第六十節 川に襲われ、蛇に襲われ
真下は洪水という恐ろしい状況に、僕は足元から目を逸らす。
三人分の足音が、カツンカツンと氷床を鳴らして砂漠上空を進行していく。
「わーい、すごーいっ!」
「お、落ちたりしないかな…?」
僕たちはいま、水の上を歩いている。
メリが不思議な力を使い、水を凍らせて足場にしているのだ。
この道を辿って、メリはこの洪水を引き起こしている元凶の在り処の元へと向かうつもりらしい。
「ソウジュは心配しすぎだよ。ほら、こんなに頑丈なんだから大丈夫だって!」
「く、クオ、いくらなんでもそれは…っ!」
クオが、勢いよく氷の床を踏みつける。
ドシンと重く迫力のある音が鳴って、流石にこれだけで崩れるようなことはなかったけど非常に心臓に悪い。
足元からは、いまでも水の流れる激しい音が響いている。
ゴウゴウと唸るその激流に、もし巻き込まれれば一溜りもないに違いない。
なのに、なんて能天気な少女だ。
氷が踏んでも割れないことを知り、さらに得意げに持論を固めている。
「見ての通り。大丈夫だよね、メリお姉さん?」
「クオさん、そこ落ちますよ」
「えっ、ウソっ!?」
「はい、嘘ですよ」
「あうぅ、騙された…」
ありがとうメリ、助かったよ。
クオの取り柄があふれ出る元気なのは知っての通りだけど、今回のように気を引き締めなきゃいけない場面だってあるんだ。
本当はそれも、僕がしっかり伝えなきゃいけないことなんだけど。
長く一緒にいるだけじゃ、出来ないこともあるんだね。
クオの夢見る”ふたご”に、僕は相応しく振舞えているかな。
「……気配が、強くなってきました」
緊張の籠った声。
立ち止まり、メリは氷の足場に柱を作り始める。
少しすれば足場がガッチリと地面に固定され、振り返ると辿って来た道は水に溶けてしまっていた。
まだまだ、ここからだ。
元凶探しのために、恐怖を噛み殺して足下の水を観察する。
「やっぱり、怖いくらい綺麗だね」
「ええ、理由は謎のままですが」
「文字通り、水が流れてるだけだ。砂も、石も、何もない」
更に言えば、地形にも全く変化が見られない。
天変地異のような洪水、そうでなくても水が流れれば少なからず土地の姿は変わるものなのに。
透明な水流の下に見える砂の丘は微塵も動かず、幽霊が壁を抜けて通り去っていくかのように水だけが向こうへと流れていく様子はとても不気味だ。
メリやタレスの言う通り、セルリアンの仕業なのだろうか。
「これでは、向こうからやって来てくれない限りどうしようもありませんね」
「じゃあ、待ってみる?」
メリは首を横に振る。
「得策ではないでしょう。このような形で襲撃をしている相手です。きっとわたくしたちには目もくれず、そのまま市場まで向かうでしょうね」
確かにそうかもしれない。
こんなに大掛かりな襲撃を仕掛けているんだ。
途中で僕たち三人に目標を変えるくらいなら、そのまま突き進もうと考えても全く普通のこと。
「…だけど、市場には誰もいないんだよね」
「その時、果たしてセルリアンが大人しく引き下がるかどうか」
「もしかして、しつこく追いかけてくるの…?」
そうに違いない。
執念は水量に現れている。
たった一度取り逃がしただけではきっと諦めないだろう。
「そうなる前に、退治しなくては」
強大な敵を前に、改めて身を引き締めなおした。
「やっぱり姿が気になるよね。どんな方法でこんな量の水を作り出して、そしてどんな風にこの水を利用するのか…」
「それでしたら、この水そのものがセルリアンではないかと思います」
「……そうなの?」
いつの間に手掛かりを掴んでいたのだろう。
やはり彼女の先々を想定した行動に感嘆するばかりだ。
「ええ、先ほどこの水を飲んでみたのですが…」
と、思っていたら。
なかなかどうして、すごいことをやっていた。
「…の、飲んだの?」
「お、お腹は大丈夫? こわれてない…?」
「平気ですよクオさん、わたくしはこう見えて丈夫なのですから」
丈夫かどうかって問題じゃないと思うけど……。
「見ての通り無事ですよ。それより続き、いいですか?」
「ああ、うん…」
見る限りではピンピンしている。
だからそう言われたら、無理にでも安心するしかない。
「分析をしたところ、水の構成物質はセルリウムでした」
「セルリウム…って、何?」
「フレンズがサンドスターから生まれるように、セルリアンはセルリウムから生まれます。つまり、そういう物質の名前ってことですよ」
へぇ、そんな物質があるんだ。
じゃあ、メリはセルリウムを飲んで……セルリアンを構成するものを、ほぼそのまま身体の中に取り入れたってことになるよね。
「ますます、飲んで大丈夫?」
「案外、馴染み深い物質ではありますから」
「…そうなんだ」
普通にフレンドリーだから忘れかけてたよ。
メリは普通のフレンズじゃないんだった。
まあ、”実はセルリアン”って言われてもあんまり驚かないと思う。
それくらい凶悪な力を見せてもらったからさ。
ところで、水そのものがセルリアンだとして。
事実が一つ明らかになったことは紛れもない前進だけど、だからと言って何をすればいいのだろう?
