第三十八節 山さえ靡け

「ルカ、ルカ?」

「お願い起きて、しっかりしてっ!」

「ん、んん……?」


 僕が声を掛けて、クオが体を揺さぶる。

 すると特に何ということもなく、ルカは目を覚ました。


「我は、何を…」


 起き上がった彼女は、戸惑うように顔を見回す。

 やがて僕の目に止まった視線は、この状況への答えを求めている。


 しかし一先ずは、彼女の体調を確認することにした。


「…怪我はしてない?」

「いや、痛みは感じぬな。身体も違和感なく動く」

「そう、よかった」


 グッと握った拳は力強く、僕はほっと胸を撫で下ろす。

 まだ完全に安心とは言い切れないけど、これ以上の心配は後にしよう。



 なにせ、もっと分かりやすい脅威がこの瞬間も空に浮かんでいるんだから。



「それより、何が起きたのだ?」

「うん、あのね……」


 僕たちは彼女に事の顛末を説明した。というより……今も森の上空を飛ぶ、巨大なカラスのセルリアンを指し示した。

 ぶっちゃけアレを見るだけで、緊急事態が起こっていることは分かってしまうはずだ。


 悠長に説明している暇などない。 

 あんな大きさのセルリアンが特別飛行の中に飛び込みでもすれば、とんでもない規模の被害が生まれてしまう。


 今はまだスカイインパルスの三人が気を引いている。

 彼女たちの挑発が効果を保っている内に、一刻も早くアイツを倒す方法を考えなくてはならない。


「焦っちゃいけないよ、ソウジュ」

「うん、落ち着いて考えないとね」



 一つ一つ、思い付くものから可能性を埋めていこう。



「アレ、ルカの弓でやれる?」

「分からぬ。あのような摩天楼の如き化け物、我も初めてだ」

「頼り切るのは危ない、か」


 ルカの実力は知っている。

 これまで積んできた経験も含めて、普通ならそう遅れを取るとは思わない。


 だけど相手はあの巨体、アレと比べれば矢なんて豆粒ほどの大きさに等しい。


 弓一辺倒で攻撃するなら、弱点に一点集中してぶち抜く位の威力が必要じゃないかな。まあそうなると、アイツの弱点を見抜く方法が必要になるけれど。



 ……言霊でなんとかなるかな?



「いや、後でいいか」


 言霊は消費が大きい。

 せめてもう一つ、代案になるものを思い付いてから選択肢に入れよう。


 それに空にはハクトウワシ達がいる。

 彼女たちの力も借りた戦い方も、何か良いアイデアがあるかもしれないしね。


「二人は空を飛べるのか?」

「まあね…ただし、飛ぶと戦力は落ちるかな」

しないとだもんねっ!」

「……お姫様抱っこ?」

「あぁ、気にしなくていいよ」


 というかクオも、わざわざ強調して言わなくたっていいのに。


「ほらクオ、真面目に考えて」

「あれれ、ソウジュ恥ずかしいのぉ…?」


 ぺしっと、頭頂にかる~くチョップ。


「いててっ……えへへ」

「……まったく」


 もっと緊張感を求めるべきか、もしくは変に気負い過ぎていないと捉えて良しとすべきか。

 まあ、突然シリアスになられても僕が困るだけか。



「ルカと…一応クオも弓で戦えるし、僕には妖術がある。合わせれば六人もいるんだ、パワーさえ出せればやれないことはないはずだよ」



 そして肝心な、そのパワーを出す方法。

 戦いながら考えるとしよう、あの三人に任せきってしまうにはそろそろ荷が重いはずだ。


「とりあえず、あのカラスは地上におびき寄せようか」

「そうだな、こうも空高くでは矢が届かぬ」

「じゃあ…もう一回飛ぶ?」

「だね、まずはあの三人に伝えてこなきゃ」


 そして、ハクトウワシたちに作戦の内容を伝達。

 

