第七十一節 貰い物に危ない薬が多すぎる

 けものプラズムを解析した結果を待っている間、クオと僕は病院の一室で、オレンジジュースを飲みながらくつろいでいた。

 どうして飲み物がこれなのかを聞くと、


「私の趣味だ。程良い甘みと酸味が、脳味噌をよく働かせてくれる」

 

 …ということだった。

 まあ、飲めるだけ有難いと思っておこう。


 そして僕たちがいるこの部屋。

 レントゲン写真を張り付けられそうな白いボードに、患者を寝かせて診察を行うための簡素なベッド。見るからに診察室といった雰囲気だ。


 とはいえ、居抜きそのまま部屋を使い回している訳ではなく――ソファやテーブルが置かれ、壁掛けの時計やカーペットで装飾されていたりと、苦心して来客用に改装した跡が見える。


 少し視線を滑らせれば……おっと、カーペットの角が少し折れ曲がっているね。直しておいた。


 まあ、そのような工夫もあって、居心地の悪い場所ではない。

 ではないのだが、じっと座って待っているだけでは退屈だ。


 さっきの誘拐劇ほどとは言わない。

 何か面白いことがそこらに転がってはいないだろうか。


 そう思い部屋の中を探り始めた僕は、隅の方に安置されていた棚に、見るからに子供向けの絵本が飾られていることに気が付いた。


「『三匹のこぎつね』…?」


 どうやら、キツネたちが主人公の童話らしい。

 表紙には可愛らしい小さなキツネが三匹、並んで描かれている。

 

「ソウジュ、何か見つけたの?」

「まあね、絵本だよ」

「どれどれ……あっ、キツネだっ!」


 ぴょこん。

 キツネ耳が跳ねる。


 クオは当然の権利のように僕から絵本をひったくって、ソファに戻って絵本を観察し始めた。しばらくその様子を呆然と眺めていると、こっちを見て手招きをする。


 ……クオは、僕と一緒に読みたいみたいだ。


 僕はクオの隣に座って――ついでに絵本の中身を声に出して読むようねだられたので――人生で初めての読み聞かせに、今日ついに挑戦することと相成った。



 ―――鐘が鳴る。針が示すは13時。



「あー、おもしろかった」

「気に入った?」

「うんっ!」


 話の内容はよくある普通の童話。

 イタズラ好きのキツネたちが、ふと他人の大切なものを壊してしまい、なんやかんや頑張ることで解決して、無闇なイタズラはやめようと反省をして終わるというものだ。


 …まあ、ファンシーな絵柄で見ていて楽しかったかな。


 童話らしく、子供たちへの教訓のような内容も入っていたしね。


「クオはこの絵本、どんな内容だったと思う?」

「ヘマさえしなきゃ、どんなイタズラをしても大丈夫ってお話っ!」

「…あれ、そうだったっけ」


 思わず中身を読み返す。

 …クオの言う通りな気がしてきた。


 そうだよね、失敗したから大変なことになったんだもんね。じゃあ、失敗しなけりゃ良いって話になっちゃうか……。


「キツネだもん。イタズラはライフワークだよ」

「そう言う割には、やったこと無いよね」

「えへへ、本当にそうかな?」

「えっ…?」


 もしかして、僕の気付かない間に…?


