第四十四節 ハンター(元ハンター)の秘密

「……着きました」


 砂漠市場の外れ、淡い明かりに包まれた一軒の酒場。

 

 中へと入れば空気は涼しく、暑くて乾いた外とのギャップに僕は震えて声を抑えた。扉を閉めると風は止み、軽やかなベルの音を最後に全てが静まるのだ。


(なんだか、息苦しいな…)


 透き通る水に溺れるような、そんな奇妙な閉塞感。

 クオの耳が誤作動を起こしてしまうほどの静けさ。

 

 雰囲気はいいのに、誰もいない。

 こういう場所を穴場というのだろうか。

 しばらく窓から外を眺めても、人っ子一人いやしなかった。


 あのラッキービーストに聞いた通り、外周のお店は本当にお客さんに恵まれていないように見える。


 しかし僕らをここに連れてきた彼女は、そうであることを期待していたのだろう。


 その証拠に、ここまで散々歩き回ったにも関わらず、彼女がほっと息を吐いたのは店内を見回し、閑古鳥が忙しなく鳴いていることを確かめた後だった。


 するとなんとなく、見えてくるだろう。

 をするにはうってつけな、この場所に来た理由が。


「どうぞ、私のおすすめです」

「ありがとう、いただきます」


 まあ、まずは一杯。


 僕らはブドウ味のジュースを受け取って、大人な気分でそれを嗜んだ。


「…まだ、名前を聞いてなかったね」

「あら、そうでしたね!」


 忘れていましたとはにかみながら、”キンシコウ”と彼女は名乗った。

 

「僕はソウジュで、この子がクオ。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 ”セルリアンハンターをしている”という彼女の談、”ハンター”という単語に僕は強く興味を惹かれた。やはり彼女とリカオンとの関係は深いのだろう。


