第六十九節 マッドなドクター、彼女の名前は。
「何用か、今は取り込み中だが」
「おお、客人が来ていたのか。これは失礼」
裾が薄く黒ずんでいる白衣を着て、アンダーリムの赤いフチをしたメガネを掛けた研究者のような風体の女性が立っていた。厭味ったらしい所作でメガネを押し上げ、オオアリクイの言葉にも、思ってもいなさそうな謝罪を口にする。
彼女は僕らの姿を順番に見つめたかと思えば、結局はツチノコに話しかけた。
「しかし意外だな。私の訪問はあれこれ理由を付けて追い払うのに、彼らのことは快く受け入れるんだね?」
「そりゃ、お前とは違うからな」
「ククッ…そうか」
シニカルな微笑。
ツチノコは溜め息をついている。
「自己紹介が遅れたな。私はドクター・バビルサ。ドクターという名の通り、皆の役に立つ様々な研究をしているのだよ」
なるほど、見た目通りの職業だ。
見れば見るほどそんな気がする。
漂う胡散臭い雰囲気は、ただの杞憂であると思いたいけど……。
「……で、どうして君たちは、私の前に立ちふさがっているのだ?」
「まあ、そういうご依頼があったから」
「そうか、悲しいな…」
バビルサは目を伏せ、鼻の根元を指で押さえてそれっぽい嗚咽を漏らす。
……すごいね。
ここまで信用できない泣き真似は初めてだ。
彼女としても手応えが薄かったのか、すぐに元に戻った。
「……フッ、まあいい。とりあえずそこの
む、そう来たか。
確認の為に、ツチノコを見る。
「入れるな、絶対に入れるなよっ!?」
「…入れろってこと?」
「違うっ! そういうノリじゃないっ!!」
当然の如く全力の拒否。
「…そういう感じらしいので、大人しく手を引いていただけませんか?」
「すまないが、それは出来ない。彼女という
……なんか、『協力者』って単語がものすごく不穏な意味を持って発された気がしたんだけど、気のせいだよね?
まあ、話を続けようか…。
「ツチノコがそんなに重要なの?」
「当然だ。未確認生命体のフレンズから採取したけものプラズムのエッセンスを使うことにより、私が前々から目指していた―――」
とまあ、そんな感じでバビルサの演説が始まった。
内容は、ツチノコの
長ったらしくて眠くなるから詳細は割愛。
とにかく分かったのは、言葉で解決するのは難しそうだということだ。
……カードキー、今からでも強奪した方が早いのではなかろうか。
と、そんなことを考えていたら指で背中をつつかれる。
「おい、妙な事は考えるなよ」
「…何のこと?」
「フン、油断ならない奴め」
前門のバビルサ、後門のツチノコ。
どちらも、一筋縄ではいかない様子だね。
後腐れを少なくこの場を切り抜けるには、バビルサを攻め落とす道を進むのが安牌のように見えるけど……まあ、やるっきゃないか。
僕はオオアリクイと交代で前に出て、バビルサの説得を試みることにした。
「とにかく見ての通り、ツチノコは協力を拒んでる」
「ふむ、その通りだね」
「だから諦めて別の協力者を探すか、それが出来ないなら……相応の対価を用意するべきだと僕は思う」
「お、おいっ!?」
後ろでツチノコが何か叫んでいる。
でも仕方ないでしょ、端から全力で突っぱねたらその先はぶつかり合いだ。
ほんの少しの譲歩の目を見せつつ、向こうが乗らないならじっくりと条件を絞りながら穏便に諦めさせるしかない。
「なるほど、対価と来たか…」
「今まで、考えてなかったの?」
「そうだね。まさか、必要だなんて思わなかったから」
なるほど、アレか。
研究の為なら何をしても構わない、マッドサイエンティストのような人種か。
……この場合はフレンズ種か?
