第五十九節 オリオンという名の巨人


 夕日が照らす赤い空の下、その怪人は歩行する。

 全高は十メートルもあろうかという長身で、手足も丸太のように太く、胴体は大樹の幹のように強靭だった。

 しかしシルエットは人間に近く、その常軌を逸した巨体と頭部に張り付いた不気味な一つ目が無ければ、その怪人をセルリアンだと認識することは難しいだろう。


 彼の者は歩みを進める。

 のそりのそりと悠然と、大岩が転がるような音を立てて。

 一切の思考をすることなく、ただ視線の先にある輝きを追い求め歩いてゆく様は、さながら誘蛾灯に吸い込まれる羽虫のようだ。


 だが、本当に羽虫ならばどれほど良かったことだろう。

 小さく羽虫ならば、そこらの紙束で叩くだけで彼岸の元へ葬り去ることが出来るのだから。


 奴が向かう先は唯一つ、フレンズたちが逃れ行く避難所。

 狭い避難所で彼女たちは市場よりも密集し、そして輝きは凝縮され密集する。


 永き眠りから覚めた巨人は、餌を求めて太陽の方向に前進を続ける。


 大きな足での歩みは止まらない。

 立ち塞がれば、敢え無く踏みつぶされるのみ。


 伸ばした手を振り払うことは出来ない。

 足掻こうとも藻掻こうとも、残酷に握りつぶされるのみ。


 顕現せし暴力の化身たる怪人の前、楯突くこととは即ち死を意味する愚行である。


 そうであるにも拘らず、彼の者の進路を妨害する少女が二人。


「アンタ、ちょっと止まりなさい?」

「この先へは、絶対に行かせません…っ!」


 タレス。

 リカオン。


 二人のフレンズは怪人の巨体を見上げ、不遜にもそう言い放った。




§




「……アイツ、避難所に向かってるのね?」

「どうしますかタレス、あちらも放置できない情勢ですが」

「行くしかないわよ、あそこが襲われたら本末転倒じゃないの」


 迷っている時間はない。

 タレスは軽く身体を温め、今にも飛び出そうと脚を踏み込む。


「―――あっ、あの!」


 だがついに動き出すかに見えた刹那、リカオンの声が彼女を止めた。


「…リカオン、どうしたの?」

「私も、タレスさんと同行させてください…!」


 突然の申し出に何か言おうと口を開いて、リカオンの真剣な瞳を目にし、フンと鼻を鳴らして頷く。この場での押し問答こそ、一番の無駄だと思ったのだろう。


「…良いけど、足引っ張るんじゃないわよ」

「はい、頑張ります」

「そ、じゃあ行きましょ」


 かくして二手に分かれ、彼女たちは砂漠の危機に立ち向かうこととなる。




§




「遠近法って正しかったのね~。岩の上から見た時は指先くらい小さかったのに、ここだとまるで大仏様みたい。……ま、アンタみたいに禍々しい大仏なんて見たこと無いんだけど」


 逆光により影のかかった頭を見上げ、挑発するようにそう口にする。

 タレスと怪人のスケールは、サソリと人間と同じような規模感だった。


「威圧感がすごいですね…」

「ええ、コイツは強いわよ。だから、引き返すなら今の内よ?」

「いいえ、戦いますっ!」


 巨体の怪人は既に向こうから目を逸らし、新たに出現した邪魔者であるタレスとリカオンに視線を注いでいた。

 二人もフレンズで、特にタレスは大きな輝きを持っている。

 もちろん、避難場所に逃げ込んだフレンズたち全員と比べればそちらの方が圧倒的に輝きが強いのだが……。


 つまり、『手の中の雀は、屋根の上の鳩よりも良い』。


 セルリアンは遠くに見える大きな輝きよりも、この場で掴める比較的小さな輝きを手にすることにしたようだ。


 握り拳が、乱雑に叩き落とされた。


「遅いっ!」


 この程度の攻撃、今更甘んじて受けるような二人ではない。

 衝撃と轟音、そして舞い上がった砂塵を目くらましに、まずはタレスがセルリアンの胸元へと急激に接近する。


 そして毒針をキラリと夕陽に光らせ、神速で伸ばし突き刺した。


 ガキンッ!


