第四十八節 毒を統べる少女


 ガタゴト。

 ドコドコ。

 バタバタ。


 階上の方から、どうにも聞き慣れない騒ぎの音が聞こえてくる。


「……なに? この物音」


 そう口では言いつつも、頭に思い浮かんだ可能性は一つ。

 きっと物探し中のリカオンだろう。

 そもそも、他に誰もいないからね。


 それにしては荒っぽい音だけど……まあ探し方なんて人それぞれだし、さして気にすることでもない。


「やれやれ、リカオンあの子もお転婆かあ…」


 心なしか進捗が心配ではあるけど、気負わずにいるようでなによりだ。

 だったら、僕も疲れたしここでゴロゴロしてよっと。


 ふぅと天井のさびを吹き飛ばす温かい一息。


 それにしたって暇だなぁ。


 クオが食べてたりんご飴、僕も食べたくなってきちゃった。




§




「きゃっ…!?」


 思わず突き出した私の腕が弾かれ、その隙間からギザギザの尻尾が滑り込んでくる。恐怖に駆られて後ずさったら、当たる背後は冷たい壁。


 目の前の少女が笑う。


 それは戦いを楽しんでいるのか、臆病な私を嘲っているのか。


 どちらにせよ彼女は牙を剥いていて、どっちだろうと気に病むだけ無駄だと悟って私は考えることをやめた。


「ほらほら、守ってばかりじゃ埒が明かないわよっ!」

「な、なんでこんなこと…っ!?」


 私は視界を左右に振って、とにかく逃げようと出口の方に走り出す。


「ははーん、まだそんなこと言ってる」

「ひっ…!」


 全力で走っても届かない。


 鋭い尻尾が無情にも私の視界を遮り、その先にある壁にヒビを入れた。


 「決して逃がす気などない」と、こちらを向いた毒針が呟く。

 耳に響いた少女の声が私の背筋を凍らせる。


「ま、言っちゃえばアタシの趣味よ。ケガなんてしないしさせないから、好きなように掛かって来なさい?」


(……別に、私の心配事はそこじゃないんですけど)


 だけど、この空き時間はラッキーだ。

 少女が説明のために手を緩めてくれたおかげで、呼吸を整えられた。


 そんな風に自分に言い聞かせて、この危機の中で私は平静を保つ。


「名乗りが遅れたわね。アタシはタレス、見ての通りみすぼらしいフレンズよ」

「別に関係ありませんよ、フレンズの見た目なんて」

「あら、そうなの?」

「ええ。あなたが危険な人物であることは良く分かりましたから」


 感情に任せた意趣返し。


「―――あはっ、言ってくれるじゃない」


 数秒のあいだ硬直したあと、目を見開いてタレスは笑った。

 舌なめずりで乾いた唇を潤す。


「そんな軽口が叩けるなら、もっと激しくいっても大丈夫そうね!」


 次の瞬間。

 目にも止まらぬ速さで飛んできた徒手空拳。

 私は思考を止め、反射に任せて攻撃へ反応をする。


 右、左、右、右、カーブを混ぜて、腕に隠して一撃。


 拳だけの戦いなら負けない。

 幾重もの鍛錬を積み重ねてきたんだ。

 

