第二十八節 噂、探偵、怪奇談。
「で、クオちゃんに背負われて帰ってきたと」
「…なにさ」
「いいえ、何でもないわ」
乾いたパンをつまんで笑うオオタカ。口にかたまりを放り込んで、水分を取られ過ぎたみたい。彼女は数度にわたってむせた。
「けほっ……でも面白いわね。尻尾ってそんなに魅力的?」
「君だって、一度触ってみたら分かるよ」
そう答えると、彼女は目を細めて笑う。
「先に言っておくけど、私はそう簡単じゃないわよ? だって私は、いつでもクールに生きてるんだもの」
得意げなオオタカだけれど、僕は思う。
彼女がこんな風に振舞っていられるのも何もかも、あの尻尾に実際に触れたことが無いからだと。
自慢げに引き合いに出してくる”クール”とやらも、クオの尻尾の温かさに包まれてしまえばきっとお終いだ。
「あはは、クールねぇ…」
「あら、何か疑問かしら?」
何でもない、と首を振る。
とはいえ、あまり目くじらを立てるのも厳禁。
好き勝手に触られて一番迷惑するのは当のクオだろうし、何よりあのもふもふに他の子が触れるのが気に食わない。
あらせてあげよう。クールのままで。
「…ところで、あの本はまだ持ってるかしら?」
「あの本というと…小説のことかな」
「ええ、それよ」
この前は途中で眠りに落ちていたけど、興味はまだ冷めていなかったようだ。
「はい、今度は読み終わってからでいいよ」
「ありがとう。じっくり読ませてもらうわ」
栞を裏から表紙に戻して、物語の中身を思い出す。そういえば、オオタカにピッタリのストーリーだったかもしれない。
この小説は終始、ハードボイルドな探偵である主人公が一匹の捨て狐を相棒に、舞い込んでくる事件を解決する……という構成で進んでいく。
相棒とか事件の顛末はさておき、ハードボイルドは殆どクールの類義語。主人公に共感できる部分はきっと多いはず。
僕としては、硬派な中年が可愛い狐を飼っているというギャップがとても心に残ったなあ。
まあ返してもらう時にでも、ゆっくり感想を聞かせてもらうとしよう。主人公の好物である、砂糖たっぷりのブラックコーヒーでも添えながらね。
「…ところでクオは? 起きてから見てないんだけど」
僕が妖力欠乏症から戻ると、既に空は赤くなり始めていた。しかし幸いにも日付は変わっていないらしく、微妙なところで日々の修行の成果を実感している。
リョコウバトは僕が起きるまで小屋の前で待ってくれていたようで、無事を確認すると安心したように胸を撫で下ろしていた。
まあそれは別に良くて、本題はクオ。
リョコウバトは待っててくれたのに……と言うと聞こえが悪いね。だけど姿が見えないのは心配だ。
きっと考えすぎだし、過保護だとも思う。
だけどほら、一応にしても僕らは双子じゃん?
だからさ、妹の心配をするのは当然のことかなって……あれ、妹で良いよね。流石に、僕が弟だと思われてることはないはずだよね。
―――それとなく、後で尋ねてみよう。
「ああ、あの子なら外回りに出てるわよ」
「そ、外回り…?」
えっと何それ、まさかの営業?
いつの間にスカイインパルスは会社になったの?
というか、ジャパリパークに市場が存在していたの?
僕が思っていたよりも、フレンズって経済的なんだね……
「……あなたが何を考えてるかは知らないけど、”絶対に間違ってる”ってことだけは顔で分かるわ」
残念、勘違いだったようだ。
「ほら、”特別飛行”よ。私たち三人だけじゃ寂しいかもと思って、もう一度一緒に飛んでくれる子たちを集めてるの」
「えっ…」
…驚いた。
急遽予定を作って飛んでくれるだけでも有難いのに、こんな配慮までしてくれるなんて。逆に僕の方が引け目を感じてしまうくらい、至れり尽くせりにも程がある。
後で何か、大層なお礼でも用意しておいた方が良いのかな。
「それにね、少しアイデアも練ったのよ」
「…アイデア?」
嘘でしょ、まだ何かあるの…?
