第六十二節 酔いどれクオと雨宿り


 ピチャリ、足音。

 深く、足跡。

 草を奏でるは雨足の重。


 サンカイを発った僕たちは、朝からカントーちほーを目指して歩いていた。


 本当なら今日の内にカントーに辿り着く予定だったんだけど、生憎の雨に見舞われて予定は繰り越し。クオと僕はそれぞれ黄色と黒色の傘を開いて、暗い寒空の下、雨宿りをしながら夜を明かせそうな場所を探しているのだった。


 ザーザー降っていた雨はポツポツと、にわかに雨足が弱まってくる。

 この様子なら、しばらく傘は畳んでいても良さそうだ。


「今日は、お月様が見えないね」


 クオの手元でしぼむ満月。

 畳んだ傘の水を払って、杖代わりに立て掛ける。


「あーあ、なんだかどんより気分…」

「明日は晴れるよ、夜もきっと」

「うん、だといいねっ」


 傘をもう一度大きく開いたら、クルクル回って雨の舞踏会。

 軽快なステップを踏むけれど、彼女の顔つきは何処か不満げ。


「ソウジュ、何か歌ってほしいな」


 ピタリと止まって言う。

 どうやら、音楽が足りなかったみたい。


「僕、曲とかあんまり知らないよ…?」

「いいよ、知ってるので」


 うーん、困ったなぁ。

 知ってる曲も極端に少ないのに。


 何かあったっけ。


 まあ、試しに歌ってみようかな。


「…サンカイちほーにさよならバイバイ♪ 僕はこの子と旅に出る♪」

「こゃーん!」


 ふむ、なるほどね。


 クオはいい感じにノってくれたけど、雰囲気は合ってないなぁ。

 もっと何と言うか、静謐で厳かなピアノ調の曲が良いと思う。


 ……よし、時間を見つけて勉強しておこう。



「うふふ、ご機嫌ですね」

「…だ、誰っ!?」

「あぁ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたか」


 声の主はすぐそばの木陰。

 振り返ると、そこに立っていたのはキンシコウだ。


 彼女は木の幹に深くもたれかかって、淀んだ空模様を一人見上げていた。


「盗み聞き…しちゃいました?」

「いや、大丈夫だよ」


 まあ、歌ってただけだもんね。

 少し気恥ずかしいけど、秘密の話じゃなかったし。


「あいにくの天気ですね。サンカイはいつも晴れだったのに」

「砂漠は暑かったね~」


 毎日真昼に現れる、肌を焼くような灼熱の空気。

 それも、サンカイを後にした今では懐かしい。だからといって理由も無く戻るつもりはないけど。


「キンシコウもカントーに行くの? …リカオンは?」

「タレスさんの所で修業を続けるつもりみたいです。あの子ったら、『もっと強くなってからみんなの所に戻りたい』って言って」


 キンシコウは困ったように笑う。


 ハンターとしての葛藤かあ。

 何やら紆余曲折あったらしいけど、結局は丸く収まったようだ。

 それにしても驚いたよね、最初に話を聞いた時は。


「ええ、その節はありがとうございました」

「ううん、僕たちは何もしてないよ」


 結局はキンシコウの努力と、あとはタレスがつけた修行のおかげ。

 そしてこれからも彼女の元で修業を続けるなら、終わる頃には相当の自信がついているに違いない。


 ところで僕、タレスとの出会いの記憶が若干曖昧なんだよね。

 砂漠の暑さで飛んじゃったりしたのかな?

