第六十四節 五里霧中のキッチン
「じゃじゃーん、ここですっ!」
案内所より十数分。
石畳の道に沿って歩みを続けることしばらく。
振り返り大きく腕を広げて、イエイヌは目的地に到着したことを知らせる。
レストランのような見た目の建物の入口には、扉の上に同じくレストランにありがちな字体の看板が掲げられていた。
『未知の味を求める食事処 Kitchen オオアリクイ』
…そこはかとなく不安を覚える表現はひとまず置いておこう。
鼻をかいでみれば美味しそうないい匂いが漂っているし、きっと研究熱心なフレンズが新たな料理を追求しているのだと思う。
「じゃあ、オオアリクイさんを呼んでみましょう」
イエイヌが扉を叩く。
反応はない。
首をかしげて、もう一度ノックする。
すると室内から近づいてくる足音。
メトロノームのように、揺れの大きくなっていく尻尾。
ガチャッ。
ゆっくりと扉が開いて、その向こうから大柄な少女が――
「……すまない、帰ってくれ」
一言。
バタン。
短い音。
「…え?」
「あれ、オオアリクイさん…?」
唖然として、こちらを振り返るイエイヌ。
目が合ったので、僕は首を振る。
クオを見たって、何も無いでしょ。
「……」
辺りを漂う気まずい沈黙。
何が何だか分からないまま僕たちは門前払いにされてしまい、イエイヌの尻尾が力なく垂れ下がるのだった。
§
「…気にしないで、元気出そ?」
「あはは、ありがとうございます…」
励ますクオと、落ち込むイエイヌ。
尻尾の動きを見る限り、立ち直るまでは長そうだ。
僕は二人のやり取りを片手間に眺めながら、さっきのオオアリクイの様子を思い出していた。
(一瞬しか見えなかったけど、なんとなくやつれていたような…)
聞こえた声にも元気がなかった。
しっかり休息を取れていないような、そんな雰囲気だ。
「オオアリクイさん、普段はあんな感じじゃないのに…」
「ま、そりゃそうだろうね」
…で、肝心の原因は何だろう?
「たぶん、寝不足だったんだと思う! だってソウジュも、朝無理やり起こしたら機嫌悪くなっちゃうし」
「そりゃ、日も昇らない早朝に起されたらね…」
うん、ホッカイにいた時のことかな。
授業のために起こしたと言われたときは心底ビックリしたよ。
もちろん僕が文句を言って、その日限りになったけど。
そんな思い出話はさておき……寝不足か。どうなんだろうね?
今の時間帯はもう朝を越えて昼間だし、睡眠の最中に叩き起こしてしまったという訳では多分なさそうだ。
夜行性がどうとかは……フレンズになったら関係ないでしょ。
「あ、あれ?」
…と、誰か来た。
ベージュのショートヘアーの女の子だね。可愛い。
食事処の前までやって来た彼女は恐る恐るといった具合に、近くにいたイエイヌに向かって声をかける。
「あのっ、な、なにかお困りですか…?」
「はい。今日は、オオアリクイさんの機嫌が悪いみたいで…」
「あっ、そうなんですか…」
イエイヌが質問に答えると、少女は平然と頷いた。
かなーり気になる反応だけど、まずは聞いておくことがある。
「…知ってる子?」
「ヒメアリクイさんです。オオアリクイさんとは仲の良いお友達なんですよ」
なるほど。
アリクイ仲間といったところかな?
あの二人が並んで立つ姿を想像してみると、体格の違いが面白いね。まるで姉と妹みたいだ。
さておき、このタイミングは好都合。
出汁にする、と言えば人聞きが悪いが、この子に話を聞けば何か事情が掴めるかもしれない。
「はじめまして、僕はソウジュ。少し話を聞いていいかな?」
「は、はいっ…!」
「ありがとう。で、このお家のことなんだけど…」
「お、オオアリクイさんのレストランのこと、ですねっ」
ヒメアリクイの話によれば、オオアリクイは相当のグルメ。
ジャパリパーク各地の美味しい物を食べ回る旅をした経験を元に、今度はここカントーで新たなる味を作り出すための研究をしているらしい。
そして四六時中休みなく、毎日のようにアイデアを捻り出し続ける生活を送っている影響で、疲れから時折ひどく気を落としてしまうことがあるようだ。
そうなった結果が、ついさっきの塩対応みたいだね。
ヒメアリクイは知っていたから、イエイヌの話を聞いても平然としていたのだろう。
「ときどきあることだから…えっと、そのうち元に戻ってると思いますぅ」
「そのうち…ね」
「じゃあ、今日は無理なのー?」
クオが目に見えて肩を落とす。
「うん、そうなっちゃうね」
傷心のオオアリクイに無理に頼み込むのも酷である。
お腹が空いているクオには、今のところはジャパリまんを食べて我慢してもらおう。
ポンポンと、クオの肩を叩いて励ます。
「今日は諦めよ、こういうこともあるって」
「…うん」
「あ、あのっ…!」
可愛げな声が張り上げられる。
三人の目がヒメアリクイの方を向き、集まった視線に唇を噛みながらも気丈に、小さな喉を全力で震わす。
「ちょっとだけ、ヒメにまかせてくれませんか?」
「任せて…って、説得でもするの?」
「どうにか、はげましてみようと思いますっ」
僕とクオは目を見合わせた。
”任せるよ”とジェスチャーを送るとクオは元気にうなずいて、パアッと明るくヒメアリクイが、微笑んでグッと手を握った。
コンコン。
可愛らしい小さな手で扉を叩く。
叩いた後は一歩下がって、不安そうな目で動かない覗き窓を見つめていた。