 としてことはもうないけど、決して動きは衰えてなどいない。



 普段の通りの鍛錬を、なぜだか止めることが出来なかったから。



 ――それは体感、数分にも思えた果し合い。


 足を踏む音、拳を振る音、手の平を突く音。


 互角のまま泥沼へと縺れこんだ戦闘の末、先手を打ち込んだのは私の方だった。


「っ……」


 タレスの喉から空気が漏れる音。

 勢い余って強く打ち過ぎたかな、私も拳が少し痛んだ。


 次はどう動けばいいかな。


 私が追撃を躊躇っていると不意に大きく振るわれた尻尾が、弧を描いて床を掻いて赤い土ぼこりを部屋に舞わせる。


「案外やるじゃん、アンタ」

「……」


 うねうねと、清々しい表情で尻尾を波打たせるタレス。


「尻尾縛りは流石に舐めすぎたかしらね、侮っちゃってごめんなさい」


 どうやら自分で制限を課していたみたい。

 心なしか尻尾が暴れているのは開放感によるものかな。


 先の毒針をやはり指のように使い、彼女は私に問いを投げる。


「アンタってやっぱりアレ? 戦いを生業にしてた感じ?」

「……どうしてそう思うんですか」

「あはは、とぼけるの? 身のこなしも筋肉の付き方も常人じゃないわ、しっかり鍛えてる証拠ね」


 針先のように鋭い指摘に身が竦む。



「あ、もしかして……噂に聞くってヤツかしら?」



 本当を突き刺した言葉に、今度こそ心臓が凍る。



「……噂?」


 私は辛うじて、なるべく怪しまれないように聞き返すことで精いっぱいだった。


「最近市場に来てるって話よ。キンシコウだったっけ、現役ハンターのフレンズ」



 ……キンシコウさん。



 もちろん彼女のことは知っている。

 今まで数えきれないほどお世話になって、そのくせ私は好意を無碍にして逃げ出してきてしまって。


 だからあの人が訪ねてくれた時さえも、優しいはずの呼びかけに応えることが出来なかった。


 果たして私は何度に渡って、ドアノブに掛けた手を迷っただろうか。



「珍しいわよね。サンカイはセルリアンの大発生があんまりないから、ハンターさんのお世話になることって結構少ないの」

「そう、なんですか」


 思い返してみれば確かに、任務でサンカイを訪れた記憶は薄い。


 『砂漠にはフレンズが少ないから、輝きに釣られて現れるセルリアンも数が少なくなる』……だったっけ。


 そんな、ちほーについての知識を私に教えてくれたのもキンシコウさんだった。


 だから私はここに来たんだよね。

 フレンズの少ない、サンカイに。


「お休みでも貰ったのかしら? アタシも一回お話してみたいわ、きっとドキドキするエピソードが沢山あるはずよ!」


 ……


 そうだった。

 戦いの日々は常に緊張でいっぱいだった。


 一歩間違えば取り返しのつかない大惨事になる中で、仲間同士で背中を預け合ってセルリアンの脅威に立ち向かった。

 気が休まらない夜もたくさん明かしたけど、それでもみんなと一緒なら、止まらない心臓の鼓動は高揚感へと変わっていったんだ。


 なんで私は逃げ出して、ここで冒険をしようと思ったんだろう?


 忘れられなかったのかな、このドキドキも。


「……で、アンタはどうなの?」

「…どう、とは?」

「とぼけちゃダメよ! アタシはアンタも、セルリアンハンターの一員だって踏んでるんだから」


 少女が、タレスが、彼女の瞳に映った私が私に問う。


 鏡に反射した私の姿は橙色。

 さながら斜陽に当てられ心身ともに沈んでいくようだ。


 不意に像が歪む。何も答えない私にタレスが首を傾げたからだ。



「―――私には、セルリアンハンターなんて出来ませんよ」



 タレスの無言の圧力に負けて飛び出てきた言葉は、嘘にも真実にもなり切れない出来損ないのぼろ切れだった。


 タレスの纏う布よりも、ずっとずっと無惨だった。

 