 しかしまずは、彼女が持ち掛けてきた話の中身が先だ。


「ところで、話って?」

「リカオンのことです。お二人は、あの子のことを知っているんですよね?」

「まあね。事情は話した方が良いかな…」


 経緯を詳しく説明すると長くなる。

 要点だけかいつまんで欲しいというなら、そうするつもりだったけど…


「では、お願いできますか? 何度もあの子のところを訪ねているのですが、私には何も話してくれなくて」


 ハッキリとした声色。

 前のめりに迫るキンシコウの姿勢。

 彼女が思ったより何も知らないことがうかがえる。


「わかった、長くなるけど話してみるよ」


 まったく不可思議だ。リカオンもどうして、キンシコウに対してここまで口を閉ざしているのだろうか。


 まあそれも、この場にある情報を合わせて生まれる些かほどの光によって見えてくることだろう。

 闇というほどには深くない、影に隠れて存在する秘密の輪郭が。




§




「それは、本当なんですか?」

「僕が見た限りでは、リカオンは本気だったと思う」


 戸惑い泳ぐ二つの目。

 焦点はコップの水に曲げられて空っぽの灰皿の上。

 困ったように頬杖をつき、キンシコウの呟きが漏れる。


「オアシスなんて、そんなの……」


 …なんだろう。


 続く言葉がなんだったのか、僕には類推するしかない。ただ当惑する彼女の表情から、特に何か強い感情が読み取れることはなかった。


 ひっきりなしにテーブルを叩く指。

 仮面のように硬直して動かない顔の裏で渦巻く感情はどんなものだろう。

 崩れぬリズムで響く打音が、整然と片づけられた焦りの色を水に溶かしている。


 小声で耳元にクオの声。


「…キンシコウ、大丈夫かな?」

「落ち着くまで待っていよう、時間はたっぷり残ってる」

「いえ、お気になさらず。今度は私が話す番ですよね」


 硬く吊り上がった微笑み。

 無理をしているのがひしひしと伝わってくる。


 橙色の光が溶けた水を一息に呷り、キンシコウはリカオンの話を始めた。


「私とリカオンの関係……それを聞けば、大体の事情は分かると思います。ええ、とても単純な話でしたから。今ではもう、かなり複雑になってしまいましたけど」


 後悔するような語り口。

 二人はおそらく親密な関係だった。

 すると、もしかして……


「ソウジュさんは察しが良いですね。その通りです。リカオンも私と同じように、かつてはセルリアンハンターをしていました」

「今は、違うんだね?」


 重ねて彼女に尋ねれば、悲しみの深い笑顔が見えた。空っぽのグラスを持ち上げて、店主のラッキービーストに一杯のソーダを頼んだようだ。


 シュワシュワと、静かな語りに炭酸の音が混じりだす。


「事故がありました。誰も悪くない事故でした。幸いなことに、犠牲となったフレンズは誰もいませんでした」

「だったら、次が無いように気を付ければ……」

「そうもいかなかったんです。、みんな無事だったんですけどね」


 僕の言葉にキンシコウは首を振る。

 一瞬、ラッキービーストに視線を向けて、それは思い出を投影しているかのようだった。


「ラッキービーストが一体、壊れてしまったんです。ちょうどあの子が特に気に入っていた、耳の欠けたラッキービーストが。セルリアンからあの子を庇って、目の前で……」


 掛けられる言葉はない。

 起こった事実も。

 リカオンの心情も。

 それゆえの決断も。

 察してしまった。


「きっとそれが原因です。ある日あの子は、私たちに何も言わずに姿を消してしまいました」

「リカオンとキンシコウは、元々どこにいたの?」

「カントーの辺りですね。あの付近は昔からセルリアンの数が多いですから」


 奇遇にも、それは僕らの元々の目的地。

 時期が違えば、セルリアンハンターとして活動する二人の姿を見ることもあっただろうか。


「つまりサンカイに来たのはリカオンをカントーへと連れ戻すため、ってことでいいのかな」

「そうなりますね」


 で、単身でリカオンの情報を集めてとうとうサンカイまでやって来たと。


「あの子一人のために、何人も動かせはしませんから。向こうが手薄になっている間、セルリアンが配慮して襲撃を控えめにしてくれるなんてこと有り得ませんし」

「まあ、確かにね」


 忘れてはいけない。

 彼女たちはセルリアンを相手取っている。

 奴らは災害のようなもので、こちらの事情には一切頓着しない。


 誰が最終的に下したものかは分からない。だけど、的確な判断だったことは間違いないのだと僕は思う。



「サンカイに着いた私はあの子を見つけて、説得しようと試みたのですが」



『ごめんなさい。私じゃ、誰も守れないんです』



「……」

「ダメ、でした」


 聞いたのは結果だけ、それ以上は要らなかった。



「だけどまさか、『オアシス探し』なんてものを始めているなんて。さしずめ、にでもなった気分なのでしょうか」


 ハンター(元ハンター)。

 昔はセルリアンハンターだったが、今では一人のミステリーハンター。

 そう補完してみれば、あながち筋が通らない話ではない。


 おそらくわざと重要な部分を抜かしていることには、どこかリカオンの思惑を感じてしまうけれど。


「本当にもう、戻る気はないのかな…」

「ううん、そうとも言い切れないかもしれない」


 根拠はオオセンザンコウに向けられた依頼文。

 僕がリカオンに対して違和感を抱けているという事実そのもの。



「わざわざ手紙に『ハンター(元ハンター)あんな風』に書いて、しかも”ハンター”と名がつく職業を選んでる。きっとまだ、リカオンの中に未練が残っている証拠じゃないかな」



 その切っ掛けは全て、リカオン自身が用意したのだ。


 彼女が想いを全て捨て去ったとは、僕には到底思えない。


「まだ、希望はありますか?」

「決して無くなった訳じゃないと思う」

「………そうですか」


 ソーダを一気に飲み干す長い沈黙の後。

 キンシコウはゆっくりと、気体が抜けて穏やかになっていく炭酸水のように表情を緩めて感謝の言葉を口にした。


「ありがとうございました。せめて、もう少し粘ってみようと思います」

「僕も、良い機会が生まれるように考えてみることにするよ」

「うふふ、助かります」


 まだ、静かな酒場のまま。

 窓のから覗き込む隙間風が音に彩りを添えた。


「あ、最後に一つ。キンシコウはオアシスについて何か知らない?」

「…ごめんなさい。話を聞いていただいたのに」

「ううん、大丈夫」


 僕は大して気にしていない。

 既に情報の交換だって済んでいることだし。


 だけどキンシコウはそれでは納得が出来ない様子。

 ”関係があるかは分からないけど”と前置きをして、彼女の知る中で最も気になるという情報を教えてくれた。


「リカオンを探す間に見つけた……ええと、地図ではここです。ここに、かなり古びた建物がありました」


 彼女が言うには外観は現代的で、全体の老朽化や柱を覆うサビさえなければ、ラッキービーストの管理を行っている施設と同じような見た目になっていたはずだという。


 件の建物がパークの、とりわけ重要な施設だった可能性は十分にあるだろう。


 探れば色々見つかるはずだし、欲を言えば『秘密のオアシス』の位置を示した紙の地図でも見つかってくれれば最高にラッキーだと思う。


 ……すると、ミステリーを探る楽しみが九割くらい削れてしまいそうだけどね。


 まあ、”捕らぬ狸の皮算用”とも言うし、想像はここまでにしよう。


 真実は、その建物へ実際に乗り込んだ時にでも。



「ありがとう。今度行ってみることにするよ」

「どういたしまして。では、またいつか!」


 キンシコウは酒場を去った。

 残された僕らは、ボーっと顔を見合わせる。


「ソウジュ、クオたちもそろそろ戻る?」

「ううん。もう一杯だけ……僕もソーダが飲みたいな」


 ラッキービーストに頼んで、レモン果汁を垂らしたソーダを一杯。


「クオもどう?」

「飲むっ!」


 炭酸水を飲み込むと、刺激的な感覚が口いっぱいを突き刺す。


 どこか心地よい痛みのような、脳が冴えるような、鈍麻するような。


 取り憑かれるように飲み干し、グラスをカウンターに置くと。

 取り残された氷が響き、冷たく短く揺れる波長で日射病を憂うのだった。

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