第三十九節 空を抜く射手


「貫け、『不失正鵠ケイローン』」



 一言、何かを呟いた瞬間、虹色のオーラが彼女の身体を包み込む。

 その場から一歩たりとも動かないまま、彼女の迫力は周囲の気配を圧し潰す。


 ほんの一瞬、遠くへと飛んでしまったかのように思えた僕の意識。


 全身から溢れる輝きをこの目にして、ルカのそれまでの戦いぶりが一切全力では無かったことを理解した。



 あれが彼女の、の本気。


 彼女に類する存在が、と呼ばれる所以。



 思わずピタリと動きを止めて眺め耽ってしまうほど……それはそれは美しく、恐ろしい力であった。



「ソウジュ、何してるの…!?」

「ご、ごめん、すぐ行くよ」



 そうだった、見惚れていてはいけない。


 本気を出したルカ、そしてオオタカとハヤブサ。

 僕らには、三人がセルリアンを食い止めているうちに、戦いに戻れるよう傷を癒しておく義務がある。


 そのためにまず、さっきはぐれてしまったクオを見つけないと。


 あの子がいれば、僕が一瞬で回復をしてあげられる。


「やれやれ岩が多くて厄介ね」

「……クオ」


 崖下を埋め尽くすおびただしい量の岩。

 これらが雨のように、しかも一度に降って来たのだから、もしも下に立っていたらひとたまりも無い。


 僕は運よくハクトウワシに助けられたけど、もしかしたら……


「そんなに心配しないの。どうせ”いい機会”と思って、岩陰でサボってるに違いないわ」


 がしっと肩を掴まれる。

 華奢なはずの手が、とても大きく感じられる。


「もし怪我してても助け出す。それくらいの気持ちでいきましょ?」


 励ますように僕の背を押して、ハクトウワシは先を行く。僕もすぐに歩き出して、後ろについていくのだった。



「…クオっ!」


 そして程なくして、クオは見つかった。

 あの子は崩れなかった大岩の陰に隠れて、周囲の様子を窺っているようだった。


「―――あ、ソウジュ~っ!!」

「わわ、おっとっと…」


 視線が合った瞬間に、尻尾を振りながらクオが飛び込んできて、僕はそれを両腕で受け止めてクルクルと一緒にその場で回転する。


「大丈夫かな、怪我してない? もしどこか悪かったら僕が言霊で……」

「ううん、クオはぜんぜんへーきっ!」

「そっか…良かった」

「というかそれなら、さっきのソウジュの方がずっと危なかったじゃん」

「あ、うん…」


 間違いなく正しいですね、はい。


「ほら、何ともなかったでしょ?」

「あはは、そうだったね」


 面目ないけど、まあいいか。

 これで憂いの種が一つ消えた。


 だから次は…そうだ、ハクトウワシを治さなきゃ。


 そう思ってクオの方を見ると、なんと手を僕に向けて差し出していた。


「……力が欲しいんでしょ?」

「うん、お願いして良い?」

「もちろんっ!」


 いつも通りに手を繋ぐ。

 そう思っていたら、クオは指を絡ませてきた。


「危なっかしいもん、クオがしっかり見てあげなくちゃ」

「あ、あはは……」


 思考もすっかり読まれているし、そのうち首輪が付けられそうだ。かなり前から「僕が支えてあげなきゃ」と思ってたのに。

 まったく人生、どう転ぶか分からないものだね。


「よし、『治って』」


 ともあれ治療は無事に終わった。

 ハクトウワシの翼の向きもこれで元通りだ。



 ―――これで、戦線に戻れそうかな? 



「私は万全よ、正義の風を吹かせてみせるわ」

「あと五分だけ寝てたいな~……なんて」

「……」

「……」

「じょ、冗談だよっ!?」


 普段通り、つまり問題なし。


「…行こう、きっと三人とも待ってるよ」


 エクササイズで脚を温め、全力で戻る戦いの渦。



 辿り着くまで一分半。


 信じられない光景が、僕らの目に飛び込んでくるのだった。




§




「―――は?」



 穴の開いたタイヤから空気が抜けるように、僕の喉からも力なく息が流れ出していく。目を疑う現実に首を振り、もう一度見てみると視界はすっかりと変わっていた。


 だけどそれは、決して現実が変わったことを意味しないのだ。



信じられないわUnbelievable。なんて速さなの」



 光陰矢の如し、しかしルカは飛ぶ矢を落とす勢いで走る。


 正面から一矢、カラスに向けて射ったかと思えば、次の瞬間には反対側に回り込んで正確な射撃を叩き込んでいる。辛うじてルカの姿を捉えられるのは、方向転換の為にスピードを落とした一瞬だけ。


