うぅ、スリルが足りない…」
「じゃあ、何とかして暗くしてみる?」
「…それはいけない」
どうやら、暗闇はNGらしい。
普段はさほど気にしないのに……。
「こういう場所だから、怖くなっちゃうの」
まあ、分からなくもないけど。
「ソウジュ、手を離さないでね?」
「わかってるって」
片手にロープ。
片手にクオ。
大体そんな感じ。
「あーあ、セルリアンとか出てこないかなぁ~」
出てこないと思うけどなぁ。
こんな何も無い場所で、何を食べて生きて行けることやら。
だってセルリアンって、輝きを吸収して……あぁ、ここ明るいや。
じゃあ前言撤回。
場合によってはあるかもしれない。
だから念の為、妖術を使えるようにしておきたかった。
……手が空いてないのですよ、物理的に。
「…ん?」
と、その時、背後の曲がり角から聞こえてきた物音。
ウヨウヨと漂う、普段の生活では聞き慣れない奴らの音だ。
来るかもね、そのうち。
「準備はしておいて、僕はすぐに動けないから」
…そして予想通り、セルリアンは現れた。
僕の予想から、とても大きく外れてしまった形で。
あの異常事態に真っ先に気付いたのは、クオだった。
トントンと肩を叩かれた感覚が、まだ妙に色濃く残っている。
「ねぇ、ソウジュ?」
「うん」
「もしも、クオが見間違いをしてないならの話なんだけどね?」
「…うん」
クオが指をさしたのは、真っ直ぐと続く通路の奥。
皮肉かな、どこまでも明るいおかげで遠くの様子がよく見えたよ。
……見えちゃったよ。
「アレって全部、セルリアン?」
答えの分かり切った質問に、僕は頷く。
通路を三次元的に埋め尽くし、カラフルな濁流のように通路を流れてゆく大量のセルリアンを目の当たりにして、何か感想を口にする気にはなれなかった。
でも、これだけは言わなきゃ。
「…逃げるよ」
「わかったっ!」
二人揃ってクルリと反転、踵を返して走り出す。
ロープの束はその場に放棄して、床に落ちた道標を頼りに来た道を戻っていく。
一回、二回、三回。
丸きり無駄なことなのに、階段を昇った回数が妙に頭に残ってしまう。きっと、予想よりも遥かに多いセルリアンの数に錯乱していたのだろう。
普段なら多少の危険は承知でも、二階層ほど上に来た時点でセルリアンが本当に追って来ているか足を止めて確認していたに違いない。
その行動が果たして正解か否か。
結論を出す必要はない。
ただ、「そんな考えすら浮かばなかった」という一点で、僕は冷静さを失っていたと言えるだろう。
……まあ、そろそろ落ち着いてきたかな。
荒れた息を整えて、真っ先に、思わず、僕は呟く。
「いたね、セルリアン」
しかも、かなり大きな徒党を組んだ状態で。
「どうする? やっつけちゃう?」
「ううん、危ないよ。ここは外に戻って、一応キンシコウとかに伝えておこう。何かあった時に対処できるように」
ロープを手繰って、入口を目指し今穂は悠長に歩いていく。
予期せぬセルリアンの集団には見舞われたものの、これ以上は何も起こらないだろうと高を括っていた。
実に甘い考えだった。
「―――あっ!?」
入口に辿り着いた僕たちは、予想だにしない光景を目にした。
「扉、壊されちゃってるね…」
「やれやれ、瓦礫まみれだ。セルリアンの仕業かな…?」
入口付近の壁や地面が何者かによって破壊され、周囲に破片が散乱していた。
こんなことが出来るのはまあ、セルリアン程度なものだろう。浅い層にはいないかと思っていたら、とんだ勘違いだったわけである。
「まあいいや、なんとか除けよう。どのみち、ここからしか出られないんだから」
とはいえセルリアンへの怒りなどは無く、むしろ静かな諦念を抱えて、撤去作業を始めるべく僕は『言霊』のために精神を集中し始めた。
……しかし、クオの叫び声が僕の気を引く。
「ソウジュ、セルリアンがっ!」
「っ、よりにもよって…!?」
とっさに身体を翻し、敵の姿を捉えようと眼球を回す。
そして見つけた巨大なセルリアンは、長方形の板を何枚もつなぎ合わせて半球に仕立て上げたような、見るも奇妙な身体を激しい音を立てて動かし、それぞれの板についた無機質な目を全てこちらに向けながら、我が物顔で迷宮の中を闊歩していた。
……光の反射で、アイツ眩しいな。
僕はクオに手を引かれてその場を離れ、追って来る様子がないので曲がり角に隠れながらセルリアンの様子を窺っている。
「強そうなセルリアンだね。なんでこんな時に…」
「大丈夫だよ、やっつけちゃお?」
「…いけるかな?」
「でも、そうしないと出られないよ」
それはそうなんだけど、強そうだからね…。
出来ればより安全な方法で脱出を―――ん?
「待って、なにこの揺れ…?」
「ソウジュ、あれ見て!」
あれとは、もちろんセルリアン。
そしてこの揺れの正体も自明だろう。
僕の予想通り、入り口付近を壊したのはあのセルリアンだった。
身体を構成する長方形の板は銀色で、鏡のような見た目をしているし、アイツのことはこれから『ミラーセル』とでも呼ぶことにしよう。
ミラーセルは、余念のない破壊行動で順調に瓦礫を増やしている。
「ありゃりゃ、徹底的に壊そうとしてるね」
「早くしないと、ホントに出られなくなっちゃうんじゃ…」
「きっとね」
それは正しい。
だけど僕に、アイツと対峙する気はなかった。
「…クオ。出口を目指してみない?」
「えっ?」
「真正面から戦わない方が良い相手だよ、アイツ。それよりかは、出口を目指す方がもっと安全に脱出できると思う」
懸念があるとすれば、最深部の深さが分からないこと。
そして更に、先程のセルリアンの群れと戦うことにはなるだろう。
しかしそれぞれの個体は、所詮一匹の弱いセルリアンだ。
軽々と迷宮を破壊できるようエリートなセルリアン一体よりも、有象無象が集まった数の暴力の方がまだ御しやすいように思える。
……あの強い奴は、ここから脱出できたら改めて討伐の計画を練ることにしよう。
こう言うと呑気に思われるかもしれないけど、アイツは迷宮から出ることを目的にはしていないだろう。もし違うなら、その並外れた破壊力で外への道筋はとっくに開かれているはずだ。
案ずることはない。
僕らが情報をしっかり伝えられればいい。
その限りにおいて、時間は十分にあるはずだ。
「だから、どうかな…?」
「わかった、行こっ!」
「…ありがとう」
きっと迷宮を攻略し、出口と謎の答えを見つけ出そう。
そう決意して、僕たちは再び、戻って来た道をなぞるようにして迷宮の奥を目指すことにした。
したのだが。
ゴゴゴゴゴ―――!
「―――おかしい」
最初の階段の、最後の一段を降り切る前に、
「迷宮の構造が、変わってる…?」
目の前に広がるのは、ついさっき訪れたときとはすっかり様変わりした迷宮の景色。今になって漸く、本性と牙を剥き出しにしたかのような複雑怪奇。
地面に落ちていたのは、志半ばに寸断されたロープの切れ端だった。
何かを暗示するかのように意味深に置かれたソレに、僕は舌を噛む。
「気をつけよう。何が起こるか分からない」
迷宮入りは、まだ始まったばかり。
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