第七十節 欲望、輝き、純粋な。

 気が付くと、僕はどこだか分からない建物の中にいた。僕を乱雑にベッドの上に放ったバビルサは、今は他の部屋に行ってここには居ない。


 ポンポンと、何となくベッドを叩いてみる。マットレスは宿にあったものよりも硬くて、快適に眠るために作られているようではなさそうだ。

 部屋は病院の一室を間借りしたような内装で、ほんのりと薬品の香りが漂っているような気もする。


 部屋を見て分かることはそれくらい。

 僕が置かれている状況のことは、全く以て分からない。


 確か、ツチノコに売られたんだっけか……。


「ようこそ、私の研究室へ。まあ、大昔にヒトが使っていた施設を勝手に借りているだけだがね」


 クツクツと嗤う声がする。謎の機械をガラガラと引っ張ってきて、バビルサは何か実験の準備のようなことを始めた。

 

 嫌な予感が、冷たい汗になって背中を伝う。


「警戒しなくていい。君の身体を傷つけるようなことは一切しないと誓おう」

「……つまり、精神は傷つけるってことで良いのかな?」

「ククッ、信用されてないね…」


 強引に誘拐しておきながら何を言っているのか。

 というか、さっさと逃げ出してしまってもいいんじゃないかな。必要だったカードキーについては、イエイヌが受け取ったのをちゃんと見た訳だし。


 ……うむ、代わりの生贄なんて御免だね。

 張り倒してでもオサラバしよう。


 そう思ってベッドから降りようとした時、閉まったドアの向こうからとても聞き慣れた声がして、僕は思わず体を止めてしまう。


「ソウジュ、起きた~?」

「……クオ、何してるの?」

「ん? なにって、パフェを食べてるだけだけど」

「それは、見ての通りだよね」


 木製のスプーンがプラスチックの容器に擦って音を出す。

 掛けるべき言葉を見失った僕の横で、バビルサが胡乱な微笑を浮かべている。


「知らないのか? このパフェを」

「どちらかと言えば、知らないかな…」


 パフェっていうお菓子は分かるけどね。

 目の前でクオが食べているような、具体的な商品についてはさっぱりだ。


 …というわけで、ご解説をよろしくお願いします。


「まあ、特別な物ではない、マーケットで手に入る既製品だ。しかしこれがまあ美味でとても気に入っている。だから冷蔵庫には常に取り置き、最低でも三つを下回らないように心掛けている」


