第五十三節 水瓶を掲げ、砂漠に恵みを


 太陽の放射。

 乾風の対流。

 砂塵の伝導。



 絶え間なく襲い掛かる熱に塗りつぶされ、一度の日没を迎えることすら難しいサンカイの砂漠を、タレスという名前を持つ少女が通り抜けようとしていた。


 のちに曰く、彼女がこの地に足を踏み入れるのは初めてとのことで、知識の無い者が砂漠を目前にすることと言えば、過剰な準備かもしくは無防備かの二択。彼女はおおむね後者であった。


 彼女の普段着――隙間から肌が見えてしまいそうなボロ布――と、申し訳程度の水が入った皮革の水筒。


 聞く人が聞けば顔を真っ赤にして砂漠から追い出してしまいそうな装備で、少女はサソリの形質という若干の適正もあってか、倒れることなく孤独な進軍を執り行うことが出来ていた。


 無論、少女が今まで曲がりなりにも無事でいられたのは、彼女の持つ他のフレンズとは隔絶した高い能力が根底にあったことは自明である。


 だとしても暑さがそろそろ堪えてきたようで、ここに来て初めて水筒の水を飲み、額に浮かんだ汗を手で拭いながら後悔の念を漏らした。



「……夕方に来ればよかったかしら」



 朦朧と霞んでいく視界と頭で、タレスは砂漠を訪れた自身の目的を思い出そうとする。


 ”……そうだ、あそこだ。”


 近頃ヒトが、お客さんが砂漠に棲むフレンズとも交流できるようにと、日帰りではなく数日間にわたる滞在が出来るような建物群を建設したらしい。


 若干遠い場所とは言え、近頃タレスの生活していたリウキウちほーにもその噂は届いており、好奇心をそそられた彼女はこうしてサンカイちほーまで足を運んできたのである。


 そしてその結果、あわや遭難という憂き目の中にいるという訳なのだ。



「あぁ~、星が見えてきたぁ~…!」



 言うまでもなく真昼間。

 プラネタリウムにでも行かない限り、星が見れるはずはない。


 もはやこうして言い表すことさえ億劫なほど火を見るより明らかな水不足。一度崩れ始めた健康の均衡は、多少の水分を胃袋に注ぎ込んだだけでは元に戻らない。水筒の蓋をひねるも、焼け石に水。


 そこで彼女は行路を変更し、まずはどこかにあるであろうオアシスを探すことにした。水を求める直感が、何を考えるより早く彼女の脚を動かす。


 かくして、なんたる幸運か、少女は泉を見つけることに成功する。


「あ、あった…!」


 一気に押し寄せた安堵の感情が上から肩を圧して、瞬く間にタレスから全身の力を奪い去る。


 それでも取れかけのような腕を振って、水の在り処まで脚を引き摺って、一気に倒れ込みながら顔を水面へ近づける。

 


