第三十七節 黒の躍動

 四対の翼が交錯する。


 風に乗った鳥たちが中空を飛び交い、羽根を振り撒き火花を散らす。

 恐ろしく近寄り難い、まるで結界でも張られているかのようなその光景を、僕たちは一歩下がった場所で戦々恐々と眺めていた。


 いつまで続くのだろうと僕は思案、しかし戦況は目まぐるしい。


 数回の瞬き、即ち刹那の後。

 ハクトウワシたちは三方向から取り囲み、セルリアンの逃げ場を奪い去った。


「さあ、今度こそ仕留めるわよ?」


 口角を上げたオオタカの声、”笑い”の起源は”威嚇”らしい。

 蚊帳の外から見ていても、今の彼女の表情はそうとしか思えない。


 あの夜逃がしてしまったことが、心の中では相当悔しかったのだろう。


 だとしても凄まじい。

 ”鷹”って、あれほど獲物に執着する動物なんだっけ?


 真っ先にセルリアン獲物へと突っ込んでいったのもオオタカだった。


「うふふっ、私たちから逃げられるとは思わないことねっ!」


 さりとて基本はチームプレイ。

 距離を詰めつつも深入りはせず、二人のカバーを確認しながらセルリアンに威圧を掛け続ける。


 つまり、訪れるのは膠着。


 細い糸を極限まで張り詰めたような緊張がこの場の空気を支配する。本来は外側にいるはずの僕らさえ動きを止めてしまう。


 しかし、限界は長く続かない。


 文字通り細い糸の上で辛うじて成り立っていたような均衡は、斯くも容易くそのバランスを崩されてしまう。



 矢羽が舞う。



 このままでは危ないと思ったのだろう。

 先手を打って攻撃したのはセルリアンだった。


「くっ…!」


 鋭利な刃が肩を裂く。

 被害は服のみ、しかし三人には大きな衝撃を与えた。


 狩人は片方に留まらず。

 

 狩られる可能性を忘るるべからず。


「オオタカ、大丈夫か?」

「平気よ、次はないわ」


 だがしかし、一撃で決められなかったことは痛い。

 大打撃を与える千載一遇のチャンスを、このカラスはみすみす逃してしまった。


 おかげで三人は更に気を引き締め、付け入る隙は狭くなる。


 空の戦いには疎い僕にも、じりじりと包囲網を狭めてゆく三人の優位は手に取るようによく分かった。



「はぁぁ……せいっ!」



 そのまま変化もなく順当に、まずは一撃、翼を斬られる。


 続く連撃、ハヤブサの爪。

 脚で掴んで振り回し、ハクトウワシへとパスを出す。


「よし、任せなさいっ!」


 腕を広げて決めポーズ。一回転してつばさでうつ。

 ”魅せ”に特化して威力はさほど高くなさそうだけど、パスのスピードが速かったからか叩いた音は高く響いた。


 影の勢いは地上へ一直線、大気を沈むように墜ちていく。


「追いましょう、もう逃がさないわっ!」

「いや、待てオオタカっ!」


 ハヤブサが咄嗟に叫んで止める。


 オオタカは苦い顔をして、即座に振り返って反駁した。


「何よ、このチャンスを見逃すつもり?」

「いや違う、周りを見てみろ」

「え……?」


 腑に落ちない様子で周囲の様子を窺う。


「なっ、何よこいつら…!?」


 しかしすぐに現状に気づき、驚愕に満ちた声色で悲鳴を上げた。


「私たちの戦いに釣られて来たのね。アイツを追ったら後ろから挟まれちゃいそうだけど……」


 現れたのは数十体のセルリアン。

 風船や気球、紙飛行機を模したような姿形をした軍隊が、高空から僕らを狙って飛来してきていた。


 これでは安心してカラスを追えない。

 オオタカは空中で地団駄を踏みながら毒づく。


「ああもう…っ! さっさとこいつらを片づけて追いに行くわよ!」

「了解」

「ええ、そうしましょう」

「……僕たちも手伝おっか、クオ」

「いいよ、がんばれソウジュっ!」


 提案したら、丸投げされた。


「あー、やっぱりそうなっちゃうかぁ…」


 何故かと言えば原因はお姫様抱っこ。

 この体勢のせいで近接戦が出来ないし、クオは妖術もうまく使えない。

 万が一僕らが離れれば、あのカラスのように地面へと真っ逆さま。


 となると僕が飛行の言霊を使いながら、残ったわずかなリソースで簡単な妖術を駆使しつつ戦うしか方策は思いつかない。


 正直言ってつらいけど、手伝うって言ったしやっちゃうか。


「じゃあ、さっきより多くよ?」

「いいよ、空っぽになるまで吸い取っちゃってっ!」

「……そしたら落っこちるんだけど」


 頼んだら本当に差し出しそうで、クオの無鉄砲さが恐ろしい。

 その辺りの管理も、僕がしっかり気配りをしてやっていかなければ。


 さても兎も角、炎でも飛ばしてみよう。


「えいっ」


 割と自由な左の手から、青い炎の玉を出す。

 遠いし狙いは適当に、牽制になれば御の字かもね。


 しかし放った火の玉は、みるみるセルリアンへと吸い込まれていく。追尾機能なんて載せてないんだけど、ラッキーパンチが当たったね。


 敵もちょうど怯んでいるし、距離を詰めるとしよう。


 三人と合流すると、ハヤブサがとある提案をした。


「私が二人に付く、手分けして戦おう。オオタカ、ハクトウワシ、そちらは任せたぞ」

 

 悩む暇はなく、全員が揃って頷く。

 簡単ながらチーム分けも決まり、僕らはセルリアンへと立ち向かっていく。



 空に広がる混戦が、瞬く間に周囲の景色を隠し始めた―――

 



§



 ――世界を覆い隠すのは、緑。



 視点は降りてここは地上。

 茂みを揺らす彼女の名はルカ。

 セルリアンの存在を察し、カラスが逃げ込んだ下の森まで足を運んでいた。

 

 顔に掛かりそうな枝を払い、風のよく吹き抜ける場所へと出てきたルカ。


 周囲の様子を見てみるも、この場所には何も見当たらない。


「……あれは、ソウジュたちか」


 戦いの音は森にも響く。

 空を見上げてルカは眉をひそめた。


 そして考える。


 自分が感じた気配とは、彼らの戦うセルリアンだったのだろうかと。



 違う。



 長年にわたって、陰よりセルリアンを駆逐し続けてきた彼女。

 研ぎ澄まされた戦闘者としての直感が、間違いであると否定した。


 ずっと、もっと、強大な。

 あんなちっぽけな身体には収まらない、暴風のようなエネルギー。


 彼女は感じている。

 今も尚。

 そう。

 


「……ほう、先客が居たとはな」


 背筋を走り抜ける悪寒。

 ルカは目の前に立つフードの人物に、未だかつて感じたことのない畏怖の感情を抱いていた。


 触れてはいけない。

 近寄ってはいけない。


 直感などではない、もっと脳髄の根底に染み込んだ本能が、心臓と一緒にやかましく音を立てていた。


「お前は、何者だ…?」

「逃げぬのか、蛮勇であるな」


 ルカの脚は動かない。

 他ならぬ、彼女自身の踏ん張りによって。

 

 例え一瞬でも気を抜けば、今すぐにでも踵を返して彼女はこの森から逃げ出してしまうだろう。

 それが現実となっていないのは間違いなく、彼女の抱える信念と勇気の賜物。


 無論、彼の者が表現した通り、それを蛮勇と呼ぶことも出来るが。

 

 恐怖を堪え、歯を食いしばり、問いを繰り返す。


「誰だ、何が目的だ…!?」

「フフ、質問が増えているではないか。だが良い、後の問いには答えてやろう」


 不気味に笑い、ローブが風になびく。


「……来たな」


 茂みが静寂を破り去り、二人の視線がその場所を射抜く。

 森の奥から現れた一体のセルリアンを見つめ、呟いた。


「目的は唯一つ、此奴のだ」


 その姿は奇妙だった。

 彼女の知るどのセルリアンの姿とも似つかず、敢えて形容をするならば、『人工物の一部』という表現が適切であった。


「っ、それは一体……?」


 ローブの者と対峙した時とはまた違う、純粋な薄気味の悪さにルカは震えた。

 だから漏らさずにはいられない、問いの形をした驚きを、彼の者はいとも容易く切り捨てる。


「知る必要はない。覚えておく必要もない。故に、眠るがよい」


 刹那。

 風が切り裂かれ、首元に刺さった手刀。

 狩り取られた意識と一緒に、ルカの身体は地面に落ちた。

 


よ、我らの物となれ」



 セルリアンの身体に腕を突き刺し、中から石板をねじり取る。


 心臓という表現は言い得て妙か。

 石板を奪われたセルリアンは砂のように崩れ去ってしまった。



 続き、もう片方の手をルカに向け―――



「―――いや、やめておこうか。焦らずとも、最後には全て我らの物だ」



 間一髪、彼女は一命を取り留めた。




「…おや?」


 手に石板を一枚、満足して森を立ち去ろうとする彼の者の元に、木々の向こうから黒いセルリアンが現れた。


「…怪我をしているのか。ご苦労、大儀であった」


 腕に乗せてペットのように可愛がり、一粒の黒い何かを口に放り込む。


 するとその途端に、セルリアンが負っていた傷は完全に治癒する。

 喜びを表現するようにカラスは黒い翼を大きく広げた。


「もう一度だけ力をやろう。貴様の最期の働き、楽しみにしているぞ」


 カァ、カァ。

 禍々しく鳴く。

 重い羽音が葉を散らした。


「さて、残りは二つ」


 石板を懐に仕舞い、用済みとばかりに踵を返す。



「長い旅になりそうだ……なあ、よ?」



 友と話すような口ぶりは、誰に向けられし呟きか。


 喜色に塗れた瞳の中に怒りにも似た激情が燃え盛っていたのは、見上げた空が焼けていたからだろうか。




§




「―――ふぅ、ようやく片付いたわね」


 全てのセルリアンはもう空の塵。

 半端な数を揃えたところで、僕ら五人の敵じゃなかった。


 ゲリラ戦は終幕し、標的は残り一つ。


 しかしあんなカラスの一羽に、今さら手間取ることなど無い。



 至極当然の思考の決着。

 だからこそ、真っ当に虚を突かれる。



「……ちょ、ちょっとっ! 何なのよアレ!?」



 オオタカが叫ぶ。

 いったい何をその眼に見たのか。


 僕らが尋ねるまでもなく、僕らにも見える大きさで、は姿を見せた。



「―――え」



 森が昏い。

 世界を飲み込む暗色は日光の影ではない。


 まさか今になって見間違えるはずもないは、セルリアンの形をしている。


 呆然と、声を聞け。



「カラスのセルリアン、だよな…?」

「ありえないわ、どうして巨大化しているの……!?」



 絵に描いたような予想外が、現実としてここにある。


 そして僕らの計算外は、立て続けにしてやって来るのだ。



「ソウジュ、あれ見てっ!」



 クオが何かを見つけた。

 そちらへと視線を移せば、倒れている人影が視界に映った。



「……ルカ?」



 分からない。

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