第三十三節 弓術実習、特別講師を添えて。
日を改めて、滝の前。
僕は今、何故か全力で弓を引いています。
「んん~~っ!」
「そうだ。さらに力を込めて、真っ直ぐ弦を引き絞るといい」
はち切れそうな糸の音。
プチっと弾けてしまいそうな僕の心。
軋む音はやはり弓からか、はたまた僕の肩から鳴っているのか。
「こ、こうかな…?」
「いや、まだ弱い。もっとだ、全ての力を絞り出せ」
「も、もっと…っ!?」
なんという無茶な注文を。
惜しみなく全力を発揮しているこの光景が見えないのか。
……どうしてここに来てまで僕は、フレンズとの力の差を実感しなければならないのですか?
残ったわずかな力を無駄に、頑張って隣の様子を見てみると、クオはさも平気そうに弓を引き絞っていた。
「ルカ、これでいいっ?」
「ほう、素晴らしいな。いいぞ、そのまま力を抜いて放ってみろ」
「ん~…えいっ!」
元気のよい掛け声と共に放たれた一本の矢。
それはまっすぐ美しい軌道を描きながら飛び去り、遠くの木の幹に音を立てて突き刺さる。
「…どう?」
「うむ、見事だ」
クオはやっぱりすごいや。
初めての武器に慣れるのが早いし、何より力が桁違い。
「…あっ」
対する僕はとうとう限界を迎え、弓矢を手放してしまった。
僕と同じく力なく、地面にぽとりと落ちゆく矢。
残念だけど仕方ない。
自然に僕はそう感じ、そしてこんな風に簡単に諦めてしまえることをとても悲しく思った。
「お主には、もっと小さい弓が合うやもしれんな」
「えっと…やっぱり違うの?」
尋ねると、ルカは「もちろん」と肯定する。
「大きくなれば威力は上がり、力もその分求められる。当たり前の話だが、道具は使う者に合わせて選ばねばならぬ」
なるほど、そりゃそうか。
さっき使ったのはルカのよりも一回り小さい弓だけど、元々が大きいから僕にはまだまだ重荷となってしまうようだ。
……クオ、とんでもないな?
「まあ、お主は一度休め。無理を重ねて身体を壊してはかなわぬぞ」
「うん、そうするよ」
その辺に弓は置いておく。
僕は木の根元に腰掛けて、しばらくの間クオへの応援に専念することを決めた。
というかさ、最初からこれで良かったんだよ。
そもそもこの弓術実習が始まったのも、クオが弓に強い興味を抱いたことが理由なんだから。
(…クオ、楽しそうだね)
さっきの成功が情熱の炎に油を注いだのか、彼女は夢中になって矢を放ちに放ちまくっている。
周囲の木々は穴だらけ、キツツキもここまで見境なく突きまくるようなことはしないだろう。
「…クオよ」
ほら、ルカも見かねて声を掛けた。
「ただ撃つだけでも楽しいだろう。しかし折角だ、特別な技術を知りたくはないか?」
……訳ではなく、普通に次の段階に進むみたい。
ああそう、穴ぼこだらけの木にはそう頓着しないんだね。
というよりもこれって、僕が神経質なだけなのかもしれない。
「いいのっ? 知りたいっ!」
ほら、当のクオも全然気にしてないし。
「ふふ……よし、実際に見せてやろう」
ルカは弓に矢を番え、木に狙いを定めて引き絞る。
美しい姿勢も束の間、弾ける音と風を切る音が発射の合図と相成って……
………え?
視界に映った光景に、僕は自分の正気を疑った。
「この通り、矢を離した直後に気を籠めることで、ほぼ同じ勢いの矢をもう一度撃つことが出来る」
同じ矢を一瞬でもう一度?
えっと、奇術か何かかな?
もういっそのこと妖術でも何でも、本当に使われていた方が納得できるけど。
「すごーい! ねえねえ、どうやったのっ!?」
「しばし待て、後でじっくりと教えてやろう」
目を輝かせてはしゃぐクオ。
あの子はさっきの摩訶不思議な光景に……まあ少なくとも、困惑だけはしていない様子だ。
僕にはダメだ。
常識が吹っ飛んでしまった。
もしかしたら夢でも見ているんじゃないか?
