第五十四節 九つ首の海蛇


「で、そのとき落としたのがこれなんだ」

「見ての通り、不思議な物体でしょう?」

「うん、そうだね…」


 過去の思い出話を聞き、メリから借りた二枚の石板。


 例によって、従来僕らが目にしてきたものと大層な違いはない。唯一の個性である点と線の模様は、片方が三角形、もう片方がジグザグに伸びた細長い不定形。


 高度な数学理論を使えば何かしらの意味をこじつけられそう。

 つまり、今の僕では意味を見出せない。


「クオねぇ、この模様をじっと眺めてると、なんだかふわふわした心地になるんだぁ~」

「眠いんだよ、それ」

 

 いっそ模様から結論を導こうとするのは止めて、順当にセルリアンの特徴から共通点を見出す努力をした方が良さそうだ。


 元はといえば、が出来ないから模様に着目したんだけど。


「メリ。こいつらの特徴って覚えてる?」

「タレスとの大切な想い出ですもの。それはもうハッキリと」

「そっか、よければ詳しく聞きたいな」

「わたくしは別に構いませんが……でもどうせなら、見てみませんか?」


 えっ、実際に?


「……そんなことが出来るの?」

「まあ簡単にチャチャッとパパッと、セルリアンをします」

「なるほど。……なるほど?」


 メリもさ、何でもないと思ってあっさりと言うよね。

 ハンターの子が聞いたらどう思うかな、場合によっては卒倒するかも。


「召喚だなんて、そう易々と…」

「石板にけものプラズムを集めてみたら、偶然にも出来ちゃったんです」


 理由を聞くと、タレスが居ない間の暇つぶしだったという。


 流石は未確認種(暫定)のフレンズ。

 暇つぶしの格が違う。


「もしも危なくなったら、責任を持ってわたくしが倒します。ですのでお二人さえ良ければ、自分の目でセルリアンの姿を確かめてみませんか?」


 昔話を聞いただけでも、メリが強いことは分かる。そんな彼女が『責任を持って』と言うからには、そうそうピンチは来ないはず。


 せっかく安全にセルリアンを観察できるんだ。

 その誘いに乗らない手はない。


「クオ、見てみたいなっ!」

「僕もいいよ。だけど、リカオンとタレスがどう思うか……あれ?」


 二人の意見も聞こうと振り返ったけど、彼女たちの姿はない。

 オアシスのどこを見ても、今は僕たちしかいない。


「あの二人、何処に行ったの?」

「リカオンさんは、一度市場に戻るそうです。タレスはその付き添いで行ってしまったようですね」


 リカオン、帰っちゃったんだ。

 一通り遊び回って満足したのかな。

 それとも、タレスとのかな。


「今ここにいるのはお二人だけです。ですので、問題ありませんよね」


 彼女たちの事情はさておき、僕らしかいないなら確かに何も心配はない。折角の機会だ。過去に二人が退治したセルリアンの姿を、この目にしっかりと焼き付けておくとしよう。



「うーん、どちらにしましょう? まあ、強い方でいいですね」



 泉の中心に石板を投げ入れて、やんわりと手を伸ばす。メリの周囲に少しずつけものプラズムが集まり、腕を伝ってやがてそれは石板へと収束していく。


「わっ、眩しい…!」


 集められた輝きは強力な光源となって、直視できずに僕は目を覆う。


 光が圧縮され、それは波動を生み出して、逃れ得ぬ気迫として心臓を掴む。


 姿を直接見ていないのに、腕の向こう側にがいることを僕たちは理解させられていた。


「さあ、現れましたよ」

「……これが?」

「あれ、思ったよりちっちゃいね」


 目前から腕を外し、輩の姿を認めた僕は思わず拍子抜けに感じる。

 

 圧倒的な存在感と共に現れた筈のセルリアンは、下手をすればペット用のケージにさえ収まってしまいそうなミニサイズだったのだ。


 言うまでもなく、見た目は弱そう。


 それでも手を出そうと思えなかったのは、ひとえにアイツが生み出される瞬間の悍ましい輝きの圧力を身を以て感じたからだ。



「どうでしょう?」

「……あはは。まだ、実力を測りかねるね」


 能ある鷹が爪を隠しているような、口を閉じて獲物を待つミミックのような、底の知れなさから醸し出される不気味さを感じる。


「そうですか。ですがご安心ください。そのセルリアンは変身します」

「…ああ、そういうタイプ?」


 姿形を変えるのは初めて……いや、カラスがいたか。


 アイツは手強かったな。もしもルカがいなければ、打ち倒す算段なんてあの時の僕らには絶対に立てられなかった。多分、今もまだ無理だ。


 思い出したら急激に心配になってきた。


 コイツは…そこまで強くはないよね?


