第六十八節 そうは問屋が卸さないから
「ハハハ、ここはやっぱり虫が多いな」
飛んできたトンボを払い飛ばして、オオアリクイはケラケラと笑う。
ガサゴソと擦れる足元の茂みでは保護色のバッタが跳んでいる。
「クオ、大丈夫?」
「な、なんとか…」
これは意外な事実だが、クオは虫が苦手だった。
バッタが指先に触れるだけで悲鳴を上げ、クモが目の前に姿を見せると近くのものに飛びつく。柔らかかった。
しかし笑い事ではなく、とうとう猫じゃらしの穂先さえも虫だと誤解してしまうほどの筋金入りだ。
近道というイエイヌの言葉に釣られて、森の中を横断するルートを選んでしまったことを、クオは今とても深く後悔している。
「そんなに嫌なら、わたしがおぶってやろうか?」
「ううん、それは平気…!」
「そうか、無理はしないようにな」
そう言って、引き続きオオアリクイは先陣を切る。
「イエイヌ、目的地まではどれくらい?」
「くんくん……はい、あとちょっとですっ!」
「だってさ、クオ」
「ほ、ホント…?」
震えた声でクオは訊く。
「私の鼻を信じてくださいっ!」
「……うん」
泳ぐクオの目を真っ直ぐ見据えて、イエイヌは自信満々にそう言った。
一切の迷いがないイエイヌの言葉を聞いて、クオもようやく安心したように自分の足で歩き始める。
「ひっ…」
目の前を横切った虫に小さな悲鳴を漏らしたことは、まあ見なかったことにしておこう。叫んで僕に飛びつかなかっただけ成長しているさ、ちょっと残念だけど。
「ところでオオアリクイ。僕たち、まだ行先の詳しい話を聞いてないよ」
『着けば分かる』の一点張りで、朝からずっと話そうとしない。
目前にでもなれば何かしらは聞き出せると思って尋ねてみたのだけれど…。
「着けば分かるさ。きっと、画期的なアイデアだと思うハズだ」
「別に、画期的じゃなくてもいいよ」
やはり秘密を押し通すようだ。
裏を返せば、それ程のアイデアなんだろう。
だったら、精々大いに期待しておくしかないね。
「……むむ! 見えました、あっちですっ!」
「おお、とうとうか!」
喜ばしい声が上がる。
僕も目的地の景色を一目見ようと後ろから身を乗り出すも、オオアリクイの大きな体と生い茂る緑に隠されてよく見えなかった。
「そう焦るな、お前たちにも見せてやる」
二人は先行し森を抜け、あとに続いて僕たちも出る。
そして開けた視界の先に映ったのは、森の木々よりも高くそびえ立つ、緑に覆われた壁と鉄柵だった。
明らかに、人工物の香りがする。
「…ここって、廃墟?」
「いや、まだまだ現役の建物さ。なあ、イエイヌ?」
「はい、その通りですっ!」
「えっ、じゃあ何が…?」
「ふふふ、気になるだろう? だがネタバラシをする前に、入るための準備をしなくてはならないな」
そう言って、オオアリクイはイエイヌに何か指示を出す。
「任せてください! ええと、確かこの辺りに…」
イエイヌは壁を覆う植物を一部、爪で切り取り、中身を露出させる。
すると鉄柵のすぐ横、子供の身長くらいの高さのところに、何やらタッチパネルのような四角い機械が顔を出した。
「それで、この柵を開けるの?」
「察しが良いな、その通りだ」
意味深な鉄柵にタッチパネル。
わざわざ説明を受けるまでもなく、直感的に察するところがある。
けどそれも、ヒトだからこその感覚なのかな。
やっぱりどこか、彼女たちの常識とは乖離があるのかもしれない。
「少々お待ちください。すぐにロックを解除して……あれ?」
タッチパネルを操作していたイエイヌが素っ頓狂な声を上げる。
「どうしたの?」
「なにか、忘れちゃってるような気がして…」
コテンと首を傾げながら、イエイヌの指は『Enter』のボタンへ。
……ポチッ。
『エラー、エラー。カードキーをスキャンしてください』
頭上のスピーカーからラッキービーストの声が響き、柵が開くことはなかった。
「……あっ!」
「カードキー、ってやつが必要みたいだね」
「それが無いとダメなこと、すっかり忘れてました…」
セキュリティもしっかり強固に造られてるってことだね。良いことだ。
仰々しい壁といい認証システムといい、如何にも大切な施設って感じの匂いがプンプンと漂っているよ。
さて。
問題はカードキーを用意できるかどうかだ。
幾らこの施設が褒められたものだとしても、僕たちが入れなければ無意味も良い所。
イエイヌが何か知っていると良いのだけど。
「して、その『かーどきー』とやらはどこにあるのだ?」
「ええっと……この近くに住んでいるフレンズさんに預けておいた気がします…」
ううむ、若干不安だ。
記憶が曖昧そうな上、管理が他のフレンズの手にあるとは。
イエイヌは両手でこめかみを押さえて、なんとか意識の海から件の記憶を引き出そうと頑張っている。
そして、おもむろに歩き始めた。
「あっち、だったような…?」
「なら行ってみようか。どのみち、ここに居たって埒が明かないし」
ついでに、鉄柵も開かないし。
「はい、行きましょう!」
若干の足元の暗さを感じながら、僕たちはイエイヌの先導のもと、彼女がカードキーを預けたというフレンズのお家に向かうのだった。
§
歩き続けることしばらく、イエイヌがふと立ち止まる。
彼女の顔が向いた方向に倣うと、そこには一棟の小屋がまるで木々の隙間に隠されるように建てられていた。
「―――ここ、です」
顔に迷いを浮かべつつも、イエイヌは断言する。
だったら、多分ここで間違いないのだろう。
「どうする?」
「大丈夫です、私が貰ってきます」
コンコン。
イエイヌは扉をノックする。
少し待つと、向こうからとても不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「…誰だ?」
「い、イエイヌです!」
「……あぁ、お前か。何か用か?」
「はい! あの、お部屋に入ってもいいですか?」
「……チッ、勝手にしろ」
ガチャン。
何かが外れるような音が響く。
多分、引っ掛けてロックするタイプの鍵だ。
イエイヌはこちらを振り返り、ニコニコと手招きをする。
「みなさんも、入りましょう」
「良いの? なんだか、歓迎されてない感じだったよ」
「いざとなったら、私が身体を張ります…!」
そ、そっか…。
じゃあ、あんまり良くなさそうだ。
「よいではないか。料理の探求とは冒険だ」
「避けられる危険は避けたいんだけど……」
僕がそう言うと、物静かに集まってくる三人の視線。
有無を言わせぬ圧力が、僕の慎重な姿勢をバキバキにへし折った。
「……わかったってば」
押し切られる形で
「…四人か。ゾロゾロとこんな場所に何の用だ?」
「私たち工場に入りたくて、この前ツチノコさんに預けたカードキーが必要なんですっ!」
さっそくの本題、イエイヌは話が早い。
「カードキー……へいへい、なるほどな」
まあ、得策だったろうね。
彼女――ツチノコも、僕らの長居を快く思いはしないだろうから。
「えっと、失くしてませんよね…?」
「あぁ? オレがそんなヘマやらかすワケねーだろ? しっかりこの引き出しの中に仕舞ってるぞ、ホラ」
あっさり出てきたカードキー。
イエイヌの反応を見る限り、これで間違いないだろう。
これで、鉄柵の向こうへ行くことが出来るというわけか。
「あ、ありがとうござ……」
「ケド、タダでは渡せねぇな」
「えぇっ!?」
指先に触れる直前、手品のようにカードが消え、ツチノコはそんなことを言う。
対価を要求してくるつもりか。しかし払えそうな見返りも思い付かない。
ここは、どうにか言葉を弄してカードキーを貰えないか試してみよう。
「それは、元々イエイヌが預けたものだって聞いたけど」
「あぁ、その通りだな? だが一度こうして預かった以上、コレを管理する責任はオレにある。そのオレが『ダメだ』と判断したら、いくら元の持ち主でも、おいそれと渡しちまうのは違うだろ?」
……コイツ、強い。
僕の指摘も間違いなく真を突いていた筈なのに、一切の淀みなく言い返されてしまった。『管理者責任』か、この壁は崩しづらそうだね。
どうしよう。
更に粘るべきだろうか?
でも、変に食い下がって話が拗れてしまうことも避けたい。
ううん、斯くなる上は……。
「…望みはなに?」
「そう警戒するな。ちょっと見返りに仕事を頼みたいだけさ」
向こうの言い分に乗ってやろう。
それが一番確実だ。
と、その前に。
「一応聞くけど…やる?」
「穏便に済ませたいなら、やるしかあるまい」
「なんで乱暴な解決法が選択肢にあるのさ…」
「い、いけませんっ! ツチノコさん、とっても強いんですよ!」
「おー、強いんだ…!」
約一名、クオの反応が妙だけど恒例のごとく置いといて――相変わらずの戦いたがりで困ったものだ――みんなの同意も得られた。
「……改めて、やるってことで」
「へへ、助かるぜ」
願わくば、面倒な仕事を押しつけられませんように。
「安心しろ、簡単な仕事だ。ちょっと追い払って欲しい奴がいるんだけどな」
僕の心を読んだのか、”簡単”の一節を強調される。
顔に出てたのかな、どちらにせよ難しくないなら有難い。
で、『追い払って欲しい』とな。
「あぁ、セルリアン?」
「違ぇよ。そうだったら今頃自分でぶっ飛ばしてるさ」
「えっ、じゃあ……」
「フレンズだよ。悪い奴じゃあないんだが、近頃鬱陶しいくらいに絡まれててな。
否定された段階でちょっと察してたけど。
まさか、フレンズを追い払って欲しいと来るとはね……。
「……やってくれるんだろ?」
「あぁ、そのつもりだよ…」
これを『簡単』って、さっそく詐欺じゃないのかい?
でも、カードキーを盾に取られたらやらなければいけない。
「そうだね、まずはそのフレンズの……」
ドンドンッ!
「あー、今日も来やがったか」
「……」
「お前らが出ろ。上手く運べば、さっそく仕事完了できるぞ……ホラ」
ツチノコに腕を突っつかれて、僕は正気を取り戻す。
どうやら早速、ターゲットがいつも通りこの小屋までやってきてしまったようだ。
ひとまずは、時間稼ぎの方法を考えることにする。
「オオアリクイ、頼めるかな? なるべく、中に押し入られないように」
「あい分かった。話し合いは外で、ということだな?」
「うん、お願い」
相手の出方次第で……まあ、色々決めよう。
「行くぞ」
オオアリクイの確認に、僕は頷く。
ギギギと、植物をすり潰すような音を立てて、大きく扉が開かれた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます