『A to B, Dot to Dot』
ボクは考える。
綿菓子のような色をして、一粒一粒は雲のように軽いのに、集まった途端こんなに重くなるのはどうしてだろう。頭数が増えると必ず腰が重くなるのは、人間の組織と同じだとでもいうのだろうか。
スコップで空を穿ち、風を掘り下げて白い息を吐く。
しんしんと降り注ぐ雪が山頂にうず高く積もり、同じ山の中腹に位置しているこの別荘も例外なく、終わりの見えない雪かきの義務に追われていた。
この別荘に住み始めてからもう二年。別荘と呼ぶには些か長すぎる時間をここで過ご続けたとしても、まだ二回目となる雪かきは全く慣れそうにない。今度の冬もそろそろ終わるし、それが救いではあるかな。
「ふぅ…」
何はともあれ、今夜の仕事はこれくらいで十分だろうか。
正直言って、もうこれ以上やりたくない。日が沈んでしまった後の雪山は、昼間とは比較にならないくらい寒いからね。
そんなわけでボクは適当なところで作業を切り上げて、かじかんだ手をにぎにぎと解しながら部屋に入る。
ひかりはその時、大きな水瓶に活けたお花のお世話をしていた。
彼女はボクを見るなり手を止めて、満開の花のように明るい笑顔を浮かべてこちらにやってくる。
そして脱いだボクの手袋を受け取って、労いの言葉を掛けてくれた。
「兄さま、お疲れさまです。今からココアを入れてきますね」
「ありがとう、ひかり」
名前を呼んでお礼を言うと、ひかりはとても嬉しそうに微笑んだ。
あの出来事からボクは、意識してこの子の名前を呼んであげるようにしている。そのおかげだろうか、以前と比べて笑顔を見せることが多くなったような気がする。
だけどその反動か、ボクが呼ぶのを忘れるたび彼女の目に涙が浮かぶことになる。
閑話休題。
ボクはテーブルの上で湯気を立てるココアを口に、ほっと一息。
握ったマグカップから並々ならぬ熱が伝わり、凍りかけていた両手をじわじわと融かしていく。もう遅いけど、霜焼けになってしまわないだろうか。
「はぁ、手も内臓も温まるね…」
「兄さま、やはりお疲れですか?」
「まあね。作業はまだ手慣れないけど、疲れるのは慣れたもんだよ」
「わたくしも、兄さまのお仕事をお手伝いできればよいのですけど…」
物悲しげに言うけど、流石に無茶だ。
雪の仕事は重労働だし危ないしで、どう転んでもひかりにはやらせたくない。兄としての心情を言うのなら、安全で暖かい部屋の中で無事を祈ってくれればそれで十分なのである。
そう。
ひかりには、ひかりの出来ることがあるんだから。
「つまり、星座の授業ですねっ!」
「そう、なっちゃうかなぁ…」
「むぅ、不満ですか?」
「まさか。いつもとっても楽しみにしてるよ」
「なんか、白々しいです…」
ジト目でボクを見つめるひかり。
適当に誤魔化し、ベランダに誘って、今夜も彼女の語らいを聴く。
頬を膨らませて不満気味だったひかりだけど、雲一つない夜空を見上げた瞬間、目を星のように輝かせて喜んでみせた。
「ふふ、珍しく晴れていますね。冬は空が雲に覆われてしまう日が多いですから、わたくしのような星座マニアにとって今日のような日は飛び上がってしまうほど嬉しいです」
「…冬は、どんな星座が見えるの?」
「そうですね……あ、アレとか有名ですよ」
ピンと伸ばした指でひかりは真っ黒な空を指す。
きっと何かの星座があそこにあるんだろう。
……本物の空には線も何も繋がっていないから、ボクには全く分からないけどもね。
「あれは『
「そうだったね、覚えてるよ」
「うふふ、はなまるです」
なるほど、はなまる。
初めて耳にした評価システムだ。
ボクは部屋の中、机の上に開かれっぱなしの絵本に目を向ける。最近ひかりは子供向けの童話にお熱だ、中身に影響を受けたのかもね。
だとしたら可愛らしいものだ。