 ……まあいいか。


「お二人は、このままカントーを目指すのですか?」

「いや、どこか良い場所を見繕って夜を明かそうと思ってる」

「でしたら、近くに浅い洞窟がありますよ。雨がまた強く降り始めないうちに、そちらに行って身を休めませんか?」

「…クオ、どうする?」

「いいよ、行こっ!」


 迷いのない返事に、僕も頷く。

 よし、今夜はその洞窟で朝を待つことにしよう。

 そしてキンシコウの案内に従うこと十数分。

 木の生い茂っている山のとある岩肌に、その洞窟はあった。


「ここです」

「うん……丁度良く広くて、風通しもいいね」

「ソウジュっ」

「…ん?」


 入るや否や、クオの耳打ち。

 耳朶をくすぐる息遣いに当てられないよう気を強く保ちながら、脳みそが蕩けるほどに柔らかいクオの声を聞く。


 ……まあ、いいかな。


「分かった、任せるよ」

「ありがと、頑張るねっ!」


 トタトタと奥に走りだし、クオはを始める。


「あら、手伝った方が良いでしょうか」

「ううん、一人でやりたいってさ」

「そうですか」


 僕とキンシコウは手頃な岩に腰掛ける。

 クオのお仕事が終わるまで、雑談の時間と相成った。


「確かソウジュさんは、メリさんという方に何か教えてもらっていたんですよね」

「ああ…うん。そうだね」

「もしかして、もう完璧に身に着けてしまったのですか?」

「いや、まだまだ道は長いよ」


 洪水騒動から出発の日まで。

 数えきれない試行を通して、基本の形は習得できた。

 だけど実戦で応用して使うには、越えなければならない道が多すぎる。


 けものプラズムとの同調だって、何でもかんでもとはいかない。

 強大な力を持つメリでさえ、水と同調するので精一杯だったのだ。


 だからメリが言うには、まずは同調の対象―――能力を特化させる何かを見つけた方が良いとのこと。


 ……ああ、気が遠くなりそうだ。


「ただ、いつまでもサンカイに留まってはいられないからさ」

「二人での旅、ですものね」


 キンシコウはそう言うけど、どうだろう。


 もしも僕がクオに頼み込んでいたとしたら、サンカイにしばらく留まることだって許してくれたような気がする。

 それ以上に僕の負い目が大きくなるから、頼んだりはしなかったけどね。


 だって、旅をしたいと一番思っているのはクオなんだもの。


「やっぱり僕は、ただの付き添いか…」


 しんみりと、首をなぞるようなもどかしい悲しみに耽る。


 だけどそれも一瞬。

 背後から聞こえた明るい声が、僕の暗い心情を吹き飛ばした。


「よし、できた~!」

「…あ、お疲れ様」


 思ったよりも早かった。

 クオはこういうのも得意なんだね。

 流石の手際と相変わらずの収納用虚空間。

 どっちも旅の心強いお供だ。


「じゃじゃーん、寝床だよ~」

「これは…テントですね。いったい何処から出て来たんですか?」

「考えない方が良いよ、眠くなるから」

「そ、そうですか…」


 今更ながら、妖術の説明が意外と面倒なことに気が付いた。


 メリやタレス、それとルカのように、元々規格外のパワーを持っているフレンズは気にしない。それと、戦いの最中も気にしている暇はないから突っ込まれることは少ないし誤魔化せる。


 問題はこういう日常の1ページ。

 摩訶不思議な妖術の様相に、疑問を持つなという方が難しい。

 それでチーターには、『魔法かも』という曖昧な言い草でお茶を濁したんだっけ。


 しかしいざ説明するのは面倒だ。

 解説に筋を通すためには基礎の原理から言わないとダメだし、大抵のフレンズは途中で飽きちゃうし。


 まあこれからも、何だかんだ適当にやっていくことになるだろう。

 幸いみんな、と受け入れてくれることが多いから。


「では、考えないことにします。もう少しだけ起きてたいですからね」


 遅れ馳せ、やっと雲の隙間から顔を見せた月。

 昇り始めの彼女の時間は、まだまだ残りが長そうだ。




§




「……っ!」

「ふふーん、どう?」

「こんなご飯、初めて食べました!」


 クリームシチューを口に運んで、顔を綻ばすキンシコウ。

 一口目から容赦なく、ガッシリと胃袋を掴まれてしまったようだ。

 斯くいう僕も、クオのご飯に魅せられた一人である。


「すごい、ニンジンもトロトロ…」

「でしょ? じっくりコトコト煮込んだもんっ」


 クリームシチューは数多くあるクオの得意料理の一つ。

 ホッカイで過ごしていたときも、クオの作ったシチューに何度芯から身体を暖めてもらったことか。


 よく火の通って柔らかい野菜の食感と、トロリと食材とよく絡むスープの甘さがたまらない逸品。

 もくもくと立ち昇る湯気がまた食欲をそそる。


 そして、プレーンな風味のジャパリまんに浸して食べるのが極上に美味だったりもする。カレー味のジャパリまんと一緒にすると、どことなく不思議な背徳感を得ることができてこれもいい。