「とはいえ、追い詰めないと牙を剥かないので……ちょっとね?」


 まるで事務作業のようにそう告げて、ヘビ型セルリアンへの攻撃を始めたメリ。


 未確認種の真髄の再演。

 目を疑う圧巻の光景だった。


 腕を持ち上げると、水の柱が敵を囲むように円形に立ち昇り、指揮をするように優雅に踊れば、ヘビのように曲がりくねってセルリアンを縛るかのように纏わりつく。


 このまま放置しても溺れるだろうが、彼女の演劇は終わらない。

 集まり、集まり、集まって、水球はやがて極小に。指を鳴らすと珠が弾けて、水だけで起こったとは思えない大爆発が辺りににわか雨を降らせる。


 僕の使う妖術なんて比べ物にならない、まるで”魔法”だった。


「わぁ、すっごーいっ!」

「…これ、メリの方が脅威じゃない?」

「ソウジュったら、メリお姉さんが聞いたら怒るよ?」

「気にしなくても大丈夫ですよ。大きな力を持っていることは自覚していますから」


 当然だ。

 これで無自覚だったら余りにもタチが悪すぎる。


「そろそろ……来ますね」


 セルリアンもついに本気を出して、変身するようだ。

 

 というか、よく生きてたよね。

 さっきの攻撃で倒されてた方が楽じゃったんじゃない?


 ……まあ、何度も蘇らされている時点で既に無間地獄のようなものか。


 なんて戯言を脳内で遊ばせている内に、変身は終わった様子。

 とても眩い光を放って、今度こそ巨大な雄姿を僕たちの前に現した。


「…ヤマタノオロチ?」

「いいえ、わたくしはだと思います」

「あぁ…ホントだ。首が九つだね」


 言い訳をすると、九つってパッと数えるには多いんだよね。

 三つくらいだったら僕も間違えなかったかな。間髪入れずにオルトロスって答えらえてたさ。


 ……ごめん。オルトロスの頭は二つだった。


「…ふぅ」


 気を取り直して、巨大に変化したヒドラを観察する。


 体躯の規模はおおよそ背後に生えているヤシの木の二倍で、ホートクで相対したカラスのと比較してみると三分の一以下。

 いささか矮小な印象を覚えなくもない表現だけど、比べている相手が規格外であるという前提を差し込んでみれば……まあ、無難にコイツも大きいだろう。


 不用意に前進なんてしたら潰されかねない。

 遠くから安全を取って観察したかったんだけど……どういう訳か、メリが僕の目論見を打ち砕いた。


「わたくし、お二人の身のこなしを見てみたいです。戦ってくれませんか?」

「えっ、アイツと…?」

「いいじゃんソウジュ、やってみようよ!」

「……まあ、クオがそう言うなら」


 バトルが大好きなフレンズに囲まれて、僕はとっても大変です。

 星に祈りが届くなら、クオの好戦的な性格を控え目にさせてあげて欲しいです。


「”戦ってみろ”って軽々言うけど……ヒドラって神話の生き物じゃん」


 中途半端に知識があるだけ、余計に理不尽さを感じる。

 だけどこの状況、裏を返せば攻略法のヒントがあるということ。


 そうは言っても、神話の本ってあまり読んでないから分からないな。ヒドラ改めヒュドラーって、どんな風に退治されたんだろう?


