第六十七節 星に代わってお説教

「……あの」

「んー?」

「いつまで、この状態でいれば好いんですか…?」

「ふふー、いつまでだろうね~?」


 ご機嫌そうなクオの声が、真っ黄色な視界の中で響く。


「しばらくはこのままかなぁ、だってソウジュが悪いんだもん」


 ぽふっ。

 柔らかい音が目蓋まぶたを打つ。

 鼻腔に、甘ったるい狐の匂いが入り込んでくる。


「でもなー、意外だったなー。まさかソウジュが、クオに黙って他の女の子と遊びに行くような人だったなんて」

「いや、だって眠ってたから――」

「あーあ、ひどいなあ」


 ボンと尻尾を浮かせて一打ち、的を射た筈の反論は止められた。

 クオに捕らえられた僕はベッドの上に無理やり寝かせられたまま、情け容赦のないもふもふに五感を奪われている。


 隙間からわずかに差し込む部屋の電灯が、サラサラで綺麗な黄色い毛並みを照らし出し、表情筋をくすぐる毛先には頬が緩んでしまう。息を吸い込めば感じる匂いで、頭がピタリと動かなくなる。


「ソウジュ、楽しそうだったね。あの子と何してたの?」

「…木の上で、星を見てた」

「ふーん…それだけ?」


 コクコク。

 小刻みに首を振る。


「………嘘はついてないみたいだね」


 そうと分かっても、まだ解放はしてくれないみたいだ。


「フ~…」

「…っ!」


 暖かい息が耳をくすぐる。

 突然の刺激に思わず身体が跳ねてしまった。


「えへへっ」


 甘く、悪戯っぽい笑い声がする。

 尻尾で遮られて見えないけれど、その向こうではニヤニヤと笑っているに違いない。


 なんか気に食わないな……


「…ひゃっ!?」


 唯一自由に動かせそうな右手で、思いっきりクオの尻尾を鷲掴みにした。案外いい反応が得られたので続けて、奥の方まで指を滑りこませてモフる。前に事故で触っちゃったときも思ったけど、やっぱりクオの尻尾はとっても素敵な触り心地をしているな。


 そのまま気が済むまで続けようと思ってたけど……クオにグイっと腕を引かれ、尻尾から引き離されてしまった。


「もう…どうしていきなり触るの…? 言えばいつでも触らせてあげるのに…」

「…あ、そうだったの?」

「……いじわる」


 ぺちっ、手の甲を叩かれる。

 ぶっきらぼうに投げ捨てられ手、ベッドに跳ねて布団に沈む。


 その後しばらくの間、落ち着かない様子で僕の顔をこすり続ける尻尾。

 もじもじと、脚の布をこすり合わせる音が微かに聞こえる。

 絞り出すように発された、恥ずかしげな声が聞こえた。


「………ねえ」

「なに?」

「もうちょっと、触って? …あ、優しくだよっ!?」

「う、うん…」


 どうしようかと一瞬悩む。

 だが、お許しを得られたのなら遠慮する必要はない。

 今度は両手を使ってそっと、挟み込むように尻尾を撫でてやる。


「…んっ……」


 小さく、押し殺すような声。

 ちょっぴりドキッとしながら、何食わぬ所作でモフモフを続ける。


 すると、クオの小さな手が僕の頭に触れた。

 一方的に触られ続けるのはやっぱり癪だったのか、髪の毛を手櫛で適当に梳きながら、まるで美容師さんのように他愛のない話題を振ってくる。


「星は、キレイだった?」

「うん。ほとんど葉っぱで隠れてたけど、綺麗だったよ」

「……そっか」


 不満そうに返答を聞く。

 頭皮に爪を立てられた、地味に痛い。

 やっぱり、羨ましがってるってことなのかな…?


