第三十節 アングレイな夜に

 オオタカが地面を蹴って飛び出す。


「先行するわ、カバーをお願いっ!」

「わ、分かった…!」


 地面すれすれを飛行して、あっと言う間に闇に溶け込む。彼女はセルリアンさえ一瞬のうちに飛び越し、僕らは敵を挟んで相対する形になった。


 身構える。


 セルリアンは首を傾げて、まるでどちらを先に相手取るかを悩んでいるかのようだ。


(……どうする?)


 無言のジェスチャーで動きを尋ねる。返答はすぐに戻ってきた。


「…!」


 突き出された平手。

 間髪入れぬ戦闘の構え。


 どうやら、オオタカが先に突っ込むつもりらしい。だったら僕は、妖術の準備でもしておくとしよう。


 相手は鳥っぽいセルリアンだし、雷とか良さげじゃないかな。

 飛行する相手には電気が効くと、とあるゲームの攻略本にそう書いてあった。残念ながら、ゲームの実物はどこにも無かったけどね。


 向こうからのハンドサイン。

 ”準備OK”の合図として、僕は親指を立てて見せた。


「……」


 頷くオオタカ、そろそろか。


 ここまでおよそ十数秒。

 斯くも短い均衡は、間もなく終わりを迎えようとしている。


 鼓膜を揺らす草木の囀り、目の前の鳥の喧しい叫び。戦いの始まりを悟ってか、セルリアンはその真っ黒な翼を大きく広げてこちらを威嚇した。


 カァ、カァ。


 見た目に相応しいカラスのような鳴き声。

 奇しくも開戦の合図は、その音となった。



 ――風。



 周囲を駆け抜けた涼しい温度はオオタカの羽ばたき。素早い動きだしで全員の視界から逃れた彼女は、真横の木々の隙間から現れてセルリアンに鋭い蹴りをお見舞いする。


「…喰らいなさいっ!」


 傍から見ても恐ろしい技だ。


 当然食らったセルリアンはひとたまりも無く、彼女の脚から逃れようと、がむしゃらに羽ばたいて抗う。


「……っ」


 そんな命懸けの抵抗には、流石のオオタカも一瞬屈してしまう。

 そして怯んだ隙を突いてセルリアンは脱出、真っ黒な体を利用して森の暗闇に姿を隠した。


 ……逃げちゃったかな?