 メリに聞くのは…ナシかな。


 どうせゴリ押しだったよ、さっきの水圧の暴力を見る限り。

 彼女たちがパワー系すぎて、自分の無力さに辟易してしまう。


(先手必勝……いや、まだやめておこう)


 現状、向こうも様子見なのか、ヒドラが僕たちに危害を加えようとする素振りは見られない。半端な攻撃をしても怒りを買って、チャンスを棒に振るだけだ。


 理想的なのは第一手で反撃の隙を潰し、逃れる暇を与えることなく押し切ってしまうこと。


 だから、敵の弱点を見抜くことが必要なんですね。

 使ってしまおうか、例の言霊。



『見破れ』



 ―――狙うべきは、真ん中の首か。



 あの首に異常な再生能力が備わっており、それを切り落とさない限り他の八本の首も限りなく再生し続ける。真ん中の首も勿論再生し、元通りになるまでに決着を付ける短期決戦が求められる。


 言うほど弱点らしい弱点ではないが、撃退には必須の手順。


 そして漸く思い出したが、ヒドラは猛毒を持っていた。

 これも短期決戦を推し進めるべき要素になるだろう。


 毒のことならタレスに話を聞いておきたかったけど……タイミングが悪く、ご生憎という感じだ。


 さあ、まだヒドラは動かない。


 というか、メリが居るからじゃない?


 僕だったら怖くてたまらないね。自分に変身を強要してきた相手が、変身した後には一度も手を出さずにニコニコとこっちを見つめていたら。


「ソウジュさん。そろそろ、始めませんか?」

「分かってる、あとちょっとで算段が付きそうなんだ」

「むぅ、もう待てないよ~!」


 クオもごめんね、気を遣わせちゃって。

 今回は僕から何も言っていないのに、察して静かにしてくれていた。

 

 待ってて、すぐに暴れさせてあげるから。


(……シンプルイズベスト。って感じで行こう)


 迂遠な策謀は、正攻法が崩された後で良い。

 そして脳内で練り回す御託も、もう十分だ。


「クオ、”虚空間”から何か武器出して」

「えっと…コレとかどう?」

「斧か、いいね」


 以心伝心って、ホントにあるのかも。

 僕がやろうとしている作戦にピッタリの武器を出してくれた。


「合図は簡単。僕が最初に攻撃したら、それに続いて突っ込んで」

「うんっ、わかったっ!」


 じゃ、やっちゃおっか。



「行くよ……『切り裂け』っ!!」



 身も蓋もない言霊を叫びながら、僕はトマホークのように斧を投擲する。


 言霊とは妖力を媒介に想像を現実にする妖術。

 そういうことで、投げた斧はイメージ通りにヒドラの真ん中の首に吸い込まれていき、僕の命令通りに根元から


「クオ、GO!」

「いぇっさー!」


 砂塵を舞わせて空に跳び、太陽を蹴って急転直下。

 銀色の稲妻が奔ったように景色が割れて、水面を這う紋はクオの速さに置いていかれた。


 野生解放…だったっけ。


 元々動きの速いクオ、それに僕ですら初めて見る全力が加われば、鈍重なヒドラが対応できるわけもなく、残り八本の首が一瞬のうちに刈り取られるのはもはや避けようのない趨勢すうせいであったといえる。



 クオが刀を収めた瞬間、しぶきが走り、残影と共に、ヒドラは虹の粒子と消えた。



「驚きました。お二人ともわたくしに負けず劣らず、とても強い力を持っていらっしゃるのですね。特に……ソウジュさん。非常に興味深いです」


 背後の方でメリが小さく何かを呟く。

 喜ぶクオの声にかき消されて、何を言っているかは聞き取れなかった。


「もしかしたら、わたくしにいいお手伝いができるかも」

「メリ、何か言ってたよね?」

「いいえ、ただの独り言です」

「…そう」


 ヒドラの石板は、面白いものを見せてくれたお礼として受け取ることになった。


 でもまさか、石板がこんな危険物だったなんてね。

 微妙に貰いたくない気持ちを押しのけ、他の場所に置いておくよりは安全だと考えて、これも虚空間の中に押し入れておく。


 もしも不測の事態が起こったら、虚空間の中からセルリアンが大量発生したりするのかなぁ。


 最悪の可能性を思い浮かべて、そうならないように細心の注意を払おうと決心して、うっすらと星が浮かび始める帰り道の、海のような紺色の空だった。

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