 鈍くも鋭い金属音が鳴り、タレスの毒針は弾かれた。


「一撃必殺……は無理みたいね」

「次は私がッ!」


 入れ替わりにリカオンが突撃、背中の方に回り込んで何度も拳を叩き込む。

 しかしその殴撃も、効いているようには見えなかった。


「硬いわね、コイツ」

「鎧でも纏っているんでしょうか…?」

「なるほど……鎧ね」


 実のところ、怪人は半裸。

 筋骨隆々な上半身を惜しげもなく晒している。

 つまりリカオンの言うように鎧を着ている可能性はゼロに等しいが……セルリアンのことだ、表皮を異常なまでに硬化させているのかもしれない。


 どちらにせよ、相手の身体に毒針を刺せなければ、タレスの戦闘力は少なくとも半減すると言っても過言ではない。

 力任せな戦い方では往なせない敵だと知り、脳筋戦法万歳な思考回路を持っているタレスは深くため息をついた。


「……っ、また来ます!」


 怪人の攻撃、今度は脚を使った叩き付け。

 先程よりも強い震動が起こり、鳴り響いた音は避難所のフレンズたちの元にさえ届く。




「嘘、今度は雷!?」

「いえ、あっちの方でセルリアンが暴れているみたいです」


 あたふたと狼狽えるチーターを宥め、音が聞こえた方角を見るキンシコウ。


「あ、あれは――!」




 場所を戻し、砂漠の戦場にて。


「ごほごほっ……リカオン、大丈夫?」

「はい、私は無事です」


 濃霧の如き砂埃の中から、タレスが咳き込みながら姿を見せた。

 彼女はこの場の緊張感をものともしないピースサインを作ってみせ、元気そうな姿にリカオンは安堵する。


 怪人は再び攻撃を外したことに苛立ち腕で薙ぎ払うが、そんな怒りに任せた攻撃などタレスは歯牙にも掛けず、腕に飛び乗り蹴飛ばしてさらに口撃を重ねる。


「アンタのせいで砂が口に入ったんだけど、どうしてくれるのかしら?」

「タレスさん、セルリアンにそんなこと言っても…」

「知ってるわ。ほんのジョークよ」


 虚ろな目を向け、セルリアンは首を傾げている。

 逞しい身体をした巨体がそんな風に振舞っている様は不気味だ。

 このような化け物、今まで何処に息を潜めていたのだろうか。


「動きは遅いですし、攻撃は避けられそうです」

「けど、こっちも有効打が無いのよねぇ」


 筋肉の防壁は硬く厚く、シンプルが故に今は強い。

 搦め手の絡まない単純な戦法は、このセルリアンのような強者に許された特権だ。


 だが今は夕暮れ、斜陽の落つる刻。


 目の前に立つこの強者もまた、盛者必衰に従い滅びる定め。


 勝てぬ道理はない。

 二人の力を合わせれば。


 ……最悪の場合には、あの洪水マップ兵器を用いる手もあるのだし。



「リカオン、同時攻撃で行くわよ」

「分かりました!」

「これが通用しないなら、いよいよ罠に掛けるしかないわね」


 願望を口に、瞳は現実を。

 諦念をまとった所作でタレスはリカオンと合図を交わす。

 走り、距離を詰め、十分に近づいたところで彼女は叫んだ。


「今よッ!」

「はいッ!」


 四つの足が同時に砂を蹴り、二つの影が巨大な影の中に溶けていく。


 一度に響くはまた鈍き音。

 そして映像を逆回しに流すように、タレスは元の位置に足を落ち着ける。


「…くっ、やっぱりダメなのね」


 タレスは次の作戦を考え始める。

 その横で起きようとしている、一つの悲劇に気づくのが遅れたために。


 タレスの横で、数瞬後には振り落とされる拳。


「あっ…」

「リカオン…!?」


 リカオンは仰向けに転んでいた。

 攻撃を弾かれた後、着地に失敗したのだ。


 されど慈悲はなく、巨人は彼女を圧し潰さんと両腕を合わせて振り落とす。


 影は落陽。

 まるで皆既日食。

 空ごと墜ちる。


(嫌だ、こんなところで終わりだなんて…!)


 目を閉じられなかった。

 怖くても離せなかった。

 逃げたくなくて、逃げられなくて。

 弱々しくも、抵抗の拳を振り上げて……。



「―――させませんッ!」



 が、巨人の拳を退けるのを見た。



(……嘘)



 そんな期待、頭の片隅にもありはしなかったのに。



「怪我はありませんか、リカオン?」

「き、キンシコウさん…!?」


 如意棒を構え、庇うように立っているのは他でも無い。

 キンシコウその人だった。


「アンタ、どうしてここに」

「大きな音がして、見てみたらセルリアンと戦っていたので」

「分かってるの? もうすぐここの水に沈むのよ?」

「だからこそ、二人を放ってなんておけませんよ」


 どこか責めるような口調の問いにも、心配ご無用と流暢に返す。

 助けに来る気持ちは解るし、そして実際にリカオンが助けられた。


 だからタレスも、それ以上何かを言う気にはなれなかった。


 湿っぽく微笑み、情を漂わせて呟く。


「何よりここには、リカオンがいましたから」

「私が、いたから…?」


 信じられないと、錆び付いたように鈍重に首を振る。

 けれど、目の前に開かれた彼女の手を見れば、もう信じるしかなかった。



 力強く腕を掴み、リカオンは立ち上がる。



「一緒に戦いましょう。合わせ方は覚えていますか?」

「忘れるなんて、ありえません…っ!」

「ふふ、やっぱりあなたは頼もしいですね」

「…買い被りです」


 その言葉を受け取るには足りない。

 自分が、強く変われたとは思えていないから。


 だから今から、確かめるんだ。


「―――首元ね」


 二人のやり取りが終わるのを見計らっていたように、半分ほどアンニュイな色が混じった声で伝えられた分析結果。


 見れば、地面には幾つもの新しいクレーター。

 感動の場面の間、邪魔の入らないように食い止めていてくれたのだろう。


「アタシの直感が言ってるわ。首の装甲がきっと弱いから、アンタたち二人で攻撃すればヒビくらいは入るんじゃないかしら」


 今のアドバイスもその賜物。

 膝に負った擦り傷程度の価値はあるだろうか。

 こうして見ると、服装とも相まってわんぱく小僧のようである。


「ですが、その後は?」

「とーぜんアタシの出番よ。仕上げは任せなさい」

「はい、お任せしますね」

「じゃあ時間も無いし、ちゃちゃっと片付けちゃいましょ!」


 そう言って、巨人の足元へ大打撃。

 砂を崩して足のやり場を奪い、機動力を奪った。


 その隙に二人が突撃、先行するキンシコウが如意棒の一端を砂に刺し、走り寄るリカオンの方に向けた。


「リカオン!」

「はい、跳びますっ!」


 ホップ、ステップ、ジャンプ!