「もごっ…ごぽごぽ…!」



 そして、少女は溺れた。




§




「……はっ!?」


 砂漠で遭難するような悪夢を見たような気がして、タレスは起きた瞬間にその場から飛び上がった。


 そのまま勢いに任せて明後日の方向に走ってみれば、熱い砂を踏む。驚いて数歩退けば、冷たい水の感覚が襲う。ふと空を見上げれば、太陽は健在だ。


 明瞭になってきた頭で、悪夢は現実だったのだと彼女は悟った。


「あら、起きましたか? きっとまだ身体は疲れているでしょう、ゆっくり休んでくださいね」


 声のする方を見ると、青い髪の少女が隣に立っていた。さっきまで誰もいなかった筈の場所に、さもそれが当然であるかのように。


 狼狽する本心はおくびにも出さず、タレスは少女に尋ねる。


「誰よ、アンタ」

「そうですね。簡単に、メリと呼んでください」


 疑念の籠った眼差しを向けたものの、にこやかに微笑む青髪の少女から敵意は感じられない。


「…タレスよ。まあ、助かったわ」


 お礼を言っておくのが道理と感じ、ひとまずタレスは温和に接することにした。その後はメリに促されるまま、涼しい木陰でゆったりと休憩を始める。


 途中、砂漠に来た目的とか、どうして何も備えをしなかったのかとか、痛い所も突かれてしまったタレスは、居心地が悪く感じたのか問いに関して黙秘を決め込んでいた。


 繰り返し尋ね直すうちに”答えてもらえない”と察したようで、メリも段々と当たり障りのない内容に話題をシフトしていく。


って、知ってます?」

「…何それ」

「あっ、やっと返事してくれました」


 ”しまった”と、咄嗟に後悔するタレス。


 すぐさまそっぽを向き、口を堅く閉じて完全な沈黙を敢行する。そしてもう少しだけ、メリに対する無視を決め込むつもりだった。


「だ、黙らないでくださいっ! あのですね…滞在区っていうのは最近造られた、お客さんが快適に過ごせるオアシスのような場所なんですよ」

「…っ!」


 だが、思わず首が回ってしまう。

 メリの話した内容が、タレスの目的地の特徴とよく合致していたのだ。


 再び反応を得られたメリは、また嬉しそうに重ね聞く。


「どうです、もっと聞きますか?」

「そうね。どうしても話したいなら、聞いてあげてもいいわ」


 もとより全て好奇心、普通は聞いて損はない。


 だがタレス、ついさっき”無視を決め込む”と決心した身。

 メリの示した話題に興味を惹かれて話し出したとあれば、なんとなくプライドが傷つくというもの。


 ……少なくとも彼女はそう感じたようだ。


 つんけんとしたタレスの態度に、メリは悲しそうに俯く。


「そうですか。では、今回は遠慮して……」

「待ちなさい! もう諦めるの!? もう少しその……粘ってみてもいいじゃない!」

「…うふふ」

「な、何よ…?」


 素直になれない態度を面白く思い、メリは笑みをこぼす。

 心の中を読まれたとおぼろげに察し、タレスは顔を引きつらせる。


「何でもないです。じゃあ、続きに行きますね」


 この瞬間、タレスの存在はメリの興味を一身に受ける存在となったのだ。




「―――ふん。まあ、悪くない話だったわ」


 滞在区の話を聞き終えるや否やの一言。

 初めて出会って数十分、メリの中でタレスの印象は強く固まった。


 ざっくりと言えば”面白い子”だと、未来では周囲の人物に語る。


 よもや自分が生暖かい目を向けられていることなんて、流石にそこまで知る由はなく、タレスは偶然目に付いた、低い草に生る黄色い果実に手を伸ばす。


「気になりますか? その実はですね…」

「美味しそうね、いただくわ」

「あっ、待っ…!」


 メリの制止も間に合わない速さで果実を口に運んだタレス。


 ……まぁ、お察しの通り。


「はぁっ!? に、にがっ!?」


 外見のフルーティーな雰囲気とは似ても似つかぬ苦みの波に、タレスはかじった果実の欠片を思いっきり空に向けて吐き出す。


 勢いはさながらサクランボの種飛ばし。

 優勝も狙えそうな勢いだった。


 まあ味わった本人にとっては堪ったものではなく、後引く苦みに顔をしかめながら文句をつける。


「ちょっと、苦いじゃない!」

「ええ、苦いですよ…?」

「先に言いなさいよっ!」

「…わたくしは予知能力者ではないのです」


 メリにとっても、はなはだ理不尽な言い分だったことは想像に難くない。


「やれやれ、こんなの何の役に立つのかしらね」

「違いますよタレスさん。この植物たちは、ここで元気に育っているだけで十分なんです」


 投げ捨てられた果実を水から拾い上げて、そっと草の根元に添える。


「役に立つか立たないかなんて、とても些細な話ですよ」

「……そうなのね」


 タレスにはよくわからなかった。

 だからメリの言葉を否定することもなく、静かにその様子を見守っていた。


「でも、せめて一回くらい、アタシはアンタの役に立ちたいわ。助けられちゃったし、何も無しに出ていくのは後味が悪いのよ」


 そう言われ、メリはちょっぴり考えて、そういえば後回しにしていた懸案を思い出した。


「そういうことでしたら、セルリアン退治を手伝っていただけませんか?」

「へぇ、こんな砂漠にもいるのね」

「滅多にないですよ。今日は偶然です」


 この頃オアシスの近くで悪さをしている、二匹のセルリアン。どちらもよく似た、細長い身体の形をしていて、常に一緒に行動しているという。

 彼らは水のある場所を好み、メリがオアシスを空けている隙に乗り込んできたこともあったらしい。


 セルリアンが脅威として扱われるのは言わずもがなとして、しかし今度の場合はヒトの事情も関わっている。


「……アトラクション?」

「お客さんに楽しみを提供する、滞在してもらうなら無くてはならないものです」


 なんでもこのオアシス、他にはない特色を持っているらしい。

 

・周りから見えづらい

・見た目では非常に険しい地形の向こう

・それに比べ、実際の行路はかなり楽


 という、娯楽として利用するには都合の良すぎる立地条件。

 そこにパークのスタッフが目を付け、メリと協力してアトラクションの一つとして運用をしていくらしい。


 あくまで自然の景観は崩さず、観光ツアーの一端という形で。


 その計画を現在進行形で邪魔しているのが、オアシスの近くで悪さをしている大きなセルリアン二匹だというのだ。


「今まではずっと計画だったので放っておいても良かったのですが、そろそろ”本格的にリハーサルに入る”と、スタッフさんからお話を受けたんです」

「なるほど、そういうことね」

「強い相手ではないはずです。サクッと倒してしまいましょう」

「…楽に終わることを期待してるわ」


 そうして彼女たちはセルリアンの巣へと乗り込んでいくのだが……戦いの顛末に関しては、あまりにも一方的で詳しく描写してしまうと可哀想なため、何の危なげもなくタレスたちが勝ったと結果だけを記しておくことにする。


 今の今まで放置されていたのだ、セルリアンたちも決して生半可な強さではなかった。


「ホント、えげつないわねアンタ」

「あなたの毒も、人のこと言えないと思いますよ?」


 つまりそれ以上に、手を組んだタレスとメリの戦力が埒外だったということである。


「何故でしょう。タレスさんのこと、初対面なのに他人とは思えません」

「奇遇ね、アタシもよ」


 セルリアンが落とした奇妙な石板を眺めつつ、そんな会話を交わしながら、二人はオアシスへの帰り道を歩むのだった。




§



「じゃ、そういうことで」

「また会いましょうね、タレスさん」

「…気が向いたらね」


 尻尾で返事をする彼女は、泉を振り返ろうとしない。


「わたくしは、ずっと待っていますよ」

「……せいぜい、期待はしないことね」


 微笑みかけて送り出すメリと、最後の最後まで素っ気ないタレス。


 いつかタレスのつんとした態度が薄れ、打ち解けることのできる日が来るのだろうかと、心中メリは不思議に思う。


 しかし実際には、彼女が思っていたよりずっと早くその日を迎えることになるのだが……それはまだ、ここでは語られぬ話なのであった。

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