「…ヒメか」
向こう側から声がする。
ドアノブがひとりでに下りたまま、開かれる気配はない。
「オオアリクイさん、中にいれてくれませんか?」
「……後ろの三人もか?」
「ううん、ヒメだけでいいですっ」
そう言って、様子をうかがうように振り返ったヒメアリクイに僕は頷いた。初対面の僕らが混じるより、気心の知れた二人の方がきっと話しやすいはずだ。
ゆっくりと、扉が開く。
「入れ」
二人は扉の向こうに消えた。
僕たちはその辺のベンチに腰掛けて、説得が終わるまで時間を潰しておく。
半分こにした明太子味のジャパリまんを一つ、クオと一緒に食べ終わった頃、おもむろに扉が開かれ、ヒメアリクイが姿を見せた。
僕たち三人は一斉に立ち上がって、息を呑んで結果を待つ。
「ええっと…入ってオッケーですっ!」
今日一番の晴れやかな笑顔で、彼女は大きくマルを作った。
§
奥の広間に招かれて、広いテーブルに案内される。
三人分の椅子の向こうにオオアリクイが静かに鎮座し、その隣にヒメアリクイがちょこんと座った。
目の泳ぐしばしの静寂、やがて意を決したように口を開いた。
「…さっきは、すまなかったな」
「気にしないでください。事情は聞きましたから」
「ああ、助かる」
透明なグラスに注がれた、透き通る琥珀色の麦茶。
ダウナーな心情を胸を茶色に染めることで表現する粋な計らいを前に、無心でグラスを見つめることで発見した疑問が頭をよぎる。
「……あのさ、僕たち何すればいいの?」
「お話を聞けばいいんじゃない?」
話、か。
クオの言葉も甚だ疑問だ。
本来珍しい食事を食べさせてもらおうとイエイヌに案内されてここを訪れた筈なのに、何故か状況が二転三転してこのような奇妙な光景に至っている。
僕たちに貢献できることなんて精々、クオが料理の手伝いをする程度。唯一のそれもオオアリクイのこだわりによっては白紙になるだろう。
…まあ、その辺りも詳しく説明してくれるのかな。
オオアリクイが口を開いた。
「先に断っておくが、何も食べさせてはやれない。新たな料理のアイデアが全く思い浮かばず、夜も全く眠れていない。こんな心の状態で、人に出せるような食事を作ることなど出来ない…!」
芯まで感情の籠った悲痛な言葉。
僕はそれを聞いて、思い至った結論をクオに耳打ちする。
(僕たち、帰った方が良いんじゃないかな)
(なんで? 何かお手伝いできるかもしれないじゃん!)
(いや、素人に出せるアイデアなんて…)
正味、高が知れている。
止揚がないよ、仕様がない。
元来、洗練させる機会も無かったのだから。僕たちに思い付くことが出来るレベルの考えなんて、オオアリクイが粗方既に検証してしまった後だろう。
芸術的な活動には心を休める時間も必要だ。こうして時間を浪費させるよりも、静かに去って邪魔をしない方がより有意義になると思う。
「そ、そっか…」
重ね重ね、今回は運がなかった。
またいつか、オオアリクイが自信を持って出せる料理を完成させたら、その時こそクオと一緒にここの扉を叩くことにしよう。
思索にも一段落を付け、その旨を伝えようと顔を上げると、オオアリクイの目がクオに釘付けになっていることに気が付いた。
驚きとも興味とも取れぬ目をして、彼女は言う。
「……君は、キツネか?」
「クオのこと? その通りだよ、クオはキツネなのだっ!」
「そうか―――ハッ!?」
ガタンッ。
椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
わなわなと肩を震わせて、ヒメアリクイの声よりも小さな呟きからそれは始まった。
「来た、降って来た、新たなるアイデアだッ!素晴らしい、まだ世界にこんな組み合わせが残っていたなんて。こっ、こうしてなどいられない、マーケットに行って、一刻も早く材料を揃えなくては…!」
「あわわ、まってまってっ!」
唐突に部屋を飛び出そうとした彼女をクオが慌てて引き留めた。
「ん? どうした? 邪魔をしないでくれ」
「邪魔なんてしないよ、むしろ手伝うっ! だから、出来たお料理をクオたちにも食べさせてほしいなっ」
クオの言葉を聞いて、僕もハッと我に返る。オオアリクイは何か、目を
そしてクオは適応が早い。
あの子が咄嗟に引き留めなければオオアリクイはもうこの場から姿を消していただろう、助かった。
「…いいだろう。ヒメはいつも通り、ここで待っていてほしい」
「わかりました、気をつけてくださいねっ」
「ああ、なるべく早く帰って来るよ」
オオアリクイはクオの申し出に考え込む様子を見せたが、その時間すらも惜しいのかほぼ即決で僕たちの同行を許してくれた。
「では、合わせて五人分だな。必要な量が多くなりそうだから、お前たちにも材料運びを手伝ってもらうことになりそうだが、それでもいいか?」
「もちろん!」
「…クオが良いなら」
「私も、喜んでお手伝いしますっ!」
こうして奇しくもクオの存在が一助となって、この世の誰も未だ知らない味を目指した食材集めの道が、オオアリクイの前に開けたのだった。
「さあ行こう。この道の先で、未知の味がわたしたちを待っているッ!」
彼女は拳を固く握って、そう力強く宣言した。
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