第四十六節 酔い止めの実を求めて


 ――突然だけど、砂漠の地理について振り返ってみよう。


 クオたちが滞在している市場は、いわゆる岩石砂漠と呼ばれる地域の中にある。

 本によると、九割くらいが岩石砂漠なんだって。とっても意外で驚いちゃった。


 そして今、クオとコモモが目指している"酔い止め植物のあるオアシス"は、『砂漠』と聞いてみんながよく思い浮かべる砂だらけの地域――つまりすな砂漠の中にあるらしい。


 コモモが言うには、そのオアシスに厄介なセルリアンが居着いているというのだけど……


「居ました、アイツですわ」

「…思ったより小さいね」


 何をしてるかと思いきや、泉の真ん中で呑気にぷかぷかと浮いていた。

 セルリアンなのに、気が抜けてるみたいでちょっとカワイイかも。


「確かに見た目は弱そうですけど、能力が面倒極まりないのです。試しに行ってみます? おそらくケガはしませんわよ」

「え、そうなの…?」


 飽くまで面倒なだけで、そこまで危なくはないんだ。

 じゃあ行ってみようかな、どんな能力か気になってきたし。


 ゆっくりと足音を抑えて、泉の真ん中を目掛けて歩く。


「そーっと、そうーっと……あ、見つかっちゃった」


 あの子、警戒心が強いんだね。

 視線が通るや否やこっちを向いて、長くて腕をクオに向けてきた。



 そして迫ってくる―――水。



「あばばばばば…」


 クオのお顔にクリーンヒット。


 ああ、メイクが乱れちゃうよ! してたらの話だけど!


 それに冗談抜きでこれ以上は呼吸が危ない。

 がむしゃらに腕を振ってクオは水流から緊急離脱。

 慌てて走って逃げ出してコモモの待つ木の陰まで戻って来た。


「はぁ、はぁ…!」


 水を吐いて、息も吐いて、愚痴も吐いちゃう。


「―――厄介だね、アイツ!」

「ええ、あの水圧のせいで全く近づけないのですわ」


 何も教えずにクオを向かわせたコモモにも言いたいことはあるけど、とりあえず悪いのはセルリアンだ。


 あーあ、信じられないくらいびしょびしょ。

 こんなんじゃ恥ずかしくてソウジュに顔向けできないよ。

 だってほら、ちょっと透けてるし。


 ソウジュを巻き込まなくて本当に良かったけど、終わる頃には乾くかなぁ…?

 

「砂漠は暑くてカラカラですから、そのうち乾くと思いますわよ。それまではまあ、涼しそうで羨ましいですわね」

「じゃ、次はコモモが前に出てね」

「うふふ、前向きに考えますわ~」


 ほーら、濡れたくないんじゃん。

 隙を見て泉に突き落としちゃおっかな?


「それはそうと私、視野がとっても広いんですわよ」


 ……やめとこっか、後が怖いし。


「そんなことより、セルリアンをどうするか考えましょう?」

「そんなことって……まあ、そうだね」


 クオは木の幹から顔を出して、セルリアンの様子をうかがう。さっき見つかっちゃったせいかな、視線を向けられているような気がする。


 だけどアイツは見るだけで手も水も出してこない。

 たぶん、身の危険を感じて初めて反撃してくるタイプだ。


 もう何度でも言うよ、面倒だなぁ。

 ゆっくり方法を練れるのはいいことだけど、慎重な相手ってことだもん。下手な作戦じゃ、服のスケスケ度を上げるだけで終わってしまいそう。



 まだ何も思い浮かばないし、しばらくは観察かな。



 服が乾くまでの時間稼ぎも兼ねて……ねっ♪




§




「そろそろ、一つくらいは結論を出したいな」

「私はあの形、水を吸い上げる道具のように見ましたが…クオさんはどうですか?」

「うん、やっぱりポンプだねぇ」


 どれくらいの時間が経ったかな。

 時計が無いからわかんないや。

 でも地面を見ると、お日様の影がちょっと短くなった気がする。


 びしょびしょの服も生乾きくらいにはなる時間を掛けて、クオたちはアレがポンプの形をしていることを知った。


 ……えへへ、観察サボっちゃった。


 ち、違うから!

 服が乾いて身軽になるのを待ってただけだから!


 いつも通りすばしっこく動けるようになれば、あんな水鉄砲クオは全然怖くなんてないんだもんっ。


「考えるのもめんどくさいし、もう突撃して倒しちゃっていい?」

「……それが出来るなら、やってしまって構いませんけど」


 よーし、やっちゃおう!


 さっさとあの邪悪なポンプを成敗して、セルリアンから採れる石板をソウジュへのお土産にするんだっ!


 勘だけど……なんとなく分かるんだよね。

 あのセルリアンが石板を持ってるってこと。


 ま、倒してみれば分かるよ。



「じゃ、行ってくるね!」

「ええ…お気をつけて」


 木陰からひゅんと飛び出したら、右手にエネルギーを集中させて発動。


 召喚妖術、『収納用虚空間』ッ!