「ふふーん、冗談だよ」

「こ、怖いなぁ…」


 気付かれないイタズラに果たして意味があるのか。

 それは考えないことにして、もしも仕掛けてきたときに見抜けるように、普段から注意を配っておこうと思ったのだった。



 待ち時間の過ごし方はそんなところで、しばらくすると資料を抱えたバビルサが部屋にやって来た。


「やあ、寛いでいるかい?」


 彼女は部屋に入るや否や、僕たちの方を見てニヤニヤし始める。

 いったい何だと見渡せば、灯台下暗し。クオが僕の腕にしがみついていた。


 ……これは、このままにしておこうかな。


 バビルサの生温い視線は目を合わせないことで無かったことにし、場の雰囲気を変える意味も込めて僕は解析の結果について尋ねた。


「おかげさまでね。結果が出たの?」

「ああ、今から聞かせてあげよう」


 そう言って資料を広げ、バビルサは結果について話し始めた。

 全体を概して要所をかいつまんだ説明で、難しい専門用語が入る都度に軽く説明をしてくれたりと理解しやすい説明だった。


 しかし、分かりやすさの弊害だろうか。説明を通して得られた理解は、少し前に廊下で聞いた話の内容と大差なかった。文句を言っても仕方ないけどね。


「……結論を言ってしまえば素晴らしい。今からでも根こそぎ頂いてしまいたいくらいだ」

「えっ」

「ダメっ! ソウジュにひどい事しないでっ!」


 クオはバビルサの前に立ち塞がり、両腕を横に広げて通せんぼの構えを取った。

 彼女に睨みつけられた当のバビルサはケラケラと軽薄な笑い声をあげて、「そんなつもりはない」と弁解した。


「分かっているさ。大事な客人にそんなひどいことはしないよ」

「……あやしい」

「そうかい? まあ、もう言われ慣れたけどね」


 口角の上がった顔を見て、その表情のせいだと切に感じる。

 しかし今更変わる気も無いのだろう、変わるメリットも無いだろう。


 クールなメガネと合わされば科学者としての風貌は申し分なく、戸棚から瓶を取り出す何気ない動作さえ様になっているように思える。


 コツン。

 ガラスの音が木製のテーブル伝いに響き、指の隙間を縫うように瓶が滑り込んでくる。持ち上げてみれば透明な水面が揺れ、貼られたラベルには簡潔に『けもの水』と書かれていた。


「……これは?」

「私からのお礼だ、受け取ってくれ」


 隠す気の無いニヤニヤを浮かべて、バビルサはそう言った。


「一応、効能は聞いておきたいな」

「色々あるが、主には滋養強壮だ。大切な仕事の前に飲んでおけば、良いパフォーマンスを発揮することが出来るだろう」

「副作用とかはないの?」

「……若干の興奮作用だな」


 言葉を濁し、彼女はそう答える。

 興奮作用……事実を隠しているとすればここだ。


「若干、ねぇ……具体的には?」

「何を疑っているんだ? そんなに信用がないのか?」

「イヤな予感がするんだよ」


 きっと、彼女が主張する”興奮作用”は決して嘘ではないのだろう。でも、必ずしも真実を全て話しているようには思えない。


 身体に使う薬なら尚更に、不透明なことは恐ろしい。

 綺麗に透き通る『けもの水』に、真実は何一つ映っていない。


「……効果には個人差がある」

「じゃあだけでも教えて」


 僕は食い下がる。

 バビルサは額に浮かんだ汗を拭い、テーブルを挟んで緊張が走る。


 水を打ったように静まり返る診察室。


 ……その沈黙を破ったのは、クオの声だった。


「あ~っ!」

「…クオ、どうしたの?」

「あっ、その資料は…!」


 上の方の戸棚から取り出された資料。

 それを見た瞬間バビルサは目の色を変えて動揺し、言うまでもなくそれが何か大事な物であると悟った。


 中身が何であれ、確かめねば。

 僕は叫んだ。


「クオ、パスッ!」

「おっけー、はいっ!」


 一つ、忘れてはいけないこと。

 それは件の資料が、クリアファイルに入れられていたという事実。

 空中を舞うファイルから紙がこぼれ、部屋の中に散乱してしまう。


「あぁ、なんてことを…」


 悪いね、これも真実の為だ。


「『けもの水』の効果は……あった」


 案外あっさり見つかった。

 取られないうちに確保できてよかったね。


 そして小さな活字の文章に目を通し、先へと読み進めていくうちに、口を抑えたくなるような真実のベールがゆっくりと剥がされていく。


 とりわけ、とある一言が、印象に深かった。


「暴走……ねぇ?」

「ハハハ、もう隠してはいられないようだね…」

「とんだ科学者精神だね。お礼と称して実験体にしようだなんて」

「いいや、それは間違いさ…」


 往生際の悪さも大概に、この期に及んで彼女は言い逃れようとしているようだ。


「間違いって、何が?」

「『けもの水』の実験は既に終わっている。それは完成品だよ」

「…じゃあ、余計にマズいと思うんだけど」


 コモモの増強剤といい今回のけもの水といい――危険度で言えば後者の方が高いだろうけど――どうして研究者肌のフレンズは安全な薬を作れないのかな?