 これにはオオタカとハヤブサもどのタイミングで援護に入れば良いのか分からず、ずっと戸惑ったまま崖の上で立ち尽くしていた。


 それも仕方ないね。

 まさかここまで圧倒するとは思わなかった。



「…クオたち、戻ってくる必要あった?」

「いや、いつまで持つか分からないし…」

「だけど手出しは難しそうよ。巻き込まれるかもしれないし、逆にこっちが当ててしまうかもしれないわ」


 強すぎる味方のせいで攻めあぐねるという稀有な状況。

 どうしようかと悩んでいると、目にも止まらぬ速さで目の前にルカが現れた。


「好きに戦ってくれて構わない。我が全て避けよう」


 一言、それだけ言い残して消える。


 言葉を失った僕らはゆっくりと顔を見合わせ、クオが戸惑い混じりに提案する。


「じゃあ、やろっか?」

「…うん」


 僕たちはそれぞれ、妖術の書と弓矢を取り出す。



 ―――火の粉のような大きさで、翼に呑まれる矢と炎。



 普段より力を込めて放った攻撃も、巨体の前には無力だった。



「だからこそ…だね」



 ルカの攻撃が恐ろしい。


 彼女の放った矢は途中で大きさを増し、火花を立ててセルリアンに突き刺さる。いつかに見せたも間髪入れずに飛んで行くから、セルリアンにとっては悪夢のような状況に違いない。


 僕らのスケールで例えるならばそう。

 ちょこまかと周囲を飛び回るハエが、絶え間なく何本もナイフを飛ばしてくるような感じ。



「そんでもって、いつまで体力持つんだろ…?」



 不失正鵠ケイローン、だっけ。

 アレの発動から、少なくとも十五分は経っているはずだ。


 休むことなく動き続けるルカも、数えきれない矢を撃たれながら未だ倒れないセルリアンも、お互いに化け物としか言いようがない。

 もうそろそろ、終わりが来てもいい頃ではなかろうか。


 ……若しくは、まだ決定打が足りないのかな?



「急所をやらなきゃダメ、か…」



 森であの情報を、そろそろ使う時がやって来たようだ。


 今一度情報を整理しよう。

 僕が使えそうだと思ったのは二つ。

 体内の心臓近くの位置に小さいままの石板があること。

 翼の付け根辺りが、他と比べて脆そうであること。


 より決定打に繋がりそうなのは前者だ。

 それにルカのことだし、翼の付け根には散々射撃を浴びせた後であろう。


 よし、決めた。

 

 勿体ない気もするけど、なんとか石板を撃ち抜く方針でやってみよう。



「ルカ、作戦がある」

「―――やはり、一辺倒に撃つだけではダメか?」

「多分ね。アイツ、ぜんぜんフツーじゃないし」



 根本的な話をすれば、なんの前触れもなく巨大化したこと自体が掛け値なしの異常現象だ。

 原因は自前の能力か或いは外部の影響か、そこの究明はさておくとしても”巨大化”なんてことをした時点でアイツはまともな存在じゃない。


 仮に自前の能力とした場合、あの石板がとなっている可能性も十分に考えられる。決して無関係では終わらないはずだ。


 そういった根拠を踏まえ、チマチマした攻撃は捨てて、決定的な一撃に命運を託してみるべきだと僕は思う。



「なるほど…理解した」

「それで、お願いできるかな」


 そしてこの場にいる中で、『決定的』な威力を出せる人物。

 それはもう、ルカしかいない。

 

「場所さえ分かれば可能だ」

「…双眼鏡の使い方、知ってる?」

「……? 意味は解らぬが、出来るはずだ」


 よかった。

 それなら、万事順調そうだ。


「『見抜け』…はい、どうぞ」

「まさか、これで場所が分かるのか?」

「百聞は一見に如かず。試しに覗いてみてよ」


 怪訝な顔をしながら、弓を片腕に抱えて双眼鏡を覗き込むルカ。


「……捉えた。やってみよう」


 腕の隙間から、不敵な笑みが見える。

 彼女は双眼鏡を僕に返すと、力強く弓を握り叫ぶ。



「いくぞ…『不失正鵠ケイローン』ッ!」



 再び周囲を席巻する覇気。

 岩を踏み台に高く跳び上がった彼女は、張り詰めた弦で死神のごとくカラスの心臓に狙いを定める。


 そして一本の矢が、吸い込まれるように石板へと飛んで行く。


「…決まった」


 本心からそう思い、呟きが漏れる。

 その予想に違いなく、カラスの胸に鋭い射撃が突き刺さる。

 

