第六十六節 星絵でつながる点と点

「よい、しょっと…」


 肉球柄の布団の上に、クオの身体を寝かせる。

 腕を引き抜こうとすると引き留めるように手首を掴まれたが、その手をしばらく撫でてやると安心したように顔を緩ませ、柔らかいベッドに身体を預けて穏やかな寝息を立て始めた。


 ここは、イエイヌに紹介してもらった宿の一室。

 都会によくあるアパートのような、ヒトの住居をモチーフにして造られているらしい。


 そのおかげだろうか。

 初めて目にする壁紙も、ひんやり冷たいフローリングも、ごちゃごちゃしていて分かりにくい部屋の間取りにも、妙な懐かしさを覚えるのだ。

 これが、数多くのヒトならざる”けもの”に囲まれた世界の中で、自分がヒトであると言える唯一の証左のようにも思えてしまう。


 髪の毛を触る。耳はない。

 腰に手を当てる。尻尾はない。


 だから間違いは無いはずなのにどうしてだろう。


 限りなくヒトに近い姿を持った彼女たちを見ていると、どうして自分と彼女たちが、何を以て境界を引いて分けられるのか、言葉を尽くして説明することが出来なくなってしまうのである。


 冷たい空気の中で、息が詰まる。


「……別に、いいよね」


 僕は玄関の扉を開ける。

 ゆっくりと蝶番が軋み、甲高い不快な音が耳を刺す。

 …クオは、起きていないようだ。


「ふぅ……風が気持ちいいな」


 近くの森の、入り口でアーチを形作っている木の太い枝に腰掛け、木々の隙間を通り抜けていく風のおこぼれを戴く。

 黒とも緑ともつかない紙切れの隙間からは、千枚通しで段ボールに開けた穴のような光の粒が見える。


 星は一人ぼっちだった。


 今この瞬間の僕と同じように。


「あ、あの~…」


 幻聴が聞こえる。

 葉っぱが囀った音だろうか。

 僕は気にすることなく空を見上げ続ける。


「えっと、いま、ヒマですか…?」


 暇かと聞かれればYesだ。

 だからこうして、何もせずに時間を使っている。


 と、幻聴に向かって届くはずもない返事を返す。


「だったら、ちょっとお話を聞いてほしいんですけど…」


 まあ、別に構わない。

 幻聴が一体何を語るのか、割と楽しみでもある。

 僕は頷いた。


「ありがとうございます。隣、座りますね」

「……え?」


 その時、僕は初めて彼女に気づいた。


「…どうかしました?」

「…いや、何でもない」

「そう、ですか」


 そっと視線を逸らし、頭の中で頭を抱える。

 幻聴だとさっきまで思っていた声の主は、僕の隣に腰掛けている少女だった。


「あ、自己紹介がまだでしたね。わたし、ヤマバクっていいます」

「…ソウジュ。まあ、よろしく」

「ソウジュさん、ですね。はい、覚えました!」


 ニッコリと微笑んだヤマバクは、枝から落ちかけて慌てて姿勢を正す。

 手を差し伸べて落ちないよう引き留めてやると、申し訳なさそうにまた微笑んだ。


「じゃあ、さっそく本題なんですけど……『星絵』って、知ってますか?」


 初耳だ。

 僕は首を振った。


「あうぅ、そうですよね…」


 目に見えて気を落とすヤマバク。


「でも、めげません! ソウジュさんにも、『星絵』の魅力を知ってほしいんです…!」

「…どうして僕に?」

「それは、偶然見かけたからというか…」


 聞くところによると、彼女は普段から『星絵』の魅力を皆に広めるべくいわゆる布教活動をやっているらしい。

 しかし結果は残念ながら、そもそもおススメをする状況を整えられることも少なく、それでも星が見える夜には一人で『星絵』をして遊んでいるようだ。


 そして僕がターゲットに選ばれたのは、やはり偶然みたいだ。

 なんというか、出会いって予想できないものだね。


 気を取り直し、やり直し。


 ヤマバクによる、楽しい楽しい『星絵』の時間が始まった。


「やることは簡単。星と星をつなげて、絵を作る。それが『星絵』です!」

「…星座みたいだね」


 というより、ほぼ一緒だ。

 