それはいい。
どっちでも同じだ。
「何が望みだ? 何を渡せば協力してくれる?」
「それはツチノコとの交渉になるね。彼女を御所望なんでしょ?」
「ふむ、道理だな」
よし、これで上手くいく。
交渉なんて面倒なこと、僕が出来ると思わないでほしいな。
というわけで、ツチノコよろしく。
「おいソウジュ、オレのこと売りやがったなっ!?」
「それは違うよ! これは元々二人の間の問題だから、たとえ僕らが仲裁に入るとしても、最終的な解決をするためには二人の話し合いが必要なんだ」
「くっ、正論じゃねぇか…!?」
完全論破、なーんてね。
僕の言霊がツチノコの言いがかりを完璧に突き崩して、カードキーを盾に被せられそうになった責任を、まるまる彼女へと投げ返すことが出来た。
バビルサに付きまとわれていることを考えると、それなりに気の毒ではあるけれど……ま、だからって押し付けられても困るよね。
それに見ての通り、バビルサも乗り気だ。
一気に解決まで持ち込むつもりなら、これ以上のお膳立ては無いと言っても過言ではない。
大義名分を得たバビルサは悠々と小屋の中に押し入り、ずんずんとツチノコへとにじり寄っていく……。
「ふふふ、ゆっくりと話し合おうじゃないか…!」
「だーっ! お前はそっち、テーブルの向かい側に座れ! 許可を出すまでオレに近寄るんじゃねぇぞっ!」
こうして無事に、お互いが話し合いの席に着いた。
僕の仕事も、もうこれで終わりだ。
「じゃあ、外で待ってるね」
「勝手にしろ、この裏切り者めっ!」
「あははは…」
どうして僕が罵られるのかな。
…あれ、最初は『追い払ってくれ』って頼みだったっけ?
そっかそっか、話し合いがしたいわけじゃなかったんだね。
……ごめん、すっかり忘れてたよ。
三歩で忘れる鳥じゃないけど、アイデアを捻り出そうと部屋の中を歩き回っているうちに失念しちゃったんだろうね。
あはは、あははは……。
「これで、あとは話し合いが終わるのを待つだけ…」
…これで、良かったんだよね?
きっと、これしか方法は無かったんだ。
うん、そうに決まってる…。
如何ともし難い感情に苛まれる僕の傍ら、オオアリクイとイエイヌは感心するような表情を浮かべていた。
そして目が合うと、声を掛けられた。
「ふっ……どうなるかと思えば、見事にツチノコに押しつけたな」
「ま、まあ……ただ返してあげただけだよ。だから、カードキーもちゃんと返してもらえると思うよ…うん」
「ソウジュさん、”あくどい”ですねっ!」
あ、あくどい…。
そんな悪口ギリギリの感想を、目をキラキラと輝かせて言うイエイヌは、果たして何に感銘を受けているのだろうか。
逆に褒められているような気もしてしまうから、言い方って大事なんだなと思う。
「ソウジュ、おつかれさまっ!」
わしゃわしゃと、頭をかき乱される感触。
クオは他に何を言うでもなく、ただ僕の心労を癒そうとねぎらいの言葉を掛けてくれる。
「…ありがと」
「えへへ、よしよし!」
ああ~、幸せ~。
クオがいてくれたら、もう何でもいいや…。
そのまま二人で戯れながら、待つことおよそ数十分。
「ふむ、終わったようだな」
小屋の扉が開いて、二人が出てくる。
「どう、話はまとまった?」
「あぁ、バッチリだぜ」
「……?」
上手く話が運んだのかな。
打って変わって、余裕そうな様子のツチノコ。
それにしては、ニヤニヤが不気味だ…。
まあ、嫌な予感がしたよ。
一瞬で当たっちゃったけどね。
「…えっ?」
素っ頓狂な声を上げた僕は、バビルサに手首を掴まれていた。
何が何だか分からないまま彼女に引っ張られていく僕に、ツチノコは無慈悲に真実を告げる。
「おっと、言うのを忘れてた。話し合いの結果、お前を
「えっ? なんでっ!? 僕未確認生命体じゃないよっ!?」
必死に訴えかけるも、バビルサの手は緩まない。
引っ張られながら、必死にもがく僕の視界に映った景色。
それは。
「待って、ソウジュ~!」
必死に走って僕を追いかけるクオと。
「ほれ、約束のブツだ」
「ど、どうもです…」
「…釈然としない結果だな」
微妙な表情をしながら、カードキーを受け取るイエイヌとオオアリクイの姿。
「ま、頑張るこったな」
そして……うん、ツチノコだった。
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