 ……しかし、それだけだった。


 矢は石板を貫くことなく、光の粒と解けて消えた。

 むろん、忌々しいことにセルリアンは未だ健在だ。


「すまない、力不足だったようだ」

「そんな、ルカでも倒せないの…!?」


 想定外……でもないか。

 二転三転、何度も状況がひっくり返されて、もはや想定も何もあったものじゃない。


 それでも強いて言うならば……かなり絶望的だ。

 まだきっと、方法はあるはずなんだけど。


「……僕たちも加えて、もっと強い攻撃ができれば」

「待て、奴が来るぞ…!」

「させないわよっ!」


 僕らの停滞を好機と見たのか、攻め込んできたセルリアン。


「私たちのことも、忘れてもらっちゃ困るのだわ」

「せめて、時間稼ぎくらいはこなさなければな」


 その侵攻を、スカイインパルスの三人がなんとか抑え込む。

 見る限り持って何分だろうか、一秒たりとも無駄には出来ない。 



「……また、に頼るしか無いのかな」



 イメージを形にする言霊。

 ”場面の想起”さえ出来れば何でも実現させられる反則級の技。


 だとすれば、『ルカの矢がセルリアンを貫く光景』をイメージすれば。


「…いけるはず」


 ハードな術式になりそうだ。

 その分、充分、期待はできる。


「ルカ、もう一度だけ撃って欲しい」

「わかった、策はあるんだろう?」

「うん…


 算段は立てられた。


 この言霊で必ず、ルカにみせる。



「『不失正鵠ケイローン』……今日の仕事だ」



 そこまで言われると、中々にプレッシャーが掛かるね。

 でも大丈夫、期待しててよ。絶対成功するからさ。



「……!」



 張り詰める空気。引き締まる弦。喉の震えに、集中力。



 その全てが頂点に達し、”今こそ”とて解き放たれようとする瞬間。



「―――『射抜け』」

 

 

 全霊の願いを言霊として紡ぎ、僕は奴のを指差した。



「……ッ!」



 改めて言っておこう。

 光陰矢の如し。

 巨大なセルリアンの終わりは、ひどく呆気ないものだった。


 音を鳴らして落ちた石板。

 拾い上げた僕は眉をひそめる。

 あの攻撃の威力は何処へと消えてしまったのか、石板には一切の傷がついていなかった。



「……関係なかったのかな?」



 不思議に思うのもほんの一瞬、ともあれ脅威は倒された。もはやどうでも良いことと、僕は新しい石板を虚空に仕舞った。


 そして五人の方に向き直り、この健闘に礼を言う。


「ありがとうルカ、それに三人も。助かったよ」

「あれれ、クオには?」

「分かってるって、クオもいつもありがとう。もちろん、今日は特にね」

「えへへ…!」


 わさわさとクオの頭を撫でる。

 最近、ちょっと髪が乱れるくらいの強さがお気に入りだと気づいた。


 ひとしきりのスキンシップを終えて、クオはご満悦の笑顔。


 タイミングを見計らっていたかのように咳き込んで、ハクトウワシが言う。


「じゃあ、続きに行きましょう」

「……続きって?」

「忘れたの? 特別飛行よ」

「あの、まだ飛ばないとダメなんですか…?」


 溜まり溜まった疲れのせいか、思わぬ敬語が口から飛び出す。

 もう言霊を使いすぎて、精神力がへとへとだ。


 だというのに、クオはまったく容赦がない。


「ごーごー、とくべつひこーっ!」

「わ、わかったよ…!」


 明るい調子で残酷に急かされ、渋々僕は飛び立った。



「『飛べ』、飛べえ……っ」



 限界まで体を酷使して、いい運動になりそうです。

 きっと明日はお昼まで、ぐっすりと快眠が出来ることでしょう。


 ……ねえ、休ませてよ。

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