第四十七節 棄てられた工房


 ひりひりと乾いた風が、露出した皮膚から水分を奪う。じりじりと照り付ける陽光が、体内から潤いを取り去っていく。


「……ふぅ」


 僕はペットボトルの麦茶を飲み干し、濃い味の残った最後の一滴が名残惜しく口の中でじんわりと広がる。


 意図する間もなく小石を足蹴に、四つの跫音きょうおんが岩を食む。


 ここは荒野の、山の陰。自然の中に隠された人工物の在り処。


 音を立てて崩れていく岩壁の向こうで、今にも朽ち果てそうな一棟の建物が、長い時の果てに骨を剥き出した脆い脚で立っていた。


「ソウジュさん、ここにオアシスの手掛かりが?」

「さあ、それは入ってみないと分かんないよ」

「そ、そうですよね…!」

 

 扉が軋んで開く音に息を呑むリカオン。

 彼女の瞳の中には緊張と似て非なる高揚が輝いていた。


 まあ流石、僕の休日をなかば強引に消し去って拉致するように連れてきただけのことはある。ある意味行き止まりを見失った猪突猛進な執念だ。



 ―――ちなみに、情報源がキンシコウであることはまだ隠している。



 僕がそうすることに決めたのは、あの酒場で聞いたリカオンの過去のせいだ。


 確執とまでは言えずとも、胸中に抱えたわだかまりはけして小さくないハズ。もしも真実を知ったら、彼女は果たしてどんな反応をするのだろうか?


 …正直に言えばわりと気になる。


 だけど彼女に明かすタイミングも逃してしまったし、ましてやわざと驚かせて楽しむ趣味も僕にはない。

 

 だから来るべき時が来るまで、この事実は僕の胸の中に収めておこう。成り行きによっては、キンシコウ本人が話すことになるかもしれないね。



 ……まあどうなるか分からない未来の話はここらで置いといて、視点を現実に戻すとしよう。



「うっ…ホコリまみれですね」

「さっさと探して出て行こう。あまり長居したい場所じゃないし」


 顔にくっついたゴミを払って、懐中電灯で部屋の中を照らす。

 すると電灯から壁に、壁から瞳孔にと、見るに堪えない建物の状態が克明に映し出された。


「『サンカイ第2整備工房』……ね」


 錆びた看板から手で煤を拭き取って、辛うじて判読できるようになった文字を読み上げる。


 整備というからして、おそらくラッキービーストの修理や点検を行っていた場所なのだろう。しかし今となっては、整備が必要なのは果たしてどちらなのか。


 まあいい。

 まさか今更、こんなボロボロの建物を気に掛ける酔狂者もいない。


 もちろん僕らもそうはならない。

 お目当てのものさえ手に入れば、明日には崩れると言われたとしても気を揉むことなど無いだろう。


「では、始めましょうっ!」


 足元も碌に見えないほどにガラクタの積み重なった部屋の中、塵が入って痛みを感じる目を見開いて廃墟漁りを敢行する。


 言うまでもなく、何にもならないものばかりだ。


 閉まらない万力。

 茶色く染まった金属部品。

 触れる度に軋む扉。

 真っ二つに折れたスパナ。



 そして奥の方に……足跡?



「ソウジュさん、何か見つけましたか?」

「…あぁ、気のせいだよ」


 しゃがんで足元の棚を調べる振りをしながら、僕は近くでまじまじと足跡の観察をする。


(……僕の靴の形じゃないか)


 靴裏の現物と見比べても、明らかに模様が違う。


 ならリカオンはどうか……いや、彼女はまだここまで来ていない。


 周囲の埃の積もり具合と比べて、この足跡は新しい。

 三人目の誰かが、最近この工房に出入りした証拠である。


 火を見るまでもなく十中八九、足跡の主はフレンズだ。

 おおかたリカオンやクオのように、好奇心の旺盛なフレンズが立ち入って歩き回ったのだろう。


(まあ、ここに居るかは別の話だけどね…)


 この工房、何度も好き好んでくるような場所じゃないし、万一来ていて出くわしたとしても話をすればなんとでもなる。セルリアンじゃないんだからね。


 そういう感じで、この足跡は捨て置こう。


 それよりも、一向に有用なものが見つからないことの方が問題だ。


「リカオンは何か見つけた?」

「…ダメでした」

「そっか、まあ仕方ないね」


 僕にこの話をしたキンシコウだって、『関係があるかは分からない』と言っていた。案内所でもないただの工房だと分かれば尚更、オアシス延いては”冒険型アトラクション”の情報があるとは考えにくい。


 だかしかし、休みの日を投げ売ってまで来てしまったのである。

 リカオンが勝手に投げ捨てたとかいう話はどうでもいい。


 数日しかない貴重な休みを使っておいて、何の成果も得られずに無駄にして帰ったら虚しいじゃないか。


 ……ギャンブルの沼にハマるタイプの思考だね、コレ。


 いや良いんだ、今回はいいんだよっ!

 ほら、毒を食らわば皿までって言うじゃん?