「ええ。準備の時間が短いから、十分な人数を集められるか不安でね。だからこの話題を広めてくれそうな子たちに、お手伝いをお願いしに行ってもらってるってわけ」
分かるよ、理屈は分かる。
”広める人”を増やせば、もっと沢山の子に情報を伝えられるもんね。
……いや、そうじゃなくって。
「噂をすれば、戻って来たわね」
背後から扉の音。
発言の機会を失った僕の視界に、ハクトウワシの姿が見える。
そしてオオタカは、扉の向こうへと歩み寄る。
「ハクトウワシ、結果は―――きゃっ!?」
そして彼女を突き飛ばし、部屋の中へと押し入ってくる影。
「お邪魔します。ここに、ヒトがいるとお聞きしたのですが」
「な、なんなの…!?」
声を若干荒げるオオタカ。
「えっと、君たちは…?」
僕も突然のことに戸惑い、ごく無難に名前を尋ねる。
「わたしはオオアルマジロのアルマー。こっちはオオセンザンコウのセンちゃん」
「二人でダブルスフィア。何でも屋……もとい、探偵をしています」
……来ちゃったよ、現実の探偵。
§
「なるほど、君たちがね」
「ご依頼とあれば、お断りする理由もありませんので」
カップの中で揺れるお茶。
残り半分を一気に飲み干し、目の前の二人を改めて観察する。
ダブルスフィアと名乗った二人。
オオセンザンコウと呼ばれた少女の振る舞いは理知的で、見るからに落ち着いている。それに対してオオアルマジロと名乗った少女は明るく、比較的に活発的と形容できる。
そして彼女たちこそが、オオタカの言うところの”お手伝い”であるらしい。
「合理的だと思いますよ。私たちはいろんなフレンズのところを回りますからね。依頼の合間にこのイベントについて伝えるのも、大して難しいオーダーではありません」
静かにオオセンザンコウが頷く。恐らくは、彼女がダブルスフィアのブレインを務めているのだろう。でなければ、隣で楽しそうにジャパリまんを頬張るのに夢中になっているアルマーがそうなってしまう。
それも微笑ましくはある。
更にジャパリまんを机上に足しつつ、ハクトウワシが話を続ける。
「ダブルスフィアには元々スカイレースでもお手伝いをしてもらってたし、こういう場面にはうってつけだと考えたの」
この二人もリョコウバトと同じく、スカイレースの時期からホートクに滞在していた類のフレンズであるようだ。
「まあ、その話はもういいでしょう」
「そうね、終わっちゃったもの」
「終わっちゃったもんねー…」
確かにやめておくべきだ。ここ数日でしっかり蓋をした筈のクオの未練が、容赦なく覆いを突き破って噴き出てきてしまう。
いくら断ち切ったと思ってもふとした瞬間に現れる、それはまるで嫌な思い出のようだ。
ま、僕には思い出すような過去の記憶なんて無いんだけどね。
あはは……はは…
「ねぇソウジュ、なんか暗くない?」
「あはは、もう日が沈むからね…」
「…そうじゃないと思う」
クオのお耳がぺったんこ。
心配してくれるのはうれしいけど、大丈夫。
そんな思いで手を握ると、半ば諦めたように彼女は微笑んだ。
「おほん……ではそろそろ、”報酬”のお話をしてもいいですか?」
わざとらしい咳払いを添えて、真剣な表情のオオセンザンコウ。
ハクトウワシもそれに応えるように、シリアスな口調で尋ねる。
「…何がお望みかしら?」
「ジャパリスティックっ!」
ほぼ即答。
反射よりも早い反応の挙手。
しかし残念、あえなくオオセンザンコウによって引き下ろされる。
「アルマー、お家に”業務用”の箱がまだ三つも残っているじゃないですか。これ以上貰ってもかさばるだけです」
「えー? 沢山あっても困らないよー…?」
「困りますし、困っていません。私が決めて良いですか?」
射貫くような視線。
抗議するような上目遣い。
「…わかったよー」
にらめっこの勝者はオオセンザンコウ。
負けたアルマーにはハヤブサからジャパリスティック一箱を贈呈。瞬く間に舞い戻るテンション。
幸せそうにお菓子を食べる相方の姿に、オオセンザンコウは若干呆れ混じりにも笑みを浮かべている。
目を伏せて、仕切り直し。
彼女は望む報酬を告げる。
「私が欲しいのは、”ヒト”についての知識。出来れば、本人からお話を聞きたいです」
「と、なると…」
「…僕かな?」
それしかないよね。
今のところ、ここに居るヒトは僕だけだからさ。
「ソウジュさん、お願いできますか?」
「いいよ、大した話は出来ないけど」
「ふふ……では、期待していますね」
…話、聞いてた?
いや、聞いてたからこその冗談かな。うん。
そんでもって、”ヒト”のお話かぁ。自己紹介も難しいけれど、人類全部を話題にするのも主語が大きくてまた難しい。
「お話は後でいいですよ、今回の一件が終わった後にでも」
「うん…考えとくね」
時間があるなら何とかなるかな。
こんな時こそ本の出番だ、これからは目を酷使する夜が続きそう。
さても、ここで、一段落。
お茶のおかわりはコーヒーで、話題の変化を僕は感じる。
「ところで皆さん、噂話に興味はありませんか?」
温和な笑みを浮かべつつ、オオセンザンコウがそんな話を切り出した。
「…噂?」
「ええ、ちょっとした怪談話のようなものです」
怪談。
聞き慣れぬ四音に僕の心は揺らめく。横を見ればクオの尻尾も楽しげに揺れ始めていて、そしてもう一つ、彼女の言葉に揺らぐものがあった。
「私は遠慮しておくわ。怪談なんて、全く以てクールじゃないもの」
「そう言いつつ、実は怖くてたまらなかったり…」
「な…何よっ!」
……それはオオタカのクールな姿勢。アルマーのよくある挑発が彼女の神経を逆撫でしたのか、頭上の翼の羽という羽まで逆立っている。
「聞いていくわ、どうせナンセンスな作り話でしょうけどね」
「ただの噂ですし、それで構いませんよ」
上手に乗せられてしまっているように見えるのは、僕の気のせいかな。
「さあ、どんな話? 早く吐きなさい」
それは恐怖の反動か、オオタカの口調は中々粗め。
それを見抜いて口角を上げ、オオセンザンコウは言葉を紡ぐ。
「……”馬の無い騎手”の噂、みなさんは知っていますか?」
この時は何も分からなかった。
紛うことなく因果であった。
一つの運命の導きだった。
それを知るのは、いつになるのか。
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