セルリアンだとしたら、砂に吸われて消滅する期待も薄い。
どうにかして意図的に消し去らないと、運が悪ければ永遠に残り続けてしまうかもしれない。
そうなれば、フレンズたちはサンカイちほーを捨てて他の場所に住処を移すしかなくなってしまうだろう。
それは大変なことだ。
手遅れになる前に何とかしたいのだけど。
「そうですね、試しに電気でも流してみては?」
「妖術で…だよね。まあ出来るけど、それは『試しに』でやっていいこと?」
いま、僕たちに侵略の手は向いていない。
それは何より、脅威として認識されていないからだろう。
不用意に損害を与え、『排除すべき敵』として認知されたとき、身を守る術が無かったとしたらそれはそれは悲惨なことだ。
メリは、そこら辺のことを考えているのかな?
「大変なことになったら……頑張りましょう」
「…あぁ、行き当たりばったりですか」
「心配しないで、クオもいるよ!」
「うん、ありがとう」
あれこれ考えて、燻っててちゃダメってことね。
思いっきり燃やさなければ、まとめて水でかき消されてしまう。
頬を叩いて。
ほら、やるっきゃない。
百度まで温めて沸騰させる勢いで、極太の電気を流してやるとしよう。
「じゃあ、いつもの」
「はーい」
指を絡ませ、クオと手を繋ぐ。
使い慣れた心地いい妖力と、仄かな暖かさを感じる。
そうそう、これだよこれ。
たとえ妖力が流れてこなくたって、クオと手を繋いでいるだけで一人のときの数倍は頑張れてしまう気がする。
ある意味、僕って現金だなあ。
おっと、早く始めないとね。
「…懐かしいな」
ホッカイの洞窟で、部屋のセルリアンに閉じ込められて。
その時にも、今のように水に電気を流して窮地を脱出した記憶がある。
あのセルリアンはあっさりと倒せた。
だけど今回はどうかな。
膨大な体積の水にいくら電気を流したところで、大した変化は起きなそうだけど。
でも、そんな事を考えているとそれこそ結果に響きそうだ。
無心になって電気を流す。
ビリビリ、ビリビリ、水に注ぐ。
やがて僕らは、全く効果がないことを知るに至った。
まあ、下手に相手を刺激するような事態にならなかったことは、今後の行動も考えれば良かったような気もする。
「あらあらあらあら、どうしましょうか」
「潜って探しちゃダメなの?」
「危ないよ、やめた方が良いと思う」
真水に見えるから忘れやすいが、この川は全てセルリアン。
もしも内側に入ったときに何が起こるか。
……考えたくないね。
「そもそもの話、このセルリアンの核はどこにあるのでしょう」
「その”核”を壊せば倒せるの?」
セルリウム同様、初耳な言葉。
僕は説明を傾聴する。
「核とは謂わば、わたくし達にとっての心臓のようなものです。もし壊すことができればそれで終わりですが、だからこそ強固に守られているでしょう。もちろん他の部位を攻撃しても倒せるのですから、わざわざそこだけを集中して狙う意義は…普通は無いと思いますよ」
そう。
意味は無い。
普通のセルリアンなら。
「…だけどコイツは」
「抜くしかありませんね、心臓を」
水は斬れない。
殴れない。
何もない。
ダメージも、ゼロに違いない。
「偵察機は用意してあります。この子を使いましょう」
「…セルリアンを出すの?」
「ご安心を、手懐ける方法は熟知しています」
そう言った彼女の手には一枚の石板。
大昔に倒した二体のうちの片方、それをここで使うみたいだ。
「ちょっと楽をしましょうか。ここに沢山セルリウムが溶けているのですからね」
そう言って、メリは石板を水に浸ける。
心情的に微妙な感じなのはさておき、水がセルリウムまみれなのは事実だし、セルリウムがセルリアンの原材料になるのだから理には適っている。
…ホント、ちゃっかりしてると表現すべきか。
間もなくして、石板からセルリアンが生まれた。
大きさはだいたい普通の蛇と同じくらい。
氷の上でとぐろを巻いて……ちょっとかわいい。
メリは屈んで手を差し伸べて、偵察をさせるための命令をセルリアンに伝えようとする。
「さあミズヘビちゃん、わたくしのお願いを……きゃっ、ひゃんっ!?」
しかし、突然の裏切り。
「…えっと、攻撃されてるけど」
「嘘です、そんな筈は……ひゃぁっ!?」
あ、服の中に入られちゃったみたい。
豪華絢爛なドレスの中、ミズヘビが好き勝手に動き回っているようで、時折艶めかしい声がメリの口から漏れている。
……少し、耳を塞ごう。
そしてしばらく。
「―――ジュ」
トントン、肩を叩かれる。
薄目を開けるとクオだった。
もう大丈夫ってことかな?