 まあ、フレンズは薬なんて作らないか。


 それはさておき。

 バビルサはまだ申し開きがあるらしい。


「その資料は開発段階のものだ。渡した『けもの水』の効能とは異なる。完成品では滋養強壮の作用を

「……はい?」


 なんか、聞き捨てならない言葉が聞こえたような。


「じゃあこれ、ただの暴れる薬?」

「人聞きが悪いように言えば、そうなるな」

「いや、どの角度から見ても同じだと思うけど…」


 何故興奮作用の方を消さなかったのか。

 これがわからない。


「あぁ、一つ……クオだけに教えてあげよう。ここで言う所の―――」

「―――っ!?」

「クオ…?」

「ククッ、いつか役に立つ日が来るかもしれないね…!」


 ちょっと待って。

 クオに何を教えた?

 顔を真っ赤にして悶えてるんだが。


 そのクオは僕の傍までやって来て、これまたとんでもないことを言い出した。


「ソウジュ」

「うん」

「一応、もらっとこ?」

「…何を吹き込まれたのかな」

「な、何でもないよっ! でもほら、旅って、何が役に立つか分かんないじゃん…」

「…まあ、どうしても持って行きたいなら良いけど」


 意地を張ったらテコでも動かないのがクオだし、まあ仕方ない。

 …ただし、クオに変なことを吹き込んだバビルサは許さないけどね。


「ククッ、そう人を睨むもんじゃないよ?」

「……ふん」


 微妙な空気感のまま、僕たちはバビルサの研究室を後にすることとなった。




§




「ねぇ、ソウジュ」

「その水のことなら、飲まないよ」


 森からの帰り道。

 クオは未だに粘っている。


「危ないったらありゃしない。もしもクオに襲い掛かったりしたらどうするのさ」

「平気だよ、クオの方が強いもん」

「…それも、ちょっと複雑だな」


 つくづく、身体能力においてヒトはフレンズに勝てないんだなって。


「あ」


 しばらくけもの道を歩いて森を抜け、舗装された街道に差し掛かった頃。

 遠くの建物の陰にイエイヌとオオアリクイの姿を見つけた。


 二人も僕たちに気づいたようで、先にイエイヌが駆け寄って来た。


「ソウジュさん、無事でしたかっ!?」

「まあ、特に何も無かったよ。二人は?」

「わたしたちは工場に行き、目的の食材を手に入れたところだ」

「そっか、よかったね」

「あぁ、これでわたしのアイデアを存分に表現することが出来る」


 カードキーと工場について、二人と合流してから行こうかなとも思っていたけど、先に用事を済ませてくれていたようで有難い。

 もう森を進む必要もなくなって、クオもホッとしていることだろう。


「明日、わたしのキッチンに来ると良い。一晩寝かせて作る料理ゆえ、今夜はその下準備をしなくてはならないからな」


 大掛かりな準備をする食べ物らしい。

 食材の用意から時間が掛かったこともあって、期待値がどんどん上がっていく。


「わかった、じゃあまた明日だね」


 とはいえ、本番は明日だ。

 逸る気持ちを抑えて、二人とは別れの挨拶を交わした。


 そして、街道をなぞる帰り道。


「ソウジュ、やっぱり…」

「飲まない! けもの水も、奥の方に仕舞っておいてね」

「うん…」


 やれやれ、本当に何を言われたんだか。


 明日の料理とけもの水。

 ワクワクと不安が混ざりあって、非常にアンビバレントな心持ちだ。


 だから突然夕焼けに降り始めた天気雨は、そんな僕の心情を汲み取ったが故の雨だったのかもしれない。

 雨の音しか聞こえない、ある意味静かな夜だった。

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