「まあ、何にせよ一応……」


 ずっと懐で温めていた妖術を発動。

 電撃を森の中に張り巡らせ、絨毯爆撃の要領でしらみつぶしにセルリアンに追撃を与える。


 ―――手応えあり。


 ここから見て右手奥。

 茂みの中で羽と葉っぱが擦れる音が響いた。


「…仕留める?」

「そうしましょう、パターンにハマったら厄介なセルリアンよ」


 確かにあの体色で、こんな夜に不意を襲われたりしたら堪ったものじゃない。早い内に見つけられたことは本当に僥倖だった。


「じゃあ、どっちから行こうか」

「あなたが攻撃を強めて、アイツをあそこから引っ張り出して。そこを私が叩くわ」

「了解」


 指示が簡潔で分かりやすい。こんな人に普段から任せられたら、僕もたくさん楽できそうだ。生憎、それは出来ないけどね。


 まあいいや。

 さあ、一気に攻めへと転じよう。


 僕が妖力の出力を強めると、走る稲妻は太くなる。

 羽の擦れる音はバタバタと暴れる音へと変わり、枝から切り離された葉っぱは居場所を失って辺りに舞い散る。


 後はいつ飛び出してくるのか。


 一秒、一秒、息を呑む。


 そろそろ、我慢も限界なはずだ。


「……来たよっ!」

「よし、私に任せ―――えっ?」


 素っ頓狂な声がする。

 何に驚いたのか、オオタカの攻めの手は止まった。


 はてさて、鬼が出たか蛇が出たか。


 僕も双眼鏡で様子を確かめようとし……突如にして飛び込んできた明るさに思わず目を細めた。


「白い、鳥…?」


 カラスのセルリアンは何処へ消えた。

 茂みの中から現れたのは白鳥……いや、違う。


「気を付けて、そいつセルリアンだよっ!」

「な、何ですって……きゃっ!?」

「…っ、間に合え!」


 意識の隙を突かれたか。完全に黒いカラスが出ると踏んでいたオオタカは、真逆の色をした白鳥のセルリアンにとても無防備な姿を晒してしまった。


 僕も慌てて、氷を飛ばしてオオタカを庇おうとする。

 普段の慣れからか、この属性が最も出が早いことは分かっている。


「た、助かったわ…ありがとう」

「どういたしまして。だけど、色々と考え直さないとね」

「ええ、そうね…」


 白鳥はまあいいよ。倒すだけだし。


 問題はカラスがどこへ消えたか、逃げ帰ったならそれでいい。厄介なのは暗闇の中からこちらを狙っていたとき。

 不思議な力を使ってカラスが白鳥に変身した可能性は……考えなくていいや。


 とにかく、カラスの危険が残る限り、白鳥とも迂闊には戦えない。


 意識の隙とは、僕らが何か一つへ集中した瞬間にこそ生まれやすいから。


「…白い方、見張っててくれる?」

「ええ、よく目立つから簡単ね」

「僕は黒いのがいないか探してみるよ」


 探知の妖術。

 周囲のサンドスター、および類するエネルギーを探し出す。


 ―――探知完了。


 反応した数は、五体。


「……えっ?」

「どうしたの?」

「いや、大丈夫。多分勘違いだから」


 僕と、フレンズはオオタカ。

 セルリアンはカラスと白鳥。

 合わせても最大で四体。

 

 じゃあ、残りは?


 とても強い反応を、山肌の辺りに探知した。視線をやると、目が合ったような錯覚。暗くてよく見えないけれど、何かが確かにそこにいる気がする。

 

「…っ!」


 動いた。

 途轍もない速さで。


 一瞬の出来事に僕は何も行動を起こせず、確かめなおした探知の妖術もいつの間にか結果は四体。


 まるで、狐にでも化かされてしまったかのような。

 緊張した戦いの中で、ふと訪れた気の緩む時間だった。


「…見つけたよ」


 ともあれカラスの方は見つけた。

 反応はまだ森の中、僕らの隙を窺い続けているのだろう。


 はてさて、どうしてくれようか。


「お手柄ね。その不思議な力、とても頼りがいがあるわ」

「あはは、どうも」

 