目を開けて様子を確かめてみると、なんとか一件落着はしたみたいだ。
荒々しく肩で息をしながら、メリはぺたりと氷の上に座っている。
「はぁ、はぁ…! ひ、ひどい目に遭いました…」
「大丈夫? セルリアンは?」
「水の中に逃げちゃったよ。何がダメだったのかなぁ?」
「多分、わたくしが横着してセルリアンの水で作ったからですね」
ま、順当に考えればそれ以外にないよね。
「そっか、メリお姉さんの愛情が足りなかったから!」
ぐれた子供か。
とんだ異種家庭だよ。
そりゃ逃げ出したくもなるに決まってる。
「違うよクオ、そんなふわふわした理由じゃなくて…」
「セルリウムが、あの子の攻撃的な性格を呼び起こしてしまったのでしょう」
セルリアンを使役できる原理は分からない。だけど少なからず、メリのサンドスターを混ぜることが重要だったんだと思う。
横着した結果だということが、言い逃れの出来ない真実だね。
それより、これからどうしよう?
偵察機まで失って、万事休すじゃ困ってしまう。
メリの方を見ると…申し訳なさそうに首を振られた。
ああ、これ以上の手段は持ってなさそうだね。
僕たちも何か考えよう。
川をやっつける方法を。
途方もない目標だけれど。
一秒、一分、一時間。
時計の代わりに三日月が時間の経過を知らせてくれる。
久しぶりに様子でも確かめようかと下を眺めると、とあることに気づく。
「あれ、水かさが減ってる」
暗くて見えなかったけど、確実に水位が下がっている。
氷の柱もほとんど外気に露出し、この高台は砂漠の景色にひどく不釣り合いだ。
再び地表を観察する。
水位はどんどんと下がる、栓を取った湯船のように。
そうして呆然と眺めている内に、砂漠は砂と岩だけになった。
「か、川が消えちゃったっ!?」
「よく分かりませんが、危機は去ったのでしょうか?」
「……流石に、虫が良すぎるでしょ」
そうそう都合よく物事は運ばない。
すると案の定、突然に氷の足場が崩れ始めた。僕たち三人は空中に投げ出され、重力に従って落ちていく。
僕は咄嗟にクオを引き寄せ、言霊をなんか上手く使って着地の衝撃を殺した。
反射的に叫んだから、具体的に何をしたかはよく覚えていない。
メリもなんかして普通に降りてきた。
まあ、無事だったからセーフってことで。
「び、びっくりした~…」
「クオ、怪我はない?」
「うん、ソウジュのおかげ」
振り返ると、何やら不自然に盛り上がっている地面。
おそらく土台が崩れて、柱の根っこから壊れてしまったのだろう。
そして足場の残骸の向こう。
僕たちを地面へと叩き落とした存在が、砂の中からにゅるりと顔を出していた。
「あ、アレは…」
「これはまたまた、随分と大きくなっちゃったようで」
それはメリが『ミズヘビちゃん』と呼んだセルリアン。
顔も模様も全く同じだ。
特に変化はない。
……百倍くらいの大きさになっていること以外は。
僕はため息をつく。
この展開、ホートクでも見たよ。
デジャヴだね。
というかセルリアンって、猫も杓子も巨大化しないと気が済まないのかな?
おしなべて、面倒な奴らばっかりだ。
「とりあえず、倒そうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます