第五十八節 砂漠を襲う大災


 耳を突き刺すサイレンの音。

 けたたましく市場を覆い尽くし、迫りくる大きな危険を知らせる。


『みんな、落ち着いテ! ボクたちの指示に従っテ、避難をしテ!』


 そしてサイレンが鳴り始めるのとほぼ同時に、災害情報を受信したラッキービーストによるフレンズ達の避難活動が始まった。


「ちょっと、何が起きてるのよ!?」

「落ち着いてくださいチーターさん。今はラッキーさんの指示に従いましょう」

「…私の薬でも、この状況はどうしようもなさそうですわね」

「リカオン…どうか、無事でいてくださいね…」


 突然目の前に姿を見せた命の危険。

 皆が不安に振舞い、怯え、所々では混乱が起きている。

 フレンズによっては、サイレンの喧しさに文句をつける者もいた。


「うぅ~、うるさいよぉ~」

「我慢してくださいアルマー。安全な場所に着くまでの辛抱です」


 しかし今ばかりは、この音を恨むなど不毛。

 すぐにでもここを逃げ出さなくてはいけない。

 今から数時間の後、この市場を覆っているのはサイレンの音ではなく、全てを遍く洗い流す激流であるからだ。


『避難の道はこっちだヨ! 慌てずニ、順番を守ってついてきテ!』

「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」


 チーターの声は甲高く裏返っている。

 今まで生きた中で経験したことのない異常事態に、今にも彼女は全速力で走り出してしまいそうだった。


「…安心しテ。みんなが指示に従って避難すれバ、必ず無事にいられるヨ」


 ガラリと変わって、穏やかな声。


 その言葉は皆ではなくチーターに向けて、そっと寄り添って宥めている。


 ラッキービーストの目を見つめるチーター。

 無機質な光の中に何かを感じ取ったのだろうか。

 大きくため息を吐き、微笑む彼女は幾分か落ち着いたようだ。


「…分かったわよ。アンタらに従ってあげる」

「ふふふ、チーターさんは慌ただしくて大変ですね」

「み、みんな不安なのは一緒でしょ…!」


 落ち着いた結果、恥ずかしさが込み上げてきたらしい。

 頬を桃色に染めて、普段通りの調子でピーチパンサーに言い返す。


 だが、ピーチパンサーは普段通りではなかった。


「――はい、その通りですね」

「ぴ、ピーチパンサー…」


 胸に手を当て、何を考えていたのか。

 ピーチパンサーは、「みんな不安」というチーターの言葉を、噛み締めるように頭の中で反復していたのだ。


 これは訓練でも何でもない、れっきとした命の危機。


「皆さん、無事に逃げ切りましょうね」

「言われなくても、まだやりたいことが残ってるのよ」


 フレンズたちは市場を去っていく。

 次に戻ってくる時、何がこの場所に残っているだろうか。

 誰も、そんなことは考えていなかった。

 

 生きるために逃げていく彼女たちも、そんな未来のことを考えられる程、前向きにはなれなかったのだ。




§



 砂漠の真ん中にポツンと立ち聳える大岩のてっぺん。

 地平線を水平線に塗り替えて、全てを飲み込みながらやって来る洪水に備えるため、僕とクオとそしてメリは高台であるここに避難していた。


 地面を見下ろすと少し怖くて、ひとまず高さは大丈夫。

 流石にここまでは届かない。

 だけど水流にさらされた時、この大岩が根元から折れたり倒れたりしてしまわないかは心配だった。


 メリが言うには「全く問題ない」そうだけど……どこまで信じていいことやら。

 如何せん未曽有の大災害。

 常識的な前提は役に立たない。


「ソウジュ、クオたち大丈夫だよね…?」

「今は、メリを信じよう。それに何かあったら、出来る限り僕が何とかするよ」

「……うん」


 いつもは明るく毛先を遊ばせているクオも、今日ばかりは僕の手首をガッチリと掴んで、静かに身体を震わせていた。


「メリ!」

「……あぁ、タレスですか」


 背後で鳴った、聞こえないはずの足音に僕は驚く。

 まさか新顔が来るとは思わなかったけど、その正体がタレスだと知って納得した。


 そして、リカオンも一緒に来たようだ。

 最近は力を求めてタレスの下で特訓を重ねていると聞くし、今は夕方。鍛錬を途中で切り上げて避難してきたことは、額に浮かぶ無数の汗と切れ切れな息から察することが出来る。