(……うん、すごく痛い)
おっけー、頬の感覚はしっかり生きている。
多分この景色は夢じゃないんだね。
どうせなら、”そういうタイプ”の夢であってほしいなあ。
まあ何だかんだ呑気に休んでいると、ルカが僕の様子を確かめに来た。
「ソウジュよ、そろそろ回復したか?」
「…まだかも」
肩に触ってみると、若干鈍ったままの感覚。疲れこそ取れてきてはいるけど、”まだ弓を引くのは厳しそう”といった感じ。
無理はしたくないね。
だからルカにも、それはちゃんと伝えた。
「そうか。なら、今はこれでも持っておけ」
「……これって、矢?」
手渡されたそれを見て、僕は首を傾げる。
それは『矢』だった。
一般的なものより全長が長く、先に付いた矢尻も二回りほど大きい、とても不思議な形をしていたけれど。
だけど、これだけ渡されて何を……
「斬れ」
「……へ?」
ああっと、聞き間違いかな。
なんか今、「矢を使って相手を斬れ」って言われたような気がしたんだけど。
「矢尻で切り裂くのだ、それなら弓がなくとも攻撃が出来るぞ」
あぁ…うん。
僕の耳は間違ってなかったんだね。
でも繰り返さなくて良いよ。
分かんないから。
「一応聞いておくけど、それをする意味は?」
「近くの相手に攻撃出来る。便利だろう?」
まさかの弓矢で近接攻撃。
流石の戦法だ、相手の意表を突くという意味では最高の効果を発揮するに違いない。
ただ一つ、この完璧な作戦に問題があるとするならばそれは。
”意表を突くこと”以外の長所が全く存在しないことになるだろうか。
「それにこんな大きな矢、弓があっても撃てる気がしないんだけど…」
「…不服か?」
「……どっちかと言えば、そうだね」
というかむしろ、何に満足したらいいの?
最大の長所である射程、弓から発射することで得られる勢いと威力、そして何より”弓”という道具の存在価値。
その全てを放棄し、奇抜さだけを追い求めたような「矢切り戦法」……正気の沙汰とは思えない。
「使ってみれば案外強いぞ。腕力は様々なことを解決する」
「そっか。じゃあ僕には無理そうだ」
分かってるよ、きっと僕に弓は向いていない。
僕が伸ばせるのは腕力じゃなくて妖力だ。
そもそも遠距離攻撃には妖術があるんだから、弓の扱い方を頑張って覚える必要なんて実は無い。
「楽しかったしまぁ、別に良いけどね」
ルカはクオの所へと戻って、先程見せた奇術の扱い方を教えている。
ほら、クオも楽しそう。
だったら僕はそれでいい。
ちょっぴりだけ、混ざりたかったけどさ。
§
カランコロン。
返すと上から落ちる水。
手元のビンを弄りながら、僕はまだクオの様子を眺めていた。
「撃つ瞬間に……こうっ!」
かれこれもうすぐ一時間、彼女はあの奇術の習得のために練習を続けている。
その成果は著しい。
初めは全く芳しくなく、影も形も現れなかった。
しかし回数を重ねるうちに、矢の飛ぶ方向に薄っすらと影が見え始め、今では蜃気楼のような二本目の矢がその姿を顕し始めている。
「あの様子なら、残り十数分といったところか」
隣で漏れたルカの呟き。
「それって早いの?」
「さあな。誰かに伝授するのは初めて故、我は基準を持っていない」
「それでもほら、直感で言うなら」
「……言うまでもなく早い。スポンジの如き吸い込みだ」
確かにクオの尻尾、もふもふでよく水を吸いそうだもんね。
……ごめん、やっぱり関係ないや。
「成長の早い弟子というのは、嬉しくも寂しいものだな」
とても短い時間だけれど、感慨深くも思えるものだね。
僕ではイマイチ共感してあげられないけど、立場が変われば受け取り方も変わるのだろう。
弟子を取ったことが恐らくないであろうルカなら、きっと尚更に。
「ところでさ、このビンは何かな?」
「ああ、それは中に薬品を入れ、弓に装着して使用するのだ」
なるほど。
ただのゴミかと思ってたけど、そんな使い道があるんだね。
「つまりそれを使って、敵に色んな搦め手を仕掛けると」
「いや、物理的な威力が上昇するぞ」
「……あの、それはなんで?」
「ふふ、ビンとはそういうものだ」
「いやぁ、名言風に言われましても…」
何度でも言うよ、弓はすごいや。
常に僕の想定の何歩も先を進んでいく。
大丈夫、行き過ぎて一線を越えたりしてない?