 ほんの少しの妖力と引き換えに、あらかじめ収納しておいた武器を何でも取り出すことが出来るよ。


 クオが使うのはもちろん愛用の刀。

 鞘には桜の花びら、柄には狐の尻尾を模した飾りがあってすごく綺麗なんだ。


 ……そっちの話も、後にしよっか。


 幹から幹へと飛び移り、砂を避け草の上を駆け抜ける。足が取られちゃかなわないからね。円を描くように泉の周りを走りつつ、ゆっくりと直径を短くしながらセルリアンとの距離を詰めていく。


 今更脅威に気づいたのか、うねらせたホースの先から水を撒き散らし始めたセルリアン。だけど走るクオには追いつかず、既に刀の間合いに入った。


「くらえっ! ええと……クルクルアタック!」


 切っ先が半透明の皮膚をなぞる。


 そしてセルリアンに3.1415926535――四捨五入して3ダメージを与えた!


 あんまり効いてないね。

 噴射した水に手が当たって勢いが削がれちゃったせいだ。


「あ、させないよ」


 不届きにもこんな至近距離で撃とうとしてきたセルリアンのホースを掴んで、ぐしゃっと捻じ曲げて上に向ける。

 たとえ出たとしても精々シャワー、攻撃になんてならないよ。


 これでもう安心だと……そう思っていた。


「あれ?」


 ブルブルと震えだしたホース。

 まずい、こんな風に抑えたら水圧がどんどん上がっていっちゃうんだ。


 ……これ、放したらどうなるかな?


 なんだか、すごく嫌な予感が――


「…うわぁっ!?」


 わずかな逡巡に意味は無く、抑えていた手が先に限界を迎えた。水の圧力に弾かれて、ついに自由の身となったホース。

 その先端から、滝が空へと向かって降り注ぐのでした。


「クオさん、大丈夫ですのっ!?」

「ああっ、やっちゃったかも…!」


 無理に抑えたから、溜まった水が一気に出てきちゃったんだよね。

 どうせ出せないのに水を吸い込むセルリアンも大概だけど、命の危機を感じてたんだろうしなんか仕方ない気がする。


 それはともかく早く対処を………もうめんどくさいっ!


「ええい、ままよーっ!!」


 何が起きても知ったことかと、破れかぶれに刀を突き刺した。

 深く、深く、刃が透明に沈み込んでいく。

 

「ど、どう……?」



 ―――ぽちゃん。



 オアシスに鳴り響いた軽やかな水音は、ホースが力を失う音だった。波打つ目の前のセルリアンから、みるみるうちに虹色が溶けだして消えゆく。


「た、倒したのですか?」


 コモモの問いに、クオは頷く。

 水に浮かんだ石板証拠を握りしめて、泉から身体を引き上げた。


 温かい空気に触れて、クオはふと我に返る。


 あんなに気にしてた筈なのに服は結局濡れちゃった。やっぱり透けてるし、ゆっくり乾かしてから帰らないとなぁ。


「あ、この実です! ええ、これさえあれば…!」


 コモモはお目当ての実を手に入れたみたいで大満足。

 どこからか広げた風呂敷にこれでもかというほど詰め込んでいる。


 大丈夫かな、オアシスの生態系が壊れちゃわないといいけど……



「もう我慢できません、ここで調合してしまいましょう……!」



 例の酔っちゃうお薬。

 しゅわしゅわで美味しいラムネ。

 ついさっき採ったばかりの実。

 

 すり潰して放り込んでかき混ぜて、最後にすっぽり蓋をして。


「……完成、です」


 うっとりと、ため息混じりに。

 頬に手を当てた恍惚の表情で、お薬を見つめるコモモだった。


「やったねコモモ!」

「はいっ、ありがとうございましたっ!」


 気分と一緒に尻尾も狂喜乱舞。

 クオも嬉しいときは尻尾が躍るけど、コモモの尻尾は質量があるから当たるとかなり痛そうだね。ちょっと下がろ。


 ともあれ、ミッションコンプリート!


 コモモが掲げたお薬の瓶が、まるで祝杯みたいだね。


「どうですか、一口試しに」

「いいけど…せっかくだから一緒に飲まない?」

「うふふ、そう致しましょう♪」


 二つ、空気が抜ける音。

 二つ、水面の揺れる薬瓶。


 咀嚼するように飲み下して、冴えた脳みそで味わいを噛み締めた。


「んっ……これも美味しいね、なんだか違った味わいがして」

「ええ。それに、この実のおかげで全く酔わないでしょう?」

「ホントだ! 頭がスッキリするだけで、ぜんぜんボーっとならないね」


 果実の苦みでラムネの甘みも抑えられて、何本も飲めそうな味になってる。まあ、これを何本も飲まなきゃいけないシチュエーションなんて考えられないけどね。

 

 そんなこんなで、ささやかな祝杯の時間も終わり。


「では、これからどうしましょう?」

「クオはもう少しここにいるよ。服も乾かさなきゃだし」

「―――いいえ、その心配は要りませんよ」

「…えっ?」


 一瞬、身体が重くなった。


 ……と思えば、今度はまるで反動のように軽くなる。思わず身体をまさぐってみると、あんなに濡れていた服がすっかり乾いていた。


「…あっ!」


 ハッとして、さっきの声がした方向に振り返る。


「……あなたは?」

「初めまして、可愛らしいお二方」



 水のように透き通った青い髪の毛。

 荒廃とした砂漠にたなびく清廉で華やかなドレス。



 ―――おおよそ一人の身体には不釣り合いな輝きを湛えた、とても美しい少女が水の中に立っていた。


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