「…もう少し粘ってみようか」

「はいっ、頑張って何か見つけましょう!」 


 強迫に駆られて飛び出た言葉に、僕は頭の中で頭を抱える。

 

 そして、避けようもないため息がテーブルの塵を飛ばす。


 やるしかない、言ってしまった以上は。

 僕は自分で、希望の光のスイッチを入れた。




§




「あーあ、なんでセルリアンが…?」


 工房の奥、おそらくはかつての倉庫。


 早速の熱烈な歓迎に襲われたのは、リカオンと二手に分かれて探索を始めた直後のことである。


 グルグルと回りながら迫ってくる半透明の巨大なナット。

 咄嗟に半分のスパナで打ち飛ばしながら、僕は広い場所へと逃げ込んだ。


「こんな輝きとは程遠そうな場所にいるなんて……よっと、随分と物好きなことだねっ!」


 セルリアンを小突き、悪態をつきながら周りの様子を確かめる。


 敵は両手で数えきれるくらいで、おおむね工具や部品のような形。

 多少の小競り合いをしてみた限り突出して強い個体はいないようだけど、この狭い部屋の中、集団で襲ってこられたら不都合だ。



 ホント切実に、倒壊しないでね…?



「さあて、どんな風に戦ったものか」


 暴れてはいけない、相手も僕も。

 その上で、相手にだけダメージを与えられる戦法。


 こういう状況だと、どんな妖術が有効かな。


 虚空からノートを引き出して、ぺらぺらと最近試してみたものを思い出す。



 ―――あ、これとか良いかも。



 ちょうど鉄っぽい材質してるし、よく効きそうだ。


 さっそく僕は術式を作り出して、セルリアンに向けて発動する。



「これをこうして…磁力でくっつけっ!」



 妖力を放出した瞬間、なんとなく僕は磁場を感じる。

 対してセルリアンは磁力にやられ、お互いにくっついて身動きが取れなくなった。


 妖術のこうかはばつぐんだ!


 ゲルっぽい見た目だし効果は無いかなとも思ったけど、だか何だかの性質が裏目に出たみたいだね。


 バッチリと鉄の特性を再現して、マグネットな引力の虜になってくれたよ。


「……で、どうしよう?」


 敵を一か所に固めたところまでは良し。

 行動不能にしたから直近の危険も去った。


 あとは妖術の効果が切れる前に、どうにかして処理するだけなんだけど……


「あー…硬い」


 試しに同じ鉄のパイプで殴ってみたところ、じーんと腕に返ってくる衝撃。

 なるほど、これは得策ではない。なんか引っ張られるし。


 そこで次に候補に挙がったのは物理的な封印。

 でも道具が揃わないからボツ。

 思い付きだけで解決しようとするのやめたら?


 だけど三つ目に挙がった候補。

 これは実に有効だった。


 なに、難しいことなんてしないよ。


「せいっ」


 普通に磁力を操って、空いていた窓からセルリアンを投げ捨ててしまえばいいんだから。


「ふーっ、もう見えなくなっちゃったね」


 流星のように空を飛ぶ、鉄の塊はもはや隕石。

 部屋から追い出すだけで良かったんだけど、ちょっと勢いをつけ過ぎたかな?


「…まあいっか」


 万が一戻って来られたときに困るのは僕だし、これでお部屋も片付いて探しやすくなったんだから万々歳ってもんだよね。


 さあ、倉庫漁りを始めよう。

 長く時間も取れそうだし、ここは念入りに探ってみようかな。


 テキパキと物品を振り分けていく両手。

 憂いをさっさと断ち切ったことによる余裕が、僕の頬を緩ませる。


 もっとも探せば探すほど、額に浮かぶ汗の粒が増えていくばかりだったけどね……


「ダメだ、ここも微妙な物しかない」


 一度作業の手を止める。

 部屋の隅に放り投げた”使えない物”の山を見て、虚しさに腕の力が抜けた。


「今回ばかりは、ハズレを引いちゃったのかな」


 さしずめ僕らがやったこととは、廃墟のお掃除ボランティア。

 オアシスの話も、その一段前の手掛かりも見つからず、ただひたすらに徒労なだけであった。


 僕は大の字に寝っ転がって、ちょっと押すだけで沈む床の音を楽しむ。


「そうだね、リカオンが何か見つけてると良いけど……」


 期待はしちゃいけないね。

 ほどほどに絶望しておこうか。それもちょっと変だけど。

 


 そういえばクオはどうしてるかな。


 あの子、興味を惹かれたものにはホイホイ付いて行っちゃうから心配だ。


 変なのに捕まって、トラブルに巻き込まれたりしていませんように……




§




 一方その頃。



「へぇ。まさかアタシ以外にこんなボロっちい場所に来る物好きがいたなんてね!」

「あ、あなたは…?」


 驚きに震えるリカオンの前に立つ、布切れのような服を身にまとった健康的な体躯の少女。


「そう警戒しないで? 別にアタシは敵じゃないから」


 オレンジ色の髪の毛と、先端に鋭い毒針の付いた尻尾。

 かつて市場でソウジュとぶつかった少女だ。


「ま、そうね」


 少女はしばし勘案する。

 耳元から下げた髪を一周、ぐるりとねじった後。

 さも名案を思い付いたかのような笑顔を見せて彼女は言った。


「いい機会だしアンタ、一回アタシと戦いなさいっ!」

「……えっ?」


 彼女は勢いよく突き出した指と一緒に、尻尾の先の毒針を未だ戸惑うリカオンに向けたのだった。

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