「試しにやってみますね。あの星と、あの星と、あっちの星もつないで……スケッチブックに描きますね…」


 めくる音。

 点を打つ音。

 一直線につなぐ音。


 程なくして、ヤマバクは見せてくれた絵は、


「じゃじゃーん、ちょうちょですっ!」


 多分星座なんかよりも、ずっと星の並びに忠実な絵だった。

 

「…すごいね。難しいんじゃない?」

「難しいから、とっても楽しいんですよ」

「なるほどね」

 

 スケッチブックに描かれた、少しだけ歪な蝶。

 星座よりもマシとはいえ、制限のある形の中に頑張って収められた蝶の翼はひずみ、それは地面に墜ちかけているようにも見える。


 けれど、その姿は何処か儚く、美しくも思えた。


「すごいね。僕にも出来るかな」

「きっと出来ます、やってみてくださいっ!」

「う、うん…」


 やっとおススメできる相手を見つけられた喜びに溢れ、僕にペンと紙を押しつけるヤマバクの力は、到底華奢な女の子のものとは思えないほど強い。


 そういえばフレンズって怪力だった。

 忘れてたから危なかったね、背後に幹がなかったら落とされていただろう。

 …まあ、とりあえずやってみようか。


「―――こ、こんな感じかな?」


「あ、それって星ですか?」

「あはは、他に思い付かなくってさ…」


 星をつなげて星を作る。

 とりあえず五つ、近くにあった星を見繕って使ってみたけど、こんな単純な形でも本で見るようなキレイな形にはならない。


「それが『星絵』の魅力です。誰が、何を、いつ描くのか。きっと、同じものを再現しようとしても絶対に出来ないと思います。だから、わたしは好きなんです」


 唯一無二。

 即ち特別。

 好きになる理由も、理解できる気がする。


「…ところで一つ、星座って何ですか?」

「あー、どう説明したものかな…」


 大まかな成り立ちは『星絵』と同じだ。

 『星絵』と違う点は、星の配置に忠実な絵が描かれないことと、毎年同じ時期に全く同じ模様の星座を見ることが出来るという点だ。


 だから、”似て非なる物”という評価が妥当だろう。

 まあ、僕も星座について詳しいわけじゃないけど。


「……あっ!?」

「どうかした?」

「思い出しました。多分あの本、星座についての本ですっ!」

「分かったから、あんまりはしゃぐと落ちるよ?」

「あっ、ごめんなさい…」


 しゅんと落ち込むヤマバク。

 僕は彼女を励まし、その本について色々と質問をした。

 そうして聞いた話によれば、パークセントラルの図書館に、星空の写真がたくさん載った図鑑があったらしい。


「へぇ、図書館なんてあるんだ」

「カントーでは、絵本や図鑑が大人気です。……難しい字を読めない子が多いので」

「あはは、そういうことね」


 言われてみれば、字を読めなくて困ることなんてほぼ無いからね。

 となると、推理小説を丸々一冊読み通すことが出来たオオタカって、かなり賢いのではないだろうか。意外なところで意外な事実が発覚した。


 閑話休題、話を戻す。


「最初は、ヒトが書いた『星絵』の本だと思って借りてきました。でも読んでみたら絵も変で、何を描いているのか全然分かんなくて……おかげですっかり忘れちゃって、宿のお部屋に置きっぱなしにしてたんです」