 上を向いた如意棒の端を踏み込み、深くしなった反動で高く跳び上がって、そのまま巨人に向かってクルクルと放物線を描きながら急降下。


 ここが決め時。


 リカオンが高い上空から飛び降り。

 キンシコウが怪人の足元から跳び上がり。

 狙い澄ました一撃を交わして、初めてのダメージを与える。


 同時攻撃を受けたセルリアンの首元は裂けて、ひび割れた傷口からドロドロと黒色に鈍く光る中身が顔を出す。


「や…やりました!」

「良い感じよ、後はアタシに全部任せてっ!」


 最後はタレス。

 彼女の尻尾が嬉しそうに呻る。

 毒針も、心なしか輝いている。


「待たせたわね。今度こそアンタに、極上の毒を味わわせてあげるわ」


 神速のポイズンテール。


 視界に入った瞬間、もう手遅れだ。


『……ッ!!』


 一瞬の硬直。

 胸元を見下ろし、巨大な一つ目を驚愕に見開く。

 そして、糸の切れた人形のように倒れ込んだ。


「さよなら、悪趣味な巨人さん。どう足掻こうとアンタは、アタシに刺されて死ぬ運命なのよ」


 大きな足はもう立たない。

 立ち向かおうとも、嘲笑うように一蹴されるのみ。


 手を伸ばそうとも届かない。

 藻掻いても足掻いても、毒はその全てを一笑に付し握りつぶす。


 決着はついた。


「……タレスさん」

「ああ、見ての通り暴れてるけど気にしなくて良いわ。もう碌に動けないだろうし、この後は水に呑まれて消えるのがオチよ」


 巨体の怪人はは未だ抵抗を続けている。

 砂を踏み、空を掴み、地に吼える。

 その全ての行動が、わずかばかりの理性さえ失ったセルリアンの哀れな暴走であるということは何よりも明白だった。


 もう観察するのも飽きたのだろう。

 避難所に向かうよう、タレスは二人に促す。


「チンタラしてるとアタシたちも溺れるわ。さっさと避難所に行きましょ」

「はい、私が案内します…!」

「良いんですかタレスさん? まだ向こうに、メリさんたちが…」

「大丈夫よ、メリなら。アイツの仕事は被害を減らすことだし、仮にしくじっても余程の下手をしない限り何も起きやしないわ」


 深い信頼。

 しかし何処か呆れ混じりでもあった。

 タレスは、メリの規格外さを知っていたから。


 それと、避難所に向かう理由がもう一つ。


「さっきのセルリアンみたいのが他にも出たって不思議じゃないわ。アタシたちは洪水が収まるまで、あそこを守ることに専念しましょ」


 あの岩場に戻ったところで、自分に出来ることは少ない。

 だったらいっそのこと任せてしまった方が良いという、順当な結論であった。


「そのメリさんのこと、とても信頼してるんですね」

「だってアイツ、アタシよりずっと強いのよ?」

「えっ、そうなんですかっ!?」


 唐突に明かされた意外な事実。

 どこかを遠い目で見つめながら、一番恐ろしかった想い出を彼女は語る。


「これはマジよ。流石のアタシも、血の流れを止められた時は死ぬかと思ったわね」


 タレスの体験談を聞いて、血の気が引くのを感じた。


 血の流れが止まると何が起こるのか、二人は知らない。

 だけど”あのタレスが死にかけた”という事実と、警鐘を鳴らす本能が、純然とその事象の恐ろしさを思い知らせていたのだ。


「…恐ろしい、私たちの想像を超えた力ですね」

「まあそれもあるんだけど、アイツが強い一番の理由は別にあるわ」

「ふむ…?」

「単純にアイツ、容赦ないのよね」

(それ、タレスさんもでは?)


 ”やっぱり似た者同士だな”と、リカオンは思った。



 そして砂丘の上に着いた頃、三人は戦った場所を振り返る。



 既にあそこは水の中、天に伸びるは巨人の腕。

 しぶとく生きていたようだが、もう限界のようだ。

 チリチリと虹色に溶けて、巨人の身体は消えてゆく。


 しばし、沈黙。

 ごうごうと荒れ狂う波の中に、もうあの巨人の姿はない。


 三人は踵を返して歩き出す。

 

 一枚の石板が波に呑まれて、水面に星々が浮かび上がった。

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