「んっ……クオも、ソウジュと一緒にお星さまを見に行きたいな」

「今から行く?」

「ううん、今夜はもう遅いよ」

「…言われてみればそうだったね」

「ソウジュったら、忘れてたの?」

「尻尾で目の前真っ暗だから」

「…むう」


 尻尾が脈打つ、顔を打つ。

 これでも、やっぱりどかしてはもらえないみたい。

 ここまで頑なに顔に被せてくると、何か裏があるんじゃないかと勘繰りたくなるけれど、どうせ無駄骨になりそうだからやめた。


 僕に出来ることはただ一つ。

 クオの尻尾をモフモフすること。


 あとは毛並みの流れに任せて、彼女の方から話しかけてくれるのを待つしかない。


 ―――あ。

 説明が非常に遅れ馳せながら、腕以外には金縛りを掛けられています。

 妖術が苦手なはずなのに、出来る理由は『キツネだから』の一点張りで押し通されました。誠に遺憾であります。


 閑話休題。

 というか後回しにしていた説明を片づけて。


 クオが話を続ける。


「あのね、お願いしたいことがあるんだけど…」

「うん」

「ねえ……勝手にお出掛けしないで? せめて、書き置きくらいは残してから行ってほしかったな」


 予想外の要求に息を呑む。



「―――起きたとき、ソウジュがいなくて寂しかったもん」



 そして続く一言に、何を言っていいのか分からなくなった。

 ただ、キュッときつく、胸を締め付けられるような不思議な感情が湧き上がってきたことは確かである。


「………そっか。じゃあ、これからは気を付けるよ」

「…ありがと」


 尻尾をモフっていた左手をクオが握る。

 指の間に指を通して、外れないように力を込めて。

 ……軽く力を込め返したこと、クオは気が付いたかな。


「クオ、そろそろ寝よっか」

「…明日も朝から早いんだっけ?」

「オオアリクイのキッチンに行って、見つからなかった食材探しに出るんだよ。具体的にどうやって探すかは、直接聞いて確かめることになるね」


 『考える』とは話していたから、まあ何かしら手立てを用意してくるのだろう。


「危ない方法じゃないといいけど」

「それは無いんじゃない? お店に行けば何でも揃っちゃうような場所だし」

「まあ、うん…」


 クオは言葉を濁す。

 明るいこの子がこう言い淀むと、僕も無性に気が沈む。


 ううむ、自省自省。

 精神的にクオに頼り切っちゃってるなって、こういう部分でひしひしと感じるよ。

 せめて若干でも、僕が支柱になれればと思っていたのに。


 …だからこそ、場面で気に掛けてあげるべきだよね!


「…心配?」

「ちょっと、イヤな予感がするだけ…」

「ま、寝て起きたら忘れてるよ。寝よう?」

「うん…!」


 クオの返事とほぼ同時に、金縛りが解けて身体に自由が戻ってくる。

 そして布団に身を潜り込ませたクオは、迷いなく背中の方から抱きついてきた。


「………確かに寝るとは言ったけど、どうして背中にくっつくのかな…?」

「こうしてるとね、落ち着くの」

「…だったら、別にいいけど」


 背中にピタッとくっついた柔らかい感覚。

 ……落ち着かないな。


「ソウジュ」

「うん?」

「クオたち、『ふたご』なんだよね」

「君が、そうお願いしたからね」


 ぎゅっと、抱き締める腕の力が強くなる。


「…ソウジュ」

「…なぁに?」

「だから、ずっと一緒だよね?」

「そう…だね。うん、一緒に居るよ」


 やっぱり、とっても寂しかったんだね。


「……ソウジュ」

「…どうしたの?」

「クオのこと、置いていなくなっちゃったりしないよね?」

「…どうして?」


 ありえない。

 クオを一人にして遠くに行ってしまうなんて。

 むしろ僕の方こそ、きっと―――


「ソウジュ」

「……クオ」

「家族って、なに?」


 …あはは。


 僕に聞かれたってな。

 家族なんて、クオしかいないよ?


「気にしてたのは、クオだけだったんだ。ホッカイのみんなは、お友達がいればそれで良いって思ってて……だけどクオはずっと、足りないなって思ってたんだ」


 そのが、ふたごだったのかな。


「ソウジュ、どうして?」


 無意識のうちの行動なのか、クオの指先が皮膚に食い込む。

 チクリと、小さな痛みが胸を刺した。


「どうしてクオは、『ソウジュをクオの家族ふたごにしたい』って思ったのかな? ソウジュに会ってから、眠れない時はずっとそんなことを考えてる。でも、ぜんぜん分かんないの…」


「……っ」


 僕は何かを言おうとして、反射的に舌を噛んだ。

 息を詰めたような無言が喉を衝く。


「…ごめん。ソウジュに聞いても、わかりっこないよね」


 もぞもぞ。

 布団が動く音がして、胸の締め付けが少し緩くなった。


「でも、ソウジュは、家族ってどんなものだと思ってるのかな」

「…あはは、考えたことも無かったや。辞書でも読めば、意味は解るけど」

「辞書に、答えが書いてあるの?」

「何もかもは載ってないけど、読んで損もないと思うよ、僕は」

「そっか」


 それこそ図書館に行かないと読めないだろうし、実際に辞書を開いてみたとして答えになりそうな『良いこと』が書いてある訳でもないけど、「そんなもんか」って気持ちくらいは、頭のどこかに持っていても良いものだと思う。


 ……クオが考えているほど、素敵なものでもなさそうだし。


「―――そろそろ、本当に寝ない?」

「そ、そうだねっ」


 早く寝るつもりだったのに、予想以上に話し込んじゃった。

 これが明日に響いたりしないといいけど……


「おやすみ、クオ」

「おやすみなさい、ソウジュ」


 考えるな、眠気を感じろ。

 その一心で、僕は目を閉じた……



§



「…そういえば、落としっぱなしにしてたっけ」


 翌朝。僕は玄関先で、昨晩から冷たい床の上に放置され続けていた星座の図鑑を目前に、朝食のジャパリまんを頬ばっていた。

 開かれたページの、妙に馴染み深い名前の星座を眺めていながら。


「……『こぎつね座』、か」

「ソウジュ、そろそろ時間だよっ!」


 奇妙な感慨に耽っていると、外から急かす声がした。

 向こうの芝生の上で、ピョンピョンしながら僕を呼んでいる。


「うん、すぐ行く」


 図鑑を仕舞い、扉に鍵を掛ける。

 

 太陽がまだ半分も顔を出していない早朝。明けの明星に見送られながら、オオアリクイのキッチンを目指して僕らは宿を出発した。

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