「…どうして三つなの?」

「愚問だな。朝・昼・晩、三食全てのデザートに食べるからに決まっているだろう」


 そ…そっか。

 うん、まあ、別に良いことだと思うよ。


 問題なのは、むしろそう。


 ……他でもないクオが、そのパフェで懐柔されてそうなところなんだよね。


 僕の見立てによると、九割九分九厘あの子は丸め込まれている。

 詰みですね、間違いない。


「ソウジュも食べよ? 美味しいよ!」

「うん…」


 目の前に差し出された半分ほど食べ掛けのパフェを見て、僕は葛藤する。

 クオの食べ掛けを貰うこと自体は吝かではないし、寧ろ非常に嬉しい限りなのだが、これは僕までパフェで懐柔されたことになってしまわないだろうか。


 ……そこは上手くやってみよう。

 僕はパフェを受け取りつつ、今後のことも考えて一言ちゃんと言っておく。


「クオ、お願い。美味しい物が食べたいなら僕が用意するから、他の子が何か持って来ても釣られないで欲しいな」


 しかし、返事がない。

 パフェから視線を外してクオを見ると、不思議そうな表情で首を傾げていた。

 少し怖くなって、つい尋ねてしまった。


「…えっと、ダメかな?」

「ううん、いいよ。いいんだけど」

「だけど……どうしたの?」

「クオの方が、お料理上手だよね?」



 ………あ。



「―――バビルサ、僕をこんな所に連れて来て何のつもり?」

「切り替えが早いな。痛い所でも突かれたか」

「答えて、痛い目を見たくないなら」

「ククッ、恐ろしいな」


 白衣の裾を翻し、彼女は椅子に腰掛ける。そして投げ捨てたようなファイルを机の上から拾い上げ、目当ての書類を探すように紙をめくる。


「案ずるな、少々サンプルの採取に協力してほしいだけだ」

「…それ、本来はツチノコの役目だったんだよね」


 恐らくはかなり長い間、バビルサはツチノコへのアプローチを続けていた。

 その態度を今になって翻すとは、どういう了見をしているのだろうか。


「まあ、その通りだな。しかし、彼女である必要はなかった。飽くまで私が求めていたのは、”超常的”な力を持つフレンズのけものプラズムだ」


 飽くまで、人物ではなく特徴と。

 それにしては、不相応に執着が強かったように思える。


 無論、今日出会ったばかりのバビルサに対して、意気揚々とその心中を推測して語り明かすことが出来るような図々しさは持ち合わせていないが。


「時にソウジュよ。君は不思議な力を使えるそうじゃないか」

「…誰に聞いたのかな。ツチノコ?」

「ご名答。尤も彼女は推測で語っていたが、私の作ったレーダーも君たち二人に対しては特に高い反応を示していたよ」


 思った通りか。

 というか当てずっぽうだったのか。

 そしてレーダーとは……?


 情報量が多いが、今は置いておこう。


 僕が生贄協力者に選ばれた理由は、恐らくは妖術のを感じ取られたからに他ならない。



「…目的は?」

「まず第一に知識欲。そして第二に……発明だ」


 そちらの答えは予想の範囲内だった。

 別に理由の如何で『気に入る』ことも、逆に『気に食わない』ことも、特にありはしないのだけど。


 一応、知っておいて損はない。


 バビルサは興が乗ってきたのか演説を始めてしまったが。


「私は今までに、多くの革命的な薬品を発明してきた。けものプラズムの研究が進めば、その偉大な成果を更に広く応用することが可能になる。なにせ、けものプラズムひいてはサンドスターが、このジャパリパークの根幹を形作っているのだからね」


 前半の内容はまあいいや。

 後半の『根幹』の部分に関しては興味深いし、ある種の納得を覚える。


 クオは、イマイチ合点の行かない表情をしていたけどね。


「…ソウジュ、この人何言ってるの?」

「例えるなら、部屋の中でをして世界を知ろうとしているんだよ」

「おぉー、……おー?」


 ありゃ、伝わりづらかったかな。


「旅、か……あてどない知識の探求は、まさにそう呼んで差し支えない道程だろうね。私は同意しよう」

「…うん、ありがとう」

「で、協力はしてくれるかね?」

「危険な目に遭わせないなら」


 そこだけは譲れない一線だ。

 ハッキリと条件を告げると、バビルサは満足げに頷いて言った。


「約束しよう。パフェを合計4杯も平らげたキツネの少女に誓ってね」

「クオ、そんなに食べたの…?」

「~♪」

「…口笛吹いても誤魔化せないからね」


 やれやれ、困った子だ。



§



「では、しばらく横になって安静にしていてくれ。出来れば、心の調子も落ち着けてくれるとサンプルの採取がやりやすい」


 そう言われたから、まあ適当に深呼吸をしておく。あんまりピンと来てないけど、やっぱりそういうのって関係するものなのかな。

 訝しむ僕の表情を汲み取ってくれたのか、バビルサは手元の準備を続けながら疑問の答えを教えてくれた。


「けものプラズムは、その反応速度を感情に左右される物質だからね」

「…へぇ」


 そういう概念、あったんだ。

 てっきり、法則なんて一切わからない完全な不思議物質だと思っていたよ。


「被験者の感情が高ぶっていると、放出の際に消費されて無駄になってしまうけものプラズムの割合が増えてしまうのさ……っと、準備完了だ。早速採取に移らせてもらうよ?」


 その言葉と同時に、返事を返す暇もなく何かの機械が右手に当てられる。

 当のバビルサが安全を約束したとはいえ、やはり根っこにある科学者の魂は被験者のことなど微塵も考えていないのかもしれない。


 何かを吸い取られる感覚。


 妖術を使った時とは違う、エネルギーを強引に奪い取られるような、自分の身体を動かす糸を他人に握られたようなもどかしさだ。


 『けものプラズムを採取する』、とバビルサは言っていたね。



 ………ん?



 じゃあ妖力って、けものプラズムのことなのか?


 クオにそう言われた記憶はない。

 妖力の正体を、自分で考えてみたこともなかった。



(…でも、そう考えると辻褄は合いそうだ)



 意外なところで、意外な知見に行きついた。


 まだ何処か、よく考えないと気付かない間違いがあるかもしれないから、時間があるときに過去の出来事を振り返りつつ結論を出してみよう。

 


 ……でも、だからと言って、何かが変わるようなことはない。



 妖力というふわふわした概念を抜け出して、少し納得感のある説明を自分に贈ることが出来るくらい。


 なんだ、十分だね。


「よし、十分な量を採取できたな」


 ちょうど、バビルサの方も終わったようだ。

 吸盤が音を立てて右手の甲から外されて、久しぶりに触れた空気にわずかばかりの清涼感を感じた。


「お疲れ様、ご協力に感謝する」

「どうも。もう帰っていい?」

「釣れないな、解析の結果が出るまで留まってくれないか? お礼も渡しておきたいんだ」


 どんな理由で引き留められるかと思えば、すごくまともだった。


「まあ、そういうことなら」

「向こうの部屋に行こう。客人に、こんな殺風景な部屋は似合わない」

(……あぁ、さっきまでは実験体だったからね)


 部屋を出て、廊下を歩いている間、バビルサの口から数々の喜びの言葉が止めどなく溢れ出してきた。


「クククッ、興奮が止まないな。一目見て分かるほど純粋なけものプラズムなど、今日まで一度たりとも巡り逢ったことはなかった。これこそ、星の導きというヤツかもしれないな」



 ……星の導き、ねぇ。



「ドクターなのに、随分とオカルティックなんだね」

超自然的オカルティック…か。サンドスターにはピッタリな形容じゃないか」

「…言われてみれば、その通りかも」


 何か言ってやるつもりが、逆に納得させられてしまった。

 ほんのりと滲む悔しさを呑み込んで、先程の発言への疑問を、もう一つ投げかけた。


「ところで、けものプラズムが純粋だと何かあるの?」

「……ふむ。端的にだが、説明しておこう」


 ドクターとしてのスイッチが入ったらしい。

 声の調子が変わり、涼しく重みのある話し方になった。


「”純粋”、あるいは”無性”とは、本来サンドスターが持っているべき性質だ。そこに輝きというを加え、けものプラズムに変換されて世界は形作られる」


 僕は相槌を打つ。


 ……”色”か。

 例えだろうけど、初めて聞く言い回しだ。


「けものプラズムは非常に可変的だ。という制約の中ならば、自由自在に姿を変えることが可能になる」


 妖術を使っている身として、非常に納得できる意見だ。

 自由自在とは、まさにその通りだろう。


 …そしてやはり、”色”か。


 この比喩を理解できないと、先へ進むのは難しそうだ。


「……もしも、そこからを取り払ったとしたら。もしも、そんなことが出来たとしたら」


 与えられたと思ったら、さっそく奪われてしまっていた。

 これはさっきの言葉と合わせて考えれば、『けものプラズムに課せられた制約を無くす』という意味になるのだろう。


 籠の中で気ままに飛び回っていた鳥を、大空に解き放つように。


「非常に素晴らしいことだ。そうは思わないか?」

「…想像が、追いつかないな」

「ククッ…私も同感だよ」


 さっきから変わらない、胡散臭い笑い声を廊下に響かせ、漸く着いた部屋の扉を開けた。

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