 僕たちは地上に戻って遊撃部隊を結成する。



 六人で戦う巨大カラス討伐戦。

 羽根の色よりもずっと不透明な暗黒に、未だ突破口は塞がれていた。




§




「ハヤブサは山、オオタカは反対から回り込んで。下の三人と力を合わせて、まずは渓流の方角にセルリアンを追い込んでいくわよっ!」

「了解!」

「わかったわ!」


 ハクトウワシの指示が空に響く。

 六枚の翼が風を押しのけ、三本の線となって空を駆け抜ける。


「じゃ、こっちも打ち合わせ通りにね」


 飛行作戦の開始を確かめ、地上部隊の僕たちも行動を取り始める。



 即興で組み立てた作戦はこうだ。 



 まずは空の三人が、セルリアンを川の方へと追い立てていく。

 僕たちはそれに後ろから追いすがり、遠くからの攻撃で耐久力を削っていく。


 逃げられない地形に追い詰めたら一斉攻撃。全員で火力を上げて、一気にとどめを刺す。


 簡潔に言えば、向こうの機動力を奪いつつ、こちらの数的有利を可能な限り活かす算段になっている。



「…だが、そう上手く行くのか?」

「あはは、もちろん穴は沢山あるよ」


 中でも最も致命的なのは、この追い込み猟のからセルリアンが逃れてしまう可能性。これは危険だ。もしも想定したルートからアイツの進路が外れれば、被害を最小限に抑えることが出来なくなってしまう。


 それを防ぐためにも僕らが攻撃をして強く誘導をしていくんだけど、果たしてあの巨体にどれほどの効果があるのか。


 カラスは賢いって聞くからね。

 精々アイツが最善手に気づけないよう、絶え間なくプレッシャーを掛けていくしかない。


「だけど……えいっ、ホントに効いてるのかな…?」

「反応しているようには見えんな、我らの望む方に進んではいるが」

「……まあ、問題がないなら大丈夫だよ」


 それでも不安は当然で、かくいう僕も心配だ。

 一応、確かめておいた方が良いかも知れない。


 僕は攻撃の合間を縫って、矢を撃ち終わったクオの隣に滑り込む。


 そしてそっと手を握り、彼女の耳に小さく囁いた。


「少しだけ使、念のために」

「…わかった」


 腕を通じて流れ込んでくる妖力を感じる。

 僕は虚空から双眼鏡を取り出し、両目でカラスの姿を見つめる。


 お腹に力を込めて、しっかりと言霊を紡ぐ。



「―――『見抜け』」



 双眼鏡に輝きを注いで、相手の秘密を見抜く不思議な力を与えた。


「うっ…!」


 足元がぐらつく。

 無茶な想像のせいか余計に消耗が激しい。

 だけど、その分だけ効果は覿面だ。


 こんなに遠くからでも、アイツのことが手に取るように分かるんだから。


「へぇ…石板も持ってるんだ」


 妙によく見る石板くん、”珍しい”とは何だったのか。

 もしかすると惹かれ合うのかもしれないね、その結果がこれならとんだ災難だ。


 ただ石板はどうにも、胸の心臓のありそうな辺りに見える。弱点の可能性は十分にあるし、狙ってみる価値はあるだろう。そこまで射程が届くならの話だけど。


 そして他には……あぁ、翼の付け根辺りが弱そうに見えるかな。

 ただ、こっちも高くてなかなか狙えそうにないね。


「……ここまでか」


 残念、不思議な力が切れてしまった。


 だけど使えそうな情報は手に入ったから、後は活用次第。

 まだまだ役には立たないし、今は作戦の続行に集中しよう。


「ちょっと距離が開いちゃったし、足を速めよっか」

「うむ、承知した」


 手頃な木に登って空を見上げると、スカイインパルスも健在のようだ。むしろそうでなくては困る。


 だけど安心した。これなら、予定通りに進められそうだ。


「じゃ、行こうか」


 