 何が言いたいかというと、とにかく美味しいのである。


「クオ、アレが欲しいな」

「はいはい、ソウジュも好きだよね」


 ジャパリソーダが、クーラーボックスの蓋の隙間から見える。


「はい、どーぞ」

「ありがと」


 プシュッと、開く。

 あぁ、炭酸の音…

 もう何度だって聞いていたい。

 

(美味しいなぁ…)


 口腔を突き刺す痺れが、濃厚なシチューの風味を流していく。

 暖かく優しいクオの味が、冷たく残忍な量産品の暴力に押し流されて胃袋の中に消えていく。


 この瞬間こそが、晩御飯の有頂天。


 ジャパリソーダで口の中をリセットすれば、もう何回だってクオのご飯を食べられる気がする。


「そうだ、クオも何か飲もーっと」

「ん、珍しいね?」

「えへへ、もらってたからね~」


 …いいもの?

 そこはかとなく、嫌な予感がしたのは何故だろう。

 まあ、クオに限ってそんなこと…。


「じゃじゃーん! えっと、なんだっけ……そう、!」


 …あった。


 これはアウト寄りのアウト。

 飲み物に付ける名前じゃないよ。

 間違いなくお医者さんに処方されるようなお薬の類じゃないか。


「…いいの?」

「おいしいよ?」

「いや、そういう意味じゃなくて…」

「えへへ、コモモが沢山くれたんだ~」


 …コモモ。

 そう言えば友達になってたんだっけ。

 僕は会ってないけど。


 一応色々聞いておこうと、僕はクオに小声で尋ねる。


(…沢山って、具体的に何本なの?)

(えーっと、大体100くらい…?)

(えぇ…)


 収納用虚空間がなきゃ入れられないじゃん。

 むしろ、あるから100本も貰って来たのか?

 まさか虚空間の存在を恨む日が来るとは思わなかった。


 その増強剤の効能を聞いて、僕は更に頭を痛める。


「飲むと強くなれるんだけど、すごく酔っちゃうんだ。付け合わせで苦い果実を食べると酔わなくて済むんだけど…」

「その果実は?」

「えへへ、もらうの忘れちゃった♪」


 おい。

 普段はこんな乱暴な物言いしないけど…おい。

 それじゃ完全に酔うための飲み物になってるじゃないか。


 うん、止めよう。


「ぐびぐび…」


 クオが酔っちゃう前に…。


「ふぇへへ…!」


 あ、手遅れでしたか。

 というか、回るの早くない?

 もしかして酔いやすい体質だったり……いや、考えるのは後にしよう。


 クオは赤らんだ顔でニタニタ笑って、僕の頬に薬瓶を押しつける。


「いっしょにのも~? おいしいよぉ~?」

「いや、僕はいいかな」

「えぇ~、そうじゅのいじわるぅ…」

「な、何言ってるの…?」

「じゃあいいよ、これはくおがのむから…!」


 まだ飲む気なのか。

 これ以上酔いを加速させてどうする。

 僕が呆れるのにも構わず、瓶のフタは空けられていく。


 二本、三本、際限なく増えていく空き瓶。


 無理だ、黙って見ていられない。


「こ、これ以上飲むの禁止ッ!」


 僕は叫んだ。

 もう飲ませるか。

 虚空間から新たに出て来た瓶を横から奪って、また虚空間に戻す。

 