「α星がカストール。β星がポルックス。どちらも同じくらい明るい、ふたご座の中のふたごの星です。ギリシャ神話にも、このお二人の名が残った物語があるんですよ」
彼女が集めている絵本はどれも星の関わる物語。
ストーリーがシンプルに纏められている童話こそ、中身に込められた星座や神話のエッセンスをストレートに感じ取ることが出来ると言っていた。
そういうものなのだろうか。
ボクは物語を読んでも、残念なことに大して心の動きを感じない。
初めて読むときの目新しさは面白いけれど、それだけだ。時間が経てば忘れるけれど、既に知っている物に対して何か思ったりすることはできない。
内容について深く考えることも、特に無いだろう。
……別にいいか、ボクの話は。
ひかりはボクと違って、感受性も豊かで好奇心旺盛な上に勉強熱心だ。
見ていてすごく眩しいほどに。
「そう、『ふたご』。まるでわたくしたちのようですね」
「…そうかもね」
ボクは頷く。
正直言って、双子という意識は薄い。
身長も随分と違うし、ひかりはボクのことを『兄さま』と呼ぶ。
もしも何かが違えば、ボクの方が弟でひかりのことを『姉さま』と呼ぶような、そんな世界もあったのだろうか。
そんなことを夢想して、砂の全て落ち切った砂時計をこっそりひっくり返す。
これで、もう少しひかりの話を聞いていられる。
「点と点を繋いで、星座にする。今日という日まで永く受け継がれてきた星同士の繋がりも、全て最初は人が作ったものなんです。繋がなければ生まれないし、残さなければ消えてしまう。だから、わたくしたちの繋がりも大切にしましょうね、兄さま?」
「……もちろん。空から星が落ちて来たって、ひかりを置いていなくなったりなんかしないよ」
本当に落ちて来たら一緒にお陀仏だもんね。
…なーんて、流石に洒落にならない冗談か。
特に、ボクたちにとっては。
「ええ、兄さまはとっても家族想いですもの。あいつらみたいに置き去りにして逝ってしまうようなこと、絶対にありませんよね?」
「……当然だよ」
「うふふ、そうですよね」
ひんやり冷たくボクの手を覆う、ひかりの手。
「兄さま」
それなのに手が熱いのは、血が止まるほど強く握られているから。
「明日、お庭で雪合戦でもしませんか?」
「おっ、いいよ。楽しそうじゃん」
雪遊びか。
珍しく活動的な提案だね。
思えば、そんな遊び初めてやるかもしれない。
元々住んでいた場所は雪が降っても数センチだったし、去年の冬は初めて経験する大雪に対応することで精いっぱいだった。
ふふ、あの無様な慌てようも今となっては良い思い出だよ。
……ようやく、雪で遊べるような余裕が出来たのか。
あぁ、これじゃ却ってボクの方が楽しみにしちゃってるね。
それも仕方のない事かな。
ひかりもきっと、ボクの気持ちを分かってくれるはずだ。
「…そろそろ、遅いか」
ふと空を見ると、ほぼ満ちかけの月がとても高く昇っていた。
満月が南中する時刻が零時くらいだそうだから……少し半端とはいえ、そのうち日付が変わってもおかしくはない。
「今日は早めに寝ようか、明日に備えてさ」
「そうしましょうか。おやすみなさい、兄さま」
「おやすみ、ひかり」
ひかりは髪を撫で、シャワールームに入る。
先に入られちゃったか、終わるまで気長に待つ必要がありそうだね。
一人残されたボクは手持ち無沙汰に、戯れにもう一度砂時計をひっくり返した。
もしも願いが叶うなら、時間が戻ったりしないかな。
神様が聞けば一笑に付すような世迷言を、臆せず意味なく口にする。
例え願いが叶ったところで、無力な自分は変わらないのに。
暗い晴天。
冬の空に輝くとけい座が、情けない僕を見つめていた。
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