 そんなこんなで空の追い込み猟は続き、戦場は切り立った崖へと切り替わる。



「ここは高低差が大きいな、移動するだけで一苦労だ」

「その分、戦いやすくはありそうだね」



 敵の攻撃から身を隠す場所。

 こちらが一方的に攻められる場所。

 危機から逃れるのに最適な通り道。

 移動の困難さと引き換えに、崖はこれらの高い戦略的価値を持っている。


 『戦場を支配する―――面倒だしもういいや、とにかく本からの受け売りだよ。



 まあそんな軽口はさておき。


 こうして実際に自分の身体を置いてみて、一つ分かったことがある。本に書いてあった通り、駆け引きに使えそうな地形がそこかしこに見られるのだ。


 面白い戦いになりそうで、柄にもなくワクワクしてきた。

 相手を惑わすことにかけて、ここまでやりやすい場所はそう多くないだろう。


 むろん、それは敵とて同じこと。

 ここでもまた、カラスの知能の高さが足を引っ張りそうに思える。


 その不安を現実のものにしないため。

 岩陰に身を隠して、今後の行動の指針を二人と話し合っておく。



「……ソウジュよ。ここを決戦の地とするつもりか?」

「悪くないだろうね。誘導もいつまで保つか分からないし、ここにしようか」

「えっと~…そしたらどうなるの?」

「合図を出して、今度こそ本当の包囲戦だ」



 使う道具は火薬入りのくす玉。なんか面白そうだから倉庫からくすねておいたのだけど、まさか出番がこんなに早く訪れるとは思わなかった。ぶっちゃけ僕が使ってみたいたいだけなのは内緒だよ。


 上空に投げると遠くで割れて、周囲に綺麗な紙吹雪を散らす。

 

 あらかじめ空の三人には合図のことを相談してあるから、僕の意図はこれで間違いなく伝わったことだろう。


 その証拠にほら、三人は敵を追い立てる陣形を崩し、広く散開してセルリアンをこの付近に封殺する次のフォーメーションへと変化した。


 合図から続々と移り変わる状況に、僕も靴ひもを強く締める。



 もう戦いは、すぐそこだ。



「……ルカ」

「心配するな、我は一人で問題ない」


 僕とクオ、そしてルカ。

 二人と一人に分かれて走り、それぞれの場所で攻撃を開始する。


 赤い狐火が空を切り、燃え盛る黒い羽は焼き落とされた戦いの幕のようであった。


 習ったばかりの弓で応戦するクオ。セルリアンが時折飛ばしてくる羽を神懸かみがかった狙いで落とし、空いた隙間から確実に矢を撃ち込んでいく。


 向こうに見えるルカについても言わずもがな。瞬きをすれば視界から消え去るほどの速度で走りながら放たれる正確な射撃は、馬の居ない流鏑馬やぶさめと形容しても差し支えない。つまり走りながら撃っているだけである。


 ともあれ、二人ともすごく強い。


「僕もしてられないな…!」


 手から飛ばすのは氷の矢。

 弓が無くたって矢は撃てるんだ。


 地上からは矢の雨が降り、空では鳥たちの突進に打ち上げられる。


 一分、二分、三分と……僕らはセルリアンに果てのない攻撃を浴びせ続ける。しかしなんと頑丈なことか、奴が弱ったような様子を見せることはない。


「むぅ、終わりが見えないよぉ…」

「…ダメージは与えられてると信じたいな」

 

