第三十一節 未知を探して滝の中

 明くる朝。


 目を開ければ窓から見える快晴。


 起き上がった僕は、真っ先に昨晩の出来事を思い出す。まだ頭から離れないのか、ひと廻りの夜を明かしたというのに。すると、このまま放置しても収まりはしないだろう。


 それならばと。

 僕は早速外へ繰り出して、昨晩見掛けたあの影の正体を探すことにした。


 まずやって来たのは、鳥のセルリアンと戦闘になったあの森。正直ここでも望み薄だけど、可能性の一番ある場所はここだった。

 しかしそれも単に、他の手掛かりが一つも無いから。

 あの噂話、しっかり聞いておくべきだったかな。


 ……今更ながら、割と後悔してるよ。


「ねぇソウジュ、ここに何かあるの…?」

「さあね。運が良ければ、手掛かりが見つかるかも知れない」


 例えば足跡とか、持ち物とか。その類の痕跡は一切期待できない。

 探知の妖術を使ってみて、もしもサンドスターの残滓でも見つかれば幸運の極みといったところ。


 その辛うじての証拠さえ、果たしてどう使えば役に立てられるのか。……まあ、捕らぬ狸の皮算用はやめておこうか。


「手掛かり? えっと、ソウジュが探してるのって…?」

、って言えば分かるかな?」

「…あ!」


 僕の一言に、クオは心底合点がいったように手を叩いて。


「…ふふっ」


 そして笑った。

 微笑ましく、妙に生暖かい視線を僕に向けながら。


「ど、どうしたの…?」

「ううん。ソウジュも案外、こういう話を信じるんだなあって」

「そりゃあ、自分の目で実際に見ちゃったらね」

「……えっ、見たの!?」


 テンション一転、目を見開いて驚いたクオ。ピーナッツのような形の口をした彼女に、僕は昨晩の顛末を――もちろん夢の下りは割愛して――伝えた。


 出来事の粗方を話し終わったころ、クオの目の端には一粒の涙。そしてその雫を散らしながら、彼女は僕に抗議する。


「もうっ、どうしてクオを置いてったの…!?」

「だって眠そうだったじゃん、気を抜いたら卒倒しそうなくらい」

「むぐぐ、悔しい…っ!」


 どこから出したかハンカチを噛み、言葉通りに悔しそう。

 だけどあの時は出来なかった。無理に起こすと、機嫌を大きく損ねちゃうのがクオだから。


「だから、今連れて来てるってことで……収めてくれないかな?」

「…わかった。その代わり、絶対に見つけてねっ!」

「む、難しい注文だね…」


 まあいいや。


 結果として丸く収まった訳だし、さっさと探索を始めてしまおう。



「探知の術、構築開始…!」


 言霊を使っていく間に知った事実。


 それは、”妖術は声に出した方がやりやすい”ということ。


「対象は…”けものプラズム”」


 こうして自分へ合図を出すように、一つずつ上へと段階を切り替えていくと、より安定して効率的に妖術を扱うことが出来る。

 持続力が未だ心許ない僕にとって、これはかなり役に立つ発見だ。


 ……さて、僕にしか意味のないコツのお話はさておき、探知の結果が出てきた。


 山肌にかけて線上にけものプラズムの反応。


 あと、森のとある一点からも仄かに輝きが感じ取れる。


「それぞれと、戦いの跡かな」


 こちらは一晩と言う時間が大きく働いたようで、プラズムの濃度も周囲とほとんど変わらない。少なくとも一時間、遅れていれば探知は全く意味を為さなかっただろう。


「行こう、のんびりしている暇は無さそうだ」


 僅かに残された道筋。

 果たして虹の終点で答えは見つかるのか。


 ただひたすらに跡を追う、地道な行路が眼前に輝いている。


「…ねえ、”言霊”は使わないの?」

「二進も三進も行かなくなったら考えるよ、使うと疲れるし」

「そっかあ、楽は出来ないねぇ」


 ガクンと肩を落とすクオ。


 妖力回復で即復活! ……ってなったら便利なんだけどね。

 

「元気出して、道は見えてるんだから」

「わかった、クオがんばるっ!」


 クオは激励で即復活。


 プラズムを辿る僕を置き去りにして、どんどん先へと進んでいく。

 

「ソウジュ、早く早くっ!」

「それは良いけど、行先は分かってるの?」

「……どこ?」


 やれやれ、相変わらずか。


 元気なのは良いことだけど、やっぱりクオには僕が付いてなきゃダメだね。


 だから、あの子がおっちょこちょいな間は、僕も必要としてもらえるのかな。



「……何、考えてるんだろ」



 まだ指先がかじかんでいる。


 あの時の寒さが抜け切っていない。


 それゆえにとても軽率に、暗い気持ちを抱えてしまう。



 ――だからって、こんなこと。



「ソウジュ、なんでボーっとしてるの? 行こうよ、時間無いんでしょ!」

「……うん。急ごうか」


 踏んだ砂利が軋み、足どりは不安定に。

 覚束ない足取りは、心の空模様と同じ。

 

 探知で掴んだ足取りを、縄のように強く握りしめて歩き進む。


 今この瞬間だけはそれが、クオを見失わないための標になっているから。




§



 歩き続けて幾ばくか。

 山の起伏を二つほど乗り越えた辺り、川が流れる山峡付近でのこと。


「……あれ?」


 唐突に、探知の反応が途切れた。


 元々が気を抜けば見失ってしまいそうな気配とはいえ、こんな何も無い場所で消えてしまうのはとても不自然だ。


 それに古い反応から消えるならまだしも、比較的新しいはずの反応が途中で見えなくなるなんて。


「…近くに、何かが?」


 理由は存在するはず。

 そして事実がどうあれ、この異変が手掛かりになる可能性も十分にある。

 

「クオ、手を貸して」

「あ、使?」

「うん。今が使い時だと思う」

 

 これが追うべき手掛かりか否か。

 素早い見極めが明暗を分かつタイミングに、使わない手はない。


「おっけー! はい、どうぞ」

「ありがとう、たくさん借りるね」


 ぎゅっと手を握る。


 じっくりと温もりを感じながら、言霊を紡ぐ。


「このけものプラズムの持ち主を……『見つけて』」


 唱えた瞬間の重力。

 これまでとは段違いの重苦しさ。


 曖昧な命令ゆえに、足りないイメージの補完に大量の妖力を使ってしまったのだろう。


 だけどその甲斐は有った。

 僕の第六感は如実に、探し物の在り処を感じ取っていた。


 それはあろうことか水の中。


 川の根元を辿る先にある、高く大きな滝の裏側。


 心臓の拍動も思わず高鳴る強い気配。疑いようなく規格外の存在が、滝つぼの奥に音もなく潜んでいるのだ。


「『未確認種』……いや、本当に守護けもの?」

「そ、そんなに凄いの…!?」

「きっとね。…どうする?」


 ワクワクは裏返せば恐怖。


 だからドクドクと高鳴る爆弾を、僕は投げ捨ててしまう。


「え、どうって…?」

「きっと強いよ、戦いになったら勝てない。友好的な相手かも分かんないし、手出しせずに帰るのも手だと僕は思う」


 思う。

 かもしれない。

 分からない。


「でも、せっかく見つけたのに…」


 一つ一つ積み上げていくのは、簡単に打ち崩せる予防壁。


「実を言うと僕はね、いるかいないかだけ確かめられたらそれで満足なんだ」


 もう満足のポーズ。

 しなきゃいけない満足が十全だった試しは無いはずだけど。


「だから、君に選んで欲しい」

「…クオが選ぶの?」


 信頼のベールを被せて。

 まくり上げも、誓いもしない。


「そう、に会いに行くか否かを。僕は…クオの選んだ道ならついて行けるから……」


「…わかった!」


 クオは首を縦に振った。


 どこまでも他力本願で勝手なお願いに。


 果て無く自信にあふれた笑顔で、彼女は重荷を軽く受け入れた。


 そして来る。


 僕が知っていた答えが。


 その上で、押しつけてしまった問いへの回答が。


「行こうよ。ここまで来たんだもん、顔も見ないで帰るなんてもったいないってっ!」

「…わかった」


 さっきのクオと同じ返事を。

 僕はコートのボタンを留めなおして、高鳴りすぎた鼓動を収める。


「滝は向こうだよ。落ちてくる水の裏に、反応があったんだ」

「了解、すぐに向かっちゃおっ!」




 歩き出してしまえば、目的地へはすぐだった。


 滝つぼの傍、高く見上げた水の壁。

 光を折り曲げ、完全に見えなくさせる美しい障壁。


 打ち付けた水は粒子とほどけ、霧となって僕らに夢のような景色を見せる。

 

「この先にいるんだよね?」

「…うん」


 落下音にかき消えそうな言葉を交わして、もう一度滝を見る。


 止めどなく降り注ぐ水、消える様子のない立ち入り禁止。

 無策で進めばずぶ濡れ間違いなし。一瞬、せめて通るときだけでも、水をせき止める方法を考えなくては。


「凍らせても、難しいかもなあ」

「はいはーい、クオは突っ切っちゃっていいと思うよー!」

「あー、うーん…」


 極論、怪我はしないと思う。

 だけど濡れた服の後始末が必要になる。

 つい最近その大変さを思い知らされたばかりだ、なるべく服は綺麗なままが良い。


 うーむ、水を避けるいい方法がその辺にでも転がっていないものか。


「水の方がどいてくれたらいいのにねー」

「水が……それだっ!」

「…えっ?」


 ナイスだよクオ。

 その手があったんだ。


「そうだよ、簡単なことじゃないか…!」


 思い立ったが吉日。

 滝は逃げないけどさっさとやってしまおう。


 僕は急いでお目当ての妖術を構築していく。


「なんか、いい感じ…?」

「クオのお陰で、ピッタリなアイデアを思いつけたよ」


 話は単純。

 クオの言葉通りに水が避ければ良い。

 水の妖術を使って直接操ってあげれば、僕にはそれが出来る。


 やれやれ。何とかして防ごうと躍起になって考えていたら、最も楽で簡単な方法を見失ってしまっていたよ。


 使える手段が多いってのも考え物だね。

 しっかり考えて、適切に使い分けられるようにならないと。


 まあそれはさておき、妖術を発動。


 水の壁に、丸い穴が開いていく。


「さあ、これで通れるよ」


「じゃあ気を取り直して、しゅっぱー……つぅ!?」


「……え?」


 一瞬の風圧。

 クオの叫び声に僕は硬直する。


 ……って、こんなことしてる場合じゃない!

 

 早く状況を確かめないと。 

 フリーズした思考回路を溶かして、まずはクオの現在地を探す。


 ――見つけた、後ろに吹っ飛ばされたみたいだ。


 さっき感じた風向き、吹き飛ばされた方向から考えるに、犯人は滝の中にいる。


「それって、つまりさ…」


 実現してほしくなかった現実。

 噂のアイツが敵対的である可能性。


 それが今、ハッキリと形を持って目の前に現れだした。



「―――何者か、我の住処に立ち入ろうとするのは」



 背中に担いだ大きな弓が目を引き、流麗な足取りが言葉を奪う。

 滝の雫が美しい琥珀色の髪の毛に滴り、身にまとったワンピースのような装束は水に濡れて青く輝く。


 美しさに圧され、一言も発することができない僕に、彼女が問いかける。


「お主達、如何なる目的でここに?」

「…えっと、観光です」


 何を言っているんだ僕は。

 間違ってはいないけど、幾ら何でも俗っぽすぎやしないか。


「観光…というと、我に会いに来たということか?」

「まあ、そういうことになるかなと」

「ふっ、そうかそうか…!」


 頭が回らない。

 微笑みが恐ろしい。


 せめて何があっても、クオが起き上がるまでは時間を稼がないと。


 出来ればすぐに動けるように、そっと身構えて彼女の次の動きに注視する。



「……ついてくるがよい」

「は…はい?」



 ――だけど、僕が危惧したようにはならなかった。



 彼女は踵を返し、少し進んだところで振り向いてこちらに手招きをする。


 すると滝の水が止まり、本当に僕らを招き入れているのだと知る。


「クオたち、助かったの?」

「さあ、どうだろう…?」


 まだ油断は出来ない。

 何より僕らが、彼女のことを何も知らないから。


「来ないのか?」

「あ、行きますっ!」


 でも弾んでいる。

 彼女の声も、足取りも。


 だからちょっとは、気を緩めても良いのかな。


 そうして緊張を解き、深く息をついた瞬間。


「―――あ」


 元に戻った滝の水が、頭から僕に覆いかぶさった。

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