しかし、あの奇術よりはまだ理解できる方ではある。
それでもやっぱり五十歩百歩、まさにドングリの背比べ。
結論、分からないことに変わりはない。
「中身を矢先に塗れば、あの攻撃の威力も…」
「あーあー、聞こえなーい」
あんなふざけた戦法、攻撃力をいくら上げようと使ってなんてやるもんか。
僕は妖術と生きていくんだ、邪魔をしないでくれたまえ。
そうだよ、使ったりなんてしない。
……ほんとに無いからね、興味なんて。
そしてぼんやりと眺めることしばらく。
変わり映えのしない景色に眠気を感じ始めてきた頃、大きな喜びの声が僕の意識を引き戻した。
「―――あっ、できたっ!」
すごいよクオ。
ついに習得したんだね、あの理解不能な技術を!
「やるよっ、見ててねソウジュ!」
「うん」
弓を引き、力を溜めて、発射する。
撃つ瞬間に輝きを込めて、二本目の矢を顕現させる。
ポン…ポン。
軽快な着弾の音を立てて、二本の矢尻が木の幹に真っ直ぐ突き刺さった。
「…ルカ、どう?」
「80点。もう少し出を早くすれば完璧だな」
「80点ってことはー……やったよソウジュ、合格点っ!」
「そうだね。おめでとう、クオ」
打算的に考えれば、彼女が遠距離攻撃も出来るようになったのは大きい。
僕は妖術、クオは弓術で、ちまちまとセルリアンを削るような戦い方も出来るようになった。
それに僕ね、ちょっと素敵だなって思うんだ。
『弓使いのキツネ』っていう肩書き。
うん、カッコイイと思う。
そんな仄かな喜びへ、滝のように特大級の水を差す言葉。
「でもクオ、弓は多分あんまり使わないかも…?」
「…え」
「な、なんだとっ!?」
さりげなく落とされた爆弾発言。
思わず僕も二の句を忘れた。
もちろんルカは目を見開いて、おろおろと狼狽えながらクオにその理由を尋ねる。
「い、一体なにが不満なのだ…?」
クオは静かに首を振り、「別に不満はないよ」との一言。
しかしその簡潔な返答は、ルカの混乱をさらに強くするだけだった。
「では、なぜ…?」
「えへへ…クオね、刀の方がすきなのっ!」
かくや、真実は身も蓋もなかった。
僕も残念に思うけど、好みの問題ならばもう仕方ない。
どれほど興味があったとしても、慣れ親しんだ道具には勝てないのだ。
「だけど、とっても楽しかったよ! ルカ、ありがとねっ!」
「……そうだな。そう思って貰えたのなら、我にも悔いはない」
ほんのり笑うルカ。
その瞳に屈託は感じられない。
これで何事もなく、一件落着かな。
「ソウジュ、ちょっとこっち来て」
胸を撫で下ろして安堵のため息をついた僕に、クオが耳元で内緒のお話をする。
「あのね、ごにょごにょ――」
こっそり伝えられたアイデアはルカへのサプライズ。
今日一日付き合ってくれたお礼として、彼女を楽しませてあげたいと思ったようだ。
「…どうかな?」
「良いと思うよ、きっと喜ぶんじゃないかな」
率直な感想を伝える。
難しい部分も若干あるとは思うけど……僕らでしっかり後押しすれば、きっと問題なく楽しめることだろう。
そう言うとクオは喜び、早速ルカをあの小屋へと招待することにした。
彼女の手を掴み、クオは誘いの言葉を……
「ルカ、行こっ!」
……誘って?
「む、行くとは何処へ…?」
「いいからっ!ごー、ごー!」
「お、おいっ…!?」
話は聞かない。
迷いもない。
全速力の半分誘拐。
クオは、本日も絶好調です。
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