「むぅ…!」


 もちろんクオは抵抗する。

 四方八方に穴を空け、無数の瓶を外に出す。

 どれか一本手に入れば僥倖。


 でも甘いね。

 僕の妖術の制御能力、忘れたとは言わせない。


 虚空の穴には先回りして虚空。

 そこから出てくる増強剤はそのまま虚空間へとボッシュート。

 うむ完璧なカウンターだ。


 そもそも酔いの回った状態で、僕の妖術制御に勝てるとは思わないでほしい。


「クオ、そろそろ諦めて!」

「やだっ! もっとのむっ!」


 往生際の悪い狐だ。

 なら最後までやってやるまで。


 そしてその後しばらく、長きに及んだ妖術の応酬は、クオの心が折れるという形で幕引きとなった。


「ほら、その飲みかけも没収だよ」

「あぁ…」


 ずっと握られて暖かい瓶も没収。

 まだ半分ほどと、見ると綺麗な液体だ。


 綺麗な色してるでしょ、飲んだら酔うんだよコレ……。


 クオを見ると、涙目の上目遣い。

 必殺の黄金コンボを決めている辺り、まだ諦めていないらしい。

 そんなに好きか、この液体が。


「ねぇ、なんでだめなの…?」

「こういうのはね、飲んで酔ってるときは気持ちいいけど、飲みすぎるとそのうち依存症になっちゃうんだよ?」

「『いぞんしょー』って、なに?」


 …どうしよう。

 説明した方が良いかな?

 あまり良い言葉ではないから濁したいんだけど。


 でも、しっかり危険性を説明するなら避けては通れないよね。


「ええっと、そうだな……『これが無いと生きて行けない!』って気持ちになって、何も手につかなくなっちゃう病気のことだよ」

「そっかぁ…」


 上手く表現できたかな。

 今のクオにはこれくらいフワフワした方が通じると思った次第。


 うんうんと頷いてるし、成功かな?


 そう思い、安心して胸を撫で下ろした矢先。


「……じゃあ、くおは『そうじゅいぞんしょー』だねっ!」

「…は?」


 クオはとんでもないことを口にした。


「何を…言ってるの?」

「え? だって、『いぞんしょー』ってそういういみでしょ?」

「あ、え、あはは…」


 間違ってはいない。

 もしもクオが、僕の説明通りの感情を抱いているなら。


「そうじゅ~、そうじゅがいないといきていけないよ~」


 これ見よがしに抱きついて、えげつないことを口走るクオ。


 違う、違うんだ。

 これはクオの本心じゃない。

 酔ってるから、変なことを言ってしまっているだけなんだ。


 あれ?

 でも確か、酔った時にこそ本心が出てくるってどこかで……。


 じゃあこれが…クオの本心…?


「……ああ、もうっ!」


 僕はとうとうヤケになって、手に持った瓶の液体を乱暴に飲み干す。

 確かに美味しいね、こんな状況じゃなきゃ味わえたのにね! 


「あれ、のんじゃだめっていってたのに…」

「いいのっ! どうせコレ飲みかけで、丸々一本じゃないんだから……あ」


 手が止まる。

 背筋が凍る。

 りらるりら。


 この飲みかけって、誰が飲んでた?


 そうだよ。

 他にいないよ。

 クオが、これに口をつけてさ…。


「……」

「そうじゅ?」


 考えるな。

 何も、思考してはいけない。


 ああ、そうだ。


 きっと、明日を迎えれば何もかも忘れられるはず……。


「僕、先に寝てるね」

「わかった、おやすみ~」

「うふふ…おやすみなさい、ソウジュさん」


 クスクスと聞こえるキンシコウの声。

 分かるよ、傍から見てたら面白いコントだったよね。


 笑ってくれて、何よりだ……。



「もう、やだ…」



 ダメだ。

 僕は頭がおかしい。

 早く明日になって欲しい筈なののに、この瞬間が長く続くことを願っている。


 手から離れた瓶が転がり、岩とぶつかり音が鳴る。

 目の前は枕で真っ暗。

 なのに、クオのことを考えてしまう。


 だけど、理由は知っている。


(……これ、クオの枕だね)


 今更気づいて何になるのか。

 今夜はもう一寸たりとも動きたくない。


 もういい、諦めよう。


 クオの枕に顔をうずめたまま、僕は夜を明かすことにしたのだった。

 

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