「まあ…確かに適当だもんね」

「でも、まさか星座なんてものがあったなんて…!」


 キラキラ光る、ヤマバクの瞳。

 思いがけない発見に、枝がゆさゆさ揺れている。


「そうだ。せっかくですし、ソウジュさんも図鑑を見てみませんか?」

「いいの? じゃあ、お願いしようかな」

「行きましょう。わたしの泊まっている宿はあっちです」


 緑の暖簾をかき分けて、遠く丘の方を指差す。

 その方向には、小さく僕たちの泊まる宿の影も見えた。


「奇遇だね、僕の宿もそっちの方向だよ」

「じゃあ、同じ宿なのかもしれませんね」


 だとしたらすごい偶然だ。

 意味もなく奇遇に胸を躍らせて、そのワクワクはヤマバクの宿に近づくにつれてどんどんと現実味を帯びていく。


「…ここです」


 やっぱり、同じ宿だった。


 でも、それだけじゃなかった。


「…へぇ、隣の部屋だったんだ」

「変な偶然ですね、うふふ」


 談笑をしながら、部屋に入っていく。


 うっすらと開いていた自分の部屋の扉の隙間。

 そこから覗く黄色い目の視線に気づくことのないまま―――



「えーっと…ありました!」



 例の図鑑は奥の部屋の更に奥、使われなくなって隅に追いやられたクッションの下敷きになって隠されていた。

 一体何をしたらここまで不憫な目に遭うのか、非常に不思議な限りだけれど、そんなことを考えている場合じゃない。


 持ってみるとずしっと重たい図鑑を膝に乗せて、表紙の方から一ページずつ目を通していく。


 じっくり眺めれば退屈な目次や、特に大したことの書かれていないコラムを読み飛ばし、いよいよやって来た本番のページで、一番最初に僕を出迎えたのは『アンドロメダ座』だった。


 右のページには長々と文章がつづられ、左のページに大きく載せられた星空の写真には、星座を構成する星を示した点とそれを結ぶ線、そして星座が表すモノを模った絵が描かれている。


 文章をじっくり読みたくなる気持ちを一旦抑えて、次のページをめくる。


 いっかくじゅう、いて、いるか、インディアン――――最後の方まで飛んで、レチクルに、ろくぶんぎに、


 たくさんの星座が紹介されていた。

 言ってしまえばそれだけだった。

 だというのに、気が惹かれて仕方がなかった。


「……この図鑑、借りていっていいかな?」

「あっ、いいですよ」

「返すときはセントラルの図書館に。で、良いんだよね」


 聞けば、ヤマバクは頷いた。

 そこまで言って図書館の所在地を知らないことを思い出したが、イエイヌに尋ねれば大方はなんとかなるだろう。


 そう納得して瞬きをして、再び迂遠とした心情を表紙に広がる暗澹な宇宙に落とす。


 まるで惑星の万有引力に捕まえられてしまった物体のように、僕は星々の輝きから視線を外すことが叶わない。


「…どうして、こんなに興味が湧くんだろう」

「ありますよね。なんでか分からないけど、気持ちを惹かれてしまうこと」


 何も見えないという意味でとても暗い。

 ワクワクが止まらないという意味で、とても明るい。


「最後まで読んでみて、何か分かるといいですね」


 大層な思想や空想でもなく、簡素な様相の単なる興味という情動だった。

 だからこそ僕は、躊躇することなく終点を追い求めてみたくなった。



「今日はありがとう。滅多にない経験になったよ」

「またいつか、一緒に星を見ましょうね」

「…うん」



 星座のような不思議な繋がりを得た、そんな一夜だった。



§



 ヤマバクの部屋を後にした僕は、すぐに隣の扉を開ける。


「おかえり、ソウジュ♪」


 すると、扉の向こうにクオが立っていた。

 全く感情の見えない、底抜けに明るい笑顔を張り付けて。


「えっと……わっ!?」


 ゴトン。

 玄関に響く落下音。

 隙間風に煽られた本のページが、パラパラと『こぎつね座』のページを開いてピタリと止まった。

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