「そう、違うのね」


 自分が一番よく分かる、穴だらけな言い分。彼女の生暖かい目はともすれば、私の胸中全てを見透かしていたのではあるまいか。


「……まあいいわ。話してるうちに闘志も冷めちゃったし、ここまでにしましょ」


 タレスから何かを指摘されることはなかった。


 安心半分、妙な悲しみが半分。

 私は話題を変えようと今いるこの部屋に視線を向けた。


「それにしても、ここには何もないんですね」

「変なこと言うのね、ふつう廃墟はがらんどうよ?」


 肩をすかして失笑するタレス。

 考えてみればもっともな指摘を受けて、私はなるほどと思った。


「一応アタシが住んでるけど、必要なものはぜんぶ市場あっちで揃うから何も置いてないの」

「それわかります、あそこ何でもありますもんね」


 中心では食べ物や飲み物。

 外側のお店を巡れば雑貨やに家具。

 タレスの言う通り、あの市場ではどんなものでも揃う。


「おかげで生活力はだだ下がり、今となっては自分の部屋すらまともに片付けられなくなっちゃったわ~」


 道理で、フレンズが住んでるのに他の部屋と変わらない荒れ具合だと思った。


「片付け、手伝いましょうか?」

「あら、ホント? 助かるわっ!」


 和気あいあいと談笑しながらお部屋のお掃除。


 ゴミは脇に寄せちゃって、細かな塵は箒で掃いて仕上げに雑巾、キュキュッと汚れを拭き取って綺麗にしよう。


 昔からお手伝いは好きだったから、お掃除にはかなり慣れている。

 今になって思えば心配だな。ヒグマさんとか、身の回りの整頓をあまりしない性格だし。


 ……まあ、もう私には関係ない。


「よし、こんなものですね」


 ごく簡単な作業だったけど、部屋は見違えるように綺麗になった。それってつまり今まで掃除をサボってきたことの証拠だけど……気分が良いので気にしません。


 スッキリとお掃除を終わらせた私は、立ち上がって部屋の出口へと向かっていく。


「どこ行くの?」

「ソウジュさんっていう一緒に来た人がいるんですけど、呼びに行ってきます」

「そ、行ってらっしゃい」


 今日はソウジュさんにも迷惑をかけてしまった。

 せめてものお詫びは、早く迎えに行って徒労をやめさせてあげることだろう。


 確か倉庫だったはず。


 私は扉を開ける。


「あ」

「あ」


「……なんだ、終わってたんですね」



 ゆっくり休んでくれてたみたいで、ほっと安心した。




§




「へぇ、こんな場所に住人がいたんだ」

「私も驚きましたよ、タレスさんっていうんですけど……実際に会ってもらった方が早いですね。着きました」


 さっきの部屋まで戻ってきた私は、中の彼女に声を掛けることなく扉を開ける。


 思えば、それが悲劇の引き金だった。



 ―――風?



 ううん、それは神風。


 だって私たちの横を吹き抜けていく風は、部屋の中央で無防備に立っていたタレスの衣服を……!



「……」

「―――見たわね?」


 

 鋭い眼光で睨みつけられ、とうとう血液さえも凍った。



「えっと、その…」

「眠りなさいっ!」

「ぐあぁっ!?」


 目で追う間もなく一瞬だった。


 胸を毒針で穿たれ、力なく倒れ込むソウジュさん。

 思わず「助かった」と、薄情な感想を抱いてしまう。


 もちろん、驚いて叫んでしまった。


「そ、ソウジュさんッ!?」

「安心しなさい、殺しはしないわ。ここ数秒の記憶を失ってもらうだけ」



 き、記憶を失くす毒……!?



「そう青ざめないで、アタシは毒のエキスパートなの」


 エキスパートとかそういう話じゃなくて、初対面なのに毒を打ち込むんだ……


 出会った時から思ってたけど、この子血の気が多すぎる。

 目が合った瞬間に戦いを挑んでくるし、私なんかよりずっと強いし。


 まさかこの子、ヒグマさんに追随するレベルの戦闘狂?


 でもさっき見た景色を思い出せばこの子、ぼろきれのような服の下には何も―――


「アンタも全部忘れたい?」

「……ナンデモナイデス」


 うん、自主的に忘れることにしよう。


 触らぬ神に祟りなし。


「……ん?」

「どうかしました?」

「よく見たらコイツ、うどんの屋台の前でアタシとぶつかった奴じゃない」


 一応、二人の間にも面識はあったみたい。


 だからと言って毒を打ち込んでいい理由にはならないけど、よくよく考えれば…んだよね?


 だったら私も……多分卒倒させてたかも。


 南無三。

 私の不用意な行動のせいでごめんなさい。

 だけど、もう手遅れですね。

 

 正体不明の毒にあえぐ彼のために、私はせめて祈りを捧げる。


(ソウジュさん、どうか強く生きてくださいね…)


「R.I.P.ってとこね」

「まだ生きてますからっ!」


 私の渾身のツッコミを受け流して、さぞかし楽しそうにタレスは笑うのだった。

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