 タレスは僕たちの姿を認めて、意外そうに目を丸くした。


「タレスたちも来たんだね」

「お久しぶりです、ソウジュさん」

「…なるほど、アンタらも居るの。ええ、どうせならメリと一緒の方が色々やりやすいと思ったから」


 僕たちがメリと行動を共にしているのも、ラッキービーストが災害警報を発した瞬間、一緒の場所にいたからである。


 あのオアシスでの技術を学び始めてから早五日。

 初日よりはマシになったと感じるが、まだまだ道のりは長そうだ。


「まっ、今回ばかりはとんだ災難だったわね。あんなドデカいサイレン、アタシも生まれてこの方聞いたこと無いわよ」


 岩の端に腰掛けるタレス。

 脚はゆらりと投げ出して悠然と、いつもと全く変わらない様子は清涼剤のようだった。


 メリは水のレンズを片目に、洪水の発生地を見つめる。

 軽さと重さのバランスを取っているかのように、二人は対称的な態度で振舞っていた。


 リカオンが、おずおずと声を上げる。


「やっぱりおかしいですよね。最近は、一度も雨が降っていないのに…」

「ええ、あまりに突然ね。というか、ラッキービーストあいつらはどうしてこの洪水を察知できたワケ?」

「本人に聞いて見ましょう」


 そう呟いて、メリは足元に向かって質問を投げかける。

 彼女の足元にいる、道中で攫ってきた一体のラッキービーストは問いに答えた。


「”観測システム”というものガ、砂漠地域における不自然な水量の増加を察知したんダ。増水の勢いと地形かラ、大規模な洪水が起こるとの結論が出されテ……」

「そんで、今に至るのね」


 皆まで言わせず、タレスが遮る。

 この状況を見れば、結論は分かり切っているから。


「うーん、やっぱセルリアンの仕業かしら」

「いや、流石にそれは安直なんじゃ…」

「ですがわたくしも、セルリアンが関わっていると思います」


 ……おっと。


 二人とも、セルリアンが元凶だと考えているらしい。

 何か、タレスとメリには分かる兆候があったのかな?


「ソウジュさんも、向こうの様子を見れば分かると思いますよ」

「……向こうって、あっち?」

「はい。今でも増水していて、場所によっては決壊が始まっています」


 目元から外した水のレンズを渡される。

 ”これで見てみろ”ってことだろう。

 しかし、イマイチ腑に落ちないな。


 確かに抜き差しならない状況だ。だけどただの増水の様子の中に、異変の原因を特定できるような手掛かりがあるようには思えない。


 まあ、これこそ百聞は一見に如かず。

 アレコレ御託を並べる前に、まずはこの目で確かめてみるとしよう。


 僕は右目にレンズをレンズをあてがい、砂丘の向こうに視線を伸ばして。


「―――綺麗だ」


 奇異な景色に。

 一言、それが答え。


「…き、綺麗?」

「ソウジュ、何言ってるの…?」

「いえ、わたくしも同じ感想ですよ」

「えっ…?」


 一緒に戸惑うクオとリカオン。

 けれど二人の反応もよく分かる。

 立場が逆なら。僕も同じ反応を返していたに違いない。


 それでも認識に齟齬があるままでは好ましくない。

 メリは新しいレンズを作り、クオに渡して僕と同じ方向を見るように言った。


 言われるままにレンズを覗き込んだクオは、僕のように思わず呟く。


「あっ、キレイ…」


 そう言うしか…ないよね。


「クオさんも、同じ反応なんですね…」

「ちょっと、アタシには見せてくれないの?」

「急がなくても、すぐに見えると思いますよ」


 微妙に乾いた笑みを零しながらメリは言う。


 全くイヤな予言だ。

 きっと当たるのが一番キライだ。


「だけどソウジュ、どうしてあんなにだったの?」

「いや、ホントに…なんでだろうね?」


 僕たちが水のレンズを通して目にした光景。


 想像を絶するほど大きく増えた水の流れが、全てを呑み込みながら前進しているという所までは事前の予測通り。

 予想外だったことはただ一つ、水が透き通っていたこと。


 砂も、岩も、サボテンも、何もかもを巻き込んだは濁流になっていなければ可笑しい筈なのに。


 沢を流れる清流のように、あの水は美しい透明だったのだ。


「その質問への直接の答えにはなりませんが、”セルリアンが生み出したから”という理由が考えられると思います」

「ただの水じゃないから、砂が混ざっても透明なままってことね」

「タレスも、何か知っていたのでは?」

「わかってないわね、アタシのはただの勘よ」


 清々しく言い放つ。

 腰に手を当ててドヤ顔。

 チラチラとこちらを窺う、反応待ちだ。


「しかし厄介ですね。もし本当にセルリアンが関わっているなら、待つだけでは何も解決されない可能性が高くなります」


 メリはスルーした。

 僕も…別にいいかな。


 だけど、しばらく放置していたら諦めた様子。


 真剣な調子に戻ってタレスが話に加わってきた。


「下手したら、この辺の輝き全部食い尽くすつもりかもしれないわよ」

「……セルリアンの本体は、何処に身を潜めているのでしょう」

「案外さ、アレがセルリアンそのものなんじゃない?」

「うふふ、考えたくありませんね。どうやって倒せば良いことやら」


 僕らはゆっくりと対処法を勘案する。

 不幸中の幸いか時間的な猶予はあり、メリとタレスという戦力的な余裕もあった。


 メリに至っては『最悪の場合、わたくしが死力を尽くして流れを変えてしまいましょう』と豪語するほどで……厳しい試練ではあるにせよ、絶望のような感情は誰も抱いていなかった。



「―――待って」



 しかし、事態は傾き始める。


 それは単に、気付いただけだったのだが。


 タレスが指した大波の反対方向。

 のそり、のそりと、人影が巨大な身体を引き摺って、砂の上を歩いていた。


「見てよアレ、セルリアンじゃない?」

「…ええ、巨人のような姿をしています」

「アイツ、いったいどこに向かって……」


 言い掛けて、その途中で聞こえたにタレスは口をつぐむ。

 幸か不幸か、その疑問はすぐに解消されることとなったのだ。


『避難誘導にあたっている全個体に向け、危険信号を発信! コチラ、避難先に接近するセルリアンを確認しタ!』


 ラッキービーストの声が、全てを物語っていた。

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