 ゲームみたいに残りの体力が表示されれば、おおよその見立ても付けられるんだけどね。大岩のような巨体が故に仕草も確かめにくいから、細かなサインも見逃してしまう。


 でも、一方的に攻撃しているのは僕たちの方だ。


 気力さえ潰えてしまわなければ、このまま負ける道理は無い。



「―――あれっ?」



 道理なんてゴミのように打ち崩すのが、セルリアンだ。


「…ついに動いたわね。ハクトウワシ!」

「ええ、させないわっ!」


 ゴロゴロと響く轟音、カラスが翼を掲げた音だ。

 何気ない動作さえ、あの巨体では脅威と変わる。


 呆然とセルリアンを眺めていた僕は、次の瞬間とてつもない悪寒に襲われた。


 理解してしまったのだ。

 振り上げた翼の行きつく先など、羽ばたき以外にあり得ない。


「っ…!」


 僕は思わず走り出す、逃れる場所など何処にもないのに。


「二人とも、せめて岩陰に―――っ!?」

 


 ゴウウゥゥゥゥゥ……



 あらゆる音を掻き消す豪嵐ごうらん

 視界も、足取りも、何もかもを薙ぎ払う。


「くっ…」


 その後には何も残らない……その筈であった。


 嵐は既に晴れたというに、暗く周囲に落ちる影。

 何があるかと上を向き、僕は驚きに息を呑む。


 嵐が崖を削り取ったのだろうか。



 巨大な岩が、僕に向かって落ちてきて―――!



「――危ないッ!」



 僕の隣に風が吹く。


 正義の風が立ちすくむ身体を連れ去って、僕を大岩から助け出してくれた。


 ただし代わりに勢い余って、一緒に激しく転がっていく。かなり擦りむいて痛いけど、命には代えられない。


「ありがとう、ハクトウワシ」

「ええ、無事でよかったわ……うっ!」

「あっ、怪我したの…!?」


 頭を抑えるハクトウワシ。無茶な飛び方をしたせいか、頭上の片翼があらぬ方向へと曲がってしまっている。


「問題ないわ、ただのかすり傷よ」

「翼が曲がって、重傷じゃない訳ないじゃん…っ!」


 まずは運んで、治療をしないと。

 しかし、一時も休むことなく攻撃は飛んで来る。


 彼女がいては避けられない、なんとかして防がないと…!



「っ……『守れ』っ!」



 僕が反射的に選んだのは言霊による防御。

 紡ぎ終わった瞬間に光の壁が目の前に現れ、飛んでくる矢羽を全て跳ね返す。


「はあ、はあっ…!」


 守れた、目的は達した。

 しかしクオ無しで発動してしまい、もうエネルギーが空っぽだ。


 それでもセルリアンは無情に、攻撃の手を緩めることはない。


「ソウジュ!? くっ、まずいわね…」


 止まらない戦況。

 また迫りくる死の気配。


「……ルカ?」


 しかし今度も守られた、大きな弓に弾かれて。


「しばらく我が受け持とう。これ以上、お主達に手出しはさせぬ」

「む、無茶だよそんなの…!」


 たった一回の羽ばたきで、全ての策が壊された。あのセルリアンはもはや、僕らの物差しでは計り知れないほど強い。


 それに一人で立ち向かうなんてあまりにも無謀すぎる。


 だから僕は手首を握り、ルカを止めた。


「回復したら戻ってこい。心配するな、我はヤワではないぞ?」


 それでもルカは、手を解く。

 優しく、覚悟は力強く。


「……わかった、ありがとう」

「行きましょうソウジュ。クオちゃんも探さないと」

「うん…」


 崩れそうな地面に、腕をついて立ち上がる。 


 覚束ない足取りで、僕たちは走り出す。

 

 そう、これは戦略的撤退。

 一刻も早く態勢を立て直し、必ず助けに戻ってくるための逃走。



 風が音を運ぶ。


 心臓の鼓動と足音が、脳の奥底で木霊する。


 遠く背後から、声が聞こえる。



「黒き怪鳥よ、我が相手だ。……彼らがここに帰って来るまで、精々倒れてくれるでないぞ?」



 ―――ルカの力を、無駄にはしない。



 僕は顔を上げて、クオの姿を探し始めた。

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