 素直にうれしい。

 妖術こそが、僕の一番よくできることだから。

 でも呑気に喜んでいる暇はないね、とても残念なことに。


「見える方から片づけよう。向こうは後でもどうにかなるよ」


 効果があるのかそれとも否か、雷の術をもう一度。

 今度はあえて直撃はさせず、周りに稲妻の鎖を張り巡らせることで、白鳥が逃げられないように動きを封じる。


 右に左に視線を振って、電撃の抜け道を探すセルリアン。

 でも残念、この迷路に出口は無いんだ。


「じゃ、止めは任せるよ」

「わかったわ。ちょっとだけ熱いフィニッシュを見せてあげる」


 くるり回って、飛び上がる。

 縦横無尽に空を駆けずり、羽ばたく度に風向きは変わる。


「覚悟しなさい、私からは誰も逃げられないわ!」


 後で聞いた名は、「クールウィングブラスト」。

 夢の中で最強だった彼女が放ったこの技は、遍くすべてを消し飛ばす悪夢のような威力を誇っていたらしい。


 ここは現実。

 だけどそれでも、セルリアンを倒すには十分な力。


「うふふ、ちょっとやりすぎたかしら?」


 嵐のように荒れ狂う羽の後。

 もうそこには、一枚の石板しか残っていなかった。


「…あら、これは」


 物珍しい落とし物を、オオタカは珍しく駆け寄って拾い上げた。


「へぇ、コイツも落とすんだ」

「知ってるの?」

「まあね。正体はまだ分かんないけど、面白そうだから集めてる」


 これで八枚目なのに、手掛かりは未だ無し。

 そろそろ欠片でも掴まないと、永遠に何も分からずじまいになりそうだ。


「そうなのね。じゃあ、渡しておくわ」

「うん、ありがとう」

「それで、もう一体の方だけど……」


 再び探知をしてみると、反応は二体。

 どうやらカラスは逃げてしまったらしい。


「まあいいわ、深追いも危険だもの。今夜はこの辺にしておきましょう」

「そうだね、帰ろっか」


 身体を動かしたおかげか、晴れ晴れとした表情のオオタカ。

 噂話は少なくとも、彼女を悩ませる存在ではなくなったらしい。


「…私、強かったでしょ?」

「うん、とっても」


 だけどその代わりに、僕の脳裏に焼き付いた暗闇の景色。

 間違いなくアレは、噂話の”騎手”だった。

 探知の中で最も強く輝く反応、普通のフレンズとは明らかに逸脱している。


 彼女は何をしていたのだろう。


 僕らがセルリアンに苦戦するようなら、密かに手助けをして去るつもりだったのだろうか。


 一応、セルリアンの味方でないことは分かった。

 もしそうなら、普通はあの白鳥を見殺しにはしないだろうし。


「考え事?」

「…お腹が空いちゃったなって」

「奇遇ね、私もそう思ってたところなの」


 適当に事実を言って誤魔化す。

 だから本当にお腹が空いている。

 だけど、こんな時間に食べちゃっていいのかな。


 いっそ眠ってしまえば……いや、それまで苦しい時間になることだろう。


「ジャパリまんでも食べて寝ましょう。半分ずつならきっと大丈夫よ」

「そう、かな…?」


 ”大丈夫”という言い回しが、堕落する方向に誘われてしまっているようで最高に不安をそそる。


「こんなに運動したんだからゼロカロリーよ。それに、我慢する方が辛いわ」

「…そうだね!」


 心配はいらない、食べたらすぐに寝ればいい。

 そんな考えで僕らはジャパリまんを食べ始め、気が付けばカゴが一つ空っぽに。


「ねぇ、オオタカ…」

「全部気のせいよ。このカゴには最初から一つしか入ってなかったの」

「……多分、僕たち眠いんだよね」


 現実から目を逸らして、やけに膨れたお腹を撫でる。


「そうよ。だから、早く寝てしまいましょう?」

「うん…おやすみ…」

「ええ、また明日」


 グレーゾーンを飛び越して、きっとアウトな夜食のあとに。脳裏に過ったあの影を瞼の裏の暗闇に隠して、とどめとばかりに布団も被って、僕は寝る。



 やっと、少しだけ長い夜が終わった。




§



 かの戦いから数時間後のこと。


 山麓の暗黒にて、彼方より飛来する一羽の烏。

 その羽ばたきの先では、外套を羽織りフードを被った人影が荒れた山道を歩いていた。


「―――戻って来たか」


 折り曲げた腕に烏を乗せ、低く響く唸り声を聞いて頷く。


「……ふむ。なるほど、大収穫ではないか。お手柄だ。迎えに行くまでが警邏に見つからぬよう、しっかりと守っておけ」


 早速の指示を受けて飛んでいく烏。

 その姿を見送り、喜色にまみれた調子で呟く。


「まずは一つ。さて、何時の間際に手に入れようか」


 砂利に刻まれた足跡の隙間から、粘つく液体のようにセルリアンが這い出てくる。



「我らが同胞よ、ゆっくりと待っているがよいぞ」



 哄笑を浮かべたその